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異世界でわかる文学史~村を追放された吟遊詩人は謎スキル「文学全集」で成り上がる  作者: メガネを取るとイケメン
第一巻 福沢諭吉集

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7/10

「文明論之概略」

 いよいよ待ちに待った日がやって来た。汚わい屋のランドと約束した少人数の公演会が始まるのだ。

 これはもう、初めての大舞台といっていいだろう。

 珍しく早起きしたぼくは、とりあえず食堂に置いてあったパンをかじりながら、おかみさんの朝食を待っていた。


「早いなヒュー、それに何だか楽しそうに見えるぞ」

 少し遅れてケーンが食堂に入ってきた。


「ああ、今日は友達の所にお呼ばれするからな」

 ギルドを通さない闇営業なので、公演会のことは黙っておいた。


「友達? ひょっとして女かい」

「いや、残念ながらゴツい兄ちゃんだよ」

「まあ信用できる相手ならいいけど、おまえは迂闊なところがあるからな。くれぐれもよく知らない相手にホイホイついてくんじゃねえぞ」

「どうした、急におかんみたいなこと言い出して」


 思わず笑いそうになったが、ケーンの表情が深刻だったのでこちらも真顔になる。


「実はな、このところ裏社会でキナくさい噂が飛び交ってるんだ。スラムで反政府勢力が活動してるらしい。近いうちに大規模な暴動が起こるかもしれないってな。ヒューもスラムに出入りしてるなら気を付けたほうがいいぜ」

「……分かった、肝に命じておくよ」


 反政府という言葉にドキッとした。

 ぼくは一週間前、反政府演説と呼ばれるようなことを、スラム街の広場でやってしまった。

 ひょっとしたら噂の出どころはあの演説かもしれない。

 あのときの出来事が伝言ゲームの結果、ありもしない反政府勢力の話に変化してしまったのではないか。

 なにしろ噂というのは尾ひれがつきやすいものだ。十分あり得ることだと思う。


 そのことをケーンに伝えようかどうか迷ったが、結局やめた。

 よく考えたら、ぶっつけ本番でスキルを発動する事をすすめた彼にも、責任の一端はあるのだ。

 せいぜい取り越し苦労であたふたするがいい。


       〇


「会場はここだ」

 ランドの案内でやって来たのは何のことはない、彼のアパートの地下室だった。


「へえ、地下室なんてあったんですね。でも公演会に使って大丈夫なんですか? 大家さんの許可は」

「許可なんていらないよ。おれがこのアパートの所有者なんだから」

「えっ、そうだったんですか」

「言っただろ、汚わい屋というのはガッポリ儲かるって」


 ランドがドアを開けると、そこは意外と広々した空間だった。ちょっとした倉庫になっていて、あちこちに木箱が積まれている。

 その中で十人ほどの人間が、木箱に座ったり立ち話をしたりして待っていた。


「おう、おまえら待たせたな。大先生を連れて来たぜ」

 ランドが声をかけると、みんな一斉にこっちを見た。スラムの住人らしく、どいつもこいつも人相が悪い。


「だ、大先生って何ですか」

「こいつらはおれの汚わい屋仲間なんだ。おまえが広場で福沢諭吉をやったとき、ちょうど一緒にいた連中だよ。これが揃いも揃って演説に感動してな、あの先生はすごい、早く続きが聞きたいって、あの日からおまえの話題で持ちきりだったんだ」

「そんな、買いかぶりすぎですよ……」


 と言いながらも、ぼくは口元が緩んでいくのを押さえることが出来なかった。

 もちろん凄いのはぼくじゃなくて福沢諭吉である。それは分かっているが、やはり誇らしい気分になる。


「ちょっと粗末だけど舞台も用意してあるぞ」

 ランドが倉庫の端を指さした。舞台といっても木箱を並べただけの簡易的なものだ。


 ぼくは木箱に上って会場を見渡した。みんな期待に満ちた目でこちらを見ている。

 あのとき広場にいた人たちなら、『学問のすゝめ』じゃなくて別の本を朗読したほうがいいだろう。


 ぼくはステータスを開いて『文明論之概略』を表示した。

 西洋文明と日本文明の違いを比較して、日本がどのように近代化を進めていくべきかを論じた書籍である。

 いわば明治日本のグランドデザインを提示したスケールの大きい論考で、福沢諭吉の代表作とされている。

 ただしテーマがテーマだけに、日本と西洋について、ある程度の前提知識がないと理解が難しい本でもある。

 そこで比較的前提知識が必要ない第七章を抜粋して朗読することにした。


「どうも、吟遊詩人のヒューです。今日はぼくの公演会に来てくれてありがとう。ではさっそく聞いてください」

 先週と同じくカノン進行のコードを弾きながら朗読を始めた。


 第七章の『知徳の行はるき時代と場所とを論ず』は、未開の時代から人類がどのように文明を確立していったのかを考察した章である。

 文明というのは段階的に発展するものであり、段階ごとに必要な制度や知識は異なる。

 現代においても発展は続いているので、よくよく時流に適した知識を見極めなければならない。


 朗読を続けていくうちに、観客の反応の薄さが気になってきた。

 この本は福沢の著作の中でも学術性が高い。なるべくわかりやすく翻訳しているつもりだが、やはり難しいようだ。

 なにより未開の状態から発展した結果現在がある、という歴史観になじみがないのだ。

 ぼくは『文明論之概略』を早々に切り上げて、『学問のすゝめ』の続きを語ることにした。


「ありがとうございました。続きまして、みなさんお待ちかね『学問のすゝめ』の三編から」

 景気付けのためにショッキング・ブルーの名曲「ヴィーナス」のイントロをかき鳴らす。


「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、

 人に依頼する者は必ず人を恐る、

 人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり」


 この名調子、分かりやすさ。やはりこうでなくてはいけない。

 福沢諭吉の強みは、インテリ向けと大衆向けで文体を使い分けることができる点にある。


 観客の反応も目に見えて変化した。だんだん前のめりになり、集中してきたのが分かる。

 みんなの熱意が風となって、こちらに吹き付ける気がした。

 それにあおられ、ぼくもテンションが上がってしまい、こぶしを突き上げたりピョンピョン飛び跳ねたりした。

 それが良くなかった。

 木箱を踏み抜いてズボッとはまった。その拍子にバランスを崩して後ろに倒れこんでしまう。

 これはまずい。六弦琴を壊さないように必死で抱え込んだ。

 どうやら後頭部をぶつけてしまったようだ。ジンジンとした痛みが広がってゆく。


「おい、大丈夫か!」

「木箱が腐ってたんだ」

「早く助けてやれ」


 観客たちの騒ぐ声が地下室に響いた。

 それを聴きながら、ぼくは懐かしい匂いが微かに漂っているのを感じた。子供のころによく嗅いでいた。

 その匂いの正体が分かった瞬間、ぼくの意識は途切れてしまった。


       〇


 数時間後、ランドの部屋で目を覚ました。


「六弦琴は? 六弦琴は無事ですか」

 ぼくは、背中を向けて何やら作業をしているランドに尋ねた。


「おっ、気が付いたか。安心しろ、楽器は壊れてないようだから」

 彼が指さすほうを見ると、兄が買ってくれた六弦琴がテーブルに横たわっていた。


「おまえ、なかなか大した奴だよ。気絶しながらも楽器を抱え込んで守ったんだからな」

「大事な商売道具ですから……でもすいません、ヘマやっちゃって公演会を台無しにして」

「ヘマをやったのはこっちのほうだ。ボロい木箱で舞台を組んじまったからな。お詫びに心付けを多めに払うよ」


 作業台の上にはコインが山のように積まれている。ランドはそこから銀貨を一握り掴んでをこちらに渡した。


「いいんですか、こんなに」

「いいから貰っとけ。懐にしまったら、またしばらく寝てろよ。帰るのは少し休んでからのほうがいい」


 そう言って彼はふたたび作業に戻った。コインを数えては小さな金袋に入れていく。それをひたすら繰り返していた。


「汚わい屋さんたちの給金ですか?」

「そうだよ」

「ということは、ランドさんは汚わい屋の元締めだったんだすね」

「まあな、年齢としのわりに結構大物なんだぜ。ついでに言うと、このアパートは仲間のねぐらを確保するために買ったんだ」

「じゃあ、ここに住んでるのはみんな汚わい屋ですか」

「そういう事だ。スラム街というのは物騒なところだからな。身内で固まったほうが安心できるんだ」

「なるほど、このアパートは一種の要塞なんですね」


 ぼくは作業を続けるランドから視線を外し、なんとなく天井を見つめた。

 そういえば気を失う直前、何か重要なことに気付いた記憶がある。ところが例によって、何に気付いたのか思い出せない。


「ステータスオープン」

 それを思い出すためにスキルを発動した。


 最初に目についたのはメインスキルの表示だ。文学全集のレベルが2になっているのだ。

 タップすると第二巻がアンロックされているのが分かった。

 どうすればレベルが上がるのかはよく分からないが、とにかくレベルがひとつ上がれば次の巻が解放されるようだ。


 しかし気絶する直前に気付いたのはそんな事ではない。

 あのとき、地下室には汚わい屋のアパートに似つかわしくない匂いが漂っていた。

 おそらくぼくが踏み抜いた木箱から漏れた匂いだろう。


「ランドさん、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「何だい」

「知り合いに裏社会に通じてる人いるんです。そいつが言うには、スラム街で反政府勢力が活動してるという噂が流れているんです」

「へえ……そりゃまた物騒な話だな」

「ぼくは最初、根も葉もない噂だと思いました。おおかた、先週ぼくが『学問のすゝめ』を朗読した出来事に尾ひれが付いたんだろうとね。でもつい今しがた、考えを改めました」

「待てよヒュー、何で急にそんな話を始めたんだ?」

 ランドの表情に不安の色が浮かんだ。


「匂いですよ。気絶する直前、ぼくが踏み抜いた木箱から火薬の匂いが漏れてるのに気付いたんです」

「火薬だと? 田舎の農家出身のおまえが、どうして火薬の匂いなんか知ってるんだ」

「ぼくじゃなくて異世界人が知ってたんですよ」

「ああ……そういう事か」

「あちらの世界では花火とか爆竹とか、子供の遊びで火薬がよく使われます」


 小学生のころ、小型の爆竹をほぐして火薬を集め、大型の爆竹に作りかえた思い出が浮かんできた。


「子供が火薬で遊ぶのか? とんでもねえ世界だな」

「この世界では、福沢諭吉の本は危険思想です。一介の汚わい屋が好んで首を突っ込みたがる代物ではありません。ましてや秘密の公演会まで開いてくれるなんて」

「つまり、何が言いたい?」

「ランドさん、あなたは噂の反政府勢力の一員……いや、ことによると首謀者じゃないんですか?」


 ぼくは石坂浩二の金田一を意識した口調で言った。なんかそういう映像が頭に浮かんだから、思わず真似てしまったのだ。


「ランドさんは先ほど、ここに住んでるのは汚わい屋しかいないと言いましたね。ならば余計に火薬があるのはおかしいんです。そしてぼくに対する異常なまでの世話焼き。これらの疑問は、あなたが反政府勢力だと考えれば筋が通るのです」

 ここが正念場だと思い、ぼくはムックリと半身を起こした。


「すなわち、火薬をためこむのは将来の破壊行為のため。ぼくを取り込んだのは、危険思想を共有することでメンバーの団結を図るためです」

「いやあ驚いた。おまえの言うとおり、おれは政府に対する破壊行為を企んでる。噂の反政府勢力とやらは、たぶんおれの事だ」

 意外なことに、ランドはあっさり認めた。


「人の心でも読めるのか? まるで千里眼みたいだ。やっぱりおまえは大した奴だな。それとも異世界人の能力か?」

「異世界人の能力でしょうね。あちらでは、少ない手がかりから真実を当てる物語が流行してますから。推理小説っていうんですけど」

「しかしな、ひとつだけ気に入らない事がある。あの言い方だと、まるで利用するためにおまえを引き入れたように聞こえるじゃないか」

「違うんですか?」

「おまえを気に入ってるから世話を焼いてるんだよ。おれは純粋にヒューが好きなんだ」

 正面切ってそんなことを言われて、ぼくは面食らってしまった。


「あっ、そろそろ日が暮れるな。この辺りは暗くなると危険だ。もう帰ったほうがいいぞ」

 ランドはテーブルから六弦琴を取って渡してくれた。


「えっ、あの、帰っていいんですか?」

「当たり前だろ。じゃあ次の日程はまた広場で教えるから」


 まるで何もなかったような感じで送り出した。

 そんなにあっさり帰していいのか。ぼくは釈然としない気持ちを抱えたまま、彼のアパートを後にした。


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