ヒューロッド・トラーソン(吟遊詩人)
王都アルンデアは巨大な城塞都市だ。国中からはもちろん、外国からも人が集まってくる。
街にはドワーフや獣人など亜人のすがたもチラホラ見られた。
ぼくは兄の取引先に荷物を届けると、その足でさっそく芸人ギルドに向かった。
「珍しい楽器をお持ちですね。弾き語りをされるんですか」
対応してくれた事務員は感じのいい猫獣人の女性だった。
「下宿屋を紹介してくれると聞いたんですけど」
「どのような物件をご希望ですか?」
「部屋代と食事代、あと仲介手数料を取るなら、それも込みで年間百万ゴールドきっかり。これ以外の条件は問いません」
「でしたら丁度いい物件があります。資金の貸付けサービスは利用されますか?」
「いえ、一年分を一括前払いでお願いします」
カウンターに金袋を置いたとき、事務員の目つきがこちらを睨みつけるような感じになった。
その表情の変化が気になったが、気にせず手続きを進めることにした。
紹介されたのはスラム街と平民街の中間に位置する古ぼけた二階建ての家だった。
家主は陽気な雰囲気のおばさんだ。五年前に道化師の夫を亡くした未亡人だという。
「一括前払いなんて、ヒューさんはお金持ちなのねえ、ひょっとして貴族か大商人のお坊ちゃんかい?」
「ただの農民ですよ。これでもう正真正銘の一文無しです」
「まあ、一年間は飢え死にすることはないからね。その間になんとか稼げるように頑張りなさい」
ちょうど夕食の用意ができてるという事なので、二階の自分の部屋に荷物を置くと、いそいで食堂にむかった。
食堂では、もう一人の下宿人がスープを掻きこんでいた。ぼくより少し年下らしい金髪碧眼の美少年だ。
「よう新入り、おいらはケーン。役者の付き人をしている」
「ぼくはカルドネラ村のヒューロッドだ。ヒューと呼んでくれ」
「ヒューロッド? やけに気取った名前だな。ひょっとして貴族さまかい」
「まさか……たんなる親父の趣味だよ」
本当はトラーソンという苗字まで持っているのだが、説明が面倒なので黙っておいた。
「おめえ、ギルドの貸付けサービスを断ったんだってな。なかなかお利口さんじゃねえか」
「お利口さん? どうして」
「クソより汚ねえ組織なんだぜ、芸人ギルドってのは。若手芸人の支援、育成をするなんて立派なお題目を唱えてるけどよ、その実態はただの金貸しなんだから」
「へえ」
「低利なのは最初だけ。返済が遅れると、利子が利子を呼んで借金が雪だるま式に膨らむ。トンズラこいても無駄だ。怖い怖い借金取りが地の果てまで追いかけてくるからな」
なるほど、事務員がにらみつけてきた理由が分かった。借金を背負ってもらわないと利益にならないからだ。
ロブ兄さんはこのことを見抜いていたんだな。
「じゃあケーンも融資を受けてないのか?」
「いや、受けた。使えるもんは使わねえと、もったいないだろ」
「さっきと言ってることが違うぞ」
「いくら怖い借金取りでも、身内から金を巻き上げることはしねえからな。おいらの親は、その筋ではちょっと名の知れた顔役なんだ」
美しい顔に似合わず品のない言葉をつかうと思ったら、その筋の出身だったのか。
「ひょっとして最初から踏み倒すつもりで融資を受けたのか?」
「……引いた?」
「いや、面白い。もっとその話を聞かせてくれ」
こんな感じでぼくは王都での生活をスタートさせた。
〇
翌日から師匠探しを始めた。
しかしこれが全然うまくいかない。有名な吟遊詩人を片っ端から尋ねたのだが、片っ端から断られた。
理由は二つある。ひとつはぼくの歌う豪傑バンダーが間違いだらけだという事だ。
自分としては正確に覚えたつもりだったが、かなりの部分がオリジナルの詩になってしまっている。
しかも子供の考えた詩だから、矛盾や事実誤認が大量に含まれているのだ。
しかしまあ、これは大した問題ではない。正しい詩を覚えなおせばいいだけだからだ。
問題は二つ目の理由だ。誰も六弦の弾き方を知らないのだ。
ほかの楽器に乗り換えることは考えられない。六弦琴はぼくの原点であり、恩人である兄が与えてくれたものだからだ。
楽器込みの芸である吟遊において、楽器を教えられないという事は何も教えられないに等しい。
というわけで、どの師匠もさじを投げてしまったのだ。
途方に暮れたぼくは隣室のケーンに相談してみた。
「……なるほどな、案外義理堅いんだな、ヒューは」
「おまえから見れば甘っちょろい考えかもしれないがな」
「いやいや、おいらだって嫌いじゃないぜ、そういう話は。暗黒街の住人は意外と義理人情に厚いんだ。身内に対してだけだが」
「ケーンは六弦の弾き方を知ってる人間に心当たりはないか?」
「知らねえなあ。ずっと北のほうの楽器なんだろ? 王都なら探せばいると思うが……」
「下手したら探してるうちに一年たってしまうよ」
「四弦のコードなら、いくつか知ってるから教えてやるよ。当面はそれで何とか工夫するしかないだろ」
役者の卵であるケーンは簡単な演奏もこなすことができる。
彼のアドバイスに従って、とりあえず上の四弦だけを押さえる変則的な奏法でやっていくことにした。
師匠に付くことができなければ、あとは実戦で鍛えるしかない。ぼくはギルドに登録して歌える場所を割り振ってもらった。
王都には大小合わせて十六の広場があるのだが、実績のない者が割り当てられるのは、一番小さなスラムの広場である。
いかついおっさんが睨みつけてきたり、悪ガキが大声ではやし立てる中、勇気を振り絞って毎日広場に立った。
どうやらぼくは普通の人より図太くできてるらしい。すぐに平気な顔で間違った詩や演奏を披露できるようになった。
親父から受けた訓練も役にたった。ある日、悪ガキに石を投げられたのだが、簡単によけることができたのだ。
石を投げたガキは顔を覚えておいて、あとで拳骨を食らわせてやった。スラムでは舐められたら終わりだからね。
それ以来、こちらを威嚇してくる人間はいなくなった。もっとも、相変わらず収入ゼロの日々が続いていたのだが……
「バンダーばっかり歌ってないで、たまには他のやつをやれよ」
広場に立つようになって三か月ほどたったころ、ぼくの前に背の高い男があらわれた。
たくましい体つきをした、目つきのするどい若い男だ。
「他のやつですか? ぼくが他に知ってるのは、カルドーン王国の逸話ぐらいですよ」
「カルドーン王国? たしか、ずいぶん昔に滅んだ国じゃないか」
「ぼくの出身地はその国からの難民が作った村なんです。だから年寄りが語る昔話はカルドーン王国のものばかりなんです」
「興味深いな。即興でいいから、それを歌にしてくれ」
珍しいリクエストだ。たいていの人は自国の英雄譚を、それも有名な話を繰り返し聞きたがる。
「即興ですか……分かりました。なんとかやってみます」
ぼくは初代国王の事績を、適当な節をつけて歌い始めた。思い出しながらなので、詩もかなりいい加減だ。
それに事績といっても、手をかざすと泉が湧いたとか魔物を懲らしめて畑仕事を手伝わせたとか、素朴な民話のようなエピソードばかりで気が引ける。
次々と武勲を立てていくバンダーに比べると、うちのご先祖様は地味な事この上ないのだ。
ところが男は大いに気に入ってくれたようだ。
「なかなか良かったよ。また聞かせてくれ」
そういってニヤリと笑うと、金貨を投げてくれた。ぼくの芸が初めて金になった瞬間である。
こうしてレパートリーにカルドーン王国の逸話集が加わった。
その日を境に少しずつ稼げるようになっていった。男はすっかり常連客となり、たびたび高額のコインを投げてくれた。
〇
タイムリミットの一年が近づいてきた。ぼくは仕事終わりに安酒場で一杯ひっかけるようになっていた。
今日はいよいよ十五歳の誕生日、つまり女神からスキルを授かる日だ。
夕食を済ませたあと、下宿を抜け出して近所の酒場にやって来た。一人で祝杯を挙げるためだ。
「おや、ヒューじゃないか」
しばらく飲んでるとケーンが入ってきた。年増の商売女を引き連れてゴキゲンの様子である。
「一人で飲んでるのか、寂しいやつだな。お前みたいなのをビッチっていうんだぜ」
「それを言うならボッチだろ。ビッチというのはケーンが連れている女のことだ」
年増女が蹴りをかましてきたので、すかさずよける。ついでにハイヒールを取って遠くに投げてやった。
あわててそれを追いかける彼女の姿を見て、ケーンはギャハハと笑った。
「すっかり芸人らしくなったじゃねえか」
「あきらかに隣人の影響だよ。ぼくは女性に紳士的だったはずなのに」
「いつも一人で飲んでるのか? 大道芸仲間に嫌われてんのか」
「今日は十五歳の誕生日だからね。仲間がいたら落ち着いてスキルを確かめられないだろ」
「そうか、スキルを授かる日か。だったら同席させてくれよ。おいらが授かるのは来年だけど、参考までに見ておきたいんだ。大丈夫、静かにしてるから」
ケーンはぼくの返事も聞かず隣に座ってきた。
「ちょっと! あたいはどうなるのさ」
年増女がハイヒールを履いて戻ってきた。
「っせえな、今日はヒューの大切な日なんだ。ブスは引っ込んでろ」
「なにさ、男同士でイチャつきやがって。気持ち悪いわね!」
彼女は怒って酒場を出てしまった。
この世界で十五歳を迎える人間が何人いるのか分からないが、相当な数に上るのは確かだ。
そのすべてにスキルを授けて回るのだから、女神というのも大変な仕事である。
ぼくの所に女神が現れたのは明け方近くだったと思う。そのころにはケーンにしこたま飲まされて泥酔状態になっていた。
――もしもし、もしもし
頭の中に声が響いた。澄んだ美しい女性の声だ。
「ふぁい、何でしょう……」
――あなたに特別なスキルを授けます。このちからは選ばれたものにしか
「何です? もう少し大きな声で」
――ですから! 特別な! スキルです!
「ああうるさい! 頭がガンガンする」
――あなたには重大な使命があります。この世界は生活水準の向上に比べて文化、芸術の発展が著しくおくれています。そのアンバランスを是正するために、異世界人の魂を加工した強力なスキルを作りました。非常に効果が高いので用法、用量をまもって正しく……聞いてます?
「ぐう……」
――起きてください! まだ説明は終わってません
「しゅいません、酔っぱらってるもんで」
――ステータスオープンと唱えてください
「しゅてーたすおーぷん」
女神の言葉を復唱すると、目の前に板のようなものが浮かび上がった。その板には見たことのない複雑な文字が書かれていた。
「ぶんがく……じぇんしゅ……」
見たことがないはずなのに、なぜか読めてしまう。
――残念ながら時間がきてしまいました。わたしは次の仕事があるので、これで失礼します。詳しいことはスキルに聞いてください。では、ご機嫌よう。あーいそがし
それっきり頭に声が響かなくなった。どうやら女神は去ったらしい。
「なにこれ……」
ぼくは宙に浮かぶ板を指でつついてみた。すると画面が変わり、別の文字列が現れた。
どういうわけか知らないが、その文字列が書物のタイトルを並べたものだと知っていた。
「おい起きろ。しゅキルを授かったぞ」
ぼくは隣で舟をこいでいるケーンの肩をゆすった。
「ブンガクじぇンシューだってよ、おい!」
「うーん、もう少しだけ寝かせてくれよ、かあちゃん……」
「寝ぼけてる場合じゃにゃいぞ……」
だがケーンをゆすっているうちに気持ち悪くなってきた。ぼくの記憶はそのあたりで途切れてしまった。