至福のレモン・ソルベ
アマルフィの夕陽が海に溶け込み、空が紫紺のベルベットに変わる頃。ホテル『ラ・ステラ・マリーナ』の大宴会場は、世界中から集まった美食家や投資家たちの熱気で満たされていた。
新メニュー『アマルフィの魂』の披露会。運ばれてくる料理の一皿一皿に、感嘆の声が漏れる。ルカが厨房で揮う情熱と、アリスが言葉で編み上げた物語が、ニコラスの磨き上げた「完璧な空間」で見事に調和していた。
最後に運ばれてきたのは、純白の磁器に盛られた『黄金のレモン・ソルベ』だった。地元の農園で今朝収穫されたばかりのレモンを丸ごと使い、極限まで薄く削った皮が、琥珀色のハチミツの中で宝石のように煌めいている。
「……素晴らしい。これほどまでに生命力に満ちた料理は初めてだ」
アリスは会場の隅で、その光景を誇らしげに見つめていた。そこへ、壇上に立ったニコラスがマイクを手に取るのが見えた。彼の視線は、何百人もの列席者を飛び越え、真っ直ぐにアリスだけを射抜いていた。
「私はこれまで、効率こそが美徳だと信じてきました。……ですが、ある一人の女性が、私に教えてくれたのです。人生には、計算不能な『味』があることを。そして、魂を本当に養うのは、数値ではなく、愛という名の喜びであることを」
ニコラスは壇を降りると、迷いのない足取りでアリスのもとへ歩み寄り、彼女の手を強く取った。会場が静まり返る中、彼は彼女の耳元で、列席者には聞こえないほど低い、けれど確かな熱を持った声で囁いた。
「……もう、君を誰にも渡さない」
一時間後。
喧騒を逃れた二人は、ホテルの最上階、月明かりだけが照らすプライベート・テラスにいた。
潮風がアリスのドレスを揺らし、彼女の豊かな肢体の曲線を露わにする。ニコラスはネクタイを引き抜き、ジャケットを脱ぎ捨てると、獲物を追い詰める野獣のような、けれど狂おしいほどの情愛を湛えた瞳でアリスを見つめた。
「アリス、私を見ろ」
ニコラスは彼女の腰を力強く引き寄せた。ドレス越しに伝わる、彼の強靭な肉体の熱。アリスの柔らかな胸が、彼の硬い胸板に押し潰され、呼吸が止まるほどの圧力が二人を支配する。
「……眼鏡がなくても、あなたがどれほど私を欲しているか、分かるわ」
アリスが至近距離で囁くと、ニコラスの理性が音を立てて崩れ去った。彼はアリスの顎を掬い上げると、飢えた獣が獲物を喰らうかのような、激しく、深い口づけを落とした。
それは、レモンのソルベの余韻をかき消すほどに濃厚な、男としての剥き出しの宣戦布告だった。ニコラスの舌がアリスの口内を支配し、彼女の甘い吐息をすべて飲み込んでいく。アリスは彼の首に腕を回し、その強靭な背中に爪を立てた。
「君を……壊してしまいそうだ」
ニコラスは唇を離すと、アリスの首筋に顔を埋め、その柔らかな肌を噛むように吸い上げた。
「効率も、数字も、すべてどうでもいい。今、この瞬間に私が求めているのは、君というこの至高の喜びだけだ。君のその柔らかな肌、情熱的な瞳、すべてを私のものにしたい」
「……計算外のことが起きるって、言ったでしょう?」
アリスは彼の耳元で喘ぎながら、ニコラスの逞しい腕をさらに強く引き寄せた。
「私を愛して、ニコラス。あなたのその氷の深海を、私の熱で跡形もなく溶かしてあげるから」
ニコラスはアリスを軽々と横抱きにすると、月明かりが差し込む寝室へと向かった。アマルフィの夜風が、レモンの香りと二人の重なり合う鼓動を乗せて、夜の海へと消えていく。
彼らのフルコースは、まだ始まったばかりだ。デザートは、夜が明けるまで終わらない。甘く、激しく、そして誰にも邪魔されない、二人だけの永遠がそこにはあった。




