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《帰還》

突然、ネレウスが警告を発した。

「ミサイル投下型ハンタードローン群が先行投入された模様。深度調整完了後、半自律展開」


「鼻先に撒かれてたってことか」イソベが唸った。「こっちの進路読まれてるのか?」

「深海航跡に反応あり。ハンター型ドローン群、前方から接近中。数:不定。推定スウォーム構成」


ユキは命じた。「回避軌道、最短離脱ベクトル。迎撃手段は?」

「航跡分散プロトコル起動。外板磁気シェル強制拡散、音響ノイズビーコン3基射出準備」

艦体が震え、複数のダミーノイズ球が後方へ射出された。水中に波紋のような干渉帯が広がる。

「航跡分離、完了。ドローン群のロック信号、揺らぎ確認。半数がノイズ球へシフト」

イソベが通信越しに低く笑う。「ひっかかったな、バカ共。次」

「局地ジェル排気、後方第3層から強制排出。擬似海流発生」

「海流で航跡を切る……それ効くの?」ナオミがつぶやく。

「知らん。だが、やる」ユキが即答した。


ネレウスAIが静かに告げる。「敵反応、半数以上ロスト。残存群は同期崩壊中。索敵精度急落」

「全速、維持」ユキが命じた。

ネレウスは音もなく加速する。

モニタ上では、誤誘導されたドローンたちが空虚な海流の中を漂っていることが確認できた。

「第二派の展開を検知。ドローン群、別軌道から高速接近中。推定:追加ミサイル投下型」

AIの警告が響く。ユキは即座に応じた。

「軌道変更、最大斜角で逃げ切れ」

「回避確率:37%。新手は初期捕捉アルゴリズムを強化。前回の航跡分離策は効果薄」

「なら、こっちも手の内を変える」ユキが低く言った。

「第六ハッチ開放、バースト・ベイビー展開」

艇体下部から、複数の微小浮上装置付きカプセルが放出され、電磁振動と音響を放ちはじめた。

“擬似目標”としてハンタードローンの群れを乱す。

「加えて外板構造変位、航跡撹乱波形を変える。ノイズ拡散アルゴリズム、位相反転で」

「拡散完了。敵群の一部が分裂、同士撃ちの兆候あり」

「最大加速。圧力限界まで引き離せ」


艦は自己が残す“痕跡”を計算し、ドローン群をまくための緊急回避機動に移った。

「前方海域に異常波形──高密度音響反応。敵の最終防衛ラインと推定」

艦AIの警告に、ユキが即座に対応を指示する。「航行角変更。最短突破コース。防御対策は?」

「音響圧縮弾を伴う指向性障壁。機体負荷限界を超える可能性あり」

「回避不可能か?」

「圧力干渉波は広域に拡散中。突破には衝撃吸収ジェル層の展開が必要」

「やれ。航路優先。圧壊防止モード起動」

次の瞬間、艇体外殻が変形し、耐圧分散フレームがせり出す。内部ではECSジェルが厚みを増し、乗員を包み込んだ。

「接触まで15秒。衝撃警告──」

艦が揺れた。船体を包むように音響衝撃波が打ちつける。

「左舷第2区画に微細応力の偏差検知。内部フレーム3%過負荷」

ネレウスAIが淡々と告げた。

「自動隔壁、起動して。ジェル層の再展開も」ユキがすぐに応じる。

「損傷、左舷第2区画。隔壁自動遮断、ジェル漏出なし」

「機体、持つ?」ナオミが問う。

「あと二発までは……たぶんな」

「それ以上来たら?」

「祈れ」

ユキは目を閉じ、深く呼吸した。


それから一時間──。

艦は音もなく、最後の防衛圏を突き抜けた。

追尾反応なし、敵機動ノードも索敵圏外へと退いていったとのAI報告があり、

艦内にわずかな安堵が漂いはじめていた。

艦内通信はすでにレゾスキンではなく、有線インターフェースを通じたものになっている。

ジェルによる身体固定のままではあるが、直接繋がれた通信回路を通じて、必要最小限の会話は可能だった。

静けさのなか、ナオミが口を開いた。

「……ようやく、少し息ができる感じね」

「いつも思うんだけどさ、深海って空より怖いよな。見えねぇし、音もしねぇし、敵出てきたら上下どっちかすらわからん」イソベが返す。

「でも、海底のほうが逃げ道はあるんじゃない?」ナオミが言う。

「それは陸地の話だろ。ここで逃げるって言ったら、ぶっ壊すか突っ込むか、どっちかだ」

「その二択なの?」

「三つ目は死んだフリかもな」イソベは小さく笑った。

「……あんた、得意そう」ナオミがからかう。

「バレてんのか」

「でもG増したら、ユキが潰れたかもよ」ナオミが冗談めかして言う。

「私が潰れる前に、艇体のほうが先よ」ユキの声は平坦だが、どこか柔らかかった。

「……でも、ここまで来たのは上出来だよ」ナオミがぽつりと続けた。

「AERIS-L使った時点で、位置はバレるって覚悟してたし」

「博士を生かすには。あれしかなかった」ユキが静かに言う。

「まぁ、水路データは手に入れたのに結局、AERIS-L使ったから、位置探知されちゃったし」

イソベが呆れたように笑った。「骨折り損だったな、俺たち」

「でも、もし水路データがなかったら、そもそもお迎えがこれなかったじゃない」ナオミがいう。

「水路は、潮流、音響共鳴、索敵網の再構成タイミング……全て計算され、動的に変更される」

「水路データがなければ、侵入は不可能だ。」ユキが応じる。

「つまり、見えない通路を通るには、その“地図”が必要だったってわけね」ナオミがつぶやいた。

「そういうことだ」とユキ。

「それに、博士は生きてる」ナオミの声に、微かに安堵が混じった。

「それが全てだ」

ユキの言葉に、誰も返さなかったが、沈黙は不快ではなかった。


ネレウスは予定された、太平洋上の合流ポイントの深度1000mへと到達した。

周囲には、国家の監視網は存在しない。深海の静寂だけが広がっている。


ネレウス艦橋のメインディスプレイに、前方に待機する巨大な水中構造物の音紋が、ゆっくりと浮かび上がった。そのサイズと形状は、通常の潜水艦とは比較にならないほど巨大で、まるで海底山脈の一部が意思を持って移動しているかのようだ。


「目標、距離15キロ。識別コード、『カイリュウ』。我が軍のドローン母艦だ」カンザキが冷静に報告する。ネレウスの戦術AIも、ディスプレイ上に「合流目標:潜水航空支援母艦 JSV-01 KAIRYU」と表示し、自動で最終アプローチシーケンスを開始した。


『カイリュウ』から発信される極低周波の暗号化誘導ビーコンを、ネレウスのAIが正確に捉え、艦は滑るようにその巨大な影へと吸い寄せられていく。窓のない艦橋で、ユキたちは3Dホログラムに映し出される外部映像を凝視していた。そこには、全長300メートルはあろうかという黒曜石のような艦体が、深海の闇に溶け込むようにその姿を現しつつあった。


イソベが、緊張と安堵の入り混じった声で口笛を吹いた。「おいおい、マジかよ…噂には聞いてたが、VFの新型ドローン母艦ってのは、本当に潜水空母だったんだな。こいつなら、世界中のどこへでもドローン部隊を秘密裏に展開できるわけだ」


ナオミも頷く。「ネレウスですらあのサイズなのに、それを丸ごと飲み込むっていうんだから、規格外よね。まさに『海龍』って名前がぴったりだわ」


やがて、カイリュウの艦体中央下部に設けられた巨大なドッキングベイのハッチが、重厚な金属音とも水圧の変化音ともつかない独特の響きと共に、ゆっくりと内側へスライドして開いていく。ベイ内部から、淡い誘導灯の光が深海へと漏れ出した。


《全システム、ドッキングモードへ移行。ポセイドン、カイリュウ管制AIとのハンドシェイク、最終確、カイリュウ管制AIとの同期完了。ドッキングシーケンス、自動制御に移行。進入速度、毎秒3メートル》

ネレウスは、まるで巨大な鯨の口に吸い込まれる小魚のように、カイリュウのドッキングベイへと静かに進入していく。数分後、艦体に軽い衝撃と共に固定アームが船体を確実に保持する振動が伝わり、ベイの外部ハッチが再び重々しく閉鎖された。直後、ベイ内の海水が急速に排水され始め、ネレウスの周囲の水位がみるみる下がっていく。


「ドッキング完了。ベイ内、排水及び与圧開始。大気組成、艦内標準に調整中」カイリュウの艦内アナウンスが、落ち着いた女性の声でネレウス艦橋にも流れ込んできた。

排水が完了し、ネレウスのメインハッチに接続タラップが連結されると、ユキは部下たちに指示を出した。

「オブリビオン隊、装備を解き、指定された待機区画へ。スノーブレイクは私に続け。今回の任務に関するデブリーフィングは、帰国後、VF司令部で行う」

「了解!」

疲労の色は濃いが、無事生還できたことへの安堵感が、隊員たちの声にわずかに滲んでいた。


ユキに続き、ナオミ、イソベ、カンザキがネレウスを降り、カイリュウの広大な艦内通路へと足を踏み入れる。そこは、機能的だがどこか無機質な、まさに移動する秘密基地といった趣だった。すれ違うカイリュウの乗組員は数えるほどしかおらず、その多くが技術者かAI管理の補助要員のようだ。彼らはVF隊員たちに軽く敬礼するだけで、余計な言葉は交わさない。


ブリーフィングルームに通されたユキたちは、カイリュウの艦長(人間の女性大佐だった)から短い労いの言葉と、帰国までのスケジュール説明を受けた。篠田博士を乗せたAERIS-Lは、既に台湾軍の護衛部隊と共に別の小型母艦へ帰投し、厳重な医療体制下にあるとのことだった。


数時間の休息と簡易的なメディカルチェックの後、カイリュウは戦略的に安全と判断された公海上でゆっくりと浮上を開始した。艦橋のメインスクリーンには、徐々に明るくなる海中の景色が映し出され、やがて太陽の光が差し込み、蒼い海面が広がる。

「艦体、通常浮上完了。飛行甲板ハッチ、開放準備」


カイリュウの広大な艦体上部が、まるで巨大な生物の甲羅が開くように左右にスライドし、その下からVTOL(垂直離着陸)機用の発進プラットフォームと、格納されていた流線形のステルス輸送機が姿を現した。全長20メートルほどの、VF隊員専用の高速帰還機だ。

「白川一尉、準備が整い次第、輸送機へご搭乗ください。日本本土までの直行便となります」艦長からの通信が入る。ユキは頷き、スノーブレイクのメンバーに声をかけた。

「帰るぞ。」


輸送機のタラップを上がり、機内に乗り込むと、そこには簡素だが機能的な座席が並んでいた。パイロットはAIだが、万一に備え人間の副操縦士も同乗している。

ハッチが閉じ、機内の気圧が調整される。窓の外には、浮上した潜水空母カイリュウの巨大なシルエットと、どこまでも続く水平線が見えた。

「ヴァリアブル・フォース輸送機07、発進許可。ルートクリア」カイリュウ管制からの最後の通信。


次の瞬間、輸送機のエンジンが静かに、しかし力強く起動し、機体は垂直に上昇を開始した。あっという間にカイリュウの姿が眼下に小さくなり、機は日本本土へ向けて一直線に加速していく。

機内では、ようやく肩の力を抜いた隊員たちの、安堵のため息が漏れた。イソベが早速軽口を叩き始め、ナオミがそれに突っ込み、カンザキは黙って窓の外を眺めている。


ユキは、シートに深く身を沈め、窓の外を流れる雲を見つめていた。

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