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第10話 革命の理想と、一皿の現実

決闘から数週間が経った。

俺とリリウムを乗せた馬車は、王都ルッカへと続く街道の、ちょうど中間地点にある宿場町「ミルトン」に到着した。街道沿いの風景も、故郷ののどかな田園風景から、次第に人の往来が激しい、どこかざわついたものに変わってきていた。


(いててケツが四つに割れるかと思った。いや、もう割れてるかもしれん)


前世の、新幹線や飛行機といった文明の利器に慣れきった身体には、この世界の馬車移動は拷問に近い。リリウムが工房に籠って自作したという「メイド物理学の粋を集めた」という触れ込みの新型サスペンションも、正直、気休め程度の効果しかない。非効率極まりない移動手段だ。


「アルト様、お疲れのご様子。もしよろしければ、古代マッサージ術と私のオリジナル理論を融合させた、経絡秘孔マッサージ『メイド・リフレクソロジーver2.1』をいたしましょうか?」


隣に座るリリウムが、涼しい顔でとんでもないことを言う。長時間の移動でも、彼女は姿勢一つ崩さず、微塵も疲れた様子を見せない。というか、その技、バージョンアップしてないか?


「いや、いい。気持ちだけ受け取っておく。というか、その技、いつの間にバージョン2になったんだ」


「はい。先日、アルト様が睡眠中に、無意識に肩を揉む仕草をなさっていたのを観測いたしました。その際の筋肉の動き、呼吸のリズム、そして寝言の周波数をデータとして収集・分析し、アルゴリズムを改良した結果、リラクゼーション効果が従来比で18.7%向上いたしました」


「俺の寝言を分析するな! プライバシーの侵害だぞ!」


「ご安心ください。個人情報保護に関するメイド学会の規定に則り、データは厳重に管理しております」


「そういう問題じゃない!」


このメイド、俺を実験台にして研究開発を進めるの、やめてもらえないだろうか。


宿屋の前で馬車を降りると、町の広場がやけに騒がしいことに気づいた。人だかりの中心で、一人の男が何やら熱弁をふるっている。


「なんだ、あれ?」


野次馬根性を出して近づいてみると、痩せた男が甲高い声で叫んでいた。服装はみすぼらしいが、その目には狂信的な熱が宿っている。


「我々はもはや生まれによって人生を決められる家畜ではない! ヴァルミオのクソのような、時代遅れの貴族どもの贅沢のために、重税に喘ぐ日々はもう終わりだ!」


(ん? 今、俺の親父のことディスらなかったか?)


どうやらこの男ヴァルミオ領の出身らしい。父上の圧政(という名の脳筋統治)から逃げてきた口か。


「そうだ!」「その通りだ!」と、観衆の中から声が上がる。特に日焼けした若い農民や手のゴツい職人らしき連中の反応がすごい。日々の生活に不満を抱えている層にこういう分かりやすい敵を作る扇動はよく効く。


「見よ! 西のガリアでは、我々と同じ市民が立ち上がり、腐敗した王政を打倒したのだ! 自由と平等の旗の下我々も続くべきだ! 土地は人民の手に! 税金は我らの暮らしのために!」


男の演説はどんどん過激になっていく。これ、普通に反逆罪だろ。この辺りは王都から遠いから役人の目も届きにくいのか。


その時だった。人だかりのすぐそばで、小さな騒ぎが起きた。


「こらっ! この泥棒ガキ!」


パン屋の主人が、小さな子供の腕を掴んで怒鳴っている。子供は歳の頃は七、八歳だろうか。ガリガリに痩せて服はボロボロ。その小さな手にひとかけらの黒パンが握りしめられていた。


「離せ! だってお腹すいたんだ!」


子供は、怯えながらも、必死の形相で叫ぶ。その目は、飢え切っていた。


俺は、その光景から目が離せなくなった。扇動家の男は相変わらず「自由」だの「平等」だのという、美しくも空虚な言葉を叫び続けている。その声が、やけに遠くに聞こえた。


(これが、現実か)


革命という理想が、一つの共同体を壊した結果生まれるもの。それは、腹を空かせ盗みを働かなければ生きていけない一人の子供だ。


俺が動くより先にリリウムがすっと前に出た。彼女はパン屋の主人に近づくと銀貨を一枚差し出した。


「ご主人。そのパンとそれから、あちらの棚にあるパンをいくつかいただけますか。この子が驚いてしまったようですから、どうか穏便に」


完璧な所作と、穏やかな声。主人は一瞬戸惑ったが、銀貨の輝きとリリウムの雰囲気に気圧されたのか、すごすごと子供の手を離した。リリウムは買ったパンを黙って子供に手渡す。子供は、一瞬だけ俺たちを警戒するように見た後、パンをひったくるように受け取り、人混みの中へと消えていった。


「リリウム」


「アルト様、参りましょう。長居は無用です」


彼女は、何もなかったかのように言った。俺は、子供が消えた先をもう一度見つめてから、黙ってその場を離れた。


宿屋への帰り道、俺はさっきの光景について考えていた。


「リリウム、君はあの演説をどう思う?」


俺は小声で尋ねた。


「言葉そのものは、大変美しく魅力的かと存じます。『自由』『平等』『権利』。人の心を奮い立たせる、強力なキーワードが巧みに配置されております」


「でも?」


「はい。しかし、美しい設計思想が必ずしも安定したシステムを実装するとは限りません。先ほどの光景こそが、理想と現実の間に横たわる、致命的な『仕様の欠陥』を物語っておりますわ」


(的確な分析。だが、今日はやけに胸に刺さる)


そんなことを考えていると、扇動家がとんでもないことを叫ぶ声が、遠くから聞こえてきた。


「話は終わりだ! 今こそ行動の時! この町の領主館に我々の要求を突きつけに行こうではないか!」


(あの声にさっきの子供の親は、混じっているんだろうか)


ふと、そんなことを考えてしまった。


宿屋への道すがら、リリウムがぽつりと言った。


「革命とは実に興味深い現象にございますね」

「というと?」


「既存システムの脆弱性を突き、理想論という名の甘言でユーザー(民衆)を扇動して管理者権限を奪取する。しかし、奪った後の具体的な運営計画が存在しないため、結果としてさらなる混乱と非効率を生み出します。大混乱を招く典型例ですわ。」


「じゃあ、君ならどうするんだよ。」


俺がそう問うと、リリウムはくるりと振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。


「私には、とても優秀な『問題解決の専門家』の心当たりがございますので」


「誰だよ、それ」


「アルト様のことでございます」


「は? 俺?」


俺が目を丸くしていると、リリウムは楽しそうに続けた。


「アルト様は、常に物事の本質を論理的に分析し、最も効率的な解決策を模索されます。騎士団長との決闘でも、正面からの殴り合いという非効率な手段を選ばず、情報という有利を最大限に活用して、最小の資源で勝利という結果を導き出されました」


「ですが、アルト様の真の強みは、そこではございません」


リリウムは、俺の目を見て、はっきりと言った。


「アルト様は、物事の欠陥を、ただの『問題』としてではなく、それが引き起こす『痛み』までをも、見ることができる方だからです」


「買いかぶりすぎだろ」


俺が照れ隠しにそう言うと、リリウムは「あら、お夕食の時間でございますね」と、わざとらしく話題を変えた。


「今夜の宿屋の料理ですが、厨房の衛生状態、料理人の熟練度、そして使用されている塩の結晶の大きさを分析し、品質を評価する必要がございます」


「待て。塩の結晶の大きさってなんだよ」


「私の仮説によりますと、料理の美味しさは塩の結晶サイズに比例いたします。0.8ミリ以下が望ましく、1.2ミリを超えますと、味の均一性が損なわれる傾向が。先ほど厨房を覗きましたところ、ここの塩は目視で1.5ミリ。あまり期待はできませんわね」


(こいついつの間に厨房まで偵察してたんだ。そして、絶対にごまかしたな)


これ以上、何を言っても無駄だろう。俺は、ため息をついて歩き出した。


宿屋の個室で、リリウムの予告通り、やや大味な夕食を終えた後も、俺はさっきの会話について考えていた。


「なあ、リリウム」

「はい、何でございましょう」

「なんで、俺が『世界の問題を解決する』なんて思うんだ? 俺の目標は、あくまで平穏で楽な生活のなのだが」


リリウムは、完璧な所作で紅茶を淹れながら、少しだけ困ったように眉を寄せた。


「アルト様の思考パターンは、『常識』から、あまりにも逸脱しておられるからでしょうか」


「どういう意味だ?」


「普通の貴族の子息は、『誇り』や『名誉』といった、非論理的で感情的な概念を最優先いたします。しかし、アルト様は常に『効率』と『実利』、そして『最適解』を求められる。それでいて時折計算を度外視した、不思議な優しさのようなものをお見せになる。決闘の後、父君のプライドを傷つけないよう、あえて『幸運だった』と発言なさったように」


(なんか、丸裸にされてるみたいで、居心地が悪いな)


「先ほどの広場で、アルト様は何をお感じになりましたか?」


不意に彼女が問いかけてきた。その赤い瞳は、俺の答えを探るようにじっとこちらを見つめている。


「理想と現実のギャップだよ。扇動家が語る理想は美しい。でも、それを鵜呑みにしてシステムを全部壊したらもっとひどい問題だらけの世界になる。革命を体験した難民の顔が、何よりの証拠だ」


リリウムは、満足そうに小さく頷いた。


「では、アルト様がこの世界の指導者に任命されたとしたら、どのような改善計画を立てられますか? 課題は『サルディア公国の社会不安の解消』。予算と期間は、まあ、潤沢にあると仮定して」


(なんで俺が、そんな壮大なプロジェクトのリーダーにならなきゃいけないんだよ)


そう思いつつも、思考が勝手に動き出すのが、エンジニアの性だった。さっき見た、パンを握りしめていた子供の、飢えた瞳が脳裏をよぎる。


「まず現状分析からだ。民衆の不満の根源は何か。税金か食い物かそれとも貴族の横暴か。アンケート調査とデータの分析で、問題の切り分けと優先順位付けを行う。これがフェーズ1」


「それで?」


「次に。フェーズ2、特定した最重要課題に対して、コストが低くかつ効果が目に見えやすい短期利益的な施策を打つ。例えば、特定の悪徳役人を処罰してガス抜きするとか一時的な減税措置を行うとか。これは、本格的な改修に入るための時間稼ぎと、民衆の支持を得るための広報戦略だ」


「そして?」


「そこまでやってようやくフェーズ3。税制や物流といった、根本的な課題の改修に着手する。ただし一気にじゃない。影響範囲の少ない部分から、テストを繰り返しながら段階的にリリースしていく。小さな改善を繰り返しながら、柔軟に進める手法ってやつだ。急進的な全面改修はリスクがでかすぎる」


俺がそこまで言うと、リリウムの瞳が、キラキラと、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように輝いた。


「素晴らしい。実に現実的で、果的なアプローチですわ。特に、短期的利益の提示による支持取り付けと、段階的なリリースという発想は、この世界の誰も思いつかないでしょう」


「まあ、口で言うのは簡単だけどな。十二歳の子供にできることなんてたかが知れてる」


「そうでしょうか?」


リリウムは、窓の外に広がる夜の闇を見つめながら言った。


「アルト様には、この世界の誰も持ち得ない、ユニークで強力な力がおありです。王都の学園では様々な出会いが待っているでしょう。その出会いとアルト様の『能力』を組み合わせれば、きっと、この世界の『仕様書』を書き換えることすら可能かと」


(仕様書を、書き換える)


リリウムは振り返ると、いつもとは少し違う、人間味のある笑顔を見せた。


「私は、アルト様がこの問題だらけの世界をどのように改革していくのか、拝見できるのが楽しみでなりません。それが、私に与えられた最も重要な任務でございますので」


そして彼女は、優雅に一礼して部屋を出ていった。


一人残された俺は、ベッドに倒れ込みながら、天井を仰いだ。


(リリウムのやつ、完全に俺をマネジメントする気だな。俺を『担当プロジェクト』か何かだと思ってやがる)


彼女の正体は全くの謎。演算魔法でスキャンを試みても、返ってくるのは「ACCESS DENIED」の冷たいエラーメッセージだけ。完全にブラックボックスだ。


だが、不思議と不快感はなかった。むしろ、俺の能力を正しく理解しその可能性を信じてくれている。そんな存在が側にいるのは悪くない。


(世界の改革か)


俺の目標は、あくまで平穏で楽な生活のはずだった。なのに、心の奥底で、とんでもなく面白そうで、そして、途方もなく面倒くさそうなプロジェクトが、勝手にキックオフされているのを感じていた。


明日はいよいよ王都に到着する。

新しい環境、新しい出会い、そして、修正すべき新しい問題。


期待と不安をない交ぜにしながら、俺は意識を手放した。

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