「真景累ヶ淵」
横顔バリーを倉庫に放り込んだあと、頼れる隣人ケーンとぼくは、楽屋のソファで毛布にくるまって寝た。もちろん別々のソファにである。
王立劇場の楽屋は広々としており、二人掛けのソファが四脚、テーブルの周りを囲むように置かれているのだ。
ちなみにスカーレットは、ひとまわり小さい隣の第二楽屋を使ってもらった。こちらは女性用の楽屋で、ソファが二脚置かれている。
そして翌朝。
「見ろよヒュー、なかなか豪華な馬車だろ」
劇場の前には派手な装飾をほどこした中型の馬車が停まっていた。それをケーンが自分の物でもないのに誇らしげに指さしている。
これは今回のような出張演劇のために、バリーが特別に作らせた専用の馬車だそうだ。
車体は彼の所有物だが、貴族と違って馬と御者は所有できない。だからそれらは輸送業者からレンタルしている。
車内は前後で二つの区画に分かれていた。
前部は居住区になっていて、左右の横壁にはそれぞれ二人掛けのソファが、向かい合わせになるように設置されている。
後部は荷台になっており、衣装や小道具、背景が描かれた幕などが入った箱が積まれている。
内部を覗いたぼくはすっかり感心した。異世界におけるミニバンやワンボックスカーに似た構造だ。
「業者の馬車なんかより、断然乗り心地がよさそうだな。しかも四人まで乗れそうだ……なあケーン」
「悪いなヒュー、この馬車は二人乗りなんだ」
「まだ何も頼んでないのに、スネ夫みたいなこと言うなよ」
「すねお? 何だそりゃ」
「い、いや、何でもない」
最近はぼくもいいかげん学習しており、朗読しない時でもなるべくスキルを発動しっぱなしにしている。
それによって記憶の齟齬が少なくなった半面、このように異世界の用語がポロリと出て周囲を困惑させることが増えた。
「おめえの言いたいことはお見通しよ。途中まででいいから乗せてくれ、と頼むつもりなんだろ?」
「それだよ、それ。だって詰めれば四人乗れそうじゃないか」
「その詰めればという発想が貧乏くせえんだよなあ。いかにも田舎者が言いそうな台詞だ。これは師匠が乗る車だぜ。王都の芸人たちの頂点に君臨する偉いお方だ。そんな師匠が、なんで一介のFランク芸人のために窮屈な思いをしなきゃならねえんだよ」
「一応、三日前にEランク昇格したんだが」
「変わらねーだろ、そんなの」
このあたりでぼくとケーンはこらえきれずに笑いだした。こういうやりとりは二人にとって日常茶飯事なのだ。
「じゃあな、気をつけて帰れよ、田舎者」
「余興の成功を祈ってるよ、腹黒小僧」
二日酔いでへろへろのバリーが押し込まれると、馬車は早朝の王都を出立した。
ぼくとスカーレットは徐々に小さくなるその後姿をぼんやり眺めた。
「……あいつらはどうも好かん」
冒険者がぼそっとつぶやいた。でかい女と言われたことを根に持っているようだ。
〇
ぼくたちが出発したのはそれから六時間ほどたってからだ。普通に考えれば、数日程度でこの差はなかなか埋まらない。
ところがである。
さきほど今生の別れみたいな描写をしておいて申し訳ないが、ぼくらはケーンたちの馬車に追いついてしまったのだ。
王都を出て五日後、業者の乗合馬車はアイクという町に入った。
本当ならもう田舎に到着している頃なのだが、三日三晩降り続いた長雨のせいで、旅程の半分しか消化できていなかった。
どろどろにぬかるんだ悪路に苦戦しながら、馬車は次の停留所を目指していた。
ちなみに次の停留所はアイクではなく、そこを通りすぎて川を渡った先の町にある。
ところがアイクに入ったとたん、同じ業者の御者仲間が、われわれの馬車を止めに入った。
「どうしたんだ一体。ここは停留所じゃないぞ。それに、おまえの馬車はもっと先を走ってるはずだろ」
御者たちの会話が聞こえてきた。
「この先の川が増水して、橋が流されちまったんだ。ここの領主は、いま必死でかけ直すための資材を集めてるところだ。だから何日かたたないと次の停留所に行けないぜ」
「橋が流されたって? 困ったなあ、ただでさえ旅程が大幅に遅れてるのに」
どうやら川が渡れなくなったせいで、この町にどんどん馬車が溜まっている状況らしい。
御者たちは善後策を講じると称して、どこかに行ってしまった。乗客は町の入口に取り残されてしまった。
とりあえず乗合馬車を出て体を伸ばす。
アイクにある馬車溜まりのスペースは全部埋まっているらしく、街道脇の原っぱには放置された馬車がたくさん停まっている。
「ああ、イライラするなあ、もう!」
ぼくはこの旅行でストレスが蓄積して、爆発しそうになっていた。スキルを発動しっぱなしにしている弊害である。
異世界人の脳と接続しているせいで、時間感覚が21世紀のそれになってしまうのだ。
あらゆる交通機関がそろっていて、トラブルが起きてもその場で代替手段を検索できたあの頃がなつかしい。
「あれは横顔の馬車じゃないか?」
スカーレットが指をさす。その先を見ると、確かに見覚えのある派手な装飾が、馬車のすきまからのぞいていた。
原っぱには車体だけ放置されており、馬も御者も見当たらない。ノックしてみたが、中から返事はない。
おそらくバリーの一行は町の中にいるのだろう。
「よし、探してみよう」
ぼくらはすれ違う人に横顔を見なかったか尋ねながら、アイクの中央通りを進んでいった。
手がかりを得られたのは、もう少しで町を出てしまうと焦ってきたころだった。
「ああ、あの有名な俳優か、確かに見たよ。川へ行く道を聞いてきたんだ。橋が流された現場を見たいと言ってたな。道を教えてあげたら、お礼に握手をしてくれたよ」
ぼくは通行人にお礼をいうと、同行者をふり返った。
「よかったですね、見つかりそうですよ」
「何度も言うようだが、わたしはあいつらが好かんのだ」
気のすすまない様子のスカーレットを、なだめすかしながら川にむかった。
町を出て十五分ぐらい歩くと現場が見えてきた。
土手の上には雑多な人々が五十人ぐらいいた。作業をする人足が十人、指揮をとる騎士が一人、あとは野次馬だ。
人足たちは縄で作られた仮設橋を架けている最中だった。いわゆる吊り橋というやつだ。
その様子をワイワイ言いながら野次馬が眺めていた。お目当ての人物は、少し離れた場所で川面を見ているようだ。
遠目からもバリーの姿は目立っていた。仕立てのいい服をビシッと着こなし、背筋をピンと伸ばす立ち姿は、ほれぼれするほど美しい。
「どうも、吟遊詩人のヒューです」
「ああ、おまえか。とうとう追いつかれてしまったな」
「あの橋では馬車は渡れませんね。人ひとり通るのがやっとだ」
「そうだな、引き返して別の道を探した方がいいかも知れん」
ここが馬車持ちのつらいところだ。
身軽なぼくなら、徒歩で次の町に行って新しい馬車を捕まえる手もあるけど、バリーはそういう訳に行かない。
「ところでケーンの姿が見えないようですが」
「ケーンなら、つい今しがた川に下りていったよ」
バリーは足元の方を指さした。
「えっ!?」
あわてて川をのぞきこむと、金髪を振り乱しながら、むき出しの岩肌にへばりつく彼の姿が見えた。
土手から川面までは七、八メートルほどの高さがある。傾斜地とはいえ、水が引いたばかりなのでかなり滑りやすいだろう。
それに、だいぶ水が引いたとはいえ、まだまだ川の流れは速い。
「き、危険ですよ。なんでそんな無茶なことを……」
「だって面白そうな物を見つけたんだもん。ほら、あそこにでっかい布みたいなのがあるだろ」
確かにケーンの真下には、布のかたまりみたいな物体が、岩に引っかかってゆらゆら揺れていた。
「待ってください、バリーさんが命じたんですか? あれを取って来いと」
「うん」
何か問題でも? と言わんばかりの表情でうなずいた。
ぼくは呆れてものが言えなかった。面白そうだという理由で、下手したら命の危険がある行為を弟子にやらせるなんて。
対岸の野次馬がケーンに気付いて騒ぎ始めた。
「おい、何やってんだ! 危ないぞ!」
「戻れ戻れ!」
「いや、動かないほうがいい! そのままじっとしてるんだ!」
その騒ぎを聞きつけて、こちら側の野次馬も集まってきた。
しかし、ぼくも含めてただの野次馬なので、オロオロするばかりで何もできなかった。
ケーンは岩肌にへばりついて動かない。やはり足場が悪くて、進むことも戻ることもできない状態のようだ。
「おい、ロープを分捕ってきたぞ」
スカーレットが一抱えのロープを持って走ってきた。
橋を架けていた人足や騎士は、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見ている。彼らはどうやら動く気がないようだ。
女冒険者はまず、一番体重のありそうな野次馬を捕まえると、腰回りにロープを巻き付けた。
「おまえはここで立ってろ」
続いて体格のいい順に六人の野次馬を選んでロープを持たせた。運動会の綱引きを思わせるフォーメーションだ。
「おまえらはデブが倒れないようにロープを支えろ。わたしが合図を出したら引き上げるんだ」
ロープのもう一方の端を川面に垂らすと、ヒョイと土手を飛び下りた。
そこからはあっという間だ。スカーレットはするするとロープを伝い下りてケーンの体を抱え込んだ。
「よし、引き上げろ」
彼女の合図とともに六人の野次馬はロープを引っ張った。ものの数秒で二人は引き上げられた。
「どうだ、これが冒険者だ」
スカーレットは蒼ざめた顔でへたり込むケーンに言い放った。
「あ、あの時は……変なことを言って悪かった……この恩は忘れないよ」
二人のあいだで何か険悪なやりとりがあったらしい。おそらく劇場に泊まった夜だろう。
「何やってんだよ、まだ布が取れてないじゃないか。おいケーン、もう一度行ってこい。取れるまで戻るな」
この期に及んで、まだバリーは続けようとする。
「横顔」
スカーレットが師匠の肩を掴んで自分のほうに向かせた。
「なんだよ」
「役者だから顔は勘弁してやる」
強烈なフックがバリーの腹に叩きこまれた。崩れ落ちた彼は胃液を吐きながらのたうち回る。
ぼくはその様子を見ていなかった。ゆらゆら揺れる布から目が離せなかったのだ。
あの物体はどこかで見たような気がする。
「あっ……」
布のかたまりが岩から外れた。それは川の流れに乗って、あっという間に見えなくなった。
〇
その夜、ぼくらはアイクの酒場で夕食を取っていた。
とりあえず今夜はこの町に泊まって、明日は下流へ向かうことになった。川幅の広い下流なら、石造りの頑丈な橋がある。
「結局、あれからバリーさんたちは、馬車に閉じこもって出てきませんでしたね」
「その名前を口に出すな。めしがまずくなる」
スカーレットは古パンの焼き固めをもくもくと食べていた。これは固くなったパンを水でふやかして焼いたものだ。
「……うまいですか? それ」
「悪くないぞ。君も一口食べるか?」
焼き固めを一切れ差し出してきた。
「いえ、結構です」
スキルを発動しっぱなしにする弊害がもう一つあった。それはめしが非常にまずく感じることである。
なにしろ21世紀の日本は、異様に食文化が発展している国として知られていた。めしを食いに世界中から人が集まるのだ。
「おいヒュー、もう食事は終わったか?」
同じ馬車の乗客が話しかけてきた。
「早くあの話の続きを聞かせてくれ。気になってしょうがないんだ」
「分かりましたよ、ちょっと待ってください」
ぼくは食事を早々に切り上げ、画面に「真景累ヶ淵」を表示させた。
初代三遊亭円朝は古典落語の大成者にして、近代落語の祖とよばれる巨人である。
あまりの巧さに師匠から嫉妬され、予定の演目を先に話されるという妨害をたびたび受けた。
そこで、他人が演じることのできない自作の噺を口演するようになったのだ。
速記本としての出版は「牡丹灯籠」より後だが、この「真景累ヶ淵」こそが円朝の創作噺の処女作である。
全部で九十七章からなる超大作で、ストーリーは複雑多岐にわたるので要約が難しい。
前半は怪談としての完成度が高く、とくに発端の「宗悦殺し」と序盤の山場「豊志賀の死」は、くり返し高座にかかっている。
この五日間の旅行では、同じ馬車の乗客相手に、累ヶ淵を毎晩五章ずつ朗読していた。
ちょうど昨日は「豊志賀の死」だったので、同乗客たちは大いに盛り上がったものだ。
「おっ、続きが始まるのか?」
「いよっ待ってました!」
「おれ、昨日は怖くて眠れなかったよ」
乗合馬車の同乗客が、ぼくの周りに続々と集まってきた。
この作品は寄席の高座に上がったつもりでずっと口演してきた。落語の形式を守っているので六弦琴は使っていない。
湯吞みがわりの木製コップをグイッとあおると、旅の途中で手に入れた女性用の派手な団扇をあおぎながら朗読をはじめた。
「えー、ちと模様違いの怪談話を申し上げまする事になりまして、怪談のお話は早く致しますと大きに不都合でもあり……」
「みなさん! 聞いてください!」
いきなり邪魔が入った。
一目でエルフと分かる眉目秀麗な男が、酒場に入ってきたと思ったら、店の真ん中に陣取って演説をはじめたのだ。
「わたしは王都で魔道具工房を営んでいるトリメという者です。名前をご存じの方も多いと思います。五日前、王都で爆破騒ぎのあった日に、一人娘のトーレが行方不明になりました。爆破に巻き込まれたわけではないのは分かっています。じつは信じがたいかもしれませんが、娘は空を飛ぶ魔道具の実験をしていたのです。その実験中に誤って風に流されて、王都の東に飛ばされてしまいました」
これは怪談どころの話ではなくなってきた。
行方不明の娘を探すために、父親がこうして街道を旅している。しかもその娘はぼくの知り合いなのだ。
「五日たっても娘は帰ってきません。連絡もありません。娘の特徴は男のような短髪で、まだら模様の派手なマントを着ています。どんな些細な情報でもかまいません。ご存じの方がいたら申し出てください。謝礼は払います。それから空を飛ぶ魔道具ですが、幌やテントに使う分厚い生地を縫い合わせて、その上ににかわを塗って隙間をふさいだ風船部分と、人を乗せる網かご部分に分かれています。こちらを目撃した方も……」
やはり爆破騒ぎの日に目撃した飛行物体は、トーレの熱気球だった。
そしてぼくの脳裏には、今日の昼に見た巨大な布のかたまりが浮かんできた。どこかで見たような気がしていたが、あれは熱気球のパーツだったのだ。
「トリメさん、ひとつ手がかりになる情報があります」
ぼくは立ち上がって、昼間の出来事を話しはじめた。




