表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第一王子殿下と侯爵令嬢の不器用な「愛」の行方  作者: 初音の歌


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/18

第13話


 見守り隊総本部――と従者や侍女に囁かれるようになった小間は、地図卓と茶器と書見台で手狭だが落ち着く。窓の外では、王都の屋根が薄く霞んでいる。季節がひとつ回り、灯籠祭から数か月。扉が静かに叩かれ、平凡な侍女の姿の影の局員が入ってきた。平凡すぎて、逆に印象に残る類の平凡である。


「ご報告を」


 淹れたての茶が置かれ、ダリウスとアーラが視線を上げる。局員――今日は低く抑えた女声――は、巻紙を二つに折って開いた。軍務、文務、そして“私務デート”が見出しごとに並び、要点は刃先のように尖っている。


「第一王子殿下。今月は辺境街道の巡回三度、討伐二件。いずれも迅速に終結。士気は終始高く、殿下が先頭に立つことで物資の横流しは目に見えて減少しました。『王族直率の隊で小遣い稼ぎをするほど肝は据わっていない』――と、末端兵の弁です」


 ダリウスが小さく笑い、アーラは「良いわね」と短く言う。局員は続けた。


「書類面。殿下の監督下では、起案から決裁までの空白が大幅に縮小。不備は、ロシュフォール侯爵令嬢が容赦なく指摘……ここは実務上、痛快です。『語尾が曖昧』『量目の単位が混在』と、冬の硝子色の美貌のままズバズバと。屈強な古参が体を小さくさせて、いそいそと書類を書き直す姿が本当に愉快で」

「笑わないの……でも、目に浮かぶわ」

「ただし冷酷ではありません。第一王子殿下は討伐帰りに“同じ釜の鍋”へ参加。侯爵令嬢は王都で求めた蜂蜜飴を分配……お言葉ですが、殿下よりも侯爵令嬢の一粒で頬が崩れる兵が多い。現場の真実です」


 局員は語る。稽古や討伐、そして巡回で疲れた兵達に渡される、侯爵令嬢の用意した蜂蜜飴。冬景色の美貌が「労っています」と一言言いながら、武骨な掌に甘い安らぎを載せてくる。口に含めば、身体の疲れが芯から癒されるような気がして……軍部の兵は、随分と絆された。

 しかしそうなると懸念点も浮かぶ。ダリウスが片眉を上げて聞く。


「嫉妬は? おかしな感情を抱かれても困るぞ」

「ご安心を。そこはロシュフォール侯爵令嬢の氷の視線が許しません。色恋沙汰は皆無。むしろ一体感に寄与。『殿下は火を、令嬢は甘さを』と」


 局員は二枚目を繰る。


「私務。逢瀬の頻度は王家規定通り、行程表は……健在です。ただし、行の合間に“余白”が見えます。見送り――侯爵令嬢が城門まで出る頻度が増加。『どうか御無事で』。以上……言葉は端的、色も熱もないようで、兵の活力には充分。あれは余白、しかも有効な」


 アーラが嬉しそうに頷く。天然な親友の回り道が、胸に感動を齎す。


「うん。必要のない一手を、あの二人はちゃんと打てるようになった」

「それと、呼称に稀な乱れ。先週、廊下の曲がり角で。殿下『……アメリー』、侯爵令嬢『はい、セイリオス様』。一往復のみ、即座に通常形へ復帰。偶発的に見えて、繰り返しの芽です」

「十分だ」


 ダリウスは茶器を持ち上げたまま、ふ、と目を細める。僅かな呼称の違いだが、それは愛の語らいだ。芽は順調に育っている……花が開く日も近いだろう。

 局員が巻紙を閉じた。


「総じて順調。軍部の多くが、侯爵令嬢の味方になりました。文官筋の令嬢がここまで受け入れられるのは珍事です。理由は簡単、『書類を叩くときは叩き、昼餉の席には座る』。理屈と温度が同じ机にあると、人は付いていく」


 報告がひと区切りついたところで、茶が湯気を弱めた。張り詰めていた空気がほどけ、アーラが小さく息を吐く。


「……良かった」


 灯籠祭から続いた数か月を、彼女は胸の内でなぞった。“余白”は消えない。最短距離から敢えて逸れる一歩が、二人の足跡に増えていく。廊下の角で、渡り廊の陰で、視線と視線を少しだけ重ねるようになった二人――報告の文言は味気ないのに、脳裏の映像はやけに温かい。

 そんなアーラの様子を見て、局員が茶目っ気を覗かせる。


「見守り隊の解散も、近いですかねぇ。今だから言いますが、任務拝命の折は、内心『なんて馬鹿々々しい任務だ』と思いましたよ……ですが人は変わる。私も含めて」

「その言い分は不敬だが、間違っていないので不問とする」

「私も同意」


 ダリウスとアーラの不敵な笑み。事実に怒る訳にはいかない。思えば最初の発端からふざけたものだった。


「最初の作戦名からしてどうかしてたわよね。キャッキャウフフ大作戦て。……結論、キャッキャウフフは無理。あの二人の愛は、礼と法から始まって、ゆっくり育つ方のやつ」


 言いながら、彼女は自分の言葉にうっすら笑みを足し、それから、ふっと視線を落とした。机の上の地図卓、王都から伸びる街道線。セイリオスが護る線であり、アメリーが整える線。

 あの二人の愛は、流行りの恋愛劇のものとは違う。礼と法が最初にあった、政治の婚姻。その規律正しい愛を、丁寧に丁寧に育てていったのがセイリオスとアメリーなのだ。ウフフと笑うのではなく……緩やかな微笑みで語り合うのがあの二人の「愛」。

 そんな「愛」を見守れて良かった、とアーラは心底思う。セイリオスとアメリーの幸せを願っている。兄様と親友の幸福を祈っている。その気持ちは女神にも誓える真実だった。


 だから――そこへ、ぽとりと、透明な点が落ちた時。その正体がアーラには解らなかった。


「あれ?」


 頬を伝う感触に、アーラ自身がいちばん驚いた。二滴、三滴。激しくはないのに、止まらない。慌てて背筋を起こすと、ダリウスが言葉より先に白いハンカチを差し出している。いつもの無駄のない所作。彼女は「ご、ごめん」と受け取り、目の縁を押さえた。


 沈黙が、数拍。局員は壁際の絵画へ視線を移した。王都の港景を描いた油彩。流石は王族の使用する部屋。見事な絵画が飾られている。

 そこに見入るふりは、職能の一部だ。見ない、聞かない、ゼロとして扱う。

 誇り高い公爵令嬢の涙なんて、欠片たりとも視界に映していない。


 ダリウスだけが、アーラの涙の正体を知っている。幼いころからの幼馴染だから。彼女の“兄様”への眼差しが、憧れと細い恋の境界に揺れていたこと。今日、その境界線が地図から消えたこと。セイリオスとアメリーの婚姻が、まっすぐな幸福へ進んでいくほど、アーラの小さな恋は行き止まりになること。


 彼は、何も言わない。掘り返さない。大切な幼馴染の矜持を踏み躙ったりはしない

 護ることは、黙ることでもある。ダリウスの、無言の漢気。


 やがて、涙は落ち着いた。アーラは赤い目のまま、いつもの調子をつくるのに少し時間が要った。けれど作った。


「最近はほら、花粉とか、酷くてさ!」


 季節の一致はさておき、言い切りの角度がいい。ダリウスが「それは仕方ない」と真顔で受け、局員も「花粉は敵です」と頷いた。三人は息を合わせるように、同じ嘘で同じところに蓋をした。嬉し涙と悲し涙が一緒に零れる夜だって、ある。花粉が酷ければ、なおさらだ。

 空気が戻る。アーラは鼻をすするのも忘れて笑った。笑えば、だいたい大丈夫になる――彼女の長所だ。

 局員がわざとらしく咳払いをひとつ。


「なお、個人的には“見守り隊”を継続する所存です。不要かもしれませんが、第一王子殿下と侯爵令嬢のやり取りは、観劇として優秀でして」

「不敬者!」


 ダリウスが即座に断じ、アーラが指で×印を作る。

 全く、なんて不敬者だ。これは簡単に許す訳にはいかない。

 厳格な王族と貴族の表情で――その口元に弧を描きながら、宣言。


「本来なら処罰ものだが、経過を報告することで――」

「――不問とする!」


 三人の声が重なって、部屋に小さな笑いが満ちた。

 巻紙は束ねられ、茶は温さを残して冷める。窓の外で、王都の屋根が夕日に淡く光った。セイリオスは今日もどこかの訓練場で剣を振り、アメリーはどこかの机で赤鉛筆を走らせているだろう。二人の“直線”は、ゆっくりと“弧”を覚えた。見守る者たちの仕事は、もう、仕舞い支度に入りつつある。

 それでも、しばらくはこの部屋に灯りが点る。報告が届き、茶が淹れられ、誰かが冗談を言う。花粉が酷ければ、誰かがまた白いハンカチを差し出す。


 ――そして、そのたびに、王国は少しだけ平和だ。そう信じられる夜だった。


 そう。平和だった。平和に時は流れていった。













「――コホッ」



 アメリーの咳に、血が滲む、その時までは。

 間違いなく、王国は平和だったのだ。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ