第7話 海神様
突然の異音に二人は立ち上がり、警戒して視線を巡らした。水面が波打ちのたうち回る。首をもたげるようにして、水の塊がすらりと宙へ伸びた。太い蛇に似た体躯は先端を口の如く裂けさせて二人へと襲い掛かってきた。素早く反応したニノがアダカの裾を掴む。自らの後ろに庇いつつ、突進から危うく身を躱した。
「こいつ、サーペントの一種か!?」
「水霊だな。魔力を含んだ水が動いているぞ」
「ご解説どうも!」
アダカの指摘通りなら、蛇の魔物というより精霊に近いらしい。襲われるならやるしかないと、急いで弾丸を装填し直した。こちらへ噛みつこうとした水霊の中心を、弾が一直線に貫く。弾が触れた瞬間水の身体が沸騰して、高熱に耐え切れず蒸発した。
「おおー、火の呪術が籠った武器なのか」
「弾丸次第で何でも対応できるぞ。トレジャーハンターたるもの、危険に備えておくのは当然だからな」
ニノはふふんと自慢げに返す。準備の分弾代がかなりかかってしまうという欠点は、黙っておくことにした。問題解決のための出費は必要経費だ。そしてその出費は一発では済まなかった。鍾乳洞のあちこちで大魚が暴れているような水飛沫が舞う。一体どころか十を優に超える姿に、ニノは頬を引き攣らせた。残りの弾数を確認していると、後ろからぽつりと小さな声が上がる。
「……こいつら、怒っているんだ」
「缶詰でキレたのか!?」
「多分違う。この一帯、澱みが凝っている。わざと循環を歪ませられたんだ」
「つまり人為的な要因か。どこら辺が一番ヤバいか分かるか?」
ダメ元で聞いてみると、アダカはあっちだ、と人差し指で示した。何の変哲もない普通の石筍や石柱が連なっているだけに見える。数が不明の水霊相手に限りがある弾で勝負するよりも、今はそれに賭けてみようと判断した。荷物袋の中のとっておきの一つを投擲し、ぼんやりと立ったままの連れへ素早く命じた。
「目と耳を塞いで口を開けろ!」
小型爆弾が命中した壁を起点にして、衝撃が走る。爆発に混ざるようにして黒い煙が不自然に湧き、突風と化してまき散らされた。口元を押さえた身体を煙が通り過ぎた時、身体の奥を冷たい手で撫でられた不快な感触が沸き起こる。
『恨めしい』
『苦しい』
『辛い』
無数の怨嗟が通り過ぎたのは、数秒にも満たなかった。襲い掛かってきた妙な感触から逃れようと、妙に冷えた腕を強く擦って頭を強く振る。憎悪の木霊が徐々にただの余韻と化し、口から重たい息を吐いた。爆風の衝撃に耐えきれなかったのか、人為的な要因を消せたからか、水霊の姿は全て消え失せていた。今度は安堵の息を吐いたものの、後ろを振り向いてぎょっとする。
「アダカ!?」
小さな体は着物が濡れるのも構わず、両膝を地につけていた。小刻みに震える手で地面に爪を立て、乱れた呼吸を繰り返している。両目を強く瞑り、何かに耐えるように顔を歪ませていた。明らかに尋常ではない態度に駆け寄ると、青白い頬のままゆるゆると首を横に振られた。
「気にするな。アダカは……アダカだから」
「気にするに決まってるだろ馬鹿野郎!」
強引に腕をひっつかんで抱える。反論も抵抗も無視して走り出すと、先程まで二人がいた所へつらら石が降り注いだ。爆発の衝撃で内部が脆くなっている。一難去ってまた一難、休む暇もない。不穏な音を立てている天井を睨み、どうにか直撃を逃れていく。広範囲で落盤が起きれば、流石に逃げ場はない。干潮までまだ時間もある。現状の打開策を考えていると、腕の中の身体がもぞりと動いた。
「離せ」
「こら暴れるな、死にたくなかったらじっとして」
「その不躾な手を離せと言った、無礼者」
突然の不遜な物言いに目を見開く。自分が抱えているのが数歳年下の少年ではなく、別の生き物であるという錯覚が走った。拘束が緩んだ隙に腕からすり抜けて、少年は落石をものともせず数歩前に出た。軽やかに足踏みを繰り返し、小さな手を頭上へと大きく広げる。それは、何かを迎え入れようとする儀式めいていた。
「掛けまくも畏き海神よ──この身に力を預け給え」
ごう、と水が唸り声を上げた。落石がぴたりと止む。否、二人の頭上を覆う水の膜によって、せき止められていた。唖然としたニノの手を、小さな手がぎちりと掴む。肌から伝わる温度はぞっとしてしまう程に血の気が失せ、冷えていた。
「この地を鎮めた返礼として、人の生きる大地へ送り届けてやろう」
唇を三日月の形へ歪めて、ソレは言った。どういう意味かと問う前に、押し付けられた水流で答えを示される。問答無用で流されていく身体は、大きな水の怪物に飲み込まれて移動しているようにも感じられた。送り届けるという宣言通り、途中の壁に激突して肉片になる事もなく鍾乳洞を放り出される。そのままの勢いで更に流され、近くの海岸に着いてようやく水の塊からぺっと吐き出された。砂浜からどうにか身を起こし、座ったまま首を動かす。幸い人影はなかった。
「脱出できた、のか……」
げほっと咳き込み、頬にへばりついていたワカメを剥がす。とんだ大冒険を繰り広げたのに、そこまで時間は経過していなかった。未だ頭上に残っている月を見上げてから、ニノはここまで自分を導いたモノへと視線を動かす。爪が食い込む程にこちらを掴んでいた指を緩ませ、どこかぼんやりとした笑みを浮かべているアダカへと口を開いた。
「体調はどうだ。もう平気か」
その言葉に、ニノは言われた意味を理解しかねたのかきょとんとした。ややあって、不器用でぎこちない笑みへと変わる。
「平気だ。お前はそんな事を気にするんだな」
「いや、普通は気にするだろ。あんなにキツそうだったし」
「……ふうん」
アダカはやけに嬉しそうな表情となり、うんと頷いた。見た目よりも幼い動作に、先程の妙な態度の記憶が薄まっていく。尋ねるべきか迷って、結局気になっていたもう一つの方を口に出した。
「さっきのは魔術じゃないよな」
「海神さまに力を貸してもらった。機嫌が良くて助かったな」
「そうか、……助かったよ、ありがとう。でも余程の事がない限りその術は使わないようにしろよ。負担が大きそうな力をいちいち使わなくたって、大抵どうにかなるんだからな」
ニノの言葉に、アダカはまたも驚いたようだった。砂浜で座り込んでいる男をまじまじと見つめ、ぼそりと呟く。
「お前、やっぱり変なやつだな」
気遣ってやったのに、失礼な物言いである。ニノは反論しようとして、けれど結局そうだなと苦笑しながら同意した。元々薄暗い職業をしていた自分が普通である自信はなかったし、不思議と悪い気はしなかったから。
※※※
店へと戻ると、ランが起きたまま二人の帰りを待っていた。彼女の部屋に通され、一夜の冒険をかいつまんで話し財宝は得られなかったと告げると、まあそんなに上手くいくわけないわよネ、と肩をすくめた。元より然程期待していなかったのだろう、二人を一切責めなかったし、儲けを独り占めしようとしていると疑う事もなかった。
「じゃあ収穫は……、何も得られなかったのネ」
念を押すような口ぶりに、ニノは少し躊躇ってから荷物袋へ手をやった。回収した漂流物の中から布切れを取り出すと、ランの表情が強張る。反応を確かめてから、努めて淡々と報告をした。
「鍾乳洞の中には、沢山の水死体が流れ込んでいた。その中の一つに、このバンダナがあったんだ。確かこれ、旦那さんがよく身に付けていた柄のやつだよな」
「そう……そうヨ、まさか……」
「……死体そのものは残ってなかったよ。でも多分、近くに散らばっていた骨は大人男性のものだと思う」
ランは俯き、暫くぼろぼろの布を握りしめていた。自分の胸元へ招き入れるようにして強く抱きしめ、二人へと頭を下げる。無言の感謝を沈痛な面持ちでニノはただ受け入れる。その光景を、アダカは距離を置いてじっと見物していた。
※※※
話が終わり、貸し部屋に戻って一息つく。ランから了承も得ているし、暫し惰眠を貪りたい。重たい身体を引き摺って布団の準備をしていると、黙っていたアダカがようやく口を開いた。さっきの話おかしくないか、と。
「あのバンダナなら、似たようなのをつけた船乗りが波止場で沢山いたぞ。それに骨の話だって、ランが探していた男の確証はないじゃないか。骨も漂流物もごちゃ混ぜになっていただろ」
そこまで分かっていながら、アダカは口を挟まなかった。空気を読んだのか、ニノの結論を尊重したのか、こちらの考えを聞いてから判断するつもりなのか。布団を敷くと、ニノはどっかと座り直して投げやりに答えた。
「なら、ランさんが何でそんな信憑性の低い情報を受け入れたかも分かるだろう。あの人は、どんな形でもいいから答えが欲しかったんだよ」
彼女はずっと、待ち人は戻ってこないという証拠を求めていた。五年以上借金を返し続けながら待ったのだ、愛想が尽きて逃げてしまっても、他人から非難されまい。それでも最後の後押しがなければ過去を切り捨てられなかった。
「ろくでもない家族と縁が切れて、ランさんは自由の身だ。良かったじゃないか」
「本当にそう思っているのか?」
「ああ、過去を捨てて心機一転できるんだからな」
布団に潜り、顔だけを動かす。アダカは静かに、窓の遠くで輝く月を眺めていた。建物に隠れ、今にも沈みゆこうとしているそれを。
「ランがそれでいいなら、アダカも黙っていていい。ただ──」
「……なんだよ」
少年は緩慢な動作で室内へと顔を向ける。消えゆく月を背にした表情は、暗くてうまく判別がつかなかった。
「そう簡単に、縁を切り捨てられはしない」
ニノは息を呑む。感情的に反論しようとして、けれど言葉にならなかった。返答を拒否するように、無言で掛け布団を頭まで被ってそっぽを向く。ああそうだ、アダカに指摘されるまでもなく、そんな事はニノもよく分かっていた。
曖昧な証拠で自らを納得させたランが、本当に心から過去を捨てられるのか。きっと彼女は今後も扉が開く度に、待ち続けた男の姿をほんの僅か期待してしまうのだろう。夫を見捨てた女としての罪悪感を、完全には拭い去れないかもしれない。ニノの証拠の力なんてその程度だ。動き出した未来が、いつか彼女の痛みを誤魔化すでもなく、かさぶたのように覆って薄っすらと痕だけを残してくれたらいい。
そう、心から願っている。
自分もいつか、そうなれるようにと。
※※※
鍾乳洞の奥は、太陽も月の光も一切届かない。人間のなれ果てのみが訪れるばかりだったそこは、爆発で無残な痕を晒していた。がらり、とひびの入った岩が揺れて、水底へ転がり落ちる。石くずが散らばる中に混じるようにして、真っ赤に塗られた珠が鈍く輝いていた。
「なんと無礼な不心得者よ。だが──」
ゆらり、と水面がさざめく。ひとつ、またひとつと姿が増え、最初に現れたそれは珠の欠片を愛おしそうに撫でた。着物を纏ったそれが、歓喜に満ちた声を上げる。ひとつの名が神聖な讃美歌のように、或いは禍々しい呪詛のように響き、暗い洞窟の中で満ち満ちた。
「アダカ様」
「アダカ様」
「必ずやお迎えにあがりますぞ、アダカ様──




