チャラ男の俺が、檻の中の姫を本気で救うまで(天羽玲央 視点)
「彼氏持ちは燃える」
なんて言う奴の気持ちが、俺、天羽玲央には正直よくわからなかった。他人のモンを奪うスリル? 優越感? そんな面倒くさい感情、恋愛に持ち込むだけ無駄だろ、ってのが俺の持論だ。
ただ、例外はある。
その「彼氏持ち」が、明らかに不幸そうな顔をしていた時だ。
雨宮美雨。
同じテニスサークルの一年後輩。小動物みたいに少し臆病で、でも笑うと花が咲くみたいに可愛い、そんな子。サークルに入ってきた時から、目をつけていた男子は多かった。俺も、まあ、普通に「可愛い子が入ってきたな」くらいには思ってた。
でも、すぐに彼氏がいるって話が広まった。相手は文学部の夜凪奏とかいう、真面目だけが取り柄みたいな、いかにも俺とは真逆のタイプの男。まあ、そういう地味な男が好きな子もいるよな、と思って、その時はあっさり興味を失った。俺のポリシーは「来る者拒まず、去る者追わず、そして面倒な案件には首を突っ込まず」だ。
その認識が変わり始めたのは、夏合宿が近づいてきた頃だったか。
練習の合間、休憩中にスマホをチェックしていた美雨ちゃんの顔が、サッと青ざめたのを偶然見てしまったんだ。まるで、蛇に睨まれた蛙みたいに、全身を硬直させて。
「どしたん、美雨ちゃん。顔色悪いぜ?」
軽いノリで声をかけると、彼女はビクッと大げさに肩を揺らして、慌ててスマホを隠した。
「な、なんでもないです! 天羽先輩!」
その怯え方が、どうにも普通じゃなかった。ただ彼氏から連絡が来たってだけじゃない。あれは、恐怖だ。監視者の視線を感じた時の、囚人の顔だった。
その日から、俺はなんとなく彼女のことを目で追うようになった。
観察していると、わかる。彼女の笑顔には、いつも薄い膜が一枚かかってる。心から笑ってるように見えて、その瞳の奥はいつも何かを警戒している。特に、スマホが鳴るたびに、彼女の世界からスッと色が消えるんだ。
「こりゃ、ヤバい彼氏に捕まってんな」
直感的にそう思った。いわゆる束縛ってやつだ。それも、かなりタチの悪い。
俺は別に正義のヒーローじゃない。他人の恋愛に口を出す趣味もない。でも、目の前で綺麗な花が、誰かに踏みつけられて枯れていくのを見るのは、どうにも寝覚めが悪い。
決定打は、サークルの飲み会だった。
あの夜、美雨ちゃんは最初から浮かない顔をしていた。彼氏に無理言って来させてもらった、って感じがありありと見て取れた。案の定、飲み会が始まってから、彼女のスマホは狂ったように通知を知らせていた。そのたびに彼女の顔色は悪くなり、周りの楽しげな雰囲気からどんどん浮いていく。
そして、ついに着信。
彼女は震える声で席を立ち、まるで処刑台に向かう罪人のように、ふらふらと廊下へ向かった。
さすがに、見ていられなかった。
俺は彼女の後を追い、まだ振動を続けるスマホを半ば奪い取るようにして、通話ボタンを押した。
「もしもし、夜凪くん? サークルの先輩の天羽だけど」
電話の向こうから、ヒステリックな男の声が聞こえてきた。『お前は誰だ』『美雨を出せ』。なるほど、こいつが噂のヤバい彼氏か。予想通り、話が通じるタイプじゃなさそうだ。
「美雨ちゃん、今みんなと楽しんでるところだからさ。あんまり野暮な連絡してやんなよ。見てるこっちが気分悪いわ」
俺の挑発に、奴は完全にキレた。汚い罵声が鼓膜を叩く。まあ、どうでもいい。俺が相手にしてんのは、お前じゃなくて、お前のせいで泣きそうな顔をしてる俺のかわいい後輩なんだよ。
「は? 関係あるに決まってんだろ。俺のかわいい後輩が、お前のせいで青い顔してんだよ。いい加減にしろ」
一方的に電話を切って、呆然と立ち尽くす美雨ちゃんに向き直る。
俺はチャラい。自覚してる。でも、女を泣かせたいわけじゃない。笑わせたいんだ。特に、こんなに可愛い子が、つまんねえ男のせいで笑顔を失ってるなんて、許せるかよ。
半ば衝動的に、口から言葉がこぼれ落ちた。
「俺なら、君をそんな顔にさせない」
その瞬間、彼女の瞳が大きく揺らいだのを見て、確信した。
この子は、助けを待ってる。誰かが、この息苦しい檻の鍵を壊してくれるのを、ずっと待ってたんだ。
それから、俺たちの秘密の連絡が始まった。彼女から語られる夜凪の異常な束縛は、俺の想像を遥かに超えていた。GPSでの監視、服装チェック、友人関係への介入。完全に狂ってる。同情が、次第に明確な怒りと「俺がこいつを救う」っていう使命感に変わっていった。
『俺の部屋に来ない? 誰にも邪魔されないところで、ゆっくり話そう』
俺がそう誘ったのは、下心がゼロだったと言えば嘘になる。でもそれ以上に、彼女に「逃げ場」と「決別する覚悟」を与えたかった。夜凪はGPSを見て、絶対に乗り込んでくる。そこで彼女が自分の口で「終わり」を告げない限り、この歪んだ関係は断ち切れない。俺は、そのための舞台を用意する役目だった。
案の定、夜凪は来た。
ドアを開けると、血走った目で俺を睨みつける男が立っていた。まあ、当然の反応だよな。自分の彼女が、他の男の部屋にいるんだから。
でも、ここからの主役は俺じゃない。美雨ちゃんだ。
彼女は、俺が驚くほど、毅然とした態度で夜凪と対峙した。震えながらも、自分の言葉で、はっきりと別れを告げた。檻の中で翼を折られていた小鳥が、最後の力を振り絞って飛び立とうとしている。その姿は、正直、めちゃくちゃ綺麗だった。
「やっと……これで、解放される……」
涙を流しながらも、安堵の表情を浮かべる彼女を見て、俺は心の底から「ああ、間違ってなかった」と思った。
夜凪が去った後、俺は何も言わずに彼女を抱きしめた。腕の中で、彼女の小さな体がまだ少し震えている。
「よく、頑張ったな」
そう言うと、彼女は俺の胸に顔を埋めて、声を上げて泣き始めた。それは、恐怖や悲しみの涙じゃない。やっと自由になれた、喜びの涙だった。
俺は別に、正義のヒーローなんかじゃない。ただ、不幸そうな女の子を放っておけなかっただけ。彼女が笑顔を取り戻す手伝いがしたかっただけだ。
腕の中で泣きじゃくる、このか細い女の子を、今度は俺が本気で幸せにしてやろう。夜凪が決して見ることのできなかった、彼女の本当の笑顔を、これから毎日、俺が隣で見ていよう。
彼氏持ちを寝取った、なんて言われても構わない。俺にとって、これはただの火遊びじゃない。チャラ男と笑われてきた俺が、初めて本気になった、恋の始まりだったんだから。




