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第3話 第三の道の設計

翌朝、俺は誰よりも早く起きると、一直線に父の書斎に向かった。昨夜、父との対話で得た「三日間の猶予」。この時間を使って、俺の提案がいかに正しく、そしてヴァルミオ家にとって唯一の生存戦略であるかを、完璧なデータと論理で証明しなくてはならない。


書斎の重い扉を静かに開けると、朝日が窓から差し込み、空気中に舞う無数の埃を金色に染め上げていた。壁一面に並ぶ書棚には、ヴァルミオ家の歴史を物語る書物がぎっしりと詰まっている。ただし、そのほとんどは『騎士道精神概論』『古代戦記』『紋章学大系』といった、武門の誇りを満たすためのものばかり。実用的な経済学や政治学の専門書は、数えるほどしかなかった。


(まあ、武門の家だから仕方ないか。だが、この蔵書のラインナップ自体が、我が家の経営課題を象徴しているな)


俺は父の机に向かい、昨夜のうちに『演算魔法』で場所を特定しておいた家の財務資料を広げ始めた。分厚い羊皮紙の束になった帳簿、税収記録、支出明細、そして古びた領地の地図。普段なら、十五歳の次男が目にすることなど絶対に許されない、ヴァルミオ家のトップシークレットだ。


最初に目を通したのは、ここ三年間の収支記録。羊皮紙をめくるたびに、俺の眉間の皺は深くなっていく。


「うわぁ……これは酷い。予想以上だ」


数字を見ているだけで頭が痛くなってくる。収入は年々減少しているのに、支出は増加の一途を辿っていた。特に、兄レオンの騎士装備の維持費と、父の「武門の誇り」を保つための見栄を張った交際費が、家計を凄まじい勢いで圧迫している。


`年間収入:金貨25000枚`

`年間支出:金貨28000枚`


(完全に赤字じゃないか。キャッシュフローが完全に詰んでる。前世の会社なら、とっくに資金ショートで倒産してるレベルだぞ)


毎年3000枚の赤字を、過去の当主が遺した貯蓄で補填している状況。俺の計算では、このペースだと、あと五年で家の資産は完全に底を尽きる。五年後、ヴァルミオ家は破産するのだ。


(これで騎士の誇りとか言ってる場合かよ。プライドで飯は食えないって、前世で嫌というほど学んだだろうに)


領地の状況も、帳簿から読み取れる情報は深刻だった。農作物の収穫量は、天候不順を差し引いても明らかに年々減少している。それに伴い、税収もじりじりと低下。原因は、火を見るより明らかだった。インフラへの投資不足だ。農機具は十年以上も前の骨董品、灌漑設備は機能不全に陥り、収穫物を運ぶための道路は穴だらけ。これでは生産性が上がるはずもない。


「典型的な負のスパイラルだな。短期的なコスト削減のために、長期的な利益を生む設備投資を怠る。技術的負債を溜め込み続けて、最終的にシステム全体がクラッシュするパターンだ」


前世のITプロジェクトで、何度も見てきた光景だった。目先の利益に囚われ、リファクタリングやインフラ更新を怠ったシステムが、ある日突然、致命的な障害を引き起こす。ヴァルミオ家の経営は、まさにそれと同じ過ちを犯していた。


だが、これは逆にチャンスでもある。問題点が明確であるならば、解決策もまた、明確に導き出せる。


俺は新しい羊皮紙を取り出し、改善案を猛烈な勢いで書き出し始めた。まず、支出の最適化。次に、収入の増加策。そして、長期的な投資計画……。


「農業の効率化による税収20%向上。具体的には、灌漑用水路の再設計と、三圃式農業の導入。無駄な交際費と装備維持費のカットで、年間30枚のコスト削減……」


計算していくうちに、だんだん楽しくなってきた。これは一種のパズルゲームだ。限られたリソースを、いかに最適に配分すれば、システム全体のパフォーマンスを最大化できるか。俺のエンジニアとしての血が騒ぐ。


しかし、ふと俺の思考は、ヴァルミオ家という小さなシステムの改善から、より大きな視点へと広がっていった。


隣国ガリアの市民革命のニュースが、脳裏をよぎる。「自由・平等・博愛」……聞こえはいいが、前世で歴史を学んだ俺からすれば、それは全く別の意味を持つ、危険な兆候だった。


(フランス革命、ロシア革命、中国の文化大革命……。美しい理想を掲げた革命は、必ずと言っていいほど、血の海と恐怖政治を生み出す。そして、その混乱に乗じて権力を握るのは、往々にして革命の理念とは正反対の、冷酷な独裁者だ)


ロベスピエール、スターリン、毛沢東……。歴史は繰り返す。ガリアの革命も、最初は「圧政からの解放」という美しいスローガンで始まったと聞く。だが、今や革命政府は、隣国への侵略を「解放戦争」と称して正当化している。これはもはや革命ではなく、ただの帝国主義的膨張政策だ。


「君たちを自由にしてやる」と言いながら、軍隊を送り込む。これのどこが「自由」だというのか。UI/UXは綺麗だが、その裏で動いているバックエンドは、他国の主権を侵害し、人々の生活を破壊するだけの、欠陥だらけのシステムに過ぎない。


こんな不安定な時代に、家の外で剣を振るう騎士など、あまりにハイリスクすぎる。いつ、どの戦場で命を落とすか分からない。運良く生き残ったとしても、政治的に間違った側につけば、戦後の粛清でギロチン送りになる可能性だってある。聖職者も同様だ。宗教的な対立に巻き込まれれば、命はいくつあっても足りない。


俺は窓の外を見やる。朝の光に照らされた領地は、相変わらず貧相だった。痩せた畑、ボロボロの道路、みすぼらしい家々……。


(だからこそ、だ。家の内側で、数字という客観的でコントロール可能な対象を扱う『文官』こそが、この乱世を生き抜くための最適解なんだ)


俺は改めて、自分の選択の正しさを確信する。それは俺にとって、最も安全で、かつ実利のある道だった。


しかも、この絶望的な財政状況ならば、文官として家の経営を立て直すことの価値は、誰の目にも明らかだ。騎士として武勲を立てるより、家計を黒字化する方が、よほど家のためになる。そして何より、俺と、俺の大切な家族の将来の安定に、直接的に繋がるのだ。


「誇りで税金は払えますか?」


昨日の俺の言葉を思い出す。父は図星を突かれて言葉に詰まった。感情論や精神論ではなく、客観的なデータに基づいた判断こそが、この家を救う唯一の道なのだ。


俺は、王都の学園について『演算魔法』で収集した情報を加えながら、父を説得するための提案書を作成していく。入学条件、学費、カリキュラム、卒業生の進路……。


「王立魔法学園、政治経済学科。卒業生の主な就職先は、王室財務官、各領主の会計顧問、商業ギルドの監査役……」


これらの職業は、どれも安定していて高収入だ。しかも、戦場で命を張る必要がない。まさに俺が求めていた「安全で実利的な道」そのものだった。


提案書の最後に、俺は具体的な計画書を添えた。


数字は嘘をつかない。感情論や精神論ではなく、客観的なデータに基づいた、実現可能な計画。前世で培ったプロジェクトマネージャーとしての経験が、こんなところで役に立つとは思わなかった。


時計を見ると、もう午前十時を過ぎている。集中していると、時間があっという間に過ぎてしまう。


コンコンコン。


「失礼いたします、アルト様」


振り返ると、リリウムが紅茶を運んできてくれていた。いつもの完璧な笑顔を浮かべているが、その視線が、俺が広げた大量の資料を興味深そうに見つめている。


「おはようございます、リリウム。早いんだね」

「お疲れ様でございます。アルト様が夜明け前から書斎に籠っていらっしゃると伺いましたので、お茶をお持ちいたしました」


彼女はトレイをサイドテーブルに置き、俺の作業を邪魔しないよう、音もなく、しかし確実に俺の資料の内容を盗み見ている。


「……素晴らしいものをお作りですね」


リリウムの視線が、俺の提案書に釘付けになっている。まずい、内容を全部見られたか?


「あ、これは……ちょっとした勉強の資料でして」


俺は慌てて書類を伏せようとするが、リリウムはクスリと笑った。


「隠さなくても大丈夫でございます。とても興味深い資料のようですから」


(うわぁ、バレバレじゃん。この人には何も隠せないのか)


リリウムが、俺の手元の書類をじっと見つめている。その赤い瞳が、羊皮紙の上を滑るように移動していく。まるで、高速スキャナーのように、一瞬で内容を読み取っているかのようだ。


「これは……家の財政を分析なさって、改善案をお作りになっているのですね。収支予測やロードマップまで。実に合理的なアプローチでございます」


彼女の声には、わずかに感嘆の響きが混じっている。


「ですが、これはただの家計改善案ではございませんね。アルト様は、貴族の伝統的な『血筋』や『名誉』といった、非生産的な価値観に縛られることなく、ご自身で選んだ道で人生を最適化しようとしていらっしゃる」


リリウムの口元に、微かな笑みが浮かぶ。


「お父様から与えられた選択肢に満足せず、データと論理を武器に、現状という名のシステムを『改修』しようとなさっている。まさに『静かなる革命』ですわね」


彼女が「血筋」や「名誉」という言葉を口にする時、その声調に一瞬だけ、冷ややかな響きが混じった。まるで、そんなものは何の価値もない、とでも言うように。


「そんな大袈裟なものじゃない。俺はただ、現実的な判断をしたいだけだよ」

「おっしゃる通りでございます」リリウムは窓際に歩いていく。「ですが、それはこの世界では、相当に革新的なお考えですわ」


「革新的?」

「皆様が『血筋こそ全て』『伝統を守れ』『家の誇りが』とおっしゃる中で、アルト様は『データが全て』『効率を重視せよ』『結果こそが正義だ』という、全く異なるOSで動いていらっしゃいますもの」


確かに、その通りだ。俺にとって血筋なんて、ただの遺伝子情報でしかないし、伝統も、過去の人間が遺した成功体験のログファイルに過ぎない。いつまでも古いバージョンに固執していては、時代の変化に対応できない。


「お隣のガリアは『自由だ平等だ』と申しながら、実際には恐怖政治という名の無限ループに陥っておりますが、アルト様は違いますね」


リリウムが振り返る。その表情に、まるで最高のエンターテイメントを見つけたかのような、知的な愉悦の色が浮かんでいた。


「アルト様は暴力ではなく数字で、感情ではなく論理で、この世界をリファクタリングなさろうとしていらっしゃる。これは、実に、実に素晴らしいことでございます」


(この人、なんで俺の考えてることが、そこまで正確に分かるんだ?)


リリウムの言葉は、俺が漠然と考えていたことを、的確すぎる表現で言語化していく。まるで、俺の脳内をハッキングしているかのようだ。


「リリウム……君って、普通のメイドじゃないよね?」


思わず、本音が口から出てしまった。この完璧すぎるメイドの正体が、どうしても気になる。


「私は、アルト様にお仕えする、ただのメイドでございます」


だが、リリウムは相変わらずの完璧な微笑みで、そう答えるだけだった。


「ただ、一つだけ。その素晴らしい提案書ですが、お父様を説得するには、まだ少し『問題』が残っておりますわ」

「問題?」


「はい。このグラフの配色をご覧ください。青を基調となさっておりますが、権威を重んじる初老の男性には、青よりも深紅を用いた方が、提案の受容確率が向上するという統計がございます」


(また出た、メイド学会……。いや、今回は色彩心理学か?)


俺は頭を抱えた。だが、彼女の指摘は、妙に的を射ている気もする。父は確かに、赤色が好きだったはずだ。


「……分かった。修正しておくよ」

「さすがはアルト様。柔軟なご対応、感服いたしました。では、わたくしは朝食の準備をして参ります」


リリウムは深々とお辞儀をして、部屋を出て行く。彼女が去った後、書斎には再び静寂が戻った。


俺は、彼女の指摘通りに、グラフの色を修正しながら、明日の家族会議のシミュレーションを始める。父がどんな反論をしてくるか、それにどう答えるか……。演算魔法で父の性格や思考パターンを分析した結果を基に、対策を練っていく。


(あと二日で、完璧な作戦を立ててやる)


窓の外では、領民たちが一日の仕事を始めている。彼らの生活を支えているのは、この領地の経済だ。俺が文官として成功すれば、まず家の財政が安定し、俺と家族の生活が向上する。そして、その副次的な効果として、税負担の軽減やインフラ整備によって、領民の生活も少しは改善されるかもしれない。まあ、結果としてWin-Winになるなら、それに越したことはない。


(これが俺なりの、現実的なアプローチだ)


ガリアの革命家たちは「自由と平等」を叫んで、社会を混乱に陥れている。だが俺は、誰も傷つけることなく、数字と論理で、この世界を少しずつ改善していく。


地味で目立たない方法かもしれないが、確実で、持続可能だ。そして何より、俺らしいやり方だ。


俺は新しい羊皮紙を開き、明日のプレゼンテーション用の資料作成に、再び取りかかった。父を完全に論破し、母を安心させ、家族全員が納得する提案書を作ってやる。


これが、俺の人生を決める、最初のプロジェクト。そして、この小さなプロジェクトが成功すれば、いつか、もっと大きなシステムの改修に繋がるかもしれない。


(まあ、そんな大それたことは考えてないけどな。とりあえず、王都で平和に勉強できれば、それでいい)


書斎の時計が十一時を指している。あと一時間で昼食だ。それまでに、プレゼンテーションの骨子を完成させよう。


俺の静かな革命は、こうして始まったのだ。

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