勇者ごっこ 1
激しい光が襲ってきた。
目を開いた瞬間に見えたのは、圧倒的で膨大な光の束だった。眩しい。急に暗い部屋から明るい場所に出された時のように、目が痛かった。
しかし、案外すぐに目は光に慣れ、視界に澄み渡った青空が見えた。
……空が青いだって?
おれは夜の歩道橋で転落したはずだ。ここはいったいどこだ。身体を起こし、今いる場所を眺め、おれは言葉を失った。
「どこだよ、ここ……」
見渡すかぎりの大自然。遠くに海。その先には険しそうな山々。山頂は純白の雲に覆われていた。
おれが今いるのは、緑の大平原だった。緩やかな下り斜面の先には一面の花畑があり、色とりどりの花が風に揺られていた。
「いったい、どういうことだよ……」
「そんなに、ボクに負けたことがショックだった?」
聞き覚えのある、女子のような高い声。その方向に首をめぐらせると、そこにはミズキが立っていた。奴隷のような薄汚い服を身につけて、両拳を握っている。
しかし、いかんせん女の子のような顔と体型なので、なんだか少しいやらしく見えてしまうのは、気のせいだろうか。左肩が露わになっているだけで、心がざわつく。
って、なにを考えているんだ。ミズキは男だ。かわいいけど、それだけはダメだ。
でも、ミズキが女子になってくれたら、万事解決するようにも思う。
よく見たら、おれも学校の制服じゃなく、勇者のコスプレを……。コスプレだって?
「な、なんじゃこりゃあ!」
青いシャツに紫のマント。マフラーを首に巻き、手にはグローブときた。靴もブーツへと変貌を遂げていた。
は、恥ずかしすぎる! こんなの一秒でも早く脱ぎ去ってしまいたい。
こんなよく分からない世界で、まさかコスプレしてるなんて。足元には、たぶん自分のものだと思われる剣が落ちていた。
「今からボクに殺されるのに、なんで一人で盛り上がってるのかな?」
「うるせー! こっちはそれどころじゃねえんだよ!」
今は服のほうが大事だ。制服じゃなくてもいいから、なにか普通に着られる服はないのか。こんな恥ずかしい格好でいられるか。誰か服を、服をくれ――。
「これ以上、ボクを怒らせないでほしいな」
「……冗談でやってんなら、笑えねえぞ」
ミズキの右拳が、おれの頬をかすめる。瞬時によけたからよかったものの、危うく先ほどみたいに顔面を殴られるところだった。
おれは剣を拾い、構えた。剣を使ったことはないが、昔傘で遊んだチャンバラを思い出す。うん。意外としっくりくる。
「その剣、ボクにゆずってよ」
「え? 別にいいけど」
「ええっ?」
ついでに服をくれ。まだそっちのボロのほうがマシだ。
「……っ。……ゃさまーっ!」
ん? どこからか声が聞こえてくる。女の子っぽい声だけど、目の前に男の娘がいるから、なんとも言えん。
「勇者さまーっ!」
声がはっきり聞き取れたのと同時に、ミズキの股間に矢が刺さった。仮にソレがついてるとしたら、確実に逝ったな。白目をむいて卒倒したミズキに手を合わせる。ご愁傷様。
「勇者さま、大丈夫?」
「ああ、おれはな――」
振り返ってすぐに、おれは驚愕に目を見開くこととなった。
嘘だろ。
彼女がこんな場所にいるわけがない。奇跡でも起きないかぎり、あるはずもなかった。
「――カギノ、なのか?」
そこには、先ほど病室で見たばかりのカギノが、弓矢を持って立っていた。
おれが知っているカギノは、まだ小学生で元気に走り回ってる姿と、脳死となり朽ちた枝のようになってしまった姿だけだ。
おれの前に立つカギノを見る。しっかり成長した姿で、両足で地に立っていた。健康そうな肌が、太陽に照らされ輝いていた。
そんなことは、絶対にありえなかった。
いくら願っても、叶わないことだった。
なのにカギノは、その場に立っている。
……ああそうか。そういうことなのか。
ようやく、この世界について理解した。
――ここは、死後の世界なんだ。
だからカギノがいる。一方的に絶交させてきたミズキがおれと話している。こんなわけの分からない世界にいる。勇者のコスプレをさせられている。全部、つじつまが合う。
「……勇者さま、聞こえてる? ねー! ご無事でしたかー?」
「ああ、一応はな」
カギノは倒れているミズキを確認する。ぴくぴく、と動いてはいるが、当分は起き上がりそうもない。大事なモノを失ったんだから、すぐに立ち直れるはずもないよな。
「じゃあ、逃げよっか」
手を握られ、引きずられるようにして連れて行かれる。
今になって気づいたが、左ひざの痛みが消えていた。死後の世界だからなんだろう。だったら、自分で走れる。走るのは好きだから、今すぐにでも走りたい。
でも、カギノの手の柔らかさが心地よくて、温もりが優しくて、いつまでも握っていたいと思った。
だから、今はただ黙って、カギノに甘えることにした。
十分くらい走った先にあったのは、とある町だった。
もちろん、途中からは自分の足で走った。カギノに余計な負担をかけてはいけないし、やはり走りたかったから。それでも、手をつないだまま、カギノに合わせて走ってきた。
町に踏み入れてすぐに、「すげえ……」と自然に言葉がもれてしまった。
コンクリートではない、土や砂の地面。いたるところに生えている背の高い樹木。石造りの住居。先ほどまでの超自然もすごかったが、この町並みも歴史的な趣があった。
もう少し、死後の世界について想像しておくべきだった。まだまだ先のことだろうと思っていたから、深く考えたこともなかった。けど、まさか歩道橋から落ちて死ぬとか、普通考えたりしない。まあ、おれにはお似合いの死に方だけど。
それにしても、この世界は、大多数の人間の想像をはるかに裏切っていた。天国とか地獄とか、そういうものじゃない。
「勇者さまを襲っていた盗賊の女、前にも現れたよね。奴隷にも見えたけど」
それ以前に、女の子と間違えてるけどな。
しかし、ミズキは盗賊だったのか。おれの死後の世界でカギノがいるのは、おれの望みどおりなんだろう。けど、どうしてミズキは盗賊なんだ?
「ねえ、勇者さまー」
「なあ、その『勇者さま』ってのは、なんなんだよ」
「えっ?」
先ほどから気になっていたが、訊くタイミングを逃していた。その呼び名は、勇者ごっこを思い出させ、連鎖的に事故のことまで思い出させられてしまう。
カギノは立ち止まり、おれの顔をじろじろと眺め回した。なんだ。おれの顔に、なにかついてるのか?
「ここは、死後の世界なんだよな」
「勇者さま、いったい、どうしちゃったの……?」
「いや、こんなこと言っても分かんねえよな。質問したおれがバカだった。悪かったな」
「まさか、そんな……。もしかして、記憶を失っちゃったの?」
「いやいや違うって。おれ、歩道橋から落ちてさ、そしたらここに来て――」
いきなり腕をつかまれ、またしても引きずられてしまった。いったいどうしたんだ。なにかまずいことでも口走っちゃったのか?
どこかの建物に連れてこられたおれは、息を切らし、ぐったりと椅子に腰を下ろした。たった数ヶ月とはいえ、陸上から離れたことで、体力が予想以上に落ちていた。
カギノは目の前で着替えはじめた。そう、着替えはじめたんだ。おれの見間違いでも、妄想でもなく。
「って、なんで着替えてんだよ!」
「えっ? 汗かいたからだよ?」
「いやいやいや! そういう問題じゃねえだろ!」
仕方なく、おれは目をそらした。露骨に見たら悪いだろ。けど、成長したらあんな感じになってたんだな。
胸は大きすぎず、小さすぎず、実におれ好みのサイズだ。体型にしても、健康そうでいい。生脚なんて芸術品だ。脚がきれいな人は、心もきれいに違いない。
「あんまり、じろじろと見られると、なんか恥ずかしいね」
「あ、ああ。すまん」
目をそらしていたはずなのに、気がつけば凝視していた。本当に何故だろう。
しかし、照れくさそうにしてる仕草もまた、かわいらしい。ついからかいたくなってしまう。小学生の時に戻った気分だ。
着替え終わったカギノは、部屋の奥にある階段から、地下へと潜っていった。追いかけるのはなんか違うし、ここで待つことにした。
部屋には、生活感が漂っていた。カギノの家だということは分かってるが、それにしては広いな。男のにおいもする。
まさか、カギノに彼氏が……?
カギノは誰かを呼びに行ったんじゃないか。それがカギノの彼氏とかだったら、結構哀しい。泣かないようにしないとな。
「早く、こっちこっち」
「そんなに急いで、いったいどうしたというんだ」
男の声だ! やっぱり彼氏? いや、旦那さん?
「大変なのっ! 勇者さまが、錯乱状態に……」
「それは大変だ。頭を治療したほうがいいかもしれない」
階下から、微妙に失礼な会話が聞こえた気がするが……聞かなかったことにしよう。
騒がしい二つの足音が聞こえ、ついに姿を現した。男の正体は、おじさんだった。ですよねー。父親と一緒に暮らしますよね、普通。