《報告》
翌朝、国防省 特殊作戦群(VF)司令部、上層指令棟。灰色の高機能複合材で覆われた、窓一つない簡素な作戦会議室で、ユキは数人の上層部スタッフ(群司令、G-2局長、戦略AI「グラヴィス」の人間インターフェース担当官など)の前に立っていた。
その傍ら、壁際に並んだホログラムディスプレイの前には、神谷一尉を含む数人のG-2局の若手分析官たちが、背筋を伸ばして控えている。彼らはこの報告会のために、徹夜で戦闘記録とAIログの最終解析にあたっていた。
メインディスプレイには、篠田博士の最新のバイタルデータ、AIによる復旧状況のシミュレーション、そして昨夜の緊迫した作戦の時系列ログが、膨大な情報量と共に整然と表示されている。
「篠田博士の確保は完了。現在、連合軍医療施設(台湾セクター管轄)にて治療中。生命維持システム下ではありますが、意識回復の兆候が見られ、初期の認知反応も一部確認されています」壁際に座る神谷の上官、主任分析官が、手元のデータパッドから冷静に報告を読み上げる。
報告を聞く上層部スタッフたちは、誰一人として表情を変えない。彼らの関心は、博士個人の安否よりも、彼が持つ「シノダアルゴリズム」と、作戦全体の戦略的成果にあるように見えた。
主任分析官が続ける。「作戦中、当初予定のスカイフックによる回収が博士の容態悪化により不可能と判断。現場指揮官(ユキ隊長)の具申と、ネレウス艦載AIの戦術判断に基づき、AERIS-Lによる医療搬送へと作戦を変更。これにより、ステルス性は一部低下し、敵性ドローン2機による迎撃が発生しましたが、護衛部隊及びAERIS-L搭載の電子戦システムの陽動・無力化により、博士及びスノーブレイク隊員は無傷で回収に成功しました」
「人的損害は?」上層部の一人、VF群司令が低い声で問う。その視線はユキに向けられている。
「スノーブレイク隊、オブリビオン隊ともに、人的損害はありません。ただし、篠田博士が敵施設脱出時に被弾し重傷を負ったため、AERIS-Lへの移乗後も継続的な医療処置が必要でした。これが、当初の離脱スケジュールに若干の遅延を生じさせた主な要因です」ユキが、答えた。
「AERIS-Lへの作戦変更は、最終的に戦略AI『グラヴィス』が承認したと記録にあるが、その発端は君の判断か、白川一尉?」グラヴィスの人間インターフェース担当官が、感情を排した声で尋ねる。
ユキは相手の目を真っ直ぐに見つめ返し、淡々と、しかし明確に答えた。
「篠田博士の生命維持が最優先と判断しました。スカイフックでは生存確率が低いと戦術AI及び医療AIが結論。日本からのAERIS-Lでは到着が間に合わない状況下で、ネレウス艦載AIより『社会最適化国連合の相互支援プロトコルに基づき、台湾軍所属のAERIS-L特殊医療回収部隊が既に近傍空域に展開しており、グラヴィスAI及び台湾側統括AIの事前調整・承認のもと、即時支援可能』との情報提供がありました。私は、その情報を基に、現場指揮官としてAERIS-Lによる回収への作戦変更を具申し、ネレウス艦載AIがそれを支持、最終的にグラヴィスが承認したものです。博士を失うリスクと、ステルス性の一時的な低下及び同盟軍の支援を受けることの戦略的意味合いを比較衡量した上での選択です」
神谷は、報告の間ずっと背後のコンソールで関連データの検証を続けていたが、ユキの言葉を聞きながら、直属の上官である主任分析官に、端末からごく短いプライベートメッセージを送った。
《AERIS-Lへの変更判断は、結果的に博士の生存に繋がり、かつ日台連合の高度な連携実態を内外に示す形となりました。篠田博士は、現在『シノダアルゴリズム』に関する限定的な情報開示と、我が国(連合)への技術協力について前向きな姿勢を示しています。この戦略的価値は計り知れません》
主任分析官は、そのメッセージに意識の中で頷き、静かに発言した。
「興味深いのは、白川一尉、君の現場での判断と、それを支持したネレウス艦載AIの戦術評価、そしてそれらを即座に追認し、国際的な連携へと繋げた戦略AI『グラヴィス』の動きだ。AIの予測アルゴリズムだけでは説明しきれない『人間の要素』――例えば、博士の容態変化への即応や、同盟国との信頼関係といったものが、最終的に最適解を導き出したように見える。確率論だけでは語れない、今回の作戦の核心はそこにあったのかもしれない」
一部の分析官がわずかに眉をひそめたが、彼の言葉に正面から反論する者はいなかった。AI統治下の軍事組織においても、予測不能な「人間の変数」の価値を完全に否定することはできない、という認識がそこにはあった。
VF群司令が、ユキに視線を送り、重々しく口を開いた。
「加えて、今回の作戦における台湾軍特殊作戦航空団の迅速かつ的確な支援行動は、特筆に値する。リン・メイファ大佐指揮下のAERIS-L部隊は、極めて危険な状況下で作戦空域に突入し、篠田博士及び我が国隊員の安全な回収に決定的な貢献を果たした。これは、日台『社会最適化国連合』の強固な結束と、両国統括AI間の高度な連携プロトコルの有効性を改めて証明するものだ。国防省として、台湾軍に対し正式な謝意を表明するとともに、今後のさらなる連携強化を確認したい」
短い沈黙の後、VF群司令は改めて記録端末に視線を戻した。
「作戦記録及びAIによる効果分析、そして篠田博士の現状と同盟国との連携成果を総合的に判断し、本報告を承認する。本作戦は、多大な困難と予測外の事態に直面しながらも、主要目標を達成し、かつ全隊員の生還を果たした。**同盟国の多大なる貢献と共に、**成功と認定する」
ユキは無言で一礼し、硬い表情のまま部屋を出ていった。
扉の外では、ナオミとアキが、いつものように少し離れて立っていた。
壁には、明け方のメガリージョンのホログラム風景が淡く映し出されている。
「どうだった、ユキ?」ナオミが、心配と期待の入り混じった声で尋ねた。
「成功。……“公式記録”の上では、完璧にな」
ユキは、どこか遠くを見るような目で、メガリージョンの朝焼けの空――それが本物かホログラムかも判然としない光景――を見つめた。
その後ろで、報告室から出てきた神谷が一瞬だけ立ち止まり、ユキの背中に複雑な視線を送った。
彼女の瞳の奥で、静かな光が、確かに揺らめいていた。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。
いろいろ考えながら修正を加えています。
完成していないままの公開という点、ご容赦くださいませ。




