第11話 ニノの過去
半ば呆然自失になったニノは、どんな表情で資料館を後にしたかあまり覚えていなかった。アダカが腕を掴んで、やけに積極的にニノを引っ張っていったのだ。人の賑わいでごった返している食事処に連れていかれ、目の前に威勢よくメニュー表を並べられる。何のつもりかと視線で問えば、アダカはべしべしと一番値段の高い料理を指で叩いた。
「好きな物を食べろ」
「……そんな気分じゃ」
「気にするな。アダカは優秀な相棒だからな。全部奢ってやるぞ、感謝しろ」
「いや、むしろ今まで奢ってやったのは俺だろ」
本人が美味しい物を食べたいだけなのか、本気で元気づけているつもりなのか。確かに毎回ニノに払わせているのだから、今までのバイト代で奢る位の貯蓄はあるのかもしれない。ええいままよとニノは普段なら絶対に頼まない値段の料理を注文した。万が一を考えて、自分の所持金でギリギリ払える範囲に収めつつ。
注文した料理が、所狭しと机の上に並べられる。湯気の上がる郷土料理を無造作に咀嚼していると、向かい側でアダカが卵を指さした。
「ニノ、この煮卵はダシが浸み込んでいて美味いぞ。食べろ!」
「……そうか」
アダカの指摘を気にしつつ口に入れてみると、大陸とは違う味付けのそれが新鮮味を増して舌を刺激してくる。自分一人ならただの栄養補給なのに、いちいち味わって食べる相棒が傍にいると、つい倣ってしまう。かつての自分ならそれを無駄だと感じただろうか。少なくとも今は、そう悪くはないと思った。
「そう言えば、あのエイトって男はお前の何なんだ?」
もぐもぐと動かしていた口を休め、アダカは思い出したように切り出した。話を出すタイミングを狙っていたのではなく、彼にとっては単なる雑談の一環なのだろう。その分こちらも、昼間よりは冷静に返答できた。
「ただの、元同僚だ」
「殺しのか」
物騒なワードをぽんと出され、つい笑ってしまう。満席の店内には明るい話し声が充満していたから、二人が何を話そうがきっと誰も気に留めない。だからニノも肩の力を抜いて素直に頷けた。
「元同僚に兄貴面されているのか。難儀だな」
「あー……、何ていうか、俺のいた所はそういう所だったんだよ。子供を引き取って、家族同然に育てる代わりに色々と仕事をさせるみたいなさ」
「色々とか」
「そう、色々」
表向きは慈善事業を行う孤児院だった。見込みがある子供は更に選別され、訓練の末管理者である父親から様々な仕事を与えられる。ニノも拾われた一人で、家族として迎え入れてくれた組織に感謝さえしていた。
「後ろめたい仕事だけじゃなくて単なる小間使いを依頼される事もあるし、エイトみたいに普通の護衛をする事だってある。何でも屋みたいな感じだな。衣食住が提供されてたし、小遣い、いや、給料だって貰えた」
「ふうん。逃げたくなる程悪い場所には聞こえないな」
後ろめたい仕事をさせられる時点で、良い場所とは言い難いのでは。けれど確かに、他に行き場のない子供が暮らしていくには十分すぎる待遇だった。ニノもあの事が無ければ、何の疑問も持たずに家族の一員で在り続けただろう。机の上のコップを掴み、お茶を飲み干す。冷えた液体が腹に流れていき、ため息を吐いた。
「仲間が一人死んだんだ。俺の、妹分……だった」
「テナってやつか」
エイトが口に出した名前を憶えていたのだろう。指摘され、ああと頷く。拾われた時から、足が動かない子だった。あの場所でないと生きられなかった。けれど、あの場所で生きるには、あまりに綺麗すぎた。
「あいつは魔術の才能は凄かったけど、頭がお花畑で出来ているやつだった。いつも夢見がちで、綺麗事ばかり口にして……あんまり世間知らずで心配だったから、なるべく面倒を見るようにしていたんだ。だから、家族の中では一番距離が近かった」
誰かを殺した後の手を、慈しみを籠めて撫でてくる子だった。聖人というにはただ甘すぎて、世間を知らない子供であった。あんな瞳を持ちながら、夢だの希望だのを誰かによくもまあ抱けるものだと思ったものだ。
「テナは、魂の色を見る力がある子だったんだ」
「……アダカと同じなのか?」
「言っとくけど、お前を代わりとか思った事無いからな。性格全然違うし」
見た目こそ自分より少し幼いものの、アダカの方が数百歳年上だ。それに弟分というには、時折露わになる妙に上から目線の態度が引っかかる。やはり、相棒という関係の方が収まりが良い。とりあえずフォローを入れたものの、アダカはやけにテナの力に対して興味を示した。
「アダカ以外に、同じ力を持つやつがいるのか」
「そりゃ、いるだろ。珍しい素質だけど、世界中を探せば他にも同じ体質の人間が何人もいるんじゃないか」
「……そうなのか」
透明な黒目をガラスの中の液体に映し、アダカは呟く。その姿がどこかホッとしたように見えたのは、気のせいだったのだろうか。思い出したように煮物の野菜を箸で摘まみ、ごくんと飲み込んでからまた質問してくる。
「テナは、魂をなんて言ってたんだ」
「俺の事は、どんどん暗い色になっていくって、やけに悲しんでた。兄さ……、他の年上連中に対しては怯えてるくらいだった。真っ黒で、歪んでて、見ているだけで悲しくなるって」
兄さんはあんなふうになって欲しくない。自分もいつかあんな色に染まってしまうのが怖いの、と震えていた。父さんに相談してみる、と打ち明けられたのは、死ぬ数日前だった。
「魔術の仕事でテナは使い潰されて壊れた。きっと父さん達が仕組んだんだ。余計な事を他の子供に吹き込まれる前に処分してしまおうって……」
形なりにも家族として扱っていたのだ。貴重な人材を消耗品の如く消耗させる使い方はしない方針だった筈だ。引き際を誤り死んだ子が過去にいたと耳に挟んだ事はあったけれど、少なくともニノが選ばれてからは、誰も死んでいなかった。
「テナは、俺に真っ当に生きて欲しいって、願ってた。あいつが死んでからそれを考えるようになって……どんどん、自分の立場に疑問を抱くようになった」
握りしめていたコップを離す。力を籠め過ぎていた手のひらは赤く染まっていた。当たり前の行動が、かつて急に分からなくなった。誰かを傷つけた後の自分はテナの望んだ姿から乖離していくばかり。汚れていく自分をどうとも思わない事に、恐ろしくなっていった。真っ当な人間って何だろうと、そればかり考えて。
「妹が死んでから様子がおかしくなっていく俺を励まそうと思ったんだろうな。兄さんが提案してきたんだ」
『新しい十番目の子を迎え入れよう。ニノは弟と妹、どちらがいい?』
彼らはそれが最善策であると信じて疑わなかった。死んだのはテナだ。あんなに頭がお花畑で、非現実的な空想にどっぷり浸かっていて、つまらない相槌しか打てないニノに懐いて、何でもない話を交わすだけで心の奥を温めてくれた妹の代わりなど、世界中を探してもどこにもいない。
「家族だとか言っておいて、俺達はあの場所では替えの利くただの道具だったって、ようやく気付いた。ああはなりたくないって思って……逃げ出した。だからあいつはもう他人ってわけだ」
「そのわりには、随分動揺していたぞ」
「う……っ、それは条件反射っていうかだな……」
目を泳がせ、冷めてきた炊き込みご飯を口に押し込む。過去と縁を切ったつもりだったのに、情けなく狼狽してしまった。向こうが全く意に介していないのも癪に障る。これでは自分が、意味もなく藻掻いているだけのようではないか。こんな調子であの男と普通に顔を合わせていられるのか。どんどん視線が机へ下がっていく中、自分より小柄な手が励ますように肩を叩いてきた。
「あいつはアダカに任せろ。ニノには沢山世話になったからな。御恩は返すべしって本に書いてあった」
どうやら資料館での読書の賜物らしい。ニノも表の世界でやっていくにあたり本からかなり学んだので、合点はいった。色々面倒を見てやった恩返しをされるのも、悪くはない。だからと言って、そのまま親切心を受け入れられるかは別の話である。
「どうしても無理なら、アダカが一人で仕事してくる」
「お前だけに働かせるとか面目が立たないだろ。……その、相棒として」
少々照れ臭くなり、視線を横にずらしたままお茶をすする。最初より少しぬるくなったそれで喉を潤わせてから、口早に続けた。
「それに、火山の奥地まで探索できるかもしれないんだぞ。とんでもないお宝が眠っているかもしれないのに逃げ出すなんて、トレジャーハンターの名折れだ」
誰かが傍にいると、自分がしっかりしなければという気持ちが湧いてくる。昔からの性分だ。だからアダカがいてくれるなら、きっと今度こそあの男に平然と対応できると思いたい。ニノの意気込みを聞いて、アダカは空いた皿を押しやってメニュー表をまた広げた。デザートのページだった。
「ほら、全部奢ってやるって言ったんだからもっと食べろ。これも美味そうだ」
「さっきから俺を餌付けしようとしてないか」
「アダカはお前に奢ってもらうとうれしいぞ」
どうやら最初の時に色々と買ってやったのが鮮明に残りすぎていたらしい。結局押しに負けて、追加で一品注文する。そして食事が美味しかった事や、過去を打ち明けて気分がどこか軽くなった事よりも、最初の宣言通り全額をアダカが支払ってくれた事が今夜一番の思い出で、心底ホッとしたのだった。




