帰ってきた日常・2
まるであの時のやりなおしのように。
私は兄様と手を繋ぎながらゆっくり歩いていく。
そう。ゆっくりね。
所詮10歳。大またで歩いた所で速度なんてたかが知れてるし、体力は持ってかれるしで良い事ないし。なのでゆっくりと自分のペースを崩さずに。
兄様は小幅で歩いて、私に合わせてくれてる。年齢差を考えるとそれも仕方ないけれど、やっぱり合せてくれてる兄様には心の中で、そっと感謝の言葉を呟いていた。
それに気づいたのか、兄様は優しく笑うと。
「僕がレイと歩きたいだけだよ」
とね。
だから兄様。人の心の中を読むの止めようよ。
一体どうやって読んでるのか。それは私にもわからない。寧ろそれは本当にすごい事なんだけど、兄様はやっぱり笑っているだけ。
これ以上は考えても無駄な事かなと、別に不快にも思わなかった私はその件について、ここで思考を放棄した。
表情に出ていただけかもしれないし、以心伝心で兄様が慣れただけかもしれない。
ゆっくりと2人で並んで歩いていた所で、一軒の店に視線がいったのね。
それも、兄様と私の視線がほぼ同時に。私と兄様は顔を見合わせた後、進路をそちらに変えて店先に並んでいる商品を端から端までじっくりと見ていく。
そこに売られていたのは、兄様お気に入りの道具。使い心地がすごく良いんだけど、誰が作っているとかは一切不明だった、時々しか流れてこなかったんだけど。今見る限りじゃ時々の量ではないよねぇ、なんて兄様を見上げてみたら。
目が、爛々と輝いてた。
書類とか色々書き物が多い兄様にとって、紙や筆記用具は必需品。長時間使う道具なだけに、使い心地は利き手にとっては死活問題。私も魔道書やらなんやらを作成するから、使い勝手の良い筆記用具は正直、喉から手が出るほど欲しい。
寧ろお抱えで欲しい。
あ、でもお抱えじゃなくていいから、定期的に流して欲しい。この使いやすいペンのインクが終わった後の書類作成なんて、今まで贅沢に慣れた利き手がすぐさま悲鳴をあげて仕方ない。
やっぱり、私より兄様だけどね。必需品として活用するのは。
なのでちらり、と兄様を見上げてみると、ちょっと悩み顔。
ここで大量に購入するかそれとも定期購入にする為に話しをつけるか。私も兄様も、ここにその職人がいる事を一切疑っていない。
まぁ、人気の入手困難な品物がここにこれだけある理由は、さほど多くはないと思うけど。
「レイ、ちょっと話し込んでもいい?」
交渉したいんだ、と言う兄様に、私は迷わず頷く。
ここはじっくり一から交渉と思ったけど、兄様と私の視線が再び交わる。
急だったから、手土産を持ってきてない。
「買いに行った方がいいかな?」
「ここに住んでる人に、ここの名産じゃまずいよね?」
2人でう~む、と首を傾げると、中から笑い声が聞こえてきた。
声のした方を見てみると、戸口に背をもたれかからせるように立っている男の人が一人。独自の雰囲気を持っていて、兄様や影たちの存在感にも負けてはいない、恐らく二十代の人。
食えなさそうって思ったのは私の本音。
兄様もそう思ったのか、一瞬身体に緊張が走ったけどすぐに立て直した。
「こんにちは。驚かせたみたいで悪かったね」
優しげな声音を響かせて、男はカウンターへと一歩ずつ近づいてくる。ただ歩いているだけなのに何故かその姿は圧巻されるものがあって、感覚を掴む前に戸惑いを覚えてしまう。
「(ん~…この感覚は)」
兄様も気になるけど、とりあえず先にこの戸惑いの原因を掴もうと私の思考は一瞬奥へと潜る。知識を総動員させ、書物を捲るように次々とこれに当てはまるものを探していく。
「こんにちは。一生懸命なのを見られて、ちょっと恥ずかしかっただけですから気にしないで下さい」
奥へと潜った私の手を握り、兄様が微笑を浮かべる。兄様の声音も優しいけど、目の前の男はまた違った優しい響きを持つ音を発する。
「そうやって見てくれるっていうのは嬉しいね」
「貴方が製作者の方ですか?」
「そう。俺、作」
「嬉しいです。愛用している品なので、探していたんです」
……。
それは言っちゃっていいのかな?
と、意識を少しだけ浮上させて疑問に思う私に、兄様は1回頷く。
「よければ話しをさせて頂きたいのですが…」
名前は名乗った方がいいけど、ここだと目立つ。
かといって用意した偽名は使いたくない。
そんな兄様の葛藤に気づいたのか、男は手招きするように、店の奥へと私と兄様を誘導してくれる。
どうやら話しは聞いてくれるらしい。
ギュッと力強く兄様に右手を繋がれたまま、私は店の奥の方にある、外からは死角になっている椅子へと腰を下ろした。
隣りには兄様。そして、向かいあうように男が腰掛ける。
「やんごとなき身分の方だね。俺の作った物をここではない場所で入手してるって事は。それで、名乗ってくれるのかな?」
どうやら男から名乗るつもりはないらしい。
「僕はライディアス・エレント・アニスメイル・キアレントゥライド・ディーファルと言います」
姿勢を正し、真っ直ぐに男を見つめる兄様。
「それはまた…大物がきたね」
男の言葉に私は内心、そうだねと呟く。
兄様の存在ははっきり言って大物過ぎる。私の国が大きいっていうのもあるんだけど、最近では緊張状態にあった隣国との問題も解決され、滞っていた貿易やら何やらが再開されたら一気に注目の的になったのね。
そう。うちの国も隣国も資源は豊富だったのよ。
それを生かす技術もあったけど、お互いが緊張状態にあった時には内へ内へと引き篭もりだったものが、外へと向かって動き始めたのね。当然商売だけど。技術も資源も資産だから。
当然、その跡取りである兄様の存在感も権力も追随を許しはしないんだけど…今回に限らず兄様はそれを使うのは嫌がる。
だから偽名を使ったり名乗ったりはしないんだけど。
「貴方の作る道具が使いやすいから、定期的に買わせてほしいんです。僕個人に売ってはもらえないでしょうか?」
私が考え込んでる間に話しが進んでいたらしく、耳に入ってきた言葉は兄様のそれだった。
「独占する気はないの?」
けど、男は面白そうにそんな事を問いかけてくる。
「独占? なんの為に?」
それに対し、兄様の答えはシンプル。揺さぶる為だったのか反応を見る為だったのかはわからないけど、兄様の反応を楽しみにしていた男は予想外だったのか、ちょっとだけ表情が崩れた。
私は内心へぇ、って呟いたけど、兄様はどうでもいいみたい。
真面目な表情を浮かべ、真っ直ぐに男を見ていた。
「こういう王族は初めてだな。いつも自分専属になれって脅されるんだけどね」
男の言葉に、私は改めて部屋の中をぐるっと見回した。
「……」
巧妙に隠された魔道具の数々。発する魔力の構造を分解して探ってみると、効果は身を守るのは十分すぎるものたち。
「穏便に帰ってもらう為の魔道具…ね」
兄様や私が愛用している、目の前の男が作った筆記用具の意匠も相当なものだったけど、ここにある魔道具の意匠も凝りに凝っている。でも、探ってみれば一人の存在しか感知できない。つまり、筆記用具もここにある魔道具も、全てこの男が一人で作っていると言う事。
「あれは量を減らさないと、一歩間違うと廃人さんになっちゃうよ?」
夢見心地のまま男の存在を忘れて帰ってもらってるんだと思うけど、量を間違えちゃいけないと思うのね。
まさか言い当てられるとは思ってなかったのか、男の視線は初めて私の方へと向いた。男の瞳に私の姿が映し出された瞬間、余裕綽々だった男の表情がはじめて崩れる。
それは、驚愕っていって良いのかな?
兄様が男の心情の変化に気づいて、勢い良く立ち上がり私と男の間に身を割り込ませる。私を守るように、庇うように男と対峙した。
この瞬間、使いやすい道具よりも何よりも、私の身を守るためなら他は切り捨てても仕方ないって考え方なのね。
じゃ、私のやる事は一つかな。
身を守る事もするけれど、兄様の手を守る為にやっぱり男が作った道具は定期的に入手したいし。
翠と碧の眼差しを男へと向けた後、にこっと微笑を浮かべる。
大よそ10歳児とは思えない程の大人びた表情だって自覚出来る笑み。
「珍しいね。私の魂に気づくなんて――…そんな貴方はだぁれ?」
男を解体するかのように、じっくりと観察する視線を向ける。
まぁ、途中までね。本気でやったら色々見えちゃうから、流石にそれはイヤだし。
「貴方こそ――…珍しい。その存在は稀過ぎる。自覚はあるの…?」
男の言葉は、私以外は理解出来なかった。
それは、私の影も例外じゃない。
私の知識を共有出来る影と言っても、私本人ではない影には限度があるから。
だから、わからない。
「(ん…でも旅行に行くと必ずこういう事が起きるのね)」
今度厄払いに行こうかなぁ、なんて。
本物の巫女様の予約を取ろうって、ちょっと本気で考えてみた。