「窮理図解」
広場で福沢諭吉を朗読してから三日後、ぼくは芸人ギルドに来ていた。
ランドに大人しくしてろと言われたのだが、下宿にひきこもるのは退屈なので、仕方なくギルドに顔を出したのだ。
ホールに知り合いの姿が見えなかったので、とりあえず掲示板の張り紙を見てみる。
普段は結婚式の司会とか、新装開店する商店の人寄せ役の募集がちょこちょこある程度だが、今日は違った。
ちょうど収穫の時期なので、いつもより張り紙の数が多い。王都近郊の村で、収穫祭を盛り上げる楽器演奏の需要があるのだ。
もっとも、掲示板の依頼を受けることができるのはEランク以上なので、Fランク芸人のぼくには関係ない。
「トーレ、あなたを喇叭隊から追放するわ!」
突然、そんな声がホールに響き渡った。
おどろいて声がした方向を見ると、五人の男女がもめているのが見えた。
真ん中にエルフの女性がいて、その周りをほかのメンバーが取り囲んでいる形だ。
「追放って……いきなり何を言い出すの?」
エルフは訳が分からない、といった表情をしていた。トーレというのはこの人の名前だと思われる。
「白々しいわね、今までわたしたちを騙してたくせに」
人間の女性が正面からにらみつけていた。音楽家にはめずらしい妖艶な美女だ。
「だ、騙した覚えなんかないわ」
「あなたが担当しているユーフォニアムは、肺活量が必要な低音楽器でしょう。本来なら肺活量のないエルフが吹けるはずないわ」
「あっ……」
「怪しいと思ったから、こっそり鑑定士を雇ってあなたのスキルを見てみたの。そうしたら案の定、サブスキルだけど風魔法があるじゃない」
「勝手にスキルをのぞいたの? そんな、ひどいわ」
「ひどいのはどっちよ。自分の肺じゃなくて風魔法を使って吹いていたなんて、管楽器に対する冒涜よ」
なかなか興味深い話である。
エルフに肺活量がないという話は初めて知ったが、ハンデを克服するために魔法を利用するアイディアには感心した。
とはいえ、自分の肺を使って演奏している人から見れば、ズルとしか思えないやり方なんだろう。
だからトーレは魔法を使っていることを黙っていたのだ。
「で、でも風魔法を使えば息継ぎの必要がないから、途切れなく吹き続ける事ができるのよ。これは画期的じゃない?」
トーレは必死で食い下がるが、
「なにが画期的よ、それは曲芸であって演奏じゃないわ。吹く息の強弱とか息継ぎをするポイントをどこに置くかとか、そのへんが演奏者の腕の見せ所なのに」
人間の女性はあくまで認めない姿勢である。
なかなか難しい問題だ。途切れない演奏には興味を覚えるが、本職の人間のこだわりも分かる気がする。
「そうは言うけど、サラの担当は太鼓じゃない。あなたは本当に管楽器のことが分かって言ってるの?」
「それは……」
サラと呼ばれた人間の女性は言葉に詰まってしまった。
まさか彼女が太鼓奏者だとは思わなかった。サラに対するぼくの印象が、一気にうさんくさいものに変わった。
自分の担当でもない楽器について、あんなに自信たっぷりに語れる人間がいるとは思わないだろ、普通。
「いや、サラの言ってることは正しいよ」
ここでようやくほかのメンバーが口を開いた。長身のイケメンが二人のあいだに割って入ってきた。
「その通り。風魔法を使った演奏なんて、邪道もいいとこだ」
続いて中肉中背のイケメンが加勢してくる。
「途切れなく吹き続ける演奏なんて、認められるわけないだろ」
最後に小柄なイケメンがバッサリと切り捨てる。男性陣はみんなサラの側についているようだ。
今まで気付かなかったけど、この喇叭隊は全員が美形である。これは非常に珍しい。
明らかにルックス重視で集めたメンバーだ。なかなか戦略的だと思うけど、はたして実力は伴っているのだろうか。
「でも、でも……だって」
「トーレ、まだ分からないの? わたしは最初からあなたが気に入らなかった。ユーフォニアムを任せたのは、無茶な要求に苦しむエルフの姿を見たかったからよ」
「そんな……」
「軽々とユーフォニアムを吹いたときは、当てが外れてがっかりした。でも要求をクリアした以上、メンバーに入れざるを得ないじゃない。本当に苦痛だったわ」
サラの目に憎悪の色が浮かんだ。その表情を見て、彼女が差別主義者であることが分かった。
下層階級に蔓延するエルフ差別は根の深い問題だ。
エルフの多くが魔法を使える。逆に言えば、エルフ以外の種族には魔法使いがめったに現れない。
そのためか、彼らは妖精の子孫を自認しており、森に引きこもって他種族との交流をあまりしない。
森の外に流れて来るエルフは、何らかのトラブルで故郷を追い出されたワケアリとみて間違いないのだ。
実際、なまけ者だったりわがままだったり、ナチュラルに人を見下すタイプだったり、腹の立つキャラが多いという。
そんな問題人物が、魔法が使えるという希少性のために、人間の国では重宝される。
まじめに働いても報われない下層民にはやりきれない話だ。
「どうかされましたか?」
トラブルを察してギルドの職員が声をかけてきた。下宿を紹介してもらった時に、ぼくを睨みつけた猫獣人の女性である。
「な、何でもないわ。話は終わったから、ここを出ましょう」
サラは慌てた様子でホールを出ようとするが、
「聞いてください、不当解雇です。エルフ差別なんです」
トーレが職員にすがりついた。
「えっ、不当解雇? エルフ差別?」
職員はあからさまに面倒くさそうな顔になった。
「そう、この人たちは無理難題を吹っかけて、笑うためだけにわたしを雇ったんです。エルフを苦しめて楽しんでるのよ」
「はあ……まあ、生きてればそんな事もありますよ。それにトーレさんは三日前に入ったばかりでしょう。むしろ問題点が早めに見つかって良かったじゃないですか」
「何ですかその態度は! あなた冷たすぎるでしょう。やっぱり獣人では話にならないわ。人間の職員を呼んでちょうだい」
やはりトーレも一般的なエルフと同様、自分たち以外の亜人を見下す傾向にあるようだ。
そういうところが嫌われる原因になっているのだが。
「あいにく人間の職員は出払っております。どうしても人間に聞いてほしいなら、そこのヒューロッド師匠に相談されてはどうでしょう。喜んで話を聞いてくれると思います」
猫獣人がいきなりこちらを指さしてきた。
「若く見えますが芸歴は長いし、顔も広いですから、きっと良い再就職先を見つけてくれますよ。ではわたしは仕事があるので」
そう言って、さっさと受付に戻っていった。
「えっ、ちょ、待っ……」
あいつ、面倒な客をぼくに押し付けやがったな。さすが芸人ギルドの職員だけあって、無茶苦茶なことをする。
「ありがとうございます師匠、トーレの事をよろしくお願いします」
サラと男たちはニヤニヤしながらホールを出ていった。
「まいったな……」
「師匠、再就職の世話をしてくれるんですよね」
トーレが期待に満ちた目でぼくを見ている。
「ぼくは師匠じゃないよ……とりあえず話だけは聞くから、向かいの茶店に移動しようか」
〇
トーレの父親は魔法のスキルを活かして、王都にある魔道具工房の責任者をしている。
魔法がエルフにとっての命綱である事をよく知る父親は、一人娘のトーレにも熱心に魔法教育をほどこした。
ところが彼女は魔法が苦手で、一日中笛を吹いて遊んでるような子供だった。
そして十五歳の誕生日、女神からもらったメインスキルが吹奏楽だったことから、父親と喧嘩して家を飛び出した。
その足で芸人ギルドに向かい、サラの喇叭隊を紹介してもらった。それが三日前のことだ。
ばかでかいユーフォニアムを渡されたときは焦ったけど、とっさに風魔法を使うことを思いついて難を逃れた。
「……父がその気になればハリケーンを起こせるけど、わたしはせいぜい喇叭を鳴らす程度の魔法しか使えません。このままでは父に笑われてしまいます。何とかしてください、師匠」
「だから師匠じゃないって」
お茶を飲みながらぼくは考えた。
トーレは裕福な家で育った苦労知らずのわがまま娘だ。ぼくも同じ種類の人間だから良く分かる。
そんな彼女に必要なのは就職ではなく、父親や周囲の人とうまくやっていくための処世術だろう。
もちろん、まだ親と和解できていないぼくにそんなアドバイスは無理だ。正直いって何も思いつかない。
そこで異世界人の知恵を借りることにした。彼は確か五十歳で亡くなっているから、それなりに人生経験があるだろう。
「ステータスオープン」
スキルを発動させると脳内に異世界人の記憶が流れ込んできた。
バンドメンバーから糾弾され、クビを言い渡される様子が浮かんでくる。その時に感じた屈辱感までよみがえってきた。
そうか、この男も仲間から追放された経験があるんだな。
「トーレの気持ちは良く分かるよ、ぼくも似たような経験をしてるからね。信じた仲間に裏切られるのはつらいもんだ。でも、そういった苦しい経験が芸に深みをもたらすんだ。ジャンプするには一度かがまなきゃいけない。今がその時期だよ。この悔しさをバネに、より高い飛躍を目指してほしい」
なかなか良いことを言うじゃないか。さすが五十歳の説得力だ。ぼくは自分の言葉に自分で感動してしまった。
「それで就職の世話をしてくれるんですか、くれないんですか」
しかしトーレの心には響かなかったようだ。
「いや、だから、きみに必要なのは協調性を身につけることで、えーと、そのためには物事に優先順位をつけて、そのー、妥協すべき点は妥協するということを覚えたほうが……」
動揺して、すっかりグダグダになってしまった。
なにしろトーレのやつは途中で飽きてそっぽを向いた上に、大口を開けてあくびまでしやがったのだ。
やっぱりエルフは人を怒らせる天才だと痛感した。サラが無理難題を吹っかけたのは、この態度が原因かもしれない。
するとぼくの脳裏に、ある言葉が天啓のようにひらめいた。“現代知識無双”と“魔法と科学の融合”の二つだ。
この二つの言葉は異世界転生ものというジャンルの物語によく出てくるキーワードだ。
トーレがここまでひねくれたのは、魔法が苦手なせいで父親とギクシャクしてしまったからだろう。
彼女に科学知識を伝授すれば、それを応用して独自の魔法を構築することが出来るのではないか。
そうなったら余計なコンプレックスが解消され、周囲の人とも素直に接するようになるのではないか。
ぼくは福沢諭吉集の『窮理図解』という項目をタップした。
この本は日本で初めて出版された科学解説書だ。窮理とは“理をきわめる”という意味で、広義の物理学を指す。
「ぼくは外国の学者に、風が吹くからくりを教わったことがある。今からそれをトーレに伝授してあげよう。このからくりを知れば、きみの風魔法はより精密なものになると思うよ」
と前置きして、『巻の二 第四章 風の事』を朗読し始めた。
空気が太陽に熱せられて軽くなると上昇する。上昇して冷えた空気は重くなって下降する。
この現象が地球規模で展開されたものが風の正体である。
最初は興味なさそうにしていたトーレだが、聞いてるうちにだんだん前のめりになっていった。
最後は一言も聞き逃すまいと真剣な表情になる。『学問のすゝめ』を聞いたスラムの住人と同じリアクションで苦笑した。
「ありがとうございます師匠! 試してみたい事があるので、これで失礼します」
朗読が終わるやいなや、トーレは急いで茶店を出て行った。
「あっ、お代は……ぼく持ちなのね」
ぼくは空になったトーレのカップと皿を見つめた。あのエルフ、お茶をおかわりした上にケーキまで注文しやがって。




