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間話 銀髪の使命

霊廟の深部から響く破壊音が止んだ。


遺跡は今、不気味なほどの静寂に包まれている。アルト様とセレス様は、アルフレッドと共に霊廟で私の帰りを待っているだろう。そして、彼らは知ることはない。この数分間の間に、何が起きたのかを。


私――リリウムは、人工精霊の残骸の前に佇んでいた。


いや、「残骸」という表現すら正確ではない。階位4の人工精霊は、もはや存在していない。完全に、徹底的に、根源から消去した。この世界の記録からも、魔力の流れからも、すべて。


遺跡の構造が軋み始めている。私の力が、この古代の建造物全体を不安定にしている。石の柱に亀裂が走り、天井から細かい砂が降り注ぐ。


もうすぐ、この場所は崩壊するだろう。誰も二度と立ち入ることができない瓦礫の山と化す。そうすれば、今夜ここで起きたことを知る者はいなくなる。

私の計算によれば、あと十分もすれば完全な崩壊が始まる。証拠は何も残らない。


「どうして」


声に出して呟く。空になった遺跡の最深部に、私の言葉だけが響く。


「どうして、あの方をお傷つけするのですか?」


500年という長い時間。その間、私はずっと待っていた。そして今、ようやく巡り会えたあの方を、この人工精霊は傷つけようとした。

許せるはずがない。


人工精霊は答えない。答えられない。もう存在しないのだから。


だが、問いかけずにはいられなかった。


アルト様に怪我を負わせたこの遺跡に、この人工精霊に、そして――何より、私自身に。


私は人間ではない。


500年以上前、ドラゴン族の社会で生まれ育った私にとって、「自由」というものは遠い憧れだった。ドラゴンの社会は、古い序列と厳格な階級制度、そして個人の意志を無視した運命の押し付けに支配されている。


生まれた瞬間から役割は決定され、血統によって価値が決まり、伝統という名の鎖に縛られる。


そんな息苦しい世界に嫌気がさし、私は人間の社会に降りてきた。そして長い年月をかけて観察し続けてきた。人間という種族が、どれほど自由で温かな社会を築けるのかを。


だが、結果は失望の連続だった。


王政も、貴族制も、教皇庁も、そして近年台頭してきた革命思想でさえ、結局は個人の自由よりも体制の維持を優先する束縛的なシステムに過ぎなかった。


ガリア帝国の軍事的天才——彼だけは違うと思った時期があった。「自由・平等・博愛」という理念を掲げ、古い体制を打破しようとする彼の姿勢に、私は久しぶりに希望を見出した。


実際に、私は彼に助言を与えた。戦略を、戦術を、そして勝利への道筋を。


だが、結果はどうだったか。


革命の理想は、やがて恐怖政治と新たな専制に堕落した。自由は統制に変わり、平等は権力者の特権に置き換えられた。暖かな理想は冷たい現実に踏みにじられた。私の期待は、また裏切られた。


人間もまた、ドラゴンと同じく、真の自由を手にすることができない存在なのだと。


そう諦めかけていた時に、私は出会った。


アルト様に。



『アルト・フォン・ヴァルミオ』


初めて彼の名前を聞いた時、私は特別な興味を抱かなかった。サルディア公国の弱小貴族の次男。魔法の才能も平凡、体格も貧弱、将来性も不透明。


だが、彼の価値観に触れた時、私の世界観は根底から覆された。


それは、まさに私が500年間探し求めていた「真の自由」だった。


身分や血統に縛られない、個人の意志を尊重する考え方。誰もが等しく扱われるべきだという前世からの価値観。そして何より、この世界の理不尽な仕組みを変えられると信じる希望。


彼は、この束縛的で息苦しい世界を「バグだらけのレガシーシステム」と表現した。その瞬間、私は確信した。


この少年こそが、私の長年の探求に対する答えになりうる存在だと。


だから私は、彼の専属メイドとなった。表向きは、彼の日常を支える使用人として。しかし真の目的は、彼の現代的な価値観が、この古い束縛に満ちた世界にどのような自由をもたらすかを見届けることだった。そして、その暖かな世界の一部になることだった。


そして今日、私は重大な失態を犯した。


アルト様を一人にしてしまった。転移術式の「不具合」という建前で、彼を危険な状況に放置してしまった。


結果として、彼は霊廟で戦闘に巻き込まれ、怪我を負った。階位の上昇という副産物はあったものの、それは偶然に過ぎない。私の管理下にいれば、もっと安全で効率的な方法で同じ結果を得ることができたはずだった。


私は自分の判断ミスを認めざるを得ない。実験対象として彼の自発的な行動を観察することを優先し、その安全性を軽視してしまった。その結果、大切なあの方に物理的にも精神的にも負担をかけてしまった。

今後は違う。


直接的な護衛を最優先とし、実験的な価値は二次的なものとして扱う。あの方の安全こそが、何よりも重要なのだから。


私の心の奥で、別の感情が渦巻いている。


怒り。


深く、静かで、そして恐ろしいほど純粋な怒り。


アルト様を傷つけたこの遺跡に対する怒り。危険を察知できなかった自分自身への怒り。そして、何より——

「あの方の実験を邪魔する全ての存在への怒り」

人工精霊との戦闘は、戦闘と呼ぶのも憚られるほど一方的だった。


階位4の存在など、私にとっては取るに足らない相手でしかない。問題は、どの程度の痕跡を残すかだった。


完全に消去すべきか、それとも無力化に留めるべきか。


完全消去すれば、将来的な脅威は根絶できる。調査によって何かが発覚するリスクもなくなる。ただし、過度な破壊は注目を集め、アルト様への説明も難しくなるかもしれない。


だが、決断に迷いはなかった。


人工精霊は、アルト様にとって潜在的な脅威だった。今は封印されていても、将来的に何らかの形で彼に害をなす可能性があった。ならば、その可能性そのものを排除するのが最適解だ。


私は古代の破壊術式を発動した。ドラゴン族に伝わる、存在そのものを根源から消去する禁術。人工精霊は、文字通り「なかったこと」になった。


その過程で、遺跡の構造にも相当なダメージが生じた。だが、それも計画の一部だった。証拠隠滅のため、そして今後の調査を困難にするため。


私は遺跡の基盤となる魔法陣に干渉し、エネルギー供給系統を破綻させた。建物全体が内側から崩壊を始める。石柱が次々と倒れ、天井が落ち始める。


これで、この遺跡は二度と誰にも脅威を与えることはない。


アルト様たちとの再会の時、私は完璧なメイドの仮面をかぶった。


「お疲れ様でございました、ご主人様」


いつもの上品で優雅な挨拶。服に汚れ一つない完璧な外見。何事もなかったかのような微笑み。


だが、心の奥では別の感情が渦巻いていた。


安堵。アルト様が無事だったことへの、深い安堵。


後悔。彼を一人にしてしまったことへの、激しい後悔。


そして、決意。二度と同じ失敗を繰り返さないという、鉄の意志。


「人工精霊は、もう存在いたしません。完全に消去いたしました」


アルフレッドが驚愕の表情を見せる。当然だろう。階位4の存在を「消去」するなど、普通の魔法使いには不可能な芸当だ。


だが、私は普通の魔法使いではない。私は古のドラゴン族であり、500年の経験を持つ存在であり、そして何より——


アルト様の守護者なのだから。


「企業秘密でございますわ」


軽やかに答える。その裏で、私は新たな行動原理を心に刻んでいた。


『最優先事項:アルト様の絶対的安全確保』


『実行方針:直接的な問題の適切な解決』


『許容範囲:状況に応じた柔軟な対応、必要最小限の介入』


『制限事項:アルト様の意志と実験的価値を可能な限り尊重』



遺跡からの脱出中、私はアルト様の横顔を見つめていた。


彼は、この一件で何かを感じ取っていた。私の正体について、私の能力について、そして私の行動原理について。彼の鋭い観察眼を甘く見るべきではない。


だが、それでも構わない。


むしろ、彼が私の真の姿を理解することで、より深い信頼関係を築けるかもしれない。もちろん、完全な真実を明かすつもりはない。彼の実験的価値を損なう可能性があるから。


でも、いずれは——


「いつか、きっと」


小さく呟く。アルト様には聞こえない程度の音量で。


「あなたにも、わたくしの真実をお話しできる日が来るでしょう」


500年間、私は孤独だった。理解されることも、理解することもない、永遠の観察者として。


でも、この少年は違う。彼は私と同じように、この世界の束縛に疑問を抱き、より自由で公正な社会を求めている。彼となら、真の意味での理解し合える関係を築けるかもしれない。そして、お互いを受け入れ合える暖かな絆を。


そのためなら、私は何でもする。


どんな困難も乗り越え、どんな障害も解決し、どんな犠牲も厳しいものでなければ受け入れる。


アルト様が真に自由で暖かな世界を築き上げるまで、私は影から支え続ける。


それが、リリウムという名の古きドラゴンの、新たなる使命。


翌朝、王立学園の宿舎で。


私は朝食の準備をしながら、今後の方針を考えていた。昨夜の一件で、私の行動原理は大きく変化した。


従来の「観察者」から、「積極的な守護者」へ。


これまでは、アルト様の自発的な行動を優先し、必要最小限の介入に留めていた。だが、それが彼を危険にさらすことを昨夜学んだ。


今後は、より直接的で積極的な保護を行う。


『標的リスト更新』


『分類A:即座排除対象』

『- アルト様に直接的な危害を加える存在』

『- アルト様の実験を故意に妨害する存在』

『- アルト様の安全を軽視する存在』


『分類B:監視対象』

『- アルト様に間接的な影響を与える可能性のある存在』

『- アルト様の周辺で異常な行動を取る存在』

『- アルト様の秘密を詮索しようとする存在』


『分類C:協力対象』

『- アルト様の理想実現に有益な影響を与える存在』

『- アルト様の成長を促進する存在』

『- アルト様に暖かさをもたらす存在』


セレス様は分類Cに該当する。彼女の聖霊石問題は、アルト様の古代魔法習得という成長機会を提供している。そして何より、彼女の存在がアルト様に暖かな感情を芽生えさせている。


マーカス様も分類Cだろう。彼の純真な友情は、アルト様に人間らしい温かさをもたらしている。


問題は、今後現れるであろう新たな登場人物たちだ。特に、教皇庁や王族、そしてガリア帝国の関係者。彼らの多くは、分類Aに該当する可能性が高い。


「ご主人様、朝食の準備ができました」


いつものように、完璧な微笑みでアルト様を迎える。彼は私の変化に気づいているようだが、直接的に問いただすことはしない。彼らしい慎重さだ。


「リリウム」


「はい、何でございましょう?」


「昨夜のことだが——」


私は彼の言葉を静かに遮った。


「申し訳ございませんが、よく覚えておりません。魔力の暴走で、記憶が曖昧になってしまいまして」


嘘だった。私は昨夜の出来事を、一秒の狂いもなく記憶している。だが、アルト様にすべてを話すのは、まだ時期尚早だ。


「そうか」


彼は追求を諦めた。賢明な判断だ。


だが、私は知っている。彼の中で、私に対する見方が変わったことを。疑念と警戒、そして興味。


それでいい。


いずれ、彼は理解するだろう。私の行動の全ては、彼のためのものだということを。そして、この世界で彼を脅かそうとする全ての存在が、どのような運命を迎えることになるのかを。


私は朝食のカップを置きながら、静かに微笑んだ。


500年の孤独が終わり、新たな時代が始まる。


アルト様と共に歩む、真の自由と暖かさに満ちた時代が。


そして、それを阻もうとする者たちには——


相応の「調整」が待っている。

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