過去と未来の狭間で 8
必死になって走っても、通行人と同じくらいのスピードしか出せなかった。
このままじゃ、追いつくことなんてできやしない。鍵乃がまいに殺されて、その死体を発見するのが落ちだ。
「そんなの、嫌だ――ッ!」
最後の最期まで諦めない。それが、ここ数日でおれが学んだことのひとつだ。
ぽつり、と頬になにかが当たった。雨だ。雨が降ってきた。
雨は嫌いだ。
「七年前の忌々しい日」の時も、雨が降っていた。鍵乃のピンチの時に降りだすなんて、なんの因果だろうと思う。
信号に引っかかり、立ち止まる。一度止まった足は、そうそう動いてくれそうになかった。動け。動くんだ!
信号が青に変わる。なのにどうして、おれの足は動かない。ちくしょう。こんなところでもたもたしてる場合じゃないのに。ここまで走れたんだから、この先も走れるはずだ。
足を一歩踏み出した。
瞬間、よろけて倒れそうになる。
情けない――そう思った時、肩を支えられ、おれは倒れずに済んだ。誰だ? 誰が、おれを――?
「まだ、おまえには成さなければならないことがあるんだろ?」
「――親父」
なんだ。頼もしいなと思えば、親父かよ。やっぱり、まだまだ親父の壁は超えられてないってことか。あんなに啖呵を切ったのにな。
おれは親父に背負われた。これで少し、休むことができる。ありがたかった。
思えば、おれは助けられてばかりだ。夕夏が来てくれて、瑞貴が守ってくれて、親父が背負ってくれて……。
鍵乃はどの世界でもおれを助けてくれた、最高の相棒だ。
それに、「樫井修弥」もまた、ここにいるおれに力を貸してくれている。
……まだまだ諦めるわけにはいかない。みんなの想いを受け取ってるんだから。
おれには魔法も武器もない。力だってあるほうじゃない。とてもちっぽけで、弱い人間だ。
けど、おれには仲間がいる。
だからこそ、この一瞬を、「今」という時間を、大切にしたい。できるかぎり、楽しい時間を過ごしたい。そのために、仲間を守るというのは、「勇者」として当然の役目だった。
ここで変える。ここで変えられなかったら、たぶんおれは、いつまでも失敗し続けるだろう。
「いたぞ! あそこだ!」
親父が叫んだ。おれも顔を上げる。いた。鍵乃だ。その後ろにはまいがいる。手に包丁は持ってないようだが、それでも追いかけ続けている。二人は左手に曲がり、信号を渡っていた。
「親父……。先回り、頼めるか……」
「任せろ」
親父は一番近い信号で左手に渡った。もうあと少しだ。あと少しで、鍵乃のもとに行ける。
先に信号を渡り終わり、国道の前に立つ。
「親父、下ろしてくれ……。あと、タクシーを頼む……」
タクシーは、空だけでなく地上も走ってるはずだ。じゃなきゃ不便だからな。
親父の背中から下ろされ、ふらふらと地面に足を乗せた。親父が止めてくれたタクシーに乗り、学校へ帰るんだ。まいを正気に戻すのは、鍵乃を無事なところに避難させたあとだ。
「鍵乃っ!」
おれの声に気づいた鍵乃が、表情を崩す。安心したような顔で、おれのほうへ向かって走っていた。あと一〇〇メートル。もう少しだぞ、鍵乃。
まいは、信号の手前で止まっていた。信号は青なのに、どうして追いかけてこない。意味深な笑みを浮かべ、なにかを見ている。
おれは横を見た。トラックが、鍵乃を跳ね飛ばすつもりか知らないが、猛スピードで走っていた。それも、反対車線を、である。どう見ても、赤信号で止まりそうもなかった。
鍵乃はまだトラックに気づいてない。あのままじゃ、鍵乃が轢かれてしまう。
そんなこと、させるか。
おれは地面を蹴った。
左ひざから血が噴き出る。意識が吹っ飛びそうになる。ひざを曲げるたびに、衝撃が全身を駆け巡る。
それでも、おれは足を止めない。
鍵乃を助けるまで、足を止めるわけにはいかないんだ。
こんな左ひざならくれてやる。
それで鍵乃を救えるなら安いもんだ。
あの日鍵乃が感じた痛みは、こんなもんじゃなかったはずだ。
走れなくなったっていい。
一瞬の輝きでもいい。
鍵乃を助けることができるなら、その瞬間だけでも、輝いてみせる。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
鍵乃を抱きしめ、おれはそのまま地面を転がった。背後で、タイヤのこすれる音がし、電柱にぶつかってトラックは止まった。
助かった。
おお、と歓声が起こった。おれは周りを見回した。拍手まで起こっている。指笛を吹く人までいた。
「し、修弥……?」
「怪我は、ないか?」
「うん。でも、わた、し……つ……」
鍵乃は気を失い、目を閉じた。おれもそのまま一緒に眠ってしまいたかったけど、そうも言っていられない。
顔を上げると、まいがこちらに近づいている。一難去ってまた一難とはこのことだ。
「あなたさえ、いなければ……」
まいはそう呟きながら、怨嗟の視線をこちらに向けて、歩いてきた。
倒れた鍵乃を抱えたまま、おれは彼女を見上げる。さすがにもう、動けないぞ。逃げられそうにない。
「やめるんだー!」
足音が聞こえたと思えば、横から人影が現れ、まいを抱きしめた。永真だった。
「永ちゃん……?」
「まい、もうやめていいんだ。おれが――僕が、全部間違っていたんだ。だから、だから――」
永真は涙を流していた。まいは、そんな永真の頭をなでて微笑んだ。
「永ちゃんは、泣き虫だなぁ」
おれは開いた口が塞がらなかった。まったく状況が飲み込めない。一難は去ってくれたのか?
「修弥、これはいったい……」
「おれにも分からん。それより、救急車を二台呼んでくれ。鍵乃と、あの運転手の分を。あと、夕夏に連絡を取らせてくれ」
おれたちは、親父の手を借りて横断歩道から離れた。あんな場所にいつまでもいたら、邪魔になるだけだからな。
親父が電話を差し出したので受け取る。すでに夕夏に電話はつながっていた。
〈なに、おにいちゃん〉
「ひとつ頼みがある。夕夏には、頼みごとをしてばかりだな」
〈いいんだよ。おにいちゃんのお願いなら、いくらでも聞いてあげるからね〉
「……ありがとな。じゃあ、頼む」
おれは夕夏に指示を出した。簡単な指示だ。そこら辺にいるサルを探して、火を持たせておいてくれ、という頼み。
ある時、機械が言っていた。人間とは、言語と道具を用い、感情を持つ種族だ、と。
機械や火を扱えて、アプリによって言語を獲得し、誰かを助けようとする感情を持ったサルは、もはや人間だ。それで元に戻らなかったら、また方法を考えるさ。
〈見つけたから、火の棒を渡してあげたよ〉
「サンキュ。これで、たぶん大丈夫だ」
〈でもこのサルくん。携帯でエッチな画像見てるんだけど……〉
じゃあ絶対に大丈夫だ。あのエロさなら確実に人間に戻れるだろうな。でも、アレを憶えたサルは死ぬまで続けるとか言うよな。ちょっと心配になってきた。
その後、サルは夕夏のもとを離れ、校外に飛び出していったらしい。困ったサルだ。夕夏はサルを追いかけると言って通話を切った。
そんな電話をしてる間に、救急車が現れ、鍵乃を運んでいった。おれも来いと医者に言われたが、断った。まだ、やることは残されている。
「親父……。夕夏を見つけて、家に帰してあげてくれ。あいつを、危険な目に遭わせたのは、おれのせいだ、ごめん」
「気にするな。おまえはよくやった。夕夏のことは任せろ。お前も早く、帰ってこい。家で待ってるからな」
親父は学校のほうへと向かっていった。これで大丈夫だな。
あとは……。
永真とまいの二人だ。こいつらを変えられたら、おれはぐっすりと眠ることができる。もう、起きているのがしんどい。
「まい……」
「許されるとは思ってないわ。だから、修弥には、私を殺す権利がある」
「バカ言え。おれは、誰かを殺すとか、そんなことをしたいわけじゃない。ただ、なんだ。もうなにもしないって約束してくれりゃ、それでいい」
「あなたたちにしたことは、謝る。金輪際なにもしない。絶対に」
「まいがなにかしそうになったら、僕が止める。約束するよ」
二人とも、丸くなっちゃってまあ。そういえば、永真はいつから「おれ」から「僕」に変わったんだ? いや、たぶんこっちが本当の永真なんだろうな。「勇者ごっこ」世界で見た永真こそが、こいつの本性だったんだ。。
「まい、ひとつ訊いてもいいか?」
「なに?」
「小火騒ぎを起こして、生徒を避難させたのは、まいの優しさか?」
「え?」
「ほかの生徒を巻き込んだりしないように、そうしたんだろ?」
「……さあね」
永真の身体に隠れ、表情はうかがえなかった。
「永ちゃん、ありがとね。私のもとに来てくれて」
「いや……」
「なにか、言いたいことがあったんでしょ?」
永真はびくりと背筋を伸ばした。なんだ、そのバレバレのリアクションは。
「……ずっと前から、好きだ。だから――付き合ってください!」
「――いいよ」
そう言ってまいは、永真とキスをした。もちろん、唇同士で。
…………気まずい! なんでおれ、こんなとこにいるんだろう。帰りたい。
でも、まいの表情を見て確信した。
あいつは、あの笑顔の裏に、とんでもないものを隠していやがった。
最初からなんかおかしいとは思っていた。いくらなんでも、短期間に変わりすぎじゃないのか、と。どの世界でも、彼女は違っていた。まるで別人のように。
全部、演技だったんだ。
たぶん、おれを好きと言ったのは本当だ。じゃなきゃ、ほかの世界において、おれや鍵乃を殺そうとする動機がない。
けど、永真の好意に気づいていたんだ。頭のいい彼女が、永真の計画に乗せられてるわけがなかった。わざと乗っていたんだ。
なんのために?
永真自身に、気づかせるために。そして、自分の口から「好き」と言わせるために。そのために、演技をしながら見守っていたんだ。一番、近いところで。
そして、永真が気づいた時には、その好意に答えるつもりだった――。
やられたよ。不良に化けたり、狂気の女になってみせたり、真面目な顔を見せたり。どの顔が、おまえの本当の表情なんだろうな。
「――いつまでも、幸せにな」
今なら、心から言える。幼馴染同士、楽しくやれよ。
「学校の中庭なら、夜景もきれいに見える」
「え、でも……」
「一応行ってみろよ。おれは、もう帰るからさ」
二人は顔を見合わせ、頷いた。おれは、鍵乃のいる病院にでも向かおう。
が、反して身体は動かなかった。壁から背中を離した瞬間、すぐに倒れてしまった。結局、ここまでか……。
でも、変えることはできた。
それでいいんだ。この世界では、それが目的だったんだから。
おれは満足して目を閉じた。痛みが薄れてゆく感じがする。
世界が分解され――細かい点となり――すぐに消えていく…………。
闇に輝きが現れ――それらが収束し――大きな光となって…………。
世界が――――、
すべてが――――、
再構築される――――――!
――――――――――おめでとう。
――――――――――そして……、
――――――――――ありがとう。




