ステータス:最弱、武器:コメント欄
ステータス:最弱、武器:コメント欄 (修正版)
コンクリートの地面が迫ってくる感覚。全身が砕け散る衝撃――は、なかった。
代わりに俺の意識を叩き起こしたのは、土と腐葉土のむせるような匂いと、頬を撫でる生暖かい風だった。
「……は?」
目を開けると、視界いっぱいに広がるのは、見たこともない鬱蒼とした森。天を突くほどの巨木、足元に生い茂るシダ植物、そして、やけにリアルな木漏れ日。
「なんだここ……天国? いや、地獄か?」
死んだはずだ。あの四畳半のアパートのベランダから、確かに身を投げた。なのに、痛み一つない。それどころか、安酒と絶望に蝕まれていたはずの身体が、妙に軽い。
混乱しながら、ゆっくりと身体を起こす。その瞬間、目の前に半透明のウィンドウがポップアップした。
【アストラル・ライブへようこそ】
あなたの体験は、並行世界の地球(日本・2021年)へ、リアルタイムで配信されています。
配信チャンネル:『Project: ASTRAL』
現在の視聴者数:17
現在のコメント:3
「は……? 配信?」
意味が分からない。俺は死んだはずじゃなかったのか?
呆然とウィンドウを眺めていると、その下に、小さな文字が流れていくのが見えた。チャット欄だ。
名無しさんA: CGにしてはすごいな
名無しさんB: どこのスタジオが作ったんだ?
名無しさんC: このテスター、リアクション大げさすぎw
テスター? CG? こいつら、何を言ってるんだ?
俺の困惑をよそに、新たなコメントが流れる。
名無しさんD: とりあえず自己紹介はよ
名無しさんE: ↑それな。設定とか世界観の説明してくれ
設定? 世界観? ああ、そうか。こいつらは、これを「ゲーム」だと思ってるのか。フルダイブVRかなにかの。
俺の脳が、猛烈な速度で回転を始める。
死んだ俺が、異世界にいる。そして、その様子が地球に「ゲーム配信」として流れている。
……これって、もしかして。
「――転生、ってやつか」
ラノベや漫画で死ぬほど見た、あのテンプレ展開。
だとしたら、俺にも「チート能力」的なものが与えられているはずだ。ステータスオープン、とか言ってみるか?
「す、ステータス、オープン!」
目の前に、新たなウィンドウが開く。
【プレイヤー情報】
名前:ケンタ
種族:ヒューマン
Lv:1
HP:10/10
MP:5/5
筋力:2
耐久:3
敏捷:4
魔力:1
スキル:『異世界配信』
所持金:0
「よっわ!」
思わず声が出た。なんだこの貧弱ステータスは。筋力2て。そこらのスライムにすら負けそうだ。唯一のスキルは、この状況そのものである『異世界配信』。これのどこがチートなんだ。
失望に肩を落としかけた、その時。ある可能性に思い至り、俺は顔を上げた。
そうだ、俺には「視聴者」がいる。こいつらは、俺を助けてくれる「ブレーン」になるんじゃないか?
俺は試しに、視聴者に向かって話しかけてみることにした。
「えー、皆さん、聞こえますか? 俺はケンタ。見ての通り、この『アストラル・ライブ』とかいうゲームのテスターです」
もちろん、全部嘘っぱちだ。だが、今はこいつらを信じさせる必要がある。
名無しさんF: お、やっと喋った
名無しさんG: ケンタか。よろしくー
名無しさんH: で、このゲームは何すんの? 目的は?
食いついてきた。よし。
「目的は……まだ分かりません。俺も今、ここに放り込まれたばかりで。とりあえず、この森を抜けるのが最初の目標ですかね」
俺がそう言った途端、背後の茂みがガサリと大きく揺れた。
ビクッとして振り返る。心臓が嫌な音を立てて跳ねた。茂みから現れたのは、テレビの動物ドキュメンタリーでしか見たことのない、巨大な狼――いや、違う。そいつは二本足で立ち、腰には錆びた剣を吊っていた。
「……獣人?」
ゲームやファンタジーで見るような、可愛い獣耳少女じゃない。本物の獣だ。逆立った鼻面から覗く牙、全身を覆う硬そうな毛皮、そして俺を射抜く黄金の瞳。その瞳には、容赦のない殺意が宿っていた。
「グルルル……何者だ、貴様。この森は我ら同胞の領域。人間の立ち入る場所ではないぞ」
低く、唸るような声。それがハッキリと日本語として聞こえたことに、俺はさらに混乱した。
「ひっ……!」
腰が抜けた。情けないことに、尻餅をついて後ずさる。死ぬ。間違いなく、こいつに殺される。異世界に来て数分で、また死ぬのかよ。冗談じゃねえ。
名高いゲーマー佐伯: 落ち着けケンタ! そいつは敵対NPCだ!
名無しさんI: うわ、リアルなモンスターだな!
名無しさんJ: 逃げろ! ステータス的に絶対勝てないだろ!
名無しさんK: いや、待て。よく見ろ。あいつ、怪我してるぞ。左足を庇ってる。
コメント欄が、一気に加速する。その中の一つのコメントに、俺は我に返った。
――怪我?
震える視線を獣人に向ける。確かに、言われてみれば、獣人は左足を引きずっている。足首のあたりから、黒い血が滲んでいた。
名高いゲーマー佐伯: チャンスだ! こっちから攻撃するな! 会話を選べ! 多分、敵対せずにクエストが発生するパターンだ! ファンタジーのお約束を信じろ!
名無しさんL: 佐伯ニキの言う通りだ! 刺激するな!
サバイバルオタ: 待てケンタ! それより傷口を見ろ! 血の色が黒いし、腫れてる! あれは破傷風か何かの感染症だ! 放っておけば死ぬぞ!
破傷風? 感染症?
その単語に、俺はハッとした。確かに、傷口の周りは不自然に腫れあがり、どす黒く変色している。獣人の息も、心なしか荒いように見えた。こいつ、虚勢を張ってるだけなのか?
【『サバイバルオタ』から500円のスーパーチャットです!】
サバイバルオタ: 近くに綺麗な川はないか!? 傷口を洗浄するのが最優先だ! あと、その辺に生えてるヨモギみたいな葉っぱを探せ! 揉んで汁を傷口にすり込めば、気休め程度だが止血と殺菌効果がある! 日本の民間療法だが、やらないよりマシだ!
川! ヨモギ!
言われて周囲を見渡すと、すぐ近くにせせらぎが流れているのが見えた。そして足元には、見慣れたギザギザの葉っぱが生えている。ヨモギだ。地球と全く同じ植物があるのか!
この情報が、俺の最後の命綱だった。
俺は恐怖で引きつる顔を必死で持ち上げ、獣人に向かって叫んだ。
「ま、待ってくれ! 俺は敵じゃない! それより、あんたのその足、ヤバいんじゃないか!?」
俺の唐突な指摘に、獣人の動きがピタリと止まる。
「なっ……! なぜそれを……!」
動揺している。いける! 俺は畳み掛けた。
「その傷、放っておいたら死ぬぞ! 毒が回って、足が腐って、全身に広がって……苦しんで死ぬことになる! そうなる前に、手当てをさせてくれ!」
俺は素早くヨモギの葉を数枚むしり取ると、近くの小川で濡らし、獣人に差し出した。
「綺麗な水で傷口を洗って、この葉をすり込むんだ! 毒を消せるかは分からないが、やらないよりマシなはずだ!」
獣人は、俺の顔と、俺が差し出すヨモギの葉を、困惑したように見比べている。その黄金の瞳から、先ほどまでの殺意は消え失せていた。
「……お前は、何者だ? ただの人間ではないな……」
俺は、この瞬間、確信した。
このチートは、最強だ。
俺一人の力は、最弱。だけど、俺には何十人、何百人、いや、これから何万人にもなるであろう、地球の知識を持った「視聴者」という最強のブレーンがいる。
「これだ……!」
俺の口から、歓喜の笑みが漏れた。
「これなら、俺はまた輝ける!」
底辺νTuber、鈴木健太の人生は終わった。
だが今日、ここから。
異世界配信者「ケンタ」の、栄光への道が始まるのだ。