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MAGicaL DayS  作者: 椿楓
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崩壊する現実 1

「冗談、だろ……?」

 彼女が唐突に切り出した言葉に、おれは耳を疑い、驚きを隠さずに訊き返した。

 おそらく、今のおれは阿呆のように口を開け放ち、薄ら笑いを浮かべているに違いない。それほどまでに衝撃的な一言だった。

 学校の中庭にあるベンチ。

 隣には、恋人の佐竹(さたけ)まいが腰を下ろしていた。付き合いはじめて約半年、おれたちはこのベンチに座り、たわいない会話で盛り上がることが多かった。今日だってそのはずだった。しかし――。

「冗談で言っただけだよな。そうだよな?」

 希望にすがるような問いかけは、あまりに哀れで虚しすぎた。我ながら無様だ。

「べつに、冗談じゃないけどさァ」

 まいは、にべもなくそう答えた。

 気だるそうな横顔が、彼女の大人びた横顔を台無しにしていた。

 出会ったころは、真面目そうで、まさしく清純な女の子だったというのに、今はそこら辺にいる不良のようだった。以前の面影など微塵もない。

修弥(しゅうや)だって、私と別れたがってたじゃん」

「はぁっ? んなことあるかよ。おれは――」

「私、ほかに彼氏いるから」

「なっ……」

 次々と衝撃の事実を聞かされて、おれは強烈なパンチをもらったボクサーのように、ノックダウン寸前だった。視界が歪んで見えるのは、果たして気のせいだろうか。

「そっちから告白してきたんじゃないか……」

「あの時は、私もどうかしてたわァ。ホント、なんで付き合ってたんだろね」

 その言葉は、今までの交際をすべて否定するものだった。それだけは、もし別れる時が訪れても、絶対に聞きたくなかった。

 どうして急に。理由はなんだ。疑問は次々と湧いてくるが、裏腹に言葉は喉の奥で止まったままだった。こめかみを伝う汗が、頬にまで垂れてきた。

 次の言葉を探していたら、まいが明らかに不満そうに溜息をついた。こちらを見据えるその目は、今朝までとは打って変わって冷淡だった。決して恋人に向ける瞳じゃない。

 いったいいつから、彼女は変わってしまったんだろう。なにが彼女を変えてしまったんだろう。そんなことも分からなかった。

「……分かった。別れよう」

 なんて惨めなんだ。

 その彼氏とやらが選ばれたこともそうだし、「別れたくない」と言い出せなかったこともそうだ。

 そもそも、ほかに彼氏を作っていたことを見抜けなかった時点で、彼氏としては落第だった。まいを見ていれば、彼女の変化に気づくことはできたはずだ。

 おれは立ち上がり、まいに背を向ける。

 これ以上面と向かって話していたら、なにを言ってしまうか分からなかった。どんな顔を見せてしまうか分からなかった。自分を今まで以上に嫌いになってしまいそうだった。

「じゃあな。……幸せにな」

 震える声で、ようやくしぼり出せた言葉がそれだった。心の底では、そんなこといささかも思ってないくせに。

 彼女と過ごした半年間は、永遠に不滅の想い出だと信じていた。が、それも一瞬で消滅した。はじまりは劇的でも、終わりは実にあっけないものだった。

 中庭から校舎へと戻る時、未練がましく振り返ってみた。

 まいの座るベンチに、誰かが近づいていく。男だ。男はベンチの前で立ち止まった。

 ……よりによって、あいつかよ。

 後ろ姿だけでも誰かが分かる。まいの前に立った男は、校内でも有名な不良、(かがみ)永真(えいま)だった。

 まいは先ほどまでとは違う、今朝までおれに向けていた微笑を、永真に向けていた。彼女が不良のようになってしまったのも、永真のせいに違いなかった。

「くそっ」

 地面に転がっている空き缶を蹴飛ばそうとして――やめた。

 そんなことをしたって意味がない。それでも、やり場のない怒りが、悔しさが、身体(からだ)の内側で蠢いているようだった。

 おれはこの場から逃げ出すように、中庭をあとにした。


 家へと向けられている足取りは、まいとの別れを引きずるかのように重たかった。手に持っている傘も、先端を引きずって歩いていた。

 十月、金曜日の放課後。

 枯葉舞い散る晩秋で、冬もあと少しのところまで迫っているようだった。冬になれば、この辺りも雪が降り積もって一面銀世界になる。もうすぐ自転車にも乗れなくなるな。

 普段は自転車通学だが、朝はあいにくの雨で、それができなかった。今は晴れている。けど、対して心のなかは、厚い灰雲に覆われていた。

 こういう時は、親友と語るのが一番だよな。

 ポケットから携帯電話を取り出し、メールの文面を打っていく。送信相手は、小学の時からの友人、幸坂(こうさか)瑞貴(みずき)だ。

『まいと別れた。なんかおごるから、愚痴聞いてくれよ』

 送信できたことを確認し、電話をポケットにしまった。

 が、すぐにポケットが震えだした。

 慌てて電話を取り出すと、メールが届いていた。さすがに返信じゃないだろう。家族かメルマガか。迷惑メールだったらがっかりだ。

〈送信メールエラー〉

 受信箱の一番上には、そう書かれたメールが鎮座していた。予想外のメールに虚を衝かれたが、これは何度か見たことがある。単にメールアドレスが間違っているのだ。

 登録してあるアドレスで送信したんだから、そこに誤りはない。おおかた、アドレスを変更したあと、おれに伝え忘れでもしたんだろう。

 だったら話は早い。電話をかければいいだけだ。急を要するわけじゃないが、今日の傷は今日のうちに癒しておきたい。

 間違いのないように瑞貴の電話帳を選択し、電話をかける。

 ぷるるるる……と呼び出し音が鳴る。けど、すぐに無機質な電子音が、話し中だと告げてきた。なんてタイミングが悪いんだ。しかたない。あとでかけなおすとするか。

 ……と思えば、少し先にいるじゃないか。なんだよ、そんなとこにいたのか。

 ちょうど今電話を終えたところなのか、手には傘しか握られていない。おれは声をかけようと、後ろから近づいていった。

 いや、待てよ。

 後ろから電話をかけて、ちょっと驚かせてやろう。瑞貴のリアクションはかわいいからな。相手が瑞貴じゃなかったらイタズラなんてしない。

 足を忍ばせて、瑞貴の後ろについていく。鼻唄なんて歌っていられるのも今のうちだ。びっくりして、腰を抜かしたりするなよ?

 リダイヤルから瑞貴に電話をかける。まさか、背後から電話をかけられているとは思うまい。さて、どんな反応を示すかな。わくわくしつつ、電話に出るのを待った。

 けれど、おれの鼓膜に響いたのは、またしても話し中と知らせる電子音だった。

 ――通話もしてないのに?

 リダイヤルを確かめてみても、瑞貴の名前が一番上に来ている。計二回の電話は、瑞貴にかけたもので間違いない。

 後ろからしか確認してないが、電話をしている様子は見受けられない。そもそも携帯電話をいじってない。なのにどうして、話し中なんかになるんだ。

 ――まさか。

 いや、そんなはずはない。

 小学五年の時からの親友で、瑞貴のことならだいたい知っている自負があった。……まあ、中学に上がるまでは本気で女子だと思ってたけど。そういえば、中学の時、付き合ってるなんて噂が流れたこともあったな。懐かしいな。

 調理実習室が小火騒ぎで使えないから、料理研究会に出られないということで、昨日とかも一緒に帰った。

 今日だって昼休みに、瑞貴が考えた物語である、世界を支配した機械と人類の戦い――『機械帝国』についての話で盛り上がった。エロ談義だってたくさんした。

 だから、そんなことは絶対にありえない。

 前を行く瑞貴の華奢な肩を叩き、おもむろに横に並び立った。一見女子と見間違ってしまうような顔立ちをした瑞貴が、こちらを向いた。

「よっ、一緒に帰――」

 口を開いて一秒後には、おれの顔面に瑞貴の拳がめり込んでいた。

 後ろによろけ、後頭部を電柱にしたたかにぶつけた。衝撃に視界が一瞬明滅する。鼻血が流れ、ワイシャツを汚した。痛むが、呼吸に滞りはない。骨折はしてないようだ。

 すぐに起き上がれず、ただ情けない呻き声がもれるだけだった。しかし、どうして殴られたんだ。空手を習っている瑞貴は、決して人を殴ったりしないのに。

 そう思った次の瞬間、今度はみぞおちをつま先で蹴り上げられた。

 突き上げてくる嘔吐感。口内に広がる血の苦味。おれは苦痛に身をよじらせ、コンクリートに伏した。

 だが、おちおち寝てる場合じゃなかった。

 顔面に狙いをつけた蹴りが飛んでくる。たまらず地面を転がり、二度目の蹴りをかわした。あんなものを食らったら、しばらくは起き上がれそうもない。

 しかし、瑞貴の攻撃はそこで終わったりしなかった。

 瑞貴は、おれの左ひざを蹴り飛ばした。あまりの痛みに声すらあげられない。そこは、今年怪我したばかりの場所だった。なにも考えられないほど、脚の痛みは激しかった。

 痛みにもだえ、左ひざを押さえた。コンクリートがひどく冷たい。このまま殺されるんじゃないか。理由も分からず、親友に殺されるなんて嫌だ。

 顔を上げようとしたら、地面に顔面を押し付けられた。後頭部を踏まれているらしく、顔を上げることができない。

「どうして、ボクの肩に触ったりしたの?」

「……別に、普通だろ。友だちなんだからよ」

「あははっ。修弥って冗談が上手だよね。……ボクと修弥が、いつ、どこで、友だちになったのかな?」

「は……? 昼休みに、『機械帝国』について話したりしただろ」

「昼休みは昼休みだよ。もう昼休みは終わっちゃったんだ。……ねぇ修弥。二度とボクの前に立ったりしたらダメだよ? 次は、生命(いのち)を落とすことになっちゃうからね」

 頭を押さえつけていた足が離れた。徐々に足音も遠ざかっていく。同時にそれは、おれと瑞貴の距離が離れていく音でもあった。

「待って、くれ……」

 身体を起こして叫んだが、口からもれる音は、自分でも驚くほど弱々しいものだった。

 なんなんだよ、くそったれ……。

 おれは地面を殴りつけて立ち上がる。落ちていたカバンを拾い上げ、口にたまった血唾を吐き出した。危うく傘を忘れそうになったが、すぐに気がついて拾った。

 今日はなにかが変だ。いったいなにが起こってる。

 まいといい、瑞貴といい、なんで手のひらを返したように冷たくなったんだ。瓦解していく日常に、おれは独り、置いてけぼりを食らった気分だ。戸惑いよりも、恐怖のほうが大きかった。

 もしかして、あいつらに嫌われてしまうことを、無意識にしてしまったのか?

「おれが、悪いのか……?」

 その呟きが、冷たい秋風に飛ばされ消えていった。


 状況を整理しながら、バスに揺られて家へと帰ってきた。瑞貴に蹴られた左ひざがまだ痛む。家に着くころには午後五時を回っていた。

 早く休んでしまいたかった。

 だからドアを勢いよく開けようとしたのだが、おれの意思に反して開かなかった。そのせいで、顔面から扉に突っ込み、先ほど殴られたばかりの鼻をぶつけてしまった。

 普段は鍵なんかかけたりしないくせに、いったいどういう風の吹き回しだ?

 いつもなら、もう妹が帰ってきている時間だ。居残りか寄り道で帰りが遅くなっていることも考えたが、部屋には電気もついてるし、帰ってきてるのは間違いない。

 妹は昼寝してることもあるし、インターホンを押して起こすのも悪い。いささか面倒ではあるが、自分で鍵を開ければいい話だ。カバンから鍵を取り出し、開錠した。

 今度こそドアを開こうとすると、お次はドアチェーンが待ち受けていた。おれの家は、いつからこんなに厳重になったんだよ。盗まれて困るようなものなんかないだろ。

 きっと、近所で通り魔殺人でも起こったんだな。だから、普段よりも徹底した戸締りをしてるだけだ――そんな希望的観測ができるほど、精神的な余裕はなかった。

 むしろ、嫌な予感しかしない。

 インターホンを押すために、右手を伸ばす。自分でも驚くくらい手が震えていた。緊張で左手は汗ばんでいた。

 インターホンを押すというたった一瞬の行為が、異常なまでにためらわれた。これを押した瞬間に、なにもかもが終わってしまいそうな気がした。核の発射ボタンを押す人でさえ、ここまで恐怖したりしないだろう。

 こんなことで怖気づくなよ。

 決意を固め、叩きつけるようにインターホンを押した。

〈――どちらさまでしょうか〉

 口から心臓が飛び出るかと思った。予想してなかった声に、おれは心底驚いた。迫力と威圧感のある重たい声。間違いない。親父だ。

 モニター越しに見えてるはずなのに、そう問われるとは心外だ。

「おれだよ。ドアチェーンがかかってるからさ、外してほしいんだ」

〈どちらさま、と訊ねているんだ。答えろ〉

 問いかけが荒っぽいものになり、その語調で、予感が確信へと変わった。それでも、どうしても認めたくなくて、悪あがきするように言葉を投げかけた。

「冗談ならやめてくれよ。なあ親父。もう分かったからさ、ドアを開けてくれって」

〈貴様に父と呼ばれる筋合いはない。この家には、貴様のような息子はいない。だから、即刻この場から立ち去れ〉

「なに言ってんだよ! おれが、樫井(かしい)修弥(しゅうや)が、ここに――」

〈黙れ!〉

 有無を言わさない怒鳴り声で、おれは強制的に黙らせられた。なんだよ、親父まで。こんな時、親父ならきっと正しい道を示してくれると信じてたのに。

 全身を悪意で貫かれるような、嫌な感覚だった。この感じは、もう一生味わいたくないものだった。

〈これ以上ふざけたことをぬかしたら、警察を呼ぶぞ。それが嫌なら、二度とこの家に近づくな。分かったか!〉

 答える前に、ぶつり、と音を立てて、インターホン越しの通話は途切れた。

 家族までもか……。今日からおれは、どこに帰ればいいんだろうか。

〈――おにいちゃん、まだそこにいる?〉

 インターホンから、雑音に紛れ、声が聞こえてきた。

夕夏(ゆうか)か?」

 今年の春に中学一年になった夕夏が話しかけてきてくれたんだ。もしかすると、夕夏だけは……。

「なあ、いったいどういうことか教えてくれ。にいちゃんはさ――」

〈もう一生、あたしたちに連絡してこないでよねっ!〉

 こちらの言葉を遮るように言い放ち、一方的に通話を切ってきた。同時に、遠慮会釈もなく縁も切ってきた。あの夕夏でさえもダメだった。

 妹がまだ小学四年の時、地下鉄で痴漢に遭った。

 慌ててその場に駆けつけると、妹ともう一人の中学生の女の子が、暴れる男に襲われていた。周りの大人たちが男を取り押さえようとしていたが、野生から飛び出してきたようなゴリラ男はいとも簡単に大人たちを振り払った。

 おれと瑞貴は協力して、ゴリラ男を蹴散らしてやった。そのあとから、「おにいちゃん大好きー」と毎日言われ続けることになった。

 そんなものは一過性だと思っていたし、六年のころには夕夏も反抗期に入り、おれや親父とも折り合いが悪くなったから、そんなことを言われることもなくなった。

 けど左ひざを怪我し、目標を失ったあとは、あまり反抗的じゃなかった。以前のように、とまではいかなくても、優しげだった。

 だから、もしかすると夕夏なら――と淡い希望を持っていた。結局は、甘い考えでしかなかったわけだ。

 気がつけば、笑っていた。笑うしかなかった。

 しばらくおれは、渇いた笑い声をもらしながら、帰る場所じゃなくなった家の前に立ち尽くしていた。

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