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第一王子殿下と侯爵令嬢の不器用な「愛」の行方  作者: 初音の歌


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第4話


 王都・大商郭から王城方面へ抜ける表通りは、昼の光が石畳の継ぎ目に薄金の縁を置き、旗竿の房が風の女神の気まぐれで一度だけ踊った。通りの端で、蜂蜜の瓶が琥珀の柱に見える角度で並び、向かいの布店の軒には色布の帯が七色の魚みたいに泳いでいる。

 見守り隊の三人。行商娘に扮したアーラ、荷運び青年に化けたダリウス、そして“店員”を演じている影の局員――は、人の流れに背を乗せながら視線だけで目標を追った。

 目標、すなわち第一王子セイリオスと、ロシュフォール侯爵令嬢アメリー。二人は今日も、規律そのものの歩調で通りを進む。惚れ惚れするほど理想的。軍楽隊が背後についたって、全員が自然に足並みを合わせられるだろう。……恋の最前線としては、色気がないにもほどがあるのだが。

 まず、蜂蜜。露店の看板には小さく「本日試食あり」。帝国製の標準計測具で粘度を示すガラス筒が一本ぶらさがり、魔法国の携行照明具が瓶底からぬくい火を入れて色を深く見せる。王国の穀物と果実を煮詰めた蜂蜜に、三国の交易が小さく同居していた。

 店主が匙を差し出す。二人は同時に受け取り、同時に口へ運ぶ。


「美味い」

「美味しいですわ」


 そこまでは良かった。そこまでは。

 けどそこから先が……目を覆う。


「産地は西丘陵帯ですか?」

「北側の斜面が良い。花粉の動線が安定する。養蜂の試験地をもう三か所増やせる。税率は初年免除、二年目に歩合、三年目に固定で」

「救難用の携帯蜂蜜として港湾の備蓄に回すのはどうかしら。魔法国の救難具とセットで配ると効果が早いはず」


 蜂蜜の甘さは、二人の会話の中で秒で“政策”に昇格し、味覚は遥か彼方へ置き去りになった。

 次に、布飾り。南風がふっと息をつき、軒の色布が一筋、アメリーの灰金の髪に絡んで止まる。アーラの指先が思わず緊張する。

 セイリオスの動きは速く、静かだった。距離を詰め、手の甲から近づけ、布を指先で滑らせて一本で外す。触れたのは髪で、皮膚ではない。礼法の鏡面仕上げ。


「失礼した」

「いえ」


 それで終わり。終わるのが速い。甘さは風より短い。

 最後は、石畳の欠け石。影の局が“ごくわずか”に削った、初見では気づきにくい段差。セイリオスは三歩手前で目線だけ落として把握し、歩幅を半足短くしてアメリーを内側へ誘導。口に出す必要もない注意喚起。ハプニングは起きず、完璧に通過。スタスタ歩き去っていく王子様と侯爵令嬢。

 

 そして最後の迷子の策だが……今日この日に限って、街は平和だった。見える範囲で、影の局の捜索範囲でも迷子は皆無。

 平和で大変よろしい。きっと天の女神が、セイリオスとアメリ―のデートを祝福してくれているのだろう。つまり偶然の介入は、一旦これで終了。


 屋台の庇下、荷運びに扮したダリウスが小さく息を吐く。


「正しくエスコートしている。過剰な接触はなし、怪我もさせない。模範の紳士……なのに恋愛指数がゼロなのはどういう理屈だ」

「満点の行動なのに、評価表に『感情』の欄だけ空欄、ってやつですね」


 影の局員が苦笑する。

 影の眼から見ても、非常に評価に悩むセイリオスとアメリ―。職務上、色んな相手と関わって来た局員だ。色んな貴族とも接してきている。


「横暴な態度を取る若造とか、我儘三昧の令嬢とか、そういった愚物なら嫌気がするほど見てきましたけど……うーん。褒める行動しか取っていない相手に小言を言いたくなるのは、稀有な事態です」


 どうしたものかと、流石の影の局員も腕を組んで、悩み始める。あんな相手は稀も稀。正解が正解にならないとか、珍事が過ぎる。

 アーラは、行商娘の籠から白い手拭を取り出して握りしめた。こうして近くで見ているから、解ってしまうのだ。セイリオスとアメリ―の行動の本質が。


「兄様とアメリー、あれで“努力して”いるのよね。好きになる努力。政略婚だから、正しいけれど……正しすぎるのよ」


 そう。二人は正しすぎる。政略結婚から育む愛情。それに照らし合わせれば、何も間違った行動を取っていない。

 だがその「正解」こそが、今の問題点。

 影の局員は視線を二人に置いたまま、声だけを落とす。


「観察で見えました。御二人は理想的な“王族と貴族”をまっとうしている。今回の婚約の重みを、正しく知っている。骨身で理解している。だから――“間違いを避ける”が先行する。“必ず遂行する”が先行する。完璧であるが故に、感情の余白が削れる」


 ダリウスは黙って頷いた。言葉にするなら、それは“優秀さの副作用”。普通の人間なら一時間も耐えられない“無機質デート”を、二人は三回目でも平然と完遂する。強靱さが、恋では時に障壁になる。

 だが、子猫モザイクを抱き上げた時の微笑みは幻ではなかった。余白はある。確かにある。なら、どうやって表に引き出すか。


 二人は、予定より十五分の余裕を残して目的地へ。劇場――王都演芸院、星環座。外観は大理石の柱に金箔の蔦、玄関上の楕円レリーフには五柱の女神が配されていた。

 中央の「光と戦争の女神アストラヴェル」は剣を鞘に。

 左に「炎の女神イグナリア」の炉。

 右に「水の女神ナイアディス」の波。

 上部に「風の女神ヴェントゥラ」の輪。

 下部に「大地の女神アルドナ」の根。

 入口の左右には、寄進者の銘板がずらり。王城、武門、商人、職人。王都の層が幾重にも重なっている。

 看板の演目を見て、ダリウスとアーラは同時に「やっぱり」という顔をした。


〈四女神の神話〉〈光と闇の戦い〉


 王道中の王道。創世神話の定番。角は立たない。甘さも立たない。

 悩んだらコレ見とけば問題は無いよね? って言われてるやつ。新人役者の初演にもよく使われているとか。

 がっくりと膝を着きたくなる。ぐっと我慢して限界ギリギリで耐えるアーラ。


「もっとこう、最近の恋愛劇とか、帝国の艦隊物とか、魔法国の幻想活劇とか……選択肢は無限にあるじゃない」

「兄上よ……完璧=正解ではないのだ……武門の連中とは稽古で笑っているだろうに、恋愛だけはなぜ統制が過ぎる」


 アーラは額に手を当てる。ダリウスも眉間に影を落とした。親友よ、兄よ、どうして脇道に逸れてくれないのか。デートは脇道を楽しんでこそなのに。

 局員が二人の肩に軽く手を置く。慰める情緒くらい、影の局にも在る。


「劇に誘導しただけでも前進です。さ、入りますよ。劇中の“偶然”は演出できませんが、反応の採取と幕間の打ち手の設計くらいはできます」


 三人は行列に紛れ、二階桟敷の末席へ。そこからは、正面に王族席、斜め下に上流貴族席、さらに下に一般席が見渡せる。魔法国製の照明宝珠が天井から環状に吊られ、帝国流の綱機構が背景転換に備える。王国の織物の緞帳は麦穂の文様、裾に小さく寄贈者名。三国の技術と金が、目に見える形で舞台を支えていた。

 セイリオスとアメリーは、王族席の端に座った。座った、というより“定まった”。背筋は線、膝角度は九十度、視線は舞台中央。配られた番付を互いに一度ずつ交換し、所作は音もなく滑る。手袋を外す角度、扇子を膝に置く位置――すべてが見事で、すべてが“正しい”。

 局員が低声で段取りを囁く。


「幕間に甘味を、ですね。蜂蜜水の売り子を通す。溢さない程度の“揺れ”は不可。代わりに、売り子の言葉で“甘い”を入れる。『おふたりに、甘さを一口』――そこから三秒の沈黙を」

「やりすぎないでね。王族席よ」

「心得てます」


 開演。客席のざわめきが一段落ち、天井の照明宝珠が二段階落ちた。緞帳が上がる。第一幕「四女神の神話」から。

 アーラは観念したように創世神話の劇を見る。劇中、「見守り隊」が出来る事なんて、そう多くは無い。今は静かに観劇するとしよう。もう内容全部知ってるけど。

 幸いにも、セイリオスとアメリ―ならば劇中に問題を起こすことは無い。絶対に無い。私語もせず、動きもせず、黙って最後まで見続ける事が容易に想像できてしまう。本当にもう、ちっとも嬉しくない。少しくらい言葉を交わしなさいな。劇の邪魔をする騒音が迷惑なのであって、小声の感想くらいは劇の一部だ。

 でもきっと、幕が降りるまで感想語る事は無いのだろうな、と嫌な確信がある。

 ダリウスは、アーラの横で祈っていた。五柱の女神に対してか。それとも微笑みを発生させた子猫モザイクちゃんに対してか。

 今回に関してだけいえば、お猫様の方が御利益ありそう。きっと今頃、劇場の外で「にゃーん」と鳴いてる。


「ところで、丁度良い機会なので私語をひとつ」


 影の局員は、軽く疑問を口にする。

 それはダリウスとアーラに向けられたもので、返答が無いなら無いで構わない。そんな気持ちで問われた局員の私語。


「お二人は「見守り隊」の会議と称して密会していますが……邪推されても構わないので?」

「はっきり言うわね、あなた」

「折角なのでね。こんな機会でも無ければ直接聞けませんし。影の局としてはどちらでも構わないのですが」


 本当に軽く言う局員。

 だが実際、身分は合っている。第二王子と公爵令嬢。仲を「邪推」されても問題ない。むしろ良縁だ。下手に身分差のある恋愛婚されるより「仕事」が楽になる。だから局員の口調は軽い。本当に、私語として聞いたのだ。

 アーラは頬を膨らませながら言う。文句にはほど遠く。けれど納得とも言い辛い微妙な位置。


「そのつもりで居るから問題無しよ。あたし達自身、余計な婚約結ばれたくもないし……これなら兄様やアメリ―の邪魔になることもない。ダリウスの横に居るだけで、面倒の幾つかは消えてくれるのよ」

「そういう訳だ。アーラには昔から、都合のいい虫除け代わりに使われている」

「感謝してますよー。幼馴染さまさまです」


 と、茶目っ気たっぷりに舌を出してウインクするアーラ。やれやれと言った様子で、肩を竦めるダリウス。

 影の局員は、成程、と納得する。同時に、こちらの二人は「問題無し」と胸中の評価表に記す。国には「派閥」がある。中には「第二王子」を担ぎ上げる連中も居るだろう。そんな輩に余計な茶々を入れさせぬ為に、二人は共に居るのだ。

 国が定めたセイリオスとアメリーの政略婚。それを崩そうとする手を、少しでも減らす為に。



 そして開始される神話の再現。

 創世の細部が舞台と現実で重なる。四女神の台詞は、誰の胸に残るだろう。光と闇の規範は、二人の会話にどう滲むだろうか。



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