第22話 夢の続きを
「ニ、ノ……?」
恐る恐る呟く声は、紛れもなくニノの相棒のものだった。ようやく戻ってきた、と力なく笑う。漏れた息と共に、赤い液体がぼたぼたと床へ落下した。ナイフから伝う生温い赤から視線を逸らし、何てことない風に口元を動かす。一瞬どころか、ちゃんと目の前にい続けている相棒を笑い飛ばすように。
「本当に、根性足りてないだけかよ、アダカ」
「ニノ……!」
アダカの泣きそうな声を初めて聴いた、とニノは思った。小さな手が掴もうとするのを振り払い、ナイフを胸から一気に抜く。服の中に仕込んでいた血糊を取り出してポイっと床に捨て、舌を出してやった。
「やっぱり俺の天才的な演技力にかかれば、お前を騙す位楽勝だな!」
ペッと唾が混ざった血糊を吐き、雑に口元を拭って笑う。土竜の洞窟で死にそうなニノを前にして感情が乱れたのだから、また目の前で死にそうになれば驚いてアダカが出てくるだろうと予想していた。とはいえ長続きはしないだろう。驚きと安堵が混ざった表情が苦しそうに歪むのを見て、急いで荷物の中身をぶちまける。
「アダカ、中のもの全部これに吐き出せ!」
道具や宝石がごろごろと床を転がる。アダカなら分かる筈だ。これらが全て、呪いを貯蔵しやすい素材であると。あの夢の後呪術関連について調べ、石を売った金で目的と合致しそうな物を手当たり次第に買った。アダカに呪いが溜まっているなら別の物に移し替えてしまえばいいと考えたのだ。
「封印も死ぬ必要もない、やばい呪いなんて他の物に押し付けちまえ」
「そんな、こと……清く正しいトレジャーハンターが勧めて、いいのか」
「お前が助かるなら、そんな生き方やめてやる!」
過去の自分の選択が反論の声を挙げる。妹の願いを叶え続けるべきではないかと責め立ててくる。それでも、過去の誓いよりも、テナの気持ちを裏切る事になっても。アダカが隣にいる未来を選びたい。それが、今のニノの願いだった。
「清く正しいトレジャーハンター改め、俺は今から、えーと……ちょっと思いつかないから、後で一緒に新しい候補名を考えてくれよ」
「で、でも、アダカは……」
現実で掴んだ手は夢よりも暖かく、小刻みに震えていた。必死に自我を保ち続けている今を逃すまいと、高かった宝石を幾つか無造作に手のひらへ押し付けた。冷ややかなそれを、温もりを分け与えるように小さな手ごと包み込む。
「お前の願いは『死にたい』じゃないだろ。手伝ってやるから、正直に白状しろ」
「ニノ……」
強く握りしめると、震えは止まった。微かな声が戸惑うように漏れる。望んでもいいのかと、問うように。強く頷いてやると、アダカは苦しそうに目を閉じる。音もなく零れ落ちた涙は、透明に光り輝いていた。
「アダカは……自分の夢を、おまえと一緒に、見つけたい」
手の中が、床にばらまいた物が、未だ荷物の中に残っている物が、一斉に黒ずんだ光を帯びる。自分のすぐ傍を、大量の何かが通り過ぎていく。苦しい、辛い、憎いと嘆く声を、ただ聞き流す。自分ではとても受け止められないし、アダカ一人に押し付けていいものでもないと思った。
指の力を抜くと、真っ黒な光を宿した宝石が手のひらから床に滑り落ちて硬い音を立てた。昏くも眩しい光が徐々に止み、重苦しい空気が横たわる。禍々しい気を宿した物に囲まれていると、薄ら寒さが身体に纏わりついて嫌悪感に苛まれる。気付かない振りをして強がり笑みを作ってやると、頬を濡らしたアダカは苦しそうにしながらも笑い返した。
「呪いが身体にまだ沢山残ってる。長くはもたないぞ」
「どれだけ溜めてんだよ。まあさっきまでより少しはマシだろ。我慢できている内に別の手段を試そうぜ。大陸なんかには大きな魔術研究所があってさ、そこで協力を仰いでみるとかどうだ」
「大陸……」
「世界は広いから、お前の体質をどうにかできる手段は山ほど転がってるさ。お宝探しついでに手伝ってやる。ミノハナにはなかった美味い食べ物も沢山あるぞ、ワクワクするだろ」
「……うん、それは気になるな」
提案を受け入れるように頷かれ、胸を撫で下ろす。またあの仇禍に成り代わってしまう前に、間に合わせてみせる。不安な予感を吹き飛ばそうと努めて明るく振る舞っていたから、注意が散漫になっていた。後方で響き渡っていた争いの音が止んでいたのに、気付くのが遅れた。
「尊き御身よ。どうか鎮まり、暫し安息の眠りにつき給え」
厳かな男の声を合図として、床に幾何学模様が描かれる。アダカを中心とした図に既視感があった。視線だけを動かすと、傷口を押さえもせずハクジが札を構え、聞き取れない言葉を紡ぎ重ねていく。その後ろには、倒れ伏したクロユリの姿があった。決着はついた。ならば勝者がやる事は。
「やめろ……っ!」
「落ち着け、ニノ。まだ手はある」
どうにか術に抗おうと藻掻く指先に、すぐ近くの小さな手が辛うじて触れた。無理に術に逆らっている指からは急速に体温が奪われ、人形のように冷たく感じた。
「お前ひとり位なら、遠くに飛ばせる」
「ふざけんな、俺だけ逃がしてどうするんだよ!」
「二人共捕まったら、誰がアダカを助けてくれるんだ」
クロユリとの争いも終わった今、彼の手をかいくぐり二人で脱出するのは難しい。彼らの目的はあくまでアダカだから、ニノだけなら切り抜けられる。これでいいんだと、重たそうに瞼を瞬きさせてアダカは言った。
「眠ってずっと待ってるから」
動けない自分の手を、自分よりも小さな手がぎゅっと握った。とん、と突き放すように爪先に触れられ、強風に煽られるような衝撃が身体に襲い掛かる。透明な鎖が割れていく音に混じり、相棒の聞き馴染んだ声が聞こえた。
「またな。いつかきっと、アダカの夢を覚ましてくれ」
息を呑み、遅れて無我夢中で口を開く。去り際に叫んだ短い単語が届いたのか、アダカはへにゃりと笑った。不器用な笑みを白色が塗りつぶしていく。それが、ニノとアダカの別れだった。




