「佳人之奇遇」東海散士
それからの一か月は、王都に来てから最も充実した期間だった。
連日ランドの部屋で福沢諭吉を朗読した上に、数日ごとにアパートの地下室で政治小説の公演会を開催した。
公演会のほうは回を追うごとに人数が増え続け、汚わい屋以外の下層民も混じるようになった。
具体的にいえば獣人の姿が目立つようになったのだ。おそらく反政府勢力のメンバーだろう。
獣人は身体能力に優れていて、肉体労働に従事する人が多い。低賃金でよく働くので、人間の国では便利に使われる存在である。
だから、エルフやドワーフのような特定の技能に秀でた種族と比べると、どうしても一段低く見られがちなのだ。
そういう偏見の目に不満を持つ者が出てきても不思議ではない。
汚わい屋や獣人にとって、庶民の政治参加をうったえる民権思想は甘美な夢のようなものだ。
それを物語形式でわかりやすく伝える政治小説は、だから熱狂的に受け入れられた。
芸人にとって観客の熱狂というのは、何物にも代えがたい快感である。
自分でも火種に燃料を投下している自覚はあるのだが、この快感に抵抗することは出来なかった。
三作の政治小説はどれもウケた。特に汚わい屋組が熱狂したのは「佳人之奇遇」である。
主人公はアメリカ留学中の日本人青年。彼は祖国を追われた将軍の娘や、祖国の解放を目指す活動家の美女と知り合う。
彼女たちとの交流を通じて、大国に蹂躙される小国の悲哀や民族独立の情熱が語られる。
発表当時は帝国主義が全盛期をむかえていた時代だ。アジアやアフリカのほとんどが欧米列強の植民地にされていた。
本作を一言でいえば、その犠牲者たちの“悲憤慷慨の書”である。
それを聞いている汚わい屋たちも激しく感情移入して、涙を流しながら悲憤慷慨するのである。
まあ、ぼく自身も亡国の民と言えなくもないので、朗読していて胸が熱くなることもあった。
それと比べても、汚わい屋たちの反応はちょっと常軌を逸しているように感じる。
「ねえ、ランドさん」
ある日の公演終りに、ぼくはその疑問をぶつけてみた。
「ひょっとして部下の汚わい屋さんたちは、みんな外国の、それも同じ国の出身じゃないですか?」
「ふふふ、相変わらずの千里眼だな。おまえの言うとおり、おれも含めてみんなミロドロス島の出身だよ」
「ミロドロス島……すいません、聞いたことないです」
「もともとは独立国だったんだが、十年前にこの国に併合されたんだ。そのときに島は王太子の直轄領になって、それまでの支配者層は追い出されたんだよ。それでまあ、流れ流れてこうなった」
「じゃあランドさんの部下は、みんな十年前は貴族だったんですか」
祖国を奪われ、住みなれた土地を追われ、支配者から最底辺の職業へ転落したのだ。
汚わい屋たちが悲憤慷慨するのも無理はない。
「おれがヒューに友情を感じる理由が分かっただろ?」
ランドはニヤリと笑ってウインクした。
元貴族をまとめて部下に従えているということは、おそらく彼はミロドロスの王家かそれに近い血筋なのだろう。
「ところで、本当に来週で終了させるのか? 福沢諭吉の朗読や政治小説の公演会は」
「あっ、そうなんです。王都に来てから、来週でちょうど一年になるんですよ。それで、あえて下宿の契約を更新せずに、いったん故郷に戻ろうと思いまして」
一年たったら故郷に戻る、というのはロブ兄さんと交わした約束である。そしてもう一度才能鑑定をしてもらうのだ。
「そうか、寂しくなるが仕方ないな」
「しばらくしたら、また戻ってきますよ」
先ほどのお返しに、ぼくはニヤリと笑ってウインクした。
〇
いよいよ下宿を出る日がやって来た。
「ヒューさんも、とうとう故郷に帰るハメになるなんてねえ。まあ気を落とさずに頑張りなさい」
おかみさんが慰めるように言った。
「待ってください、その言い方だと夜逃げするみたいじゃないですか。あくまで一時的に帰省するだけですから」
「あらそうなの、夜逃げする芸人をたくさん見てきたから、つい……」
「この一か月でぼくはかなり稼いでますからね」
「だったら、契約を更新してくれても良さそうなものじゃない」
「果たさなきゃいけない義理があるんですよ」
ぼくは乗合馬車の出発時刻まで、食堂で時間をつぶしていた。
おかみさんの入れてくれる薄いお茶も、これで飲み納めだと思ったが、いずれ戻るつもりなので寂しさは感じなかった。
「ふう、ようやく荷造りが終わったぜ」
午前中から部屋に閉じこもっていたケーンが下りてきた。
「荷造り? 何でおまえまで荷造りする必要があるんだよ」
彼はべつにここを出ていく予定はないはずだ。
「うちの師匠が故郷の領主に呼び出されたんだ。なんでも領主の娘が結婚することになって、その式の余興を仰せつかったんだと」
「バリーさんが?」
ケーンの師匠である横顔バリーは、美しい横顔で女性人気の高い二枚目俳優である。
「そこで余興の相方に指名されたのがおいらなんだ。このまえ、熱を出した女優の代役をみごとに勤め上げただろ? きっとあれが評価されたんだな」
「良かったじゃないか。それにしても地元出身とはいえ、王都の人気俳優を気軽に呼び出せるなんて、領主ってのは偉いもんだなあ」
「偉いしエロいし超おっかないぜ。貴族サマには逆らわないこった。ヒューも貴族にかかわる時は気を付けるんだぞ」
ケーンに言われてハタと気が付いた。
そういえば元貴族の汚わい屋とはどっぷり関わっているが、現役の貴族にはまったく接点がない。
ぼくの育った村は収穫時期に徴税人が来るだけで、領主はおろか騎士の姿さえ見たことがない。
王都に来てからも、街でたまにそれらしい人を見かける程度だ。
よし、今後の目標が決まった。何とか現役の貴族と接点を持って、顔と名前を覚えてもらおう。
「ケーンはいつ出発するんだ? 時間が合うなら一緒に出ようか」
と声をかけた瞬間。
ドーンという轟音が街に響いた。続けて建物がビリビリと震える。
それを合図に、おなじような轟音が何十回も連続しておきた。
まるで雷が連続して落ちてくるようだ。雷鳴と違うのは、もっと腹に響く重低音であることだ。
「キャーッ!」
「うわっ!」
「あわわわわ……」
ぼくたちは三人とも腰を抜かしてしまい、抱き合ってブルブル震えた。下宿もビリビリ震えている。
いままでに聞いたことがない種類の音であることが、いっそう不安をかきたてる。
この世の終わりかと思った。轟音がおさまっても、しばらく動くことが出来なかった。
どれくらい時間がたったのだろう。近所の人が外に出てガヤガヤと騒ぎ始める声が聞こえてきた。
すると下宿のドアが乱暴に開かれる音がした。数秒後、見知らぬ女性が食堂にズカズカと入ってきた。
「失礼、わたしは冒険者のスカーレットという者だ。汚わい屋のランドからの依頼で、ヒューロッドという少年を護衛するために雇われた」
スカーレットと名乗る女性は、ぼくとケーンを交互に見てを見て首をかしげた。
「それで、どちらがヒューロッドなんだ?」
〇
その少し前、商業地区にほど近いトリメ魔道具工房では、ちょっとした親子喧嘩が起きていた。
「トーレ! いいかげんに下りてきなさい!」
工房の屋根の上で親方のトリメが叫んでいる。
「パパ、どうして分かってくれないの? これは画期的な魔導具なのに!」
頭上五メートルの高さからトーレが叫び返す。
工房の上空には彼女の乗った熱気球が浮かんでいた。風に流されないようにロープで屋根につながれている。
実験を繰り返した結果、ついに浮上に成功したのだ。
「分かるわけないだろ! いや分かりたくもない、そんな得体の知れないもの!」
いくら娘の説明を受けても、トリメには気球の原理が理解できなかった。いつ落下するか分からない危険物としか思えない。
そういうわけで先ほどから、実験を止めたい父親と続けたい娘との押し問答が続いていた。
「バカ、バカ! パパの分からず屋!」
トーレが叫んだ瞬間。
ドーンという轟音が街に響いた。続けて建物がビリビリと震える。
それを合図に、おなじ轟音が何度も連続しておきた。
上空にいたトーレは音のした方角に目を向けた。信じられない光景に、彼女の足はガクガクと震えた。
異変が起きたのは貴族街である。その豪華なお屋敷が次々と無残に破壊されているのだ。
轟音が起きるたびに黒煙を上げて建物が崩れ落ちた。その被害は数十軒にもおよんだ。
「どうなってるんだ……いったい何が起きたんだ」
トリメの声が聞こえたので視線を下げると、屋根の上で父親がへたり込んでるのが見えた。どうやら腰を抜かしたらしい。
しかし轟音が治まったと思ったら、続いてそれとは別の怒号のような音が湧き上がったので、父に声をかけそびれてしまった。
次に異変が起きたのは商業地区である。どこからともなく獣人の群衆が現れ、店の窓や扉を破壊し始めたのだ。
そして中に押し入った獣人たちは、次々と商品を略奪していった。
「あっ……」
凄惨な光景にトーレは息をのんだ。
血まみれになった丁稚の小僧がふらふらと店から出てきた。彼は頭を押さえると、そのままバタリと倒れた。
背中の炎を消した上に、マントまでくれた丁稚である。思わずいま羽織っているそのマントをギュッと押さえる。
あの火だるま事件以来、彼女は妙にマントが気に入って、いつも羽織るようになっていた。
「な、何だおまえら! どうするつもりだ!」
父親の叫び声が聞こえたので、視線を下にやった。
丁稚に気を取られているすきに、足元にせまる危機を見逃していた。工房はすっかり暴徒に取り囲まれていた。
「来るな! 下賤な獣人どもめ!」
屋上から叫ぶトリメを無視して、暴徒は敷地内になだれ込んできた。
まっすぐ工房の入り口に取りついて、扉をガンガン叩き始めた。中に押し入るつもりだ。
「くそっ、ウインドバレット!」
トリメは圧縮した空気の弾丸を飛ばす風魔法を放った。
一人ずつ確実に倒していくが、わらわらと湧いてくる群衆相手にはあまり効果的とはいえない。
トーレは父親の戦術に疑問をいだいた。
(おかしい、パパならハリケーンで獣人をまとめて吹き飛ばすことが出来るのに)
だがすぐに、それができない理由に思い当たった。
(そうか、わたしがいるから……)
気球はロープで屋根につながれている。その状態でハリケーンを発動したら、激しく振り回されることになる。
下手をしたらトーレが振り落とされたり、ロープが切れてあらぬ方向に飛ばされるかもしれない。
(それなら)
彼女はしゃがみこんでロープをほどき始めた。網かごに直接しばり付けたので、内側からでも作業ができる。
(ほどけた!)
軽く体が押さえつけられる感覚で、気球が上昇しているのが分かった。
トーレは急いでかごから身を乗り出した。
「パパ! わたしは大丈夫だから、泥棒たちに遠慮なくハリケーンをお見舞いしてやって!」
呆然とこちらを見上げる父親の顔が遠ざかっていく。
風に流されてあっという間に工房が見えなくなった。自分の魔法では軌道を変えるほどの風は起こせない。
あわてて魔導バーナーの火を絞ったが、高度が落ちるにはしばらく時間がかかるだろう。
こうなってしまうと、もはやトーレに出来ることは何もない。風まかせで漂流するだけだ。
彼女はふところから愛用の笛を取り出した。母がよく歌ってくれた子守唄のメロディーを吹き始める。
父に届くように、風魔法を使ってあらん限りの音を出した。
(パパ、この笛が鳴っているかぎり、わたしは無事よ)
もくもくとあがる黒煙を背景に、気球は王都の城壁を飛び越え、やがて彼方の空に消えていった。




