第10話 協力者
一旦扉の外に出た依頼主は、少ししてから書類と共にニコニコと戻ってきた。
「それじゃあ、暫くよろしく頼むよ。給料は広告に記載していた通りだから。出来高払いによる増減があるのと、えーと後は調査に必要のない物は、環境に左右しない範囲でなら君達の物にして構わないよ」
報酬について書かれた規約を手渡すと、雇い主は先程より気安い調子で説明してくれた。追加報酬を拾えるかもしれないと聞き、久々に財布の中身が重くなるかもしれないという期待でニノは胸を躍らせた。
「それと、調査は僕と君達、あとはもう一人協力者を雇っているんだ」
「協力者ですか?」
「火山は危険な場所だからね。所謂用心棒ってわけさ。今までの調査にも何度も同行してくれているから、君達の先輩にあたるよ。折角だから顔合わせもしておいた方がいいかなって」
台詞の途中で、ドアノブがぎしりと動く。入ってきたのは長身の男だった。腰に下げた大剣の鞘には傷が幾つも刻まれており、数々の戦歴を思い起こさせる。無骨な剣と比べると男の体躯は細身ではあるが、しっかりと筋肉のついた身体つきは見るからに頑丈そうだ。短く切りそろえられた灰色の髪が揺れ、視線がこちらに向けられる。髪と同じくすんだ灰の瞳と目が合い、身体の奥がぎしりと軋んだ音を立てた。
「こちらは新しく手伝いに来てくれる二人だよー。名前はアダカ先生と」
「ニノ、久しぶりだな。会えて嬉しいぞ」
雇い主から説明を受ける前に、男は口を開く。親しい相手に語り掛けるような穏やかな口調に、ファビアンはあれと疑問の声を上げた。
「エイト先生、知り合いだったのかい」
「ああ。俺の家族なんだ」
「──家族じゃない!!!」
優しい言葉を握り潰すように、ニノは声を上げた。頭を撫でようとするように伸ばされかけた手を力任せに叩き、そのまま部屋を飛び出す。バイトの説明の途中で勝手に抜け出すなんて、平素であれば論外だっただろう。今はただ、ただあの男の視界から逃れたいと言う感情で思考を埋め尽くされていた。廊下の曲がり角を走り抜けて、周囲に人の気配がないのを確認してから、小さく蹲る。怯えて隠れようとしている、小さな子供のように。
「は……っ、クソ……っ」
ぐっと強く目を瞑り、両耳を手で押さえる。早鐘を打つ心臓の音が耳障りだった。自分を追いかけてきたのか。いや逃亡や裏切りは死だなんて掟はなかった筈だ。ただの偶然に決まっている。でも一刻も早くあの過去から逃げないと、自分は。冷や汗を伝う首にひやりと指が触れ、身体が機械的に反応した。素早く指を掴み上げ、自分に触れた者の首を掴んで壁へ押さえつける。そのまま意識を落とすべく力を籠めようとして、不満じみた呻き声に指を震わせた。アダカだった。
「……っ、あ。悪い」
強張った指の力を緩めて解放すると、小柄な身体が苦しそうに何度か咳き込んだ。過剰防衛が過ぎた、仮にも連れの相手にそんな事をするべきではなかったと後悔がぐるぐると胸中で渦巻く。じろりとこちらを見上げる黒い瞳は、こちらを責めているようでもあり、ただどうでも良さそうに視線を動かしただけのようでもあった。ようやく少年の口が動き出すのを見て、内心身構える。
「ファビアンには、話の途中で勝手に走り出してごめんって謝っておいたぞ」
「……え」
「詳しい話はまた後日って、ついでに約束も取り付けておいた。アダカに感謝しろ」
ふふん、と得意そうに胸を張る。首を絞められかけた事を敢えて言及しないでくれているのか。いや、恐らくそれすら彼にとってどうでもいい事なのかもしれない、と思った。アダカは過去を含めた自分自身についても関心が薄い所があるから。
「ありがとう。それと……ごめん」
「何度も謝らなくていいぞ。アダカだからな」
「お前だから謝るんだよ」
ニノの言葉に、アダカはどこか不思議そうな眼差しでふうんと呟いた。こてんと首を横に倒し、口を開きかけた所で後ろを振り向く。それよりも早く足音に気付いて、ニノは表情をさっと強張らせた。視界に映したくない男が──エイトが穏やかな笑みを張り付けてそこにいた。
「どんな時でも冷静だったお前が、そこまで感情的に行動するなんてな。あまり冷たい反応を取られては、兄さんは寂しいぞ」
「……っ、煩い、兄貴面するな」
「するに決まっているだろう。俺にとっては、お前は今も大事な家族なんだからな」
ニノは動かしかけた足をどうにか床に留めた。アダカの前で、何度もみっともない真似を見せるのは癪だった。当のアダカは、得意げに胸を張ってエイトの前に立ちはだかる。年下の相棒に庇われているみたいで、今の自分を情けなく感じた。
「アダカの相棒は今すごく気分が悪い。お前は消えろ」
「そうはいかない。弟の調子が悪いなら、兄として構ってやりたいからな」
「聞こえなかったか。お前の魂は目障りだから消えろと言った」
ほんの一瞬、糸が張り詰めたような緊張が廊下に走った。感心を混ぜた声を上げ、エイトは小さな身体のてっぺんから爪先までを視認する。それから成程、と得心した風に頷いた。
「テナの代わりを見つけたんだな」
「違う!!」
「ムキにならなくていい。お前が望むならその子も新しい家族に迎え入れて──」
爪先に力が加わる。逃げる為ではなく続きの言葉を紡がせない為に。アダカをすり抜け、呼吸をするように自然な動作で短剣を取り出していた。小さな切っ先は喉元に届くどころか、たった二本の指によって容易く封じられる。
「鍛錬は欠かさなかったようだな。兄さんは嬉しいぞ」
空いた片手で、ぽんと気安く頭を叩かれる。懐に潜り込まれて昔のように反応できなかった自分を置いて、続きはまた今度な、とかつての兄は手を振って去っていった。まるで、和やかに再会の挨拶を交わした後のように。




