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第2話 計算ずくの日常と、解析不能な彼女

王立魔法学園の生徒になって、早数ヶ月が過ぎた。


当初の計画通り、俺、アルト・フォン・ヴァルミオは、貴族階級向けのBクラスで、そこそこ真面目に授業を受け、中の上くらいの成績を維持している。概ね平穏な日々だ。


入学当初、俺は「完全なステルス戦略」、つまり、徹底的に目立たず、空気のように三年間を過ごすことこそが至上命題だと考えていた。だが、数ヶ月この「学園」という名のシステムを観察して、その戦略が致命的な欠陥を抱えた、いわば「バグだらけのコード」であることに気づいた。


この学園では、無能は無能として搾取される。成績が振るわなければ、面倒な雑用や、誰もやりたがらない委員の仕事を押し付けられるリスクが高まるのだ。それは、俺が最も嫌う非効率な状況だった。平穏を求めるなら、ただ息を潜めているだけではダメだ。攻めの平穏、つまり、自らを取り巻く環境を最適化し、面倒の種を事前に摘み取っていく必要がある。


ならば、取るべき戦略は一つ。ある程度の実力を周囲に示し、「アルト・フォン・ヴァルミオは、敵に回すと厄介な男だ」と認識させること。計算された自己アピールによって、無用な干渉を未然に防ぐ。リスク管理とは、時に小さなリスクを取って、より大きなリスクを回避する行為なのだ。


「――以上が、ガリア革命が周辺諸国に与えたイデオロギー的影響の概論だ。特に重要なのは、革命政府が掲げる『人民の解放』という大義名分が、旧来の王政国家の権威を内側から揺るがしている点にある。さて、誰かこの点について意見のある者はいるかね?」


魔法史の教授、オルバン先生が、古びた羊皮紙の資料から顔を上げて問いかける。彼は、貴族でありながらも家柄で生徒を判断しない、この学園では珍しいタイプの教師だ。その分、生徒の本質を見抜こうとする、鋭い観察眼を持っている。


途端に、教室の空気が緊張した。きたきた、面倒なやつが。


案の定、Aクラスから聴講に来ていた上級貴族の生徒たちが、待ってましたとばかりに手を挙げる。


「先生、それは革命政府によるプロパガンダに過ぎません!彼らの言う『解放』とは、すなわち侵略の口実です!」

「いや、人民が圧政から立ち上がるのは当然の権利であろう。サルディア公国も、対岸の火事と高を括っているべきではない!」


(うわー、始まったよ。不毛なイデオロギー闘争が。どっちの極論も、現場を知らない貴族の坊ちゃんたちの机上の空論だろうに)


俺は内心で盛大にため息をつきながら、完璧なまでのステルス技術を発動させた。背筋の角度、呼吸の深さ、視線の落とし方、そして、周囲の生徒たちの魔力に自分の気配を溶け込ませる、高度なカモフラージュ。今の俺は、もはや教室の風景の一部。オルバン教授の鋭い観察眼をもってしても、俺という存在を認識することは不可能に近いはずだ。


「では、ヴァルミオ君。君はどう思う?」


おい、嘘だろ。

ピンポイントで狙撃されただと? 俺の完璧なステルスが、開始コンマ3秒で破られたというのか!?


教授の指名は、まるで狙い澄ましたかのようだった。教室中の視線が一斉に俺に突き刺さる。特に、先ほど熱弁を振るっていた上級貴族の視線が痛い。


(ここで下手にどちらかの肩を持つと、確実に敵を作る。かといって「分かりません」では、無能の烙印を押される。正解は、両者を立てつつ、当たり障りのない本質的な指摘で煙に巻くこと)


俺はゆっくりと立ち上がり、一度咳払いをしてから口を開いた。


「ご指名ありがとうございます。私は、イデオロギーの是非を論じる前に、まず考慮すべきは『コスト』だと考えます。革命も、王政の維持も、どちらも膨大な人的、経済的コストを必要とします。ガリア帝国が『解放』を掲げて周辺国に侵攻すれば、その戦費は結局、解放されたはずの人民が負担することになる。一方で、伝統的な王政がその権威を維持するためには、民衆の支持を得るための継続的な投資、すなわち富の再分配が不可欠です。どちらの体制が優れているか、という議論は、結局のところ、どちらが『持続可能な統治システム』として、より低いコストで国民の幸福を最大化できるか、という実利的な問題に帰着するのではないでしょうか」


俺が言い終わると、教室は一瞬、奇妙な沈黙に包まれた。

上級貴族たちは、俺の「コスト」という俗な視点が気に入らないのか、わずかに眉をひそめている。一方で、オルバン教授は「ふむ」と一つ大きく頷き、何事か手元の資料に書き込んでいる。


(よし、及第点だ。誰も明確に反論できない、一見的を射たようで、実は何も主張していない完璧な回答。これぞ処世術)


「なるほど。面白い視点だ。ヴァルミオ君の言う通り、理想を語るにはまず足元の現実を見つめねばならんな。よし、この議論はまた日を改めて」


教授が話を締めくくろうとしたその時、教室の鐘が鳴り響いた。

ふぅ、命拾いした。


授業が終わり、俺が席を立つと、オルバン教授が声をかけてきた。


「ヴァルミオ君、少し良いかね」

「はい、先生」

「君の視点は、実に興味深い。コスト、持続可能性まるで、商人か、あるいは、国家の財政を預かる官僚のようだ。君は、本当に文官を目指しているのだな」

「はい。それが、僕にできる最も効率的な家の支え方だと考えていますので」

「そうか。その若さで、そこまで見えているとはな。良いだろう。何か知りたいことがあれば、いつでも私の研究室を訪ねてきなさい。古い文献くらいならいつでも読ませてやろう」


思わぬ申し出だった。オルバン教授は、古代魔法や失われた技術の研究家としても知られている。彼と繋がりが持てるのは、大きなアドバンテージになるかもしれない。


「ありがとうございます。その時は、よろしくお願いいたします」


俺は深々と頭を下げた。計算された自己アピールが、早速、思わぬリターンを生み出したようだ。


数日後の魔法実技の授業。この日の課題は、生徒同士でペアを組み、模擬戦を行うというものだった。


「では、ペアを発表する! えー、ヴァルミオは入学試験の成績も良かったからな。Aクラスのセレスティーナ・ディ・ロレンスと組んで、Aクラスの実力がどれほどのものか、肌で感じてみるといい」


教師の無慈悲な声が、訓練場に響き渡った。


「は?」


俺は自分の耳を疑った。

セレスティーナ・ディ・ロレンス。ロレンス公爵家が一人娘にして、この学園のAクラスに君臨する才媛。そして、俺にとっては一年前に、社交界を抜け出して一緒にアイスを食った、ちょっとした「秘密」を共有する相手でもある。


(よりにもよって、一番目立つ相手と組むことになるとは。俺の平穏な学園生活が!)


俺が内心で頭を抱えていると、周囲の生徒たちがヒソヒソと噂を始めた。

「おい、Bクラスのヴァルミオだってよ」

「セレスティーナ様と組むなんて、万に一つの幸運か、あるいは悲劇だな」

「手も足も出ずに負けるに決まってる」


やかましいわ。俺の目的は勝つことじゃない。「負けはしないが、目立ちすぎない」範囲で、彼女の実力を測り、可能ならあの情報防壁の正体に迫るヒントを得ることだ。


「よろしくてよ、アルト様。お手柔らかにお願いしますわ」


いつの間にか隣に立っていたセレスが、凛とした声で話しかけてきた。その表情は完璧な淑女の微笑みを浮かべているが、碧眼の奥には、俺の実力を試すような好奇の色が浮かんでいる。


「こちらこそよろしくお願いします、セレスティーナ様。胸をお借りするつもりで全力でいかせてもらいます」


俺は完璧な貴族の笑みを返し、模擬戦のフィールドに向き合った。


「始め!」


審判の合図と共に、セレスが動いた。速い。彼女は一瞬で間合いを詰め、腰に佩いた剣を抜き放つ。その剣筋はまるで舞うように優雅でありながら、剃刀のように鋭い。


俺の脳が、思考を高速化させる。彼女の魔力変動、筋肉の収縮、視線の動き。それらの情報をリアルタイムで解析し、コンマ数秒先の未来を予測する。


(初手は右上からの袈裟斬り。確率92%)


予測に基づき、身体強化魔法を脚部に限定して発動。最小限の魔力で、最適化された回避行動をとる。俺の身体が、彼女の剣が到達するであろう空間から、滑るように後退した。


「ふんっ!」


空を切った剣の風圧が、頬を撫でる。セレスは追撃の手を緩めない。剣を振るうたびに、その軌跡から光の粒子が迸り、美しいが殺意の高い軌跡を描く。


(動きは王道。強力な魔力と身体能力に任せた、教科書通りの攻撃だ。だが、それゆえに予測しやすい。いや、違うな。ただの教科書通りじゃない。どこか洗練されていない、荒々しい、まるで化石のような古い魔力の流れを感じる。現代の魔法体系とは、明らかに異質だ)


俺は彼女の剣撃を紙一重でかわしながら、演算魔法で彼女の癖をリアルタイムで解析していく。詠唱の僅かな遅延、魔力制御のパターン、踏み込みの角度。膨大なデータが、俺の脳内に蓄積されていく。


「そこですわ!」


セレスが勝機と見たのか、一際強い光をまとった斬撃を放ってきた。


(フェイントを挟んでの、突き。甘いな)


俺は、脳内に描いた回避ルートをなぞるように、体を捻る。彼女の剣が俺の服をわずかに掠めた。その一瞬の隙を、俺は見逃さない。


「お返しだ!」


俺は、自分が放つ火球魔法の形状を「刃」状に改変し、さらに左にカーブする軌道を設定して放つ。セレスは俺の正面への攻撃を予測して身構えていたため、側面から回り込むように飛来する炎の刃に、一瞬反応が遅れた。


「きゃっ!」


彼女は咄嗟に光の障壁を展開してそれを防ぐが、その表情には隠しきれない驚きが浮かんでいる。


「今の魔法軌道が曲がった?」


(そう、それだよ。俺の演算魔法の真価は、自分が使う魔法のルールを「改変」することにある)


俺は畳み掛ける。正面から風の刃を放つと同時に、彼女の背後に土の壁を出現させて退路を塞ぐ。セレスは風の刃を剣で弾き背後の壁を振り返る。その一瞬の隙に、俺は次の手を打っていた。


俺は自分が放つ氷の矢に簡単な追尾機能を持たせ、5本同時に、時間差で彼女を襲わせる。セレスはまるで生きているかのように自分を追ってくる氷の矢に、さすがに面食らったようだ。彼女は一つ一つを正確に撃ち落としていくが、その顔には焦りの色が浮かび始めていた。


「貴方、一体、どんな魔法を!」


彼女の戦い方は、圧倒的なパワーで正面から敵を粉砕する「縦」の戦い方だ。対して俺の戦い方は、情報を駆使して相手の意表を突き、最小限の力で戦局を有利に進める「横」の戦い方。


結局、決定打こそ与えられなかったものの、俺は最後まで彼女の猛攻を凌ぎきり、模擬戦は時間切れによる引き分けに終わった。


「引き分け。そこまで!」


審判の声が響き渡る。俺は息を整えながら、呆然と立ち尽くすセレスに向かって、優雅に一礼した。


「ありがとうございました、セレスティーナ様。大変勉強になりました」


彼女は何も答えず、ただ、信じられないものを見るような目で、俺をじっと見つめていた。その瞳には、もはや格下への侮りはない。代わりに、未知の存在に対する、強い好奇心と警戒心が宿っていた。


(よし目的は達成だ。彼女のプライドをへし折り、俺という存在を強く印象付けることができた。これで、あの情報防壁について探るきっかけも掴めるかもしれない)


俺は、してやったりという満足感を胸に、静かにフィールドを後にした。



その夜、俺は寮の自室で、今日のセレスとの模擬戦の戦闘ログを、演算魔法で再生していた。


(彼女の魔力は、まるで巨大なダムのようだ。莫大なエネルギーを内包しているが、その放流方法は大雑把でパターン化されている。だからこそ、俺の予測が通用した)


だが、問題はそこではない。俺は、ログの中でセレスをスキャンした瞬間のデータを拡大表示する。


(やはり、これだ。このアクセス不能領域。一体、彼女の中に何が隠されている?)


俺はノートを取り出し、仮説を書き留めていく。


`仮説1:魔力が膨大で読み取れない可能性`

`仮説2:特殊な血筋による、遺伝的な情報封印`

`仮説3:高位の魔法使いによる、後天的な記憶・能力の封印`


(いずれにせよ、通常の解析方法では手も足も出ない。まるで、OSレベルでアクセスが拒否されているようだ。これを突破するには、もっと根本的なアプローチが必要だ)


そんなことを考えていると、リリウムがノックもなしに部屋に入ってきた。


「アルト様、お疲れ様でございます。本日の模擬戦、大変見事な采配でございました」


「リリウム、ノックしろと何度言ったら。見てたのか?」


「はい。アルト様の勇姿を、双眼鏡で観客席から拝見しておりました」


(ストーカーか、お前は)


「セレスティーナ様の戦い方、大変興味深いものでしたね。あれは、いわば『最高級の茶器の扱い方を知らない大富豪』そのものですわ」


「は? どういう意味だ?」


「あれほど膨大な魔力という名の『最高級の茶葉』をお持ちでありながら、その淹れ方があまりに大雑把。力任せに熱湯を注ぐだけで、茶葉の繊細な風味を殺してしまっております。もっと優雅に、効率的に扱えば、数倍の威力を引き出せるでしょうに。実に、もったいない」


リリウムは、心底残念そうにため息をついた。その分析は、俺が感じたものとほぼ同じだった。


「それに、彼女の魔法には、どこか懐かしいいいえ、古めかしい香りがいたしました」


「懐かしい?」


俺は、彼女の言葉に思わず聞き返した。そのキーワードは、俺が抱えている問題の核心に、わずかに触れるものだったからだ。


「はい。現代の、効率化され洗練された魔力の流れとは明らかに違う。まるで、忘れ去られた時代の、荒々しくも純粋な力。人は、それを『古代魔法』と呼んだやもしれません」


リリウムは、遠い目をして呟く。その口調は、まるで、実際にその時代を見てきたかのようだった。


「古代魔法?」


「ええ。ですが、その呼び名は正確ではありませんわ。まるで、現代の魔法と同じ土俵にあるかのような誤解を与えますから」


「どういうことだ?」


「古代の術と現代の魔法は、例えるなら『詩』と『設計図』ほどに違います。現代魔法が、決められたルールと計算式に基づいて現象を再現する『設計図』であるのに対し、古代の術は、世界の根源に直接語りかけ、その『気分』を動かすことで奇跡を呼び起こす『詩』に近い。ルール無用、再現性も保証されない。だからこそ、現代の尺度では『観測不能』な領域が生まれるのです」


リリウムは、うっとりとした表情で語る。その姿は、まるで神話の語り部のようだ。


「アルト様がセレスティーナ様に感じていらっしゃる『違和感』も、そのあたりに原因があるのかもしれませんわね。設計図で詩を解析しようとしても、意味のある答えは返ってこないでしょう?」


彼女は、俺が『情報障壁』に悩んでいることを知っているわけではない。だが、俺の表情や態度から、俺がセレスの魔法に「理解不能な何か」を感じ取っていることを見抜き、それを詩的な比喩で表現しているのだ。


(詩と、設計図。ルールが違う、というより、そもそも概念が違うのか? だから、俺の演算魔法(SELECT文)がエラーを吐くのか?)


目の前の霧が晴れるどころか、さらに濃くなった気がした。だが、その霧の向こうに、確かに何か重要なものがある、という確信だけが強くなる。


「だとしたら、厄介だな。そんな詩みたいな代物、どうやって調べればいいんだ。学園の図書館に、詩集を読むような魔法の本はなかったぞ」


俺がそう呟くと、リリウムは「さようでございますね」と、少し考える素振りを見せた。


「失われた技術を学ぶのでしたら、やはり、その技術が実際に使われていた時代の遺物に触れるのが、一番の近道かと存じます。例えば、当時の魔術師が書き残した手記や、あるいは、その魔法が付与された道具マジックアイテムなどを調べる、とか」


「そんなもの、どこにあるって言うんだ」


「さあ、どうでしょう。そのような貴重なものが、簡単に見つかるとはお約束できかねますわ。ただ」


リリウムはそこで言葉を切り、悪戯っぽく微笑んだ。


「『古いもの』の専門家であれば、何かご存知かもしれませんわね?」


その言葉は、俺の脳裏に特定の人物を思い起こさせた。


(古いものの専門家オルバン教授か。確かに、彼なら何か知っているかもしれない。それに、彼自身が「いつでも研究室を訪ねてこい」と言ってくれていた。これは、利用可能なリソースだ)


闇雲に探すより、よほど効率的で確実性が高い。俺はリリウムの助言という名の誘導に、素直に乗ることにした。


翌日の放課後、俺はオルバン教授の研究室の扉を叩いた。

古びた革張りの本が山と積まれた部屋で、教授は俺を快く迎え入れてくれた。


「ほう、ヴァルミオ君か。早速来てくれるとは、感心、感心。して、何か知りたいことでも見つかったかね?」


「はい。実は、現代の体系化された魔法とは異なる、古い時代の魔法いえ、もっと根源的な『術』と呼ぶべきものに興味を持ちまして」


俺はセレスの名前を伏せ、あくまで学術的な興味を装って尋ねた。下手に勘ぐられるのは得策ではない。


教授の目が、興味深そうに細められた。

「面白いところに目をつけたな。確かに、現代魔法の『設計図』が描かれる以前、世界はもっと混沌とした『詩』に満ちていた。だが、その時代の遺物や資料は、ほとんど現存していない。学園の図書館では、まず見つからんだろう」


「では、どこへ行けば、その『詩』の片鱗に触れることができるのでしょうか?」


俺の問いに、教授は窓の外、王都の街並みに目をやりながら、ゆっくりと答えた。


「歴史は書物の中だけにあるのではないよ、ヴァルミオ君。我々が立つこの王都の『礎』そのものが、我々が知る歴史よりも、遥かに古い時代の証人なのだ。もし君が本気で『詩』を聴きたいと願うなら、書物を閉じて、街の最も古い教会の地下にでも行ってみるがいい。そこには、まだ現代の『ルール』に汚染されていない、生の歴史が息づいているやもしれん」


(王都の礎。古い教会の地下)


それは、あまりにも詩的で、曖昧なヒントだった。だが、俺の演算魔法にとっては、十分すぎるほどのキーワードだった。


研究室を辞した俺は、自室に戻るなり、早速解析を開始した。


脳内に、王都の建築物データベースを呼び出し、クエリを叩き込む。結果は、数件の候補に絞られた。その中で、一つの場所に、俺の注意は釘付けになる。


`'旧東地区・聖アグネス教会跡地'`

`'特記事項:原因不明の魔力異常値を定期的に観測。古代の遺物との関連性が指摘されるも、危険度評価に基づき、現在は封鎖区域に指定'`


(これだ。間違いない)


教授のヒントと、データベースの情報が、一本の線で繋がった。だが、問題は「封鎖区域」という点だ。公には立ち入れない場所。リスクが高い。


俺が次の行動を決めかねていると、翌日の昼休み、マーカスが興奮した様子で飛び込んできた。


「おいアルト、聞いたか!? とんでもないニュースだぜ!」

「なんだよ、騒々しいな」

「上級生たちが、東地区の古い教会の地下で、未踏破エリアを発見したらしいんだ! 通称『王都ダンジョン』って呼ばれてる場所でさ!」


俺のスプーンが、ピタリと止まった。俺が昨日特定した、まさにその場所だった。


「それで、何か見つかったのか?」

「それが、『古代魔法の触媒』じゃないかって噂のすごい魔力を持つ石を見つけたらしいんだよ! 今、腕に覚えのある連中は、一攫千金を狙って色めき立ってる!」


(古代魔法の触媒。俺の仮説を裏付ける、決定的な物証だ。だが、同時に、競争相手が大勢いることも意味する)


俺の脳内で、リスクとリターンが高速で計算されていく。

セレスの謎という放置できない巨大なリスク。それを解明する鍵となる可能性のある古代魔法の触媒。そして、封鎖区域への侵入と他の探索者との競争という新たなリスク。


(いや、迷う必要はない。リスクはコントロール下に置いてこそ意味がある。放置されたリスクは、いつか必ず牙を剥く。ならば取るべき行動は一つ)


俺の動機は、もはや単なる知的好奇心ではなかった。自らの平穏な未来を守るための、必然的なプロジェクトだった。


「なあ、マーカス」

「ん、なんだよ?」

「そのダンジョン、もっと詳しい情報を知らないか? 例えば、侵入経路とか」


俺の目の色が、いつになく真剣なものに変わっていることに、マーカスはまだ気づいていない。彼は「おう、任せとけ!」と、得意げに胸を叩いた。


(決まりだな。行くしかない)


俺は、残りのスープを一気に飲み干し、静かに席を立った。

平穏な学園生活は、どうやら俺の意図とは裏腹に、少しずつ刺激的な方向へと舵を切り始めているようだった。


まあ、いいだろう。バグだらけのシステムを放置しておくのは、どうにも気分が悪い。

それが、俺の性分なのだから。

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