第17話 決別
慰霊碑と墓の列。死の跡が大量にこびり付いた場所は、日が沈むと陰気さを増す。かつて大地震で多くの人間が亡くなったのだと、ニノはクロユリから教わった。死者が多い場所には大抵強い力を持つ精霊も存在しているのだ、と。
「恐らく封印の呪術は大地の力を利用するもの。となれば候補も絞られますので」
観光地から距離を置いたとある洞窟に人の行き来があると、情報を掴んだらしかった。なるほど、と手直しした宝の地図とこっそり照らし合わせる。そこには巨大な土竜の通り道であるとされる洞窟が沢山存在する。地震の被害が出て穴の幾つかが崩れ、人も寄り付かなくなってしまったのだとか。今では死者を偲ぶか、よからぬ企みを抱く者に利用されるだけだ。
作戦は単純だ。クロユリ達が先行して侵入者を拒む術を解除し、ハクジの相手をする。遅れて本命のニノがアダカを助け出す。術者の相手は術者でないと分が悪い。向こうも懐古派の横槍は考慮済みだろう、きっとエイトを奥に控えさせている。
「わたくしと兄様の力はほぼ互角。こちらが本気で仕掛ければ、彼自身が相手をするほかないでしょう」
「あんたはいいのか。その、ハクジは兄なんだろ」
「家族の情より、優先せねばならぬ事もあります。わたくしは、アダカ様を救うのに迷いはございませんよ」
きっぱりと告げ、クロユリは真っ白の折り紙で鶴を作った。ふうっと息を吹きかけると白鷺へと転じる。使い魔らしく、三本脚がある以外は普通の鳥と殆ど同じだ。
「ニノ様、約束の報酬を先に渡しておきます。渡す機会がないやもしれませぬから」
命を賭してでもという覚悟を滲ませ、クロユリは革袋を渡してくる。中には大小さまざまな鉱石が入っていた。
「こんなにいいのか」
「勿論です。魔力が宿った石を術で探知しただけなので、相場が低いものもありますが、トレジャーハンターである貴方なら上手く売りさばけましょう」
礼を言って、無造作にポケットへ突っ込む。重みを増した分の仕事はするかと気合を入れた。先陣が洞窟の奥へ消えて暫く後、あらかじめ打ち合わせていた時間となり、ニノは両手で頬を大きく叩いた。
クロユリが置き残した折り紙の鳥が、紙の羽を震わせ先導する。主人から安全な場所を伝えられているのだろう、導かれたルートでは殆ど敵に出くわさなかった。いたとしても少人数だったので、増援を呼ばれる前に素早く気絶させる。クロユリがこちらの過去まで調査済みなら適任の仕事を任されたと言えた。
薄暗い洞窟の中を、背を屈めて駆け抜ける。文字が刻まれる途中の壁に、真新しい卒塔婆。それらはアダカと初めて出会った時を思い起こさせた。あの時はたった一人で奥まで辿り着いた。流石にこんな状況でお宝探しなんてする余裕はない。あくまでアダカが優先だ。
奥の開けた場所は、あの場所よりもずっと広い空間だった。アダカが縛られて寝かされている。眠っているのか、瞼が下りてぴくりとも動かない。地面には魔法陣らしき幾何学模様がびっしりと描かれていて、薄っすらと発光する様が怪しいことこの上ない。あの魔方陣をどうにか消すか、アダカを連れ出せれば。
「遅かったじゃないか、ニノ。待ちくたびれたよ」
パン、と乾いた音が響く前に身体を逸らす。頬すれすれを通り過ぎた弾は、紙の鳥を呆気なく打ち抜いた。ただの紙切れとなったそれに何かを思う暇もなく、二発目三発目と繰り出される弾丸を躱すのに集中する。弾が切れたタイミングでこちらも銃を構え、躊躇わずに射撃した。狙い過たず相手の銃に当たり、指から離れて地面へ転がっていく。
「今度は油断していないな。身のこなしも及第点だ、兄さんは嬉しいぞ」
手を抜かれている、と思った。こちらの弾をわざと避けなかった。ニノの腕が鈍っていないか試すために。そしてニノではエイトを殺せないと、侮っているから。でも清く正しく生きるなら、どんな理由であっても殺すべきではない。
「……くそっ!」
舌打ちをして銃を構え直す。心臓より僅かにずれた胸部。読まれていた場所に剣を添えられた。火花が炸裂する弾、触れたものを凍らせる弾、どんな弾も刃で軌道を逸らされ、被害を最小限に抑えられる。銃に籠めた弾を全て吐き出す前に肉薄され、指に痺れが走った。すり抜けた銃の代わりにナイフを構え、首を狙う刃を辛うじて受け流す。
「お前では俺を殺せないよ」
「煩い、自分より弱いって馬鹿にしてるのか!?」
「いいや、そうじゃない。ニノは、家族想いの優しい子だからな」
「──っ、俺はもうお前らの家族じゃない!」
触れ合う刃の摩擦で火花が散る。このまま押し返して、仕留めてしまえば。激情を逆撫でするかの如く、懐古を誘う優しい声が撫でた。
「合理的な現実主義の皮を被っていたけれど、綺麗事を捨てきれない所はテナといい勝負だよ、お前は。『清く正しくをモットーとするトレジャーハンター』だったか。あの子の好きだった小説のヒーローになろうと、ずっと頑張ってきたんだろう」
カーテンがいつも閉まっていた窓。腰かけていた少女が愛読していた物語。同じ本を幾度も読み直した。こういう風に生きればいいのかと学んだ。そうすべきだと思った。テナが望んでいた生き方をする事に、抵抗はなかった。だってニノは、元から望んだ生き方なんて持ち合わせていなかったから。
「テナはお前を縛る事は望んでいないよ。自分の夢を全て他人に捧げるべきじゃない。今のお前は人から貰った空っぽの夢を振りかざして、前を向いた気になっているだけだ」
ほんの僅かな隙を狙われて、ナイフが払いのけられた。ついでに蹴りも入れられ地面へ倒される。どうにか受け身を取って別の武器を取り出そうとして、眼前に剣を突き出されていた。
「ニノ、帰ってこい。父さんに従って仕事をただこなしていた頃は、悩みもなく満ち足りていただろう? もう無理しなくていいんだ」
剣を向けておいて、声はどこまでも弟を思いやる兄のそれだった。清く正しくなんて、慣れない生き方なんてしようとするもんじゃなかった。だって、正しい人間はきっと、誰かを傷つけるのに抵抗感や嫌悪感を抱くものだから。元からなりたい人間にはなれやしなかった。無理だと分かっていて猿真似を続けて、馬鹿みたいだった。
「……、はは」
乾いた笑いが零れる。こちらが武器を構える前に、エイトは片を付けるだろう。どのみち選択できる立場ではなくて、無力感と共に項垂れそうになる。穏やかに返事を待っている兄の後ろ、僅かに白装束が映った。アダカは、すぐ傍にいた。
「嫌だね」
「ニノ──」
「テナは関係ない。組織の生き方が嫌いになったから縁を切るって言ってんだよ!」
強く言い返す。相棒の前で、これ以上無様な醜態を晒したくないと思った。口に出してみると、思いのほか胸のつかえがとれたような気がした。
「そうか、残念だよ。お前を殺さないといけないなんてな」
静かな声だった。組織の者は皆、忠実に契約内容に従う。躊躇いもせず殺されると直感した。せめて相打ち位は狙ってやると、後ろに手を回す。それよりも先に、剣が滑らかに前へ進んで。
「ニノに手をだすな!」
ばきりと、枝が折れるような音が響いた。一拍遅れて、先程まで目の前にいた男の姿を追う。見えない何かによって壁に叩きつけられたエイトが、ずるりと地面へ崩れ落ちていく。衝撃で血が飛び散った壁を唖然として眺め、恐る恐る呟いた。
「……アダカ?」
アダカは立ち上がり、エイトの方へ手を伸ばしていた。助けるつもりがまた助けられてしまったと礼を告げるには、異様な空気が漂っている。縛めは無理やり引きちぎられたように散り散りとなっており、魔法陣から発していた光は失せていた。震えた両手が、小柄な頭に爪を立てる。焦点のあっていない眼から、呻き声が漏れた。
「う、うう、うああ、あ」
「おい、どうし」
「いやだ、やめろ、アダカは、『アダカ』になりたくない──」
洞窟にしては生温く、不自然な風が流れる。それはニノを通り過ぎ、アダカへ集まるように巻き付いた。強張った指から力が唐突に抜け、だらりと下がる。ハッとして駆け寄り手を伸ばそうとして、ぎょろりとした目が合った。泥の沼のように透明で底がない、真っ黒な瞳だった。散々見慣れた姿が全くの他人であるような錯覚を唐突に抱いた。
「お前、最初から、知っていたな」
地を這うような声が、心臓を鷲掴みにする。返答次第では自分は──脳裏を不吉な予感が掠めた事に戸惑う。アダカが自分に危害を加えるはずがないというのに。
「アダカが危険なモノだと知っていて、黙っていたな」
「……何言って」
「本当は読めていただろう。帯に書かれた鎮めの祈祷も、洞窟に書かれていた警句も。かつてミノハナの古代語を学んだ、お前なら」
白装束に巻き付いた、文字の書かれた帯。仕事で使うかもしれないからと、組織にいた頃、色んな言語を叩き込まれた。専門的な用語が分からなくとも、ある程度意味は読み取れる。どうしてそれをと尋ねるより早く、目の前の少年は片頬を釣り上げた。感情的になじるのではなく対岸の火事を嘲っているような声音で囁いてくる。
「手に負えなければ、殺すつもりだったか」
「違っ──」
本当にそうか。一度も、殺すべきだと考えなかったのか。だって今も、大事な相棒だと言いながらも、自分はアダカを殺す事に抵抗感が湧かないのに。咄嗟の事に頭が追い付かず、否定の言葉を返せなかった。自分が何か、とてつもなく致命的な間違いを犯した気がして。
「アダカ様、ようやくお目覚めになられたのですね!」
羽ばたきの音と共に、慌ただしくクロユリが姿を現した。ハクジ達との争いによるものだろう、着物のあちこちから血が滲んでいる。微動だにしないエイトをちらりと確認してから、ニノへ静々と頭を下げた。
「アダカ様が負の気をお食べになる後押しをしていただき、ありがとうございます、ニノ様」
今、何と言ったのか。どういう事だと問い質す前に、自分は嵌められたのだと気付いた。晴れ晴れとした笑顔を浮かべたクロユリは、心からニノに感謝していた。恭しく片膝をついて、主人へと首を垂れる。
「さあアダカ様。今こそ正当なる継承者が統べる時が来たのです。その力を持って、真のミノハナを取り戻しましょう」
「まだだ。力が少し足りない。全てを壊し尽くすには、まだ」
「おや、そうなのですか。想定ではこれで十分──、いえ、手を打たれたと言う事ですね。ですがこの程度なら少しの時間を頂ければ、万全の力となるまで献上してみせましょう。まずはそちらの男を贄に捧げて」
「いい」
アダカは蚊帳の外だったこちらを見て、すぐに視線を逸らす。路傍の石ころに偶然目を留めたものの、あっさりと興味が失せたかのように。
「どうでもいい。それよりお前は、いつまでこの身を斯様な狭苦しい穴倉でもてなすつもりだ」
「嗚呼、大変失礼いたしました。御身に相応しい場所へ案内させていただきます」
「おい待っ──」
咄嗟に手を伸ばすも、全てが遅すぎた。紙吹雪が舞い、あまりの強風に目を閉じる。はらりはらりと、白々しく紙の切れ端が地面へ降りて行く。ニノはただ、一人取り残されていた。




