カルドネラ村のヒュー(村人)
ぼくが七歳のころ、村に吟遊詩人がやってきた。旅の途中で一夜の宿を借りに来たのだ。
年のころは三十の半ばぐらい。身なりはボロボロだが、背中にせおった妙な形の弦楽器が目立っていた。
排他的な村ではあるが、娯楽に飢えてもいたので、村人たちは喜んで吟遊詩人を迎え入れた。
彼はさっそく村の広場をかりて、弦楽器をかき鳴らしながら、この国の英雄伝説を歌い始めた。
「豪傑バンダーってなんだ?」
「聞いたことねえな」
村人たちは初めて聞く英雄詩にとまどった。
ぼくの村はちょっと特殊で、百年前に戦争でほろぼされた国からの難民が入植して作った村なのだ。
あまり外部との接触がなく、村の古老が語る昔話はほろんだ国の逸話や伝説ばかりだった。
なので年寄りたちは、なじみのない歌に居心地が悪そうだった。
ところが若者の反応はちょっとちがった。
「やっぱり、この国に住んでるなら、この国の英雄を知らなきゃ駄目だよなあ」
「そうだよ、だから田舎者だって馬鹿にされるんだ」
初めて聞く新鮮な英雄譚に、しだいに引き込まれていった。もちろん、ぼくもその一人だ。
「……お粗末さまでした。スーラン平原の合戦におけるバンダー千人斬りの一席でした。今日はもう遅いのでさわりだけですが、明日は村長のお許しをえて、豪傑バンダー一代記の全編をお送りしたいと思います」
さわりを歌い終えたところで、ちょうど日が沈んだ。
吟遊詩人はぺこりとお辞儀をすると、楽器を抱えて広場を出ていく。今夜は村で一番広い村長の家に泊まるのだ。
ぼくは村長の息子だったので、彼の手を引いて案内した。
「その楽器はなんていうの?」
「これは六弦琴だよ。北のほうの楽器で、哀愁のある響きが特徴なんだ」
「8の字みたいな形が無茶苦茶かっこいいね。あとバンダーはどれくらい大きいの?」
ぼくは吟遊詩吟に思いつくまま質問し続けた。彼は辛抱強く答え続けてくれた。
食事が終わってからも質問攻めにしたので、しまいには親父にブッ叩かれた。
次の日、広場にはほとんどの村人が集合していた。
「ヒュー! こっちだ」
少し遅れてやってくると、先に来ていた兄が手を振ってきた。村長特権で、かぶりつきの一番いい場所を確保している。
ぼくが席につくのと同時に公演が開始した。
吟遊詩人は前置きなしに、いきなり六弦琴をかき鳴らして歌いはじめた。
やっぱりこの人はすごい。
悲しい場面では声を絞り出すように切々と歌い、高揚した場面では跳ねるように高らかと歌い上げる。
村の古老のムニャムニャとした語り口とは雲泥の差である。
村人たちは吟遊詩人の見事な芸にすっかり魅了され、物語に引き込まれていった。
ぼくも最初は気楽に聞いていたけど、気がついたら彼の歌を一言も聞き逃すまいと、前のめりになっていた。
「……これにて豪傑バンダーの一代記、全編の終了でございます。ご清聴ありがとうございました」
バンダー臨終の場を歌い終えて、吟遊詩人は六弦琴を置いた。広場のあちこちから、すすり泣きが聞こえていた。
ぼくはというと、涙こそ流さなかったが、魂が震えるほどの感動を覚えていた。
内容自体は亡国の英雄伝説と大差ない。ところが伝え方によって、こうまで人の心を打つものになるとは初めて知った。
ぼくは齢七つにして芸能の奥深さに気づいてしまったのだ。
そのあと広場は即席の宴会場と化した。村人たちが吟遊詩人を取り囲み、家から持ち出した酒や料理をふるまった。
「海に近い村では畑に干し魚を挿すようですよ。え? 事件ですか? そういえば、キー州のドン・ファーンという大商人が怪死した事件がありまして……」
吟遊詩人はほかの村の様子や王都で見聞した事件などを話して、村人たちを楽しませる。
ぼくは何とか彼と話す機会をうかがったけど、果たせぬまま無理矢理家に連れ戻された。
起きた時にはもう吟遊詩人はいなかった。
村長からの謝礼金と村人からもらったチーズや干し肉をどっさり抱えて、日が昇る前に村を出ていたのだ。
それ以来、ぼくは豪傑バンダーを四六時中歌うようになった。
頭の中では吟遊詩人の歌声がガンガン響いている。なんとかそれを再現するべく努力を重ねた。
くり返し歌うことによって記憶が定着し、一代記のすべてを暗唱できるようになった。
誰彼かまわず歌を聞かせようとするのが良くなかったのだろう。しだいに人が寄り付かなくなっていった。
いつしかぼくは「詩グルイ」というあだ名をつけられていた。
〇
「ヒュー! こっちに来なさい」
ぼくが十歳のときだ。庭先で妹にむりやり歌を聞かせていたところ、親父に呼びつけられた。
「今日からお前に剣術を授けることにする。これは王家に生まれた者のたしなみだから、心して励むように」
そういって親父は木刀を渡してきた。
ちなみにぼくの家系は亡国の王族の血を引いている。とはいっても、たまたま他国にいて難を逃れた王弟の六男の末裔でしかないのだが……
「まずは素振りからだ」
親父には逆らえないので、ぼくは言われるまま木刀を振りはじめた。しばらく続けていると、後ろから声がかかった。
「親父、国が滅んで百年もたってるのに、いつまで王族のつもりでいるんだ。もっと現実を見ろよ」
ふり返ると、領都へ奉公に出ていた兄が立っていた。
「あっロブ兄さん、帰ってきたんだね!」
「休暇がとれたんだ。一年ぶりだなヒュー、しばらく見ないうちに大きくなったなあ」
六歳上の兄であるロブスターは去年、成人したときに女神から「監督者」というスキルを授かった。
このスキルの恩恵は二つあった。ひとつは他人の才能を見抜くこと。もう一つは仕事への貢献度を数値的に測れることだ。
これによって人材を適所に配置し、その功績を正確に評価することができる。まさに「監督者」の名にふさわしいスキルだった。
このスキルのうわさを聞きつけた商会にスカウトされ、今は領都で商人の見習いをしている。
「ねえ、ぼくに吟遊詩人の才能はある? ねえ、どうなの?」
「ヒューはまだ十歳じゃないか。才能の方向性すら定まってない時期だ。女神からもらえるスキルは、十歳から十五歳までの期間に何をしてきたかによって決まるからな」
その言葉を聞いて愕然とした。このまま剣術の訓練をしていると、歌ではなく剣術のスキルを授かってしまう。
「だったら、ぼく剣術は止める!」
「いや、続けたほうがいい。体力づくりになるし、いざという時の護身術としても役に立つからな。げんにおれは剣術のサブスキルをもっている」
ロブ兄さんはぼくから木刀を取り上げると、見事な剣術の型を披露した。舞を舞うような美しさだった。
「おいロブ! おまえはさっきから、わしに現実を見ろと言ったり、ヒューに剣術をやれと言ったり、一体どっちの味方なんだ」
親父が会話に割り込んできた。
「たんに現実的になれと言ってるだけだよ。剣術はサブスキルとして役に立つから習得したほうがいい。でもそれは、王族うんぬんの話とは関係ない。こんな箱庭みたいな村で、よきにはからえ、なんてやってても滑稽なだけだろ」
「おまえには王族としての誇りはないのか」
「必要なのは村の指導者としての誇りだよ。そう思ったおれは、剣術以上の時間を費やして、村人たちの仕事ぶりを観察した。要領のいい仕事の進め方とは何かを考えながらね」
たしかに、数年前に兄さんが提案した改善策によって、村の生産量は上がっている。
「おかげでいいメインスキルを授かることができたし、こうして実家に金を入れることもできるというわけだ」
兄さんはふところから金袋を取り出した。
昔から頭のいい人だったが、領都に行ってから、さらに弁舌の巧みさに磨きがかかていた。
村から一歩も出たことがない田舎の村長が、理屈でかなうわけがないのだ。
「……もういい! さっさと母さんに挨拶してこい!」
そういって目の前から追っ払うのが精一杯だった。
ロブ兄さんは一週間ほど滞在したのち領都に戻った。
それ以来、親父の意固地さに拍車がかかってしまった。何が何でもぼくに王族の自覚を持たせようと躍起になった。
しかし村では兄さんのまいた種は確実に芽吹いていた。
若者たちを中心に、ロブスターを見習って積極的にこの国に溶け込もうという機運が高まっていたのだ。
兄さんを頼って領都へ出稼ぎに行く者が少しずつ増えていった。
その現金収入が村に送られてきたおかげで、村人たちの生活水準も少しずつ上がっていった。
そんな様子を間近で見ているせいか、みんなと同じ農民のくせに、威張るだけで何もしない親父に違和感しか感じなかった。
剣術の訓練は続けていたが、一向に上達する気配がない。後から参加した妹に後れを取る始末である。
それ以上の時間を費やして歌の修練に励んでいたからだ。
あと必要なのは楽器だ。なんとかスキルを授かる十五歳までに手に入れなくてはならない。
ぼくは出稼ぎ組に頼んで、あの吟遊詩人が持っていた8の字型の六弦琴を探してもらっていた。
そして成人まであと一年という時期に、その日がやってきた。
〇
領都からの貨物馬車が村に到着した。
村の若者たちが共同購入した魔導紡績機を搬入してきたのだ。魔石の力で動くという最新の魔道具だ。
その馬車に便乗して、出稼ぎに行ってたお向かいのジャワさんが帰ってきた。
ロブ兄さんの同世代で、昔は村のガキ大将だった人だ。兄さんを参謀としてよく連れまわしてたのを覚えている。
「よう詩グルイのヒュー坊、お目当ての品をもってきてやったぜ」
彼の手には待ち望んでいた六弦琴があった。
「ありがとうジャワさん! お代はどうしよう……」
「これを買ったのはロブだよ。おれは帰るついでに運んできただけだから、お代はいらない。あとでロブにお礼の手紙を書きな」
兄さんが主人の付きそいで北の隣国に行ったとき、たまたま街で見かけた物らしい。
ぼくはさっそく庭先で六弦琴を弾きはじめた。適当にジャカジャカ鳴らしながらバンダー千人斬りの場を歌う。
「やかましいぞ! やめんかヒュー!」
怒り心頭の親父が家から出てきた。そういえば紡績機が気に入らなくて、朝から機嫌が悪かったんだ。
「紡績機は村の外で稼いだ金をあつめて買ったんだ。いくら村長でも金のつかい道を指図する権利はないだろ」
「わしは楽器をやめろと言ったんだ」
「なあ親父、時代は変わるんだ。新しいものを取り入れていかないと、この村は発展しないよ」
「親に養われてる分際で生意気なことを言うな! おまえは黙って剣術の稽古をしていればいいんだ! 何だこんなもの!」
親父の手がのびて六弦琴をひったくろうとした。
ぼくは反射的にそれをかわして逃げようとしたが、剣術スキルを持つ親父にはかなわない。
たちまち縮地で距離を詰められ、足払いを食らってひっくり返ってしまった。
「稽古をサボるからこういう事になるんだ」
「なんだよ! 剣術なんて騎士のスキルだろ? 王様に必要なのはもっと別のスキルのはずだ。たとえば兄さんみたいな……」
「なんだと? わしよりロブのほうが王にふさわしいというのか」
「だってそうじゃないか。村の生産量を上げたり、仕事の世話をしたり、親父よりよっぽど指導者らしいことをしてる。だいたい親父は剣術以外になにか王様の勉強をしたのかよ」
「そこまでわしを侮辱するか。そんな奴の面倒はもう見きれんな」
親父の表情が、急に冷たいものとなった。
「ヒュー、お前を勘当することにした。村からも追放する。これからはロブに養ってもらえ」
そういって家の中に引っ込んでしまった。
「上等だよ! こんな村、出て行ってやるよ!」
ぼくは紡績機を搬入してきた馬車と交渉して、領都まで乗せていってもらうことに成功した。
〇
「呆れたやつだ。無鉄砲にもほどがあるだろ」
ロブスター兄さんは困惑した表情でぼくを店に入れた。彼は二十歳にして支店の一つを任されるまでに出世していた。
「まあいい、来月には休みが取れそうだから、おれが一緒に行って頭を下げてやる。そのころには親父の頭も冷えてるだろうからな。おまえはそれまで、ここで店の手伝いでもして待ってろ」
「いや、ぼくは吟遊詩人で身を立てたいんだ」
「ちょっと待て。本気でそんなこと言ってるのか」
「本気だよ。だから兄さん、ぼくに才能があるかどうか、スキルを使って見てもらえないかな」
「おれのスキルは貢献度を測るのがメインだ。才能鑑定のほうはあまり当てにならんぞ。十年かけてようやく実を結ぶ才能もあれば、あっという間に花開いてあっという間に枯れてしまう才能もある。それらを一つの尺度で測るのは無理な話だ」
「それでもいいから見てくれよ、頼むから」
ぼくはロブ兄さんに頭を下げた。
「こんな事なら六弦琴を買うんじゃなかったな。せめてスキルを授かるまで待てと言いたいが……言っても聞きそうにないな」
根負けしたように頭をかくと、真剣な表情で僕を見つめてきた。どうやら鑑定を始めてくれたらしい。
「……こりゃ驚いた。おまえの将来は落伍者として野たれ死ぬか、成功者として大往生をとげるか、二つのうちどちらかだ。中間はない」
「本当かい?」
「吟遊詩人の道を進めばそうなる。もちろん親父の跡を継いで村長になれば話は別だがな。その場合は可もなく不可もなくといったところだ。詩グルイの名物村長として一生を終えるだろう」
「だったらぼくは勝負に出るよ。この街で吟遊詩人として成り上がってやる」
「本気なんだな?」
ぼくが本気だという事がようやく分かったのだろう。兄さんは先ほどとは打って変わって、真剣に相談に乗ってくれた。
「まずは有力な師匠に弟子入りするのが良いんだろうが、こんな地方都市では、あまりいい芸人はいないだろうな」
「そうなの?」
「おまえの基準は、いつか村に来た吟遊詩人だろ? あれは相当な腕の持ち主だ。おれがこの街で見た芸人はみんなあれ以下だぞ」
「まいったな……どうすりゃいいんだ」
「思い切って王都に出たほうがいいかもしれん」
「お、王都に?」
急にスケールの大きな話になって気後れしてしまった。
「王都はこの国でも上位に入る商人や貴族が集まる場所だ。必然的に芸人のレベルもそれに見合った一流どころが集まっているはずだ。その芸を見るだけでも勉強になる。あと、王都には芸人ギルドという組織がある」
芸人ギルドとは、成功した芸人たちが金を出し合って若手芸人の支援、育成をする組織だ。
王都の広場はすべてこのギルドが使用権を押さえていて、登録すれば大道芸の場所を割り振ってくれる。
ほかにも下宿先を紹介してくれたり、部屋代と食事代を低利で貸付けるサービスもある。
「この貸付けサービスは利用しないほうがいい。そうだな……一年分の部屋代はおれが出してやる。そのころにはスキルを授かってるはずだから、一年たったらいったん戻ってこい。また鑑定してやる」
「えっ、部屋代を出してくれるの? いや、何もそこまでしてもらわなくても……」
「これは商人の流儀だ。五分五分の確率で成功するとしたら、保険としてこのぐらいの恩は売っておくべきだと判断したまでだ」
「さすがロブ兄さんだな。どこまで行っても現実的だ」
「ヒュー、親父にとっての剣術は、お前にとっての歌とおなじだ。あの人にはそれしかないんだ。あまり恨むんじゃないぞ。親父には剣術で身を立てるために村を出るという選択肢もあったはずだが、その勇気がなかったようだ。箱庭の王様でいることを選んだんだな。それに比べれば、お前のほうがよっぽど立派だと思うぞ」
数日後、ぼくは兄さんの店の配送係という名目で、王都に向かう貨物馬車に便乗していた。