第四話 元カノと間男に復讐しようとしたら、友人たちに「お前が悪い」と言われ、世界から孤立した俺の末路
絶望の淵から這い上がった俺の心を支配したのは、純度百パーセントの憎悪だった。
雨宮美雨と天羽玲央。俺の純粋な愛を踏みにじり、俺のプライドをズタズタにしたあの二人を、絶対に許さない。俺が味わった以上の苦しみを、屈辱を、社会的な死を与えてやる。
復讐の第一歩として、俺は共通の友人たちに接触することにした。二人の非道な裏切り行為を暴露し、彼らを孤立させる。それが俺の計画だった。まずは手始めに、文学部の講義室で、俺の唯一の友人である月白朔を捕まえた。
「朔、聞いてくれ! 俺、美雨に浮気されたんだ! あのチャラ男、天羽玲央に寝取られたんだよ!」
俺は悲劇の主人公を演じるように、声を震わせながら訴えた。同情してくれるはずだ。親友である俺がこんな目に遭ったのだから、一緒に怒ってくれるに違いない。だが、朔の反応は、俺の予想とはまったく違うものだった。
「ああ、知ってる。美雨ちゃんから聞いた」
「は? 聞いたって……」
「奏、お前から解放されて、せいせいしたってさ。天羽先輩と付き合うことになったから、もうつきまとわないでほしいって伝言を頼まれた」
朔は、まるで今日の天気の話でもするかのように、淡々と告げた。その表情には、俺への同情の色など微塵もない。
「な、なんだよそれ! 俺は被害者なんだぞ!? 恋人に裏切られたんだ! なんでお前はそんなに冷静なんだ!?」
「被害者?」
朔は心底不思議そうな顔で首を傾げた。
「お前、本気でそう思ってるのか? 美雨ちゃんがお前といて、どれだけ苦しんでたか知らなかったのか? 服装から交友関係まで全部管理して、GPSで24時間監視して。あれのどこが愛情なんだよ。ただのストーカーだろうが」
「ち、違う! あれは愛だ! 彼女を守るための……!」
「守る? 檻に閉じ込めて、お前以外の世界を全部見せないようにすることがか? 奏、お前がやってたことは、ただの自己満足だ。美雨ちゃんは、お前の理想の彼女を演じるための人形じゃなかった。それだけのことだろ」
朔の言葉は、冷たい刃のように俺の胸に突き刺さった。友人であるはずの彼が、俺ではなく、美雨と玲央の側に立っている。信じられない光景だった。
「なんだよ……お前まで、俺を裏切るのか……」
「裏切るも何も、俺はずっとこうなると思ってたよ。自業自得だ。諦めろ」
そう言い放つと、朔はさっさと自分の席に戻ってしまった。一人残された俺は、全身の力が抜けていくのを感じた。
だが、まだだ。まだ終わっていない。朔は恋愛経験がないから、俺の気持ちがわからないだけだ。他のやつらなら、きっと俺の味方になってくれる。
俺は次に、美雨の親友である花菱沙羅に狙いを定めた。彼女なら、親友を誑かした玲央のことを憎んでいるに違いない。俺と手を組んで、玲央を社会的に抹殺できるかもしれない。昼休み、経済学部の教室の前で沙羅を見つけると、俺はすぐに駆け寄った。
「花菱さん! 話がある!」
「うわ、夜凪奏……。何の用? 美雨ならもうあんたとは関係ないから」
沙羅は、まるで汚物でも見るかのような目で俺を睨みつけた。
「わかってる! だからこそ、君に協力してほしいんだ! 親友の美雨を騙した、あの天羽玲央という男に復讐したい! あいつの非道を大学中に言いふらして、あいつの居場所をなくしてやろう!」
俺の提案に、沙羅は一瞬きょとんとした顔をし、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! 何それ、ギャグ? 復讐? あんたが? 笑わせないでよ!」
「な、何がおかしい!」
「全部おかしいわよ! 美雨を騙した? 違うね、美雨を地獄から救い出してくれたのよ、玲央先輩は! あんたみたいな束縛DV男からね!」
沙羅の口から飛び出した「DV」という言葉に、俺は愕然とした。
「DV……? 俺が、いつそんな……」
「自覚ないのが一番タチ悪いんだよ! 毎日のように美雨が泣きながら私に電話してきたの、あんた知らないでしょ!『もう限界だ』って、『奏に何されるかわからなくて怖い』って! あれがDVじゃなくて何なのよ!」
沙羅の怒りは、留まることを知らなかった。
「玲央先輩は、そんな美雨を辛抱強く励まして、やっとの思いで助け出してくれたの。感謝こそすれ、復讐なんてちゃんちゃらおかしいわ! あんたが裁かれる側なんだよ、わかってる?」
「……」
「いいこと教えてあげる。美雨、玲央先輩と付き合い始めてから、すっごく明るくなったんだよ。あんたと付き合ってた頃には絶対に見せなかった、心からの笑顔を毎日見せてる。あんたは、美雨の本当の笑顔を、一度だって見たことがなかったのよ」
あんたは、美雨の本当の笑顔を、一度だって見たことがなかった。
沙羅の言葉が、脳内で何度も反響する。
確かに、思い返してみれば、美雨が俺の前で見せる笑顔は、いつもどこかぎこちなく、遠慮がちだった。俺はそれを、彼女の奥ゆかしさや、俺への緊張感だと思い込んでいた。
だが、違ったのだ。彼女はただ、俺に怯えていただけ。俺の機嫌を損ねないように、必死で感情を押し殺していただけだったのだ。
俺の復讐計画は、開始早々に頓挫した。俺の友人も、元カノの友人も、誰も彼もが俺を非難し、美雨と玲央の味方をした。サークルの連中に話を聞きに行っても、返ってくるのは「まあ、夜凪じゃしょうがないよな」「美雨ちゃん、玲央でよかったじゃん」という、俺にとっては何の慰めにもならない言葉ばかり。
世界から、孤立していく。
俺が信じていた正義は、俺だけの独りよがりな妄想だったのだと、嫌というほど思い知らされた。
数日後、俺は大学のキャンパスで、最も見たくない光景を目の当たりにしてしまった。
中庭のベンチで、美雨と玲央が隣り合って座っていた。玲央が何か冗談を言うと、美雨が声を立てて笑う。その笑顔は、俺が一度も見たことのない、太陽のように明るく、一点の曇りもない、本物の笑顔だった。
彼女は、俺と付き合っていた頃に着るのを禁じていた、少し丈の短いスカートを履いていた。風に揺れるスカートを気にするでもなく、彼女はただ楽しそうに笑っている。その隣で、玲央が愛おしそうに彼女を見つめ、その髪を優しく撫でた。
それは、かつて俺の特権だったはずの仕草。だが、美雨はそれを、少しも嫌がることなく、幸せそうに受け入れている。
俺が作り上げた、歪んだ愛の檻。その中で彼女はもがき苦しみ、玲央がその檻を壊し、彼女を光の中へと連れ出した。そして、世界はそれを祝福している。悪役は、檻を作った俺、ただ一人。
復讐も、ざまぁも、もう遅いも、何一つ起こらなかった。
誰も俺に同情せず、誰も俺の痛みを理解してはくれなかった。俺が彼女にしてきたことの当然の報いだと、誰もが口を揃えて言った。
玲央にとっては、彼氏持ちの女を口説いて寝取ったという、いつもの「戦果」の一つに過ぎないのかもしれない。
美雨にとっては、悪夢のような束縛彼氏から解放され、本当に自分を愛してくれる人を見つけたハッピーエンド。
そして、俺にとっては。
信じていた愛に裏切られ、友人に見放され、世界中から「お前が悪い」と指をさされる、救いようのないバッドエンド。
キャンパスの喧騒の中で、俺はただ一人、立ち尽くす。
俺だけが知らない、君の本当の笑顔。その笑顔が、今は別の男の隣で咲き誇っている。その残酷な現実だけが、俺の世界に残された、唯一の真実だった。




