再生する現実
「ここは……」
目を開くと、夕方の教室だった。時刻は午後四時。携帯電話で確認したが、西暦も日付も、現実に戻っていた。
――戻ってきたのか?
まさか、夢だったとかないよな。こんなリアリティのある夢、見たことも聞いたこともない。
しかし、なんだこの携帯電話は。見たことのないデザインだ。もしかしたら、瑞貴に渡してしまったから、違うものになってしまったのか。「ALTA」とかのアプリは消え、電話帳は復活していた。
一階に下り、廊下を歩く。ふと、中庭が気になって窓からのぞいてみた。中庭には、まいと永真がベンチに座っていた。
「まい、永真……」
回文だ。ってそんなことはどうだっていい。けど、二人の姿は、以前と違っていた。
永真のほうは、「勇者ごっこ世界」で見た好青年っぽい感じだ。まいは、入学当初の、清純そうな雰囲気に戻っていた。
二人はこちらに気づくと、手を振ってきた。二人とも、最高の笑顔だった。おれは手を振り返し、玄関へと向かった。
右腕は復活していたが、左足の怪我は治らずじまいだった。走ることはできそうもない。それでも、急ぎ足で歩を進めた。
前方に、瑞貴の後ろ姿を見つけた。後ろから見ても確信できる。しっかり男に――男の娘に戻っている。スカートをはいてるわけでもない。それにサルじゃない!
「おーい、瑞貴ー!」
瑞貴が振り返り、微笑んだ。やっぱりかわいい。このかわいさは、男の娘だからこそ生えるんだよ。誰だ、女の子になってほしいって言ったやつ。あと、おれは断じてホモじゃない。
「どしたの? そんなに急いで」
「いや、おまえを見つけたからさ」
「え? ボクを見つけたから、追いかけてきてくれたの?」
おいおい。いちいち顔を赤くするな、顔を。
「おまえに言わなくちゃいけないことがある」
「え? な、なに?」
「『機械帝国』の話だけどよ、結構面白いから好きだぜ」
「好きって……」
だから、そういうところだけ切り取ったりするなよ。ほら、周りの女子がざわめいてるじゃないか。一部興奮してるやつらもいるけど。
「嬉しいよ。じゃあ、もっと考えてくるねっ!」
「おう、ほどほどにな」
おれは拳を突き出した。瑞貴もまた拳を出し、ぶつける。
「ねぇ修弥。なにか変わった?」
「いや、なんも変わってなんかない」
「やっぱり変わったよ。詳しくは分からないけど……よかった」
「んだよ、よかったって。言うほどなんか変わったかよ」
「うん。だって前の修弥は、楽しそうだったけど、暗かったもん」
「え……?」
「まいさんと付き合って、楽しそうに遊んでたけど、でもつまらなさそうだったよ。いつか言ってあげなくちゃ、って思ってたけど……よかった」
まさか、瑞貴にまで心配されていたとはな。
そう言われてみれば、確かに変わったかもな。左ひざを怪我し、走れなくなったのは変わらない。でも、心の持ちようが変わった。
まず、絶望していない。
陸上部を辞めたとしても、違う世界が待っていると気づけたから。つらいこともあるけど、楽しいことも待っていてくれる。おれが輝ける世界は、陸上だけじゃないはずだ。
そう思うことができたのは、言うまでもなく世界漂流のおかげだ。
「……ありがとな」
「いいんだよ。結局ボクは、なにもしてないんだし」
「言いたかっただけだから、気にすんな」
おまえも、おれを助けてくれた大切な仲間だ。これからも、喧嘩とか衝突とかあると思う。けど、それでもおまえとは、親友でいたい。
おれはなんの考えもなしに、瑞貴と一緒に同じ電車に乗り込んだ。そういえば、おれはどこに住んでるんだ? 鍵乃が生きていたら、おれは転校する理由なんてないんじゃないだろうか?
けど、もし瑞貴と小学校の時に会ってなかったら、その当時の想い出はどうなってしまったのか。
「なあ、小学校の時さ……」
「なに?」
「おれって、いつくらいに転校したんだっけ」
「五年の時に、ボクの学校に来たよね」
転校してることに間違いはなかった。じゃあ鍵乃は? あのあと事故で死んでしまったわけじゃないよな。打ちどころが悪かったとか。そうだとしたら、おれはなんのために……。
「修弥は人見知りで、最初は馴染めなかったんだよね。でも、ボクは修弥と仲良くなりたいなって思って、すぐに友だちになれたよね」
想い出が完全になくなったわけじゃなかった。でも、少し改変されているみたいだ。
「憶えてる?」
「ああ、もちろんだ」
「確か、こうしてグミをあげたんだよね」
瑞貴はカバンからグミの袋を取り出し、グレープをかたどったグミを一粒出した。それを受け取り、口に入れる。甘いグレープの味が美味しい。
「おまえは、小学校の時からグミが好きだったよな。最初に話したのは、確か放課後で、その時にこれをくれたんだ」
正直、さっき思い出したばかりだけどな。その出会いを、瑞貴はいつまでも憶えていてくれたんだな。
「特別グミが好きだったわけじゃないけど、妙に美味しかった。毎日もらって、一緒に遊んで……。おれも瑞貴ともっと仲良くなりたいって思ってたんだ」
そのころは本気で女子だと思ってたんだけどね!
「それならよかったよ。でもまさか、高校まで一緒になるなんて、あのころは思わなかったね」
「だな」
人の縁っていうのは不思議なもんだ。ずっと友だちだと思ってたやつとは疎遠になったり、あまり仲良くなかったやつと仲良くなったり。女子だと思ってたやつが男子だったりする。本当に不思議だ。
「ねぇ、知ってる?」
「……ああ、知ってるよ。グミは乳首と同じかたさ、って言いたいんだろ?」
「ううん、そうじゃなくて。このグミ、果汁一〇〇パーセントなんだよ」
「あ、ああ。そう。そうだったんだ」
「もう、修弥は変態さんだなぁ」
おまえにだけは言われたくない。くそ、とんだ恥かいちまった。
やや緊張しつつ、家の扉を開けた。鍵は開いていた。これじゃあ防犯にならないだろ。近所で包丁振り回しながら暴れる女の子がいたらどうすんだよ。……普通はいないか。
「ただいまー」
「おかえりーっ!」
「うわっ」
ドアを開けた瞬間、急に抱きつかれ、後ろに倒れてしまった。後頭部を打ちつつ、ほっとした。こうして家族と、現実で一緒にいられるからだ。
また、この場所に帰ってきてもいいんだな。
「おにいちゃん、遅いよ!」
「悪かったよ。でも、待っててくれてありがとな」
夕夏を先に起こし、おれも立ち上がる。
リビングへ行くと、すでに親父も帰っていた。今は新聞を読んでいた。
「ただいま」
「……おかえり」
新聞から顔を上げて、親父は返事をした。その一言で、本当にこの家に帰ってきたんだと実感できた。
「親父、夕夏。いつもありがとう」
「どしたの、急に」
「いや、な。こうして帰ってこられる場所があるのって、本当に幸せなことなんだなって思ってよ」
「……なんか、あったのか」
「いろいろな。でも、そのおかげで、この幸せを感じられるんだな、って思えたんだ」
「そうか。おまえは、少し悲観的なきらいがあるからな。物事を前向きにとらえるのは、いいことだ」
「そだね。おにいちゃんは明るいほうがいいよっ」
おれは頷き、家族に背を向けた。
「……おれ、ちょっと行かなくちゃいけないところがあるんだ。だから、ちょっと行ってくる」
「ええーっ。おにいちゃん、また出かけちゃうのー?」
「ごめんな。なるべく早く帰ってくるから」
「あまり遅くならないうちにな。もし遅くなるようだったら、連絡を入れるんだぞ」
「了解。じゃ」
おれはそのまま玄関に向かった。なにも、急いでいたから、すぐに背を向けたんじゃない。
家族の優しさが、あまりに温かすぎたんだ。だからおれは、危うく涙を流しそうになった。まだ終わりじゃない。涙を流すのは、ここじゃないと決めていた。
だから、今はまだ泣かない。
おれは涙をこらえて、急いで家を出た。
病院についたのは、午後六時だった。
やはり混雑している。人混みをかきわけて、なかに入ろうとした。
――じゃあな。
「え?」
今、誰かの声が聞こえたような……。けど、雑踏に紛れていて、誰が言ったのか分からなかった。そもそも、おれに向けられたものでもないだろう。
そんなことより、急がないと。鍵乃のいる病室へ行き、安否を確認するんだ。
鍵乃のいる病室の前に着き、ドアに手をかけた。
緊張していた。心臓のばくばくという音が、実際に聞こえてくるような気がした。
ドアを開け、なかに入ると、そこにおじさんがいた。反射的に、身体に力が入ってしまう。またしても殴られる。その既視感に襲われたのだ。
おじさんは振り返り、おれと目が合った。その目は、とても優しげだった。
「修弥くんか。来てくれたんだね」
「……はい」
「僕も、今来たところなんだ。いやはや、たいした怪我でなくてよかったよ。君が助けてくれたから、大事にならず済んだ。ただ、頭を少し打ってしまってね」
よかった、生きてるんだ。それに伴い、おじさんとの関係も険悪になってなかった。
「でも、まさか高校が同じになるなんてね。まったく、世間というのは狭いものだね」
「本当に、そうですよね……」
「君が転校した時、鍵乃も『転校したい』と言ってきて、大変だったよ」
この世界での、自分の転校理由は分からない。けど、鍵乃とまた同じ高校に入り、想い出を作れるのなら、それでいい。
ベッド横の椅子に座り、鍵乃の手を握った。頬は健康そうな赤みを帯び、腕もか細くない。
「あれ……?」
ベッドのシーツが濡れていた。
「そういえば、僕が来る前に、誰かが来ていたようなんだ。いったい、誰だったんだろうね」
「誰なんでしょう」
不思議なものだ。きっと、鍵乃を心配して、駆けつけた人なんだろう。
鍵乃は頭を打っただけだというのに、目を閉じたまま動かない。このまま眠ったままになってしまうんじゃないよな。起きてくれよ、鍵乃……。
「う、うっ……」
「鍵乃っ!」
鍵乃は呻いた。
おれは手を握り締める。弱々しいが、握り返してくる。
鍵乃は、ゆっくりと目を開いた。
まだ寝ぼけているのか、目の焦点が合ってない。そんな姿が、またかわいい。
「え……?」
「おはよう、鍵乃」
おれが笑ってみせると、鍵乃も微笑み返してきた。その笑顔が見れただけで、満足だ。本当によかった。
「……また、一緒に勇者ごっこしような」




