過去と未来の狭間で 5
学校でも、家でも、同じことのくり返しだった。これが永遠に続くと思うと、ぞっとする。
アンノウンの言葉から考えついたが、寝なければ移動なんてしないはずだ。つまり、寝なければいい。実に簡単なことだ。
学校帰りに、おれはコンビニでレッドブルとフリスクを購入しておいた。
レッドブルはエネルギー飲料であり、カフェインも含まれている。眠気を覚ますといえばフリスクだ。これを一気に口に放り込めば、眠気も吹っ飛ぶに違いない。……意識まで吹っ飛ばないように注意しておこう。
家にあった目薬も使えそうだ。コーヒーもある。これらを利用して、睡魔との激闘を制してやる。
そういえば、この世界でまた驚かされた。
この世界には財布がなかった。携帯電話が財布代わりという。お金もポイントカードもすべてこっちに登録されていた。
以前から、携帯を財布代わりにする人はいたが、国民全員がそれを使っているなんて、少し想像できない。携帯電話を持ってない人がいない前提のシステムだと思った。
鍵乃に指摘されなかったら、危うくコンビニで騒ぎ立てるところだった。恥ずかしいけど、またしても鍵乃に助けられたな。すごく不審そうな目で見られてしまったけど。
あと、所持金が五千円ほどに増えていた。もしかすると、魔王城の地下で見つけた金貨が、しっかり引き継がれていたのかもしれない。
鍵乃はすでに眠っていた。おれは一度ベッドに入ったあと、すぐに起きた。夕夏もぐっすり眠っていることは、すでに確認済みだ。寝顔がかわいかったし、部屋もいいにおいだった。「おにいちゃんのエッチ」と言われても否定はできない。
机に向き合っているだけだと、正直眠ってしまいそうだ。まあ、鍵乃との想い出を思い返していれば、眠らずに済むだろう。レッドブルの缶を開けて、口に含み、思い返す。
さあ、長い夜のはじまりだ。
「おはよー。いつもより早いね」
「まあな」
本当は寝てないだけなんだけどな。鍵乃のパジャマの柄は、猫の足跡、と。昨日の夜も確認しておいたから、間違いない。ちゃんと二日目になっている。
大きなあくびをしつつ立ち上がり、カーテンを開けた。窓から外を眺める。空はきれいに晴れているが、向こうのほうから、どす黒い雨雲がこちらに向かってきていた。雨が降らなかったらいいけど。
リビングで夕夏に「おはよう」と声をかけ、テーブルについた。鍵乃はキッチンで料理中だ。
「おにいちゃん、高校はどう?」
「まあ楽しめると思うぜ。夕夏も今年で卒業だし、いっぱい想い出作んないとな」
「うん。楽しみにしてるんだー」
「そうだ夕夏。USBメモリみたいなの、持ってなかったか?」
「あ、そうそう。あたしの部屋にね、変なUSBあって、どうしようか迷っててね」
「それだ!」
つい叫んでしまった。だが、やはりこっちの世界にあった。前の世界の夕夏に感謝しなくちゃな。
「そのUSBを持って、学校に来てくれないか。その中身を、実体化させておいてほしいんだ」
「でも、それなら……」
「夕夏に頼みたいんだ」
夕夏なら機械に強いし、任せられる。おれは鍵乃のことで手一杯だから、親父を実体化させる時間があるか分からない。
「三階の実体化室だ。頼んでもいいか?」
「うん。この夕夏さまに、まかせなさーい」
えへん、と夕夏さまは胸を張った。胸は頼りないが、その腕は信頼できる。全部任せよう。
「なんの話してたの?」
「兄妹のひみつ話だよー」
「そっかぁ。じゃ、仕方ないね。どうぞ、食べてね」
テーブルに運ばれて来た料理は、ご飯とベーコンエッグ。そして簡単なサラダだった。違う料理を食べられるというのは、本当に素晴らしい。箸はもう持っているので、自分で食べはじめた。
「今日は二日目だね」
「ああ、楽しみだな。毎度のことだけど、朝飯サンキュな」
「別にそんなのいいって。私が好きでやってることだから」
なにかが起こるなら、この世界だろう。おれが死にかけたりしないかぎり、移動することはない。まいと永真から、鍵乃を守り通す。それが、おれの役目だ。
あとは瑞貴か。サルを人間に戻すにはどうしたらいいんだろう。
そういえば、日本人は海外で「イエローモンキー」ってバカにされたりするよな。黄色いペンキをかけたらいいんじゃないか?
うーん……。たぶん、それじゃ戻らないよな。芸でも仕込んで、人間に近づけてみるとか。そんなの一日じゃできそうにないよな。
瑞貴よ。どうしてサルなんかになってしまったんだ。こればかりは、本当にどうしようもないし、親友がサルということを受け入れるしかないのか。うーむ。マジで困った。
帰りのHRがもうそろそろはじまるというころ、おれは大きな変化に気づいた。
今日は欠席かと思っていたまいが、今になって登校してきたのだ。それも、髪を赤味がかった茶に染めて。まるで、おれと別れる直前の彼女と同じだった。
やはり、全体的に起こる出来事が、早められている。
しかし――。
昨日の今日で髪を染めたのは、果たして早められたから、ということだけにすぎないのだろうか。おれへの告白が失敗したから、ということは考えられないか。
現実では、おれは告白を受け、付き合いはじめた。けど、なにかがまいに影響を与え、彼女を変えてしまったのだとしたら……。おれになにかの原因がある可能性は、そう簡単に否定できなかった。
席につき、あらかじめ持ってきたフリスクを口に含む。たった五粒だけでも刺激的なからさが口いっぱいに広がった。
「それ、私にもちょーだい!」
尻尾を振る犬みたいに鍵乃が飛んできた。本当に尻尾と耳があるんじゃないかと一瞬確認してしまった。
「はいよ」
鍵乃の手に出してやると、どばっと出てきてしまった。十粒以上はある。おれは慌てて止めようとしたが、鍵乃はそのまま口に入れた。
「ば、バカ……。それは……」
「~~~~~~~~~~ッ!」
鍵乃はあまりのからさに悶絶してるようだった。涙目どころか、涙を流してる。かわいそうだけど、その姿がちょっと面白くて、つい噴き出してしまった。まったく、こんなことで涙を流せるなんて、平和でなによりだ。
「笑うなんて、ひどいよぉ……」
「すまんすまん。でも、あんな量を一気に食べるほうも、なかなかいないと思うぜ」
「だって、食べたことなかったから……」
「ま、これは一番からいことで有名だからな。ちょっと甘いやつもあるから、今度買ってやるよ」
「分かった。楽しみにしてるねっ」
ふと、視線を感じた。鍵乃越しに見えた、まいの視線。その瞳は、あの時と同じ、暗い光を放っていた。
やはり、まいは危険だ。
けど、今の視線で分かった。病院で感じた視線も、魔王城の入口で感じた視線も、まいのものだったんだ。違うのは、昨日生物小屋で感じた視線だけ。
さっきは少し眠気を感じていたが、それも全部吹っ飛んだ。これからの時間、彼女から鍵乃を守り通さなければならない。
HRが終わり、下校時間となった。見れば、まいは教室から姿を消していた。帰ったのならそれでいい。教師に呼び出しでも食らっていれば、その間に逃げてしまえばいいことだ。
だが、根本は変わらない。
まいの意識を変えてやらなければ、この先ずっと鍵乃は狙われ続ける。
「帰ろうよ、修弥」
分かった、と返事をしようと思った矢先だ。
教室の外に、他クラスからやって来た永真がおれを呼んでいた。それが、友だちとしての誘いじゃないことは明白だった。
「……悪い。ちょっと、教室で待っててくれ」
「え?」
「あいつと話があったんだ。すぐに戻ってくる」
「うん、分かったよ。でも、もしかしたら一階の図書室に行ってるかも」
「できたらここにいてほしい。なにかあったら連絡してくれ」
鍵乃は少し不思議そうな表情をつくったが、すぐに頷いた。
「りょーかい。すぐに連絡するねっ」
鍵乃を教室に残し、永真のもとへ急いだ。フリスクを口に含み、緩んだ精神を強制的に引き締める。
さあ、けりをつけようか。




