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アマルフィの誘惑、理性が溶けるまで  作者: Lucy M. Eden


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黄金色のスパゲッティ

南イタリアの太陽は、容赦なく、そして慈悲深く、アマルフィの急斜面にへばりつく街を黄金色に染め上げていた。超高級リゾートホテル『ラ・ステラ・マリーナ』。その最上階にあるテラスレストランには、レモンの香りを孕んだ海風が吹き抜け、白いリネンのテーブルクロスを優雅に揺らしている。


アリス・リードは、その特等席で一人、陶酔の淵にいた。


彼女の目の前にあるのは、アマルフィの名物「スパゲッティ・アッラ・ネラーノ」だ。素揚げされたズッキーニの深みのある緑と、溶け出したプロヴォローネ・デル・モナコ・チーズが、パスタの熱に抱かれて、ねっとりとした琥珀色のソースとなって絡み合っている。


アリスは、職人の手による大ぶりのフォークを手に取った。彼女の指先は白く、そして美食を愛する者特有の、瑞々しい柔らかな肉付きをしている。パスタを巻き上げ、ゆっくりと口元へ運ぶ。


「――んっ……」


唇の間から、小さく、けれど抗いようのない吐息が漏れた。まず鼻腔を抜けるのは、ズッキーニの香ばしい苦味と、高品質なオリーブオイルのフレッシュな青い香り。そして舌の上で、濃厚なチーズのコクが爆発するように広がる。アルデンテに茹で上げられたパスタの弾力が、彼女の歯を心地よく押し返し、喉を通る瞬間に至上の幸福を刻んでいく。


アリスは目を閉じ、その余韻に浸った。彼女の体は、世間が押し付ける「スリム」という呪縛からは程遠い。シルクのブラウスの下で主張する豊かな胸の膨らみ、そしてゆったりとしたスカートに包まれた柔らかな腰の曲線。それは、彼女が世界中の「喜び」を余すことなく享受してきたことの証、誇り高い勲章だった。


「その一皿で、およそ八百五十キロカロリー。成人女性の一日における必要摂取エネルギーの約四割を、わずか十五分で消費するつもりですか」


不意に、背後から冷徹な、けれど陽の光さえ届かない深海の底流のように低く響く声が降ってきた。


アリスの魔法の時間が、鋭い氷の刃によって切り裂かれた。彼女が目を開けると、そこには太陽の光さえも凍らせてしまいそうなほど、冷淡で完璧な男が立っていた。


仕立ての良いネイビーのスーツを隙なく着こなし、彫刻のように整った顔立ち。けれど、その瞳は南イタリアの陽光を拒絶するかのように、灰色がかったブルーで冷たく光っている。


「……失礼ですが、どなたかしら?最高のパスタを前にして、計算機のような野暮を言う方は」


アリスはフォークを置き、ナプキンでゆっくりと唇を拭った。彼女の視線は、目の前の「美しき侵入者」を真っ向から捉える。


「このホテルのCEO、ニコラス・ヴォーンだ」


男――ニコラスは、アリスの豊満な肢体を値踏みするように一瞥すると、軽蔑にも似た無機質な笑みを浮かべた。


「食事とは、生命活動を維持するための効率的なエネルギー摂取であるべきだ。感情に流され、過剰な脂質と炭水化物を摂取するのは、自己管理能力の欠如以外の何物でもない」


「自己管理能力?」


アリスはくすりと笑った。その笑みには、知的な皮肉が込められている。


「ヴォーン氏。あなたは数字で世界を見ているようだけど、その数字の裏にある『魂の栄養』を見落としているわ。このパスタの黄金色は、アマルフィの農夫たちが注いだ情熱の結晶。それをカロリーという無機質な単位で測るなんて、人生という贅沢をドブに捨てているのと同じよ」


二人の間に、目に見えるような火花が散った。ニコラスの眉が、わずかに不快そうに動く。彼にとって、女性とは常に自分を飾り立てるための記号であり、アリスのように自らの欲望(食欲)を肯定し、知性で武装して立ち向かってくる存在は未知だった。


「……君のような『食のプロ』を招いたのは、間違いだったかもしれんな。私はこのホテルに、徹底した効率と機能美を求めている。快楽主義者の空論ではない」


ニコラスが踵を返そうとしたその時。


「ハッハッハ!ニコラス、君のその冷え切った心臓には、氷水でも流れているのかい?」


陽気な笑い声とともに、厨房の奥から一人の男が飛び出してきた。小麦色に焼けた肌に、はだけたコックコート。金髪をラフに掻き上げたその男――ルカは、大股でアリスのもとへ歩み寄ると、彼女の手を迷わず取って親愛のキスを贈った。


「麗しきアリス!君の書いた昨夜の記事を読んだよ。僕のソースを『地中海の真珠』と表現してくれたのは君だけだ。君のような美しい女神に食べてもらえるなら、シェフはこの身を焦がしても本望だよ」


「ルカ、調子に乗るな。彼女は仕事で来ている」


ニコラスの声が、一段と低くなる。ルカの過剰なまでの情熱と、それに対してアリスが浮かべた、自分には見せなかった柔らかな微笑。それが、ニコラスの胸の奥で奇妙な、ざわついた不快感を呼び起こした。


「仕事だろうと何だろうと、アリスは僕のミューズだ。おい、ニコラス。君もそんな硬い顔をしていないで、このパスタを一口食べてみろ。君のその彫刻のような筋肉も、少しは柔らかくなるかもしれないぜ?」


ルカはアリスの肩を抱くようにして、挑発的に笑った。アリスは、ルカの陽気な温もりに安らぎを感じながらも、自分を冷たく見下ろすニコラスの視線から目が離せなかった。


冷徹なCEOと、情熱的なシェフ。そして、美食を愛する一人の女。アマルフィの潮風が、嵐の前触れを告げるように、テラスを激しく吹き抜けた。


アリスはふと、自分がかけていた眼鏡がないことに気づく。興奮して、どこかに置き忘れたのだろうか。視界がわずかに霞む中、ニコラスの鋭い眼差しだけが、妙に鮮明に彼女の心に焼き付いていた。

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