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「西洋事情」

 広場から逃げ出したぼくは、六弦琴を抱えて通りを全力疾走していた。

 しかし、このところだらしない生活をしているせいか、一ブロックもいかないうちにバテてきた。

 目についた路地に飛び込むと、必死で息を整える。

 落ち着いてきたところで少し顔を出して後方を確認してみた。どうやら追いかけてくる奴はいないようだ。

 ホッとしたのもつかの間、路地の奥から声をかけられた。


「おまえ、いったい何者なんだ?」

「カルドネラ村のヒューロッドですよ。知ってるでしょ?」


 ぼくに声をかけてきたのは、初めてコインを投げてくれたあの男だった。彼も広場にいたはずなのに、どうやって追いついたんだろう。


「逃げるなら、こんな近場で止まっちゃだめだ。少なくとも十ブロックは離れないと安心できない。まっすぐ走るのもいただけないな。逃げるときはジグザグに走るのが基本だ。できれば普段から街の構造を頭に入れておいて、路地から路地へ移動できるようになっておくべきだ。逃走術にかんしては、まるっきり素人だな」


「当たり前ですよ。ぼくはただの吟遊詩人なんだから」

「ただの吟遊詩人なわけあるか。いきなり反政府演説なんかしやがって」

「えっ、反政府演説? ぼくがですか?」

「生まれながらに貴賤はないとか、政府と同等の立場に立てだとか、明らかに危険思想じゃないか。そんな演説をスラムでやったんだ。民衆を扇動する不穏分子と思われても仕方ないだろ」

「すいません。じつは、あまり覚えてないんです」

「嘘をつくなら、もう少し気の利いたことを言えよ」

「それが本当なんですよ。おそらくスキルの影響です。発動してる間は自分が自分じゃないような感じになるんです。そして解除したら夢から覚めたみたいに、そのあいだの事がぼんやりして……」

「まるで悪霊憑きじゃないか。本当だとしたら危ないスキルだな」

「そうですね。もうこのスキルは使えないな」


 ぼくは、がっくりとうなだれた。

 女神の野郎にハズレスキルをつかまされたんだ。これでは部屋代を出してくれたロブ兄さんに顔向けできない。


「そんなに気を落とすなよ。おれでよかったら相談に乗るぜ。立ち話もなんだから、おれの部屋で続きを話そう」

「あなたの部屋ですか?」

「これでもお前のファンだからな。悪いようにはしないさ」


 この男が何をして生活しているのかは知らない。だがスラムの住人は、よそ者には厳しいが身内に対しては仁義を守る。

 彼がぼくの常連客であるのは間違いないので、少なくともよそ者あつかいはされないだろう。


「分かりました。お宅にお邪魔させてもらいます」

「おれの名はランドだ。部屋はこの奥にある。少し部屋を片付けるから、ここで待っててくれ」

 そう言ってランドと名乗る男は路地の奥に歩いて行った。


       〇


「酔っぱらって女神の説明を聞き逃すなんて、おまえ馬鹿じゃないのか?」

 ランドが呆れたような声を上げた。まったくその通りなので反論できない。

 ここは彼の部屋だ。いまスキルを授かったときの様子を説明したところだ。


「そういう無鉄砲な人間が、仲間内では一目置かれるんです」

「どうかしてるぜ。一生に一度、女神の声が聴ける日なのに。おれなんか一人で部屋に閉じこもって、一晩中待ってたんだぞ」

「少しは覚えてますよ。凄くせわしなかった印象です」

「うん、おれの時もそうだった。やっぱり忙しいんだろうな」


 ランドの部屋はあまり広くないが、その代わり高価な家具や魔道具がそろっていた。

 台所には最新式の魔導オーブンや魔導冷蔵庫が置かれている。


「失礼ですが、ランドさんはどんなお仕事をされてるんですか?」

「おれか? おれは汚わい屋をやってる」

「えっ、そうなんですか? 何か意外だなあ」

 彼は体格もいいし、男性的な顔つきの二枚目だ。そんな外見と汚わい屋のイメージがまったく合わない。


「楽な仕事じゃないし、ひどい差別を受けることもある。でもな、その代わりガッポリ金を稼げるんだ」

 ちょっと惚れそうになるぐらいの良い笑顔を見せた。

 そんなに稼げるのか。たしかに、ぼくみたいな未熟な芸人に、高額コインを惜しげもなく投げてくるからなあ。


「さて、ぼちぼちスキルの検証を始めようか。まずお前を縛らせてもらうぞ」

 ランドが椅子から立ち上がった。


「えっ? ちょちょちょ、待ってください。縛るって何ですか」

「検証のためにはスキルを実行する必要がある。ところが、お前のスキルは悪霊憑きみたいなんだろ? いきなり暴れだして家財道具を壊されたら、かなわんからな」

「いや、でも……」

 反論したいが、自分でもどうなるか予想できないのだ。ぼくは黙り込んでしまった。


「言っておくが、おれはあくまで善意で付き合ってるんだ。べつに協力してやる義理なんてないからな。スキルの使い方が分からなくて困るのはお前自身なんだぜ」

「……分かりました、ランドさん。ぼくを縛ってください」


 どのみち検証作業は必要なのだ。ここは覚悟を決めて彼に従ったほうがいいだろう。

 ランドは太い荒縄を取り出すと、ぼくを椅子にぐるぐる巻きに縛り付けた。やけに手際がいいな、と思った。


「よし、スキルを発動してみてくれ」

「はい……ステータスオープン」

 先ほどと同じように、目の前にステータス画面が現れた。同時に脳みそが変質し、存在するはずのない記憶が生えてきた。


「どうだ、何か変化があるか?」

「まるで他人の頭の中にもぐりこんだような感じです」

「どういうことだ、悪霊憑きとは違うのか?」

「どうも違うようです。ところで、ぼくの目の前には板のようなものが浮かんでるんですが、分かりますか?」

「いや、何も見えないが」


 といった感じで、しばらくランドと問答した結果、このスキルの特徴が分かってきた。

 ステータスを開くと、この世界とはまるで異なった世界を生きた男の頭脳とつながる。

 メインスキルの『文学全集』を発動させると、その男の蔵書を読むことができる。


「この『文学全集』は板に触らないと発動しないんです。暴れないことは保証しますから、縄をほどいてくれませんか」

「そう言われても、おれには板が見えないんだ。まさか騙そうとしてるんじゃないだろうな。そもそも異世界の蔵書が読めるなんて、話が奇想天外すぎて信じられない」

「分かりましたよ。じゃあ、右手だけでいいです。体は縛ったままでいいですから、右手だけ動くようにしてください」

「仕方ないな……」


 ランドはしぶしぶ縄を縛り直した。

 自由になった右手で『文学全集 Lv.1』の文字列をタップすると、画面が切り替わって目次が現れた。

 相変わらず第一巻の福沢諭吉集しか表示されない。『学問のすゝめ』はさっき読んだので、その次の『西洋事情』を開いてみた。


「今から『西洋事情』という本を訳しながら朗読します。これは異世界でも先進地域として知られるヨーロッパやアメリカの社会システムを解説したものです」

 スワイプすると画面がスクロールしたので、小引(序文)を飛ばして備考(本文)から読み始める。


「政治に三様あり

 曰く立君モナルキ、礼楽征伐一君より出つ」

 礼楽征伐の部分は、儀礼から戦争まで、と訳しておいた。


「曰く貴族合議アリストカラシ

 国内の貴族名家相集(あいつどい)て国政を行ふ

 曰く共和制レポブリック

 門地貴族を論せす人望の属する者を立てゝ主長となし

 国民一般と協議してまつりごとを為す」


 最初の項目である『政治』はこのような書き出しで始まり、各国の政治体制の違いを整理、分類している。

 巻之一ではこのあと収税法、国債、紙幣、商人会社、外国交際など23項目にわたって解説が続く。

 とりあえず政治の項を読み終えたところで、ランドの様子をうかがってみた。


「…………」

 彼はなにやら深刻な表情でうつむいていた。


「あのー、どうですか? 異世界の政治についての文章なんですけど」

「ん? ああ、なるほど……確かに異世界の書物らしいな」

「分かってくれましたか。だったら、そろそろ縄をほどいてもらっていいですか」

 ぼくの言葉が耳に入っていないのか、彼は眉間にしわを寄せて虚空を見つめている。


「あの、どうかしました?」

「あのさあ……」

 ようやく反応したランドは、イライラした感じでこっちを見た。


「おれが言うのも何だけど、お前さん、ちょっと不用心すぎないか? さっきまで名前も知らなかったような人間に自分を縛らせるなんて、いくら無鉄砲がウケるといっても限度があるだろ」

「いや、だって、ランドさんがやれって言ったんじゃないですか」

「おれはスラムの住人で、しかも汚わい屋だぜ。そんな奴を簡単に信じるなよ。この辺には子供をさらって人買いに売り飛ばすようなクズがウヨウヨしてるんだ!」

「急にどうしたんですか」


 ここでランドはハッと我にかえった。照れくさそうな顔をしながら、あわてて縄をとき始めた。


「……悪かったな。お前があまりにも呑気だから、ちょっと心配になったんだ。忠告させてもらうが、他人を信用するのはやめろ。おれも含めてな」

「はあ」

「そのうえで提案なんだが、もう広場で歌うのは止めたほうがいい。フクザワ・ユキチの本は大っぴらに広めるには危険すぎる。その代わり、おれが客を見つけてきてやろう」

「えっ、お客さんを見つけてくれるんですか」

「ああ、たぶん少人数の秘密集会みたいになるけどな」

「スキルの使い道ができるなら大歓迎ですよ。それに少人数の前で披露するなんて、お大尽の座敷に呼ばれるみたいで、逆にうれしいぐらいです」


 芸人のランクとしては、大道芸より常設小屋、常設小屋よりも個人に雇われて少人数を相手にするほうが上等とされている。


「しばらくは大人しくしてることだ。一週間後の夕方に、また広場に来いよ。その時に集会の日時を連絡するから」

「はい、よろしくお願いします」


 気が付くと日が暮れかけていた。ぼくは礼を言ってから彼の部屋をあとにした。

 通りを歩きながら、ランドの言葉をかみしめる。


「他人を信用するな、か……」

 たしかにお人好しのお坊ちゃん気質であることは否めない。

 ぼくは村長の息子なので、人から騙されたり裏切られた経験があまりないからだ。


       〇


 奇妙な吟遊詩人が部屋を出た直後、ランドは放心したように椅子にもたれかけた。

 すると床の一部がパカッとひらいて、若い女性が顔を出した。


「ずいぶん彼に入れ込んでるわね、兄さん」

「まあ生い立ちがおれに似てるからな。それに、あいつのスキルはとんでもない代物だ。わずか三十分の講義で、政治学の基礎が身に付いちまったからな」

「たしかにあの講義を聞くと、頭の中がスッキリ整理された気分になるわね。この国の宰相ですら、あんなに系統立てて政治というものを理解してないんじゃないかしら」

「それだけに、あいつのスキルは劇薬になりうる。誰かがコントロールしてやらないと、何が起きるか分からない」

 ランドは立ち上がると、手を伸ばして妹を引っ張り上げた。


「こんな隠し部屋なんか作ってどうするのかと思ったけど、初めて役に立ったわね」

「それで鑑定の結果は?」

「苗字持ちだったわ」

「なるほどな、どうりで呑気なわけだ」

「それに彼が自分のステータスを開いたら、とたんに表示が見たことのない複雑な文字に切り替わったの。あれが異世界の文字というやつかしら」

「つまり異世界の書物という話も本当だったわけだ」

「なかなかいい働きをするでしょ。優秀な妹に感謝しなさい」

 ランドの妹は微笑を浮かべた。どうやら彼女は鑑定スキルを持っているようだ。

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