捧げ物ガヴアン
私の好きな感じのガヴアンをば。注意はもういいや。好きに読んでくださるとうれしっすうえっへーい
「へえ、線の細いのが幸いしたんだな!あんたろくに食ってないだろう、金ならじゅうぶんすぎるほどあるくせに、まあ贅沢なことをしやがる」
「招待したのは君だ、文句ばかり抜かすな」
入口を難なく、当たり前のようにするりと通り抜けたのには、流石の彼も驚いたらしい。天井は低く、中は暗く、妙な静寂が漂う。微かな鉄錆のにおいが鼻をつく。ぼうっと白いものが黒のなかで浮かび上がったかと思うと、初めは闇に輪郭の溶けていたのが、目と鼻と口が見分けられるくらいにはっきりしてきて、しまいには鼻先同士がくっつきそうなほど近くにいる。実際少し擦った。擦ったあとその顔がくしゃりと歪み、はにかむような、吹き出すのを堪えるような、とにかく無邪気さを映して一言、失敬と言った。成る程距離感は掴みにくい。
「ああ確かに言った、俺の家へ招待してもいいとな。そして約束は守るさ、まあなるべくだ。ほらこっち。おいで」
「おっと」
「ふらふらするんじゃない、手貸しな」
いいと言ったが貸せという。だからいいと言えば尚貸せという。本当にいいのだと言えどもやはり貸せというので、仕方なく右手を突きだしてやった。この浮浪児が満足するようにさせてやることにして、握られた片手をほんの少し、彼が意識しなければきっと気付かないくらいに握り返す。ニヤリとする気配ののち、手を引っ張られて前へ進み始めた。曲げた腰もいよいよ痛い。
「何も出せるものなんてないぞ」
「君は僕がお茶とお菓子を期待しているとでも思うのか」
「今それを聞いて安心したさ」
小さな彼は快活に声をたてて笑い、繋いでいる手を何ともなしにぶんぶん振った。きっと家に人が来ることなんてまずないのだろう。もっとも、彼の話せる者なら街じゅう沢山いるはずだが、しかし家に来るものとなるとどうともいえない。彼に関してはっきり判る情報など実に乏しい。断言できることといえば、この街に住む子供でガヴローシュと呼ばれているという、ただそれのみである。
「それならどうして急に、俺の家へ来たがったんだい。来たって相手は俺一人だというのに、なんだってそう訳の分からないことを平気でやるかね、学生さんは」
「訪問客へもてなしの言葉とするには、少々乱暴すぎやしないか」
「ははは、随分言ってくれる!」
そこへきて足が止まった。一旦手がはなされ、何かを引きずって退かすような音がした。玄関に来たと思うべきか、居間へ来たと思うべきか、どのタイミングでお邪魔しますを言えば良いか、もう既に言いそびれているものかと、それを一瞬考えている間に小さな手がまた繋がれており、やれ、ちゃっかりした子供だと首を振る。どうやらこの先は本格的に寝起きをする部屋になるらしい。ようやく夜目も慣れてきた。薄く部屋の壁の凹凸もみられる。そこで彼は一、二度軽く咳払いをして、実に大仰に、ちょっぴりぎこちなく、そして如何にも誇らしいような調子で声を響かせた。
「ムッシュー、ようこそ俺の家へ」
彼の狭苦しいベッドについてだが、そこは今の彼の背丈で丁度収まるような尺だった。俺は大きくなるのに、このベッドはちっとも大きくならねえ。不便なもんだと彼は肩を竦め、しかしまあ大きくなったところで、身体を丸めりゃいい話だがと付け足してから、思い付いたように手を叩き、そうだ、全くその通りだ、俺がこいつの丈に合わせてやれば済むんだ、人ってのはなかなか好都合に出来てると嬉しそうに言った。ベッドに人格を見出だしているかようなその口振りに、美しい彼は目を見張り、窮屈ではないかと問うた。問われた者は当たり前のように淡々と、持っているネズミ避けの網を弄りながら答えた。
「窮屈?窮屈だって?そんなもの、わざわざ俺の寝床を探さなくったって、その辺にごろごろ転がってるだろうが。そしてお前、窮屈ってのは、煮ても焼いても食えやしないよ。もっともこっちから迎えにいくもんでもなし、向こうが勝手にのこのこやって来やがるが、俺の前ではやっこさん、みんな尻尾巻いて帰っちまうのさ」
「どうして。窮屈と言ったが、僕たちはその窮屈とも戦っていると言える。それが君に無効とは初めて耳にした、一体どういうことなんだ」
「ばか、忘れてるようだが、俺は子供だぞ」
それに、彼はずっとこの家のなかにいるわけではもちろんなく、一日のほとんどを街で過ごし、眠くなれば此処へ来て、寝床に潜ってはぐうぐうといびきをかき、朝になれば一目散に街へ飛び出す生活を送っているのだった。彼にとっての家とはまさに寝床であって、此処がそれに使い勝手のよいからこそ家としているのであり、駄目になればまた違う寝床を探すきりである。とは言っても、彼はなかなかこの象を気に入っていた。住めば都とでもいうように、ちょっとした愛着を感じているのも確かである。合点のいったようでそうかと頷いた青年の、蝋燭に照らされた横顔を覗き見るなり、街を愛する一人の少年はくすりと小さく笑みをこぼした。彼らはその窮屈を打破しようと日々奮起するのだ。少年は、その窮屈の威張り歩かない街を想い、それでもやはり象のなかで暮らす自分を見つけ、僅かに微笑んだのである。喜、または哀。そのどちらか。
「随分長居してすまなかった、僕はもう帰る。君は早く寝たまえ、来るなと行ったってどうせ、明日もカフェに来るんだろうから」
それからどのくらい時間がたったかというのは、象のなかにいては全く分かりっこなかった。かなり長い間、少年が青年の話を、青年が少年の話を聞いていた。二人はたまに笑い、たまに渋い顔をして、お互い思うところは違うようだったが、少しばかりある歳の差は全く感じられなかった。それでつい、時間を忘れるほど話し込んでいたのである。
「流石によく分かっているね、だがちょっとそこまで見送ろう、もう遅いし」
少年にとっては気取ったのでも、変に気を遣ったのでもないその言葉だったが、対して言われた彼はふんと笑った。なんだと言わんばかりの視線を寄越すと、彼はさも当たり前のように、少しの復讐の意を込めて、こう言い放った。
「忘れてるようだが、僕は大人だ」
力の抜けたように少年は笑い、そんじゃ好きにしてくれと言った、青年はその子供をいとおしむような眼差しが不本意であったのか、少し眉をひそめたが、それでも頬の微かな紅潮は充実を表すようだった。して
その青年は、日頃から心中にある想いを口にする。
「君、ひとつ聞いてもいいか」
「ああどうぞ」
「僕やABCの友の会の彼らが好きか」
質問を受け付けた彼はふむと唸って、唐突なもんだなとこぼした。それでも考えるそぶりを見せたのは少しだけで、すぐに顔をあげると、この暗闇のなかで眩しいくらいの笑顔をみせた。
「まあだいぶん気に入ってるよ。あんたみてえな世間知らずの革命バカもいるし、詩人も医者も破天荒も貧乏者もいる、博識がいるかと思えば飲んだくれもいる」
ここで眉間にシワがよった彼を、ニヤリと見つめながら少年はさらに続けた。
「果ては禿げ頭の苦労性まで居るんだ、あすこに居て退屈しろというほうが難しいに決まってら」
「なるほど」
それは実際、彼の心からの言葉だった。思えば二人きりでそんなに長いこと話し続ける機会というのは、おそらく初めてであったのだろう。そして最後だったのだろう。二人はしばし目を合わせていた。何とも言えず、くすぐったいような、重苦しいような沈黙にうもれた。そのうち我に返った青年が慌てて出口へ向かった。
「引き止めて悪かった、それじゃ僕は」
「俺もひとつ聞いていい」
足が止まる。振り返ると意を決したような
表情が、かろうじて見えていた。黒に透けたようなその小さい顔で、じっと彼を見据えていた。青年は少年に向き直り、やはり荘厳な顔つきでなんだと応える。
「あんたさ」
先程とはまるで緊張感の違う無音だった。いたたまれず、麗しい青年はその唇をきつく結ぶ。結果それは、何かを覚悟したような、切羽詰まった表情にみせた。
息を飲み込む。それが空間を僅かに震動させ、数歩遠くにいた青年にも伝わるほど、空気はピンと張り詰めていた。
数秒の後、少年は息を吐き出した。
「あんたさ、こんな夜中に俺のところへ来て、一体情婦はどうなってるんだい」
見事なまでの拍子抜けに、青年も息を吐いた。ゆるゆると首を振りつつ、気だるげに答える。
「情婦を持ってないんだから問題ない」
「その顔で?はん、選り好みも大概にするんだな」
「別に、そうじゃない。そういうのはお前で十分だ」
言って、失言に気づいたが、もう手遅れだった。そうかと頷きかけた少年の目と、項垂れていた青年の目が、不意にぱちりと重なる。あわあわと口を開閉する、不運にも口を滑らせた彼は、訂正する隙もなく即座に問いただされた。
「おい、それどういう意味だ?」
「違う、失言だ」
「俺はてっきりあんたはあの酔いどれの嫁に行くのかとばかり」
「それはない、絶対にない」
「まさかと思うが」
「もういい黙れ僕は帰る、そして君は今すぐ寝るんだ、今すぐ!たまには大人の言うことも素直に聞きたまえ」
「そう急かすな、しっかり寝るさ」
ぐっと握り締めた拳がふるふると震えたが、彼は自ら深呼吸でもってその衝動をすっかりおさめてしまった。その頃にはもう、寝床は本来の役を務めて子供が横になっていた。お休みをいうべきであることを悟った彼は、なるべくの無表情を心がけてベッドへ近寄った。網を少しだけ、彼の顔が通れる程に開いた後、真っ直ぐ天井を向いている少年の顔を確認して、ため息をつきながら目をつむれと言った。堪えきれずにくふふと笑みをもらした少年の頬に、軽く唇を押し当ててお休みと囁く。そそくさと網を戻して帰ろうとした時、聞いたことのないような柔らかい声が、あんた俺に少し惚れてんだねといってそれを引き留めた。青年は一度動きを止めたが、もごもごと何か言った後にかすれた声で、早く寝なさいとだけもう一度囁いた。そしてできる限り早く部屋を出ていったので、少年が限りなく小さな声でこう言ったのには、おそらく気づかなかったらしい。
「お耳の真っ赤が覗いてますよ、と」
よんさくめいえー!毎回読んでくださるかたがた。あざます。さらにふぁぼ。感想りぷ。くださるかたあざます。ありがとうございます。ガヴアン好きさん読んでるぅ?↑みたいなノリで書いてしまって申し訳ないです。サイトからこられるかたのため一応ついった @_m_g_98 に居ますので。何かありましたら。それではッ