孤独な心
朝起きて神棚にご挨拶するもが朝の始まりです。そして洗面をして、朝食、その後、メールチェック、返信とまあ日常のローテーションで何時もあまりわらないのだが、たまに早朝から出かける時は、SNSのコメントもおろそかになることもある。そうした忙しい時にやたらカランで来るのは迷惑としか言いようがない。普段から自分の訳の判らないことを言うので適当に放置している。と言うのも“ヤカラ”だからである!取扱説明書がいる人と言えばわかりやすかもしれない(笑)自分が暇でも相手は忙しいのが全く理解出来ない人である。日曜日が休みでない人も居る、休みでも人それぞれ用事や遊びに行くこともあり“カマッテチャン”を相手していられない。まあそんな日々だけど結構なんだかんだであわただしくしている、無理に慌ただしくしているのが本音かもしてない。
京都に時々行くのだが、それには自分の中に隠している本音がある。鳥辺野は二つあるんですよ。一つは庶民、もう一つは貴族、平安時代から風葬の地として利用され、貴族や庶民の風葬、火葬がおこなわれていました。
北部は庶民が多く、南部は貴族が多かったのです。余談ですが、「鳥辺野の煙」と言う言葉は、人生のはかなさを表す言葉として使われます。
「夜もすがら契りしとことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき」
この歌は、一条天皇への深い愛情と、自分を忘れないでほしいという願いを込めたものと解釈されています。
「夜通し契りを交わしたことを忘れないでいてくれるなら、あなたのために流すであろう恋の涙の色が知りたい」という意味です。
この歌は、天皇への変わらぬ愛情と、自分を忘れないでほしいという切ない願いを表現していると解釈されています。
「夜もすがら契りしこと」
一晩中、二人で交わした約束や愛情の意味です。
「恋ひむ涙の色ぞゆかしき」
あなたが私を恋い慕て流す涙の色を見てみたい、という意味になります。
さて、鳥辺野に行く意味は、寂しいからとそれだけで来るはずもないんです。
記憶とは悲しい、そして忘れされるのであろうか、人の心とは、夜通し契りを交わしたことを忘れないでいてくれるなら、あなたのために流すであろう恋の涙の色が知りたい」これを現代の自分の言葉にしてみたい、意味解釈は別にして、人の心をはと思いながら、山道をゆけば、風景自身が寂しがっている。「夜通し契りを交わしたことを忘れないでいてくれるなら」そう、“なら”である。ひとこまに身をおただけで、自分が救われる。振り返るより速く立ち去っていた。
人の心は移ろい易く、その傷癒え難く、愛と同じ重さの悲しみである。
やがてそれぞれの記憶の中でお互いの事が薄れて行くそこに散りばめたはずの、真実までかすませて、すれちがうより速く遠ざかってゆく、まえのりのまま、無造作になげだされた愛が、野晒になっている。
ガラス細工ころの思い出、今に二人いるかのように、どれ程綺麗につこうと、嘘は嘘、どちらがついたか、つかせたか、 独り道ゆく身には、傷の痛みさえ愛しい、どれ程綺麗に刺しても傷は傷、いくつかの嘘を道ずれに、心だけが死んでゆく。