表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

《脱出》

篠田は数秒、じっとユキの顔を見た。微かな笑みのようなものが、その口元をかすめる。

「……君たちは【ユニーク】だな。なら、私は君たちに賭けることにする」


「【ユニーク】?なんのことだ?」

ユキが一歩進み、手を差し出す。篠田が立ち上がり、無言でそれを取った。

「アキ、周囲警戒。ナオミ、脱出ルートへリンク」

二人が同時に動き出したその瞬間、施設全体の灯りが一斉に落ち、赤色の非常照明が点灯する。

「AIが完全に回復した。非許可存在を認識──排除フェーズに入る」ナオミが言う。

「ドローン展開多数。複数階層からの収束パターン。パターンβ─ケルベロス発動の兆候あり」アキが声を低めた。


「回収ポイントへ向かう」

三人は隔壁を越え、研究棟の北側補助通路へと移動を開始する。

その背後で、天井が開き、センサー群を積んだ自律型球体ドローンが音もなく降下してきた。

「照射兵器、作動準備──」ナオミが警告を発する前に、アキが回転動作とともに閃光弾を投げる。

一瞬の白光。

「今!」ユキの声に反応して、全員が側壁の隙間へ滑り込むように移動。

敵の警備AIは彼女たちの行動予測にまだ完全には適応していない。

カンザキが流し込んだウイルスの効果が、わずかにタイムラグを生んでいる。

だがそれも、長くは持たない。


「脱出ポイントまで、あと60秒」ナオミの声が硬い。

三人は走る。通路を、階段を、ケーブルの垂れる冷却管の隙間を抜けて。

遠くで何かが爆ぜる音がした。重い物体が発しているだろう振動が床を通じて伝わってくる。

「ケルベロスユニット、接近中。戦闘型AI兵装、追跡ルートに入った」アキが言う。

ユキは振り返らない。

「予定通り。接触される前に出る」

しかしその直後、背後で乾いた破裂音がした。

「被弾——!」アキが叫ぶ。


振り返ると、篠田博士が左肩を赤く染めて、崩れ落ちていた。

ドローンの残存砲塔が、自動迎撃に切り替わっていたのだ。

「担ぐわよ!」

ナオミが迷いなく博士の脇に滑り込み、その身体を丸ごと持ち上げるように背負った。

博士の体重は軽くない。しかも左肩からは血が滴り、意識も朦朧としている。

だがナオミの脚は一度も止まらなかった。

まるで荷重を意識していないかのように、鍛え上げられた筋肉と正確な重心制御が彼女の身体を支えていた。その姿は、研ぎ澄まされた機能美そのものだ。

博士は呻き声を漏らした。


「あと30秒。海岸沿いまで120メートル」アキが前方を確認しながら声を張る。

「右上、熱源二つ。補助フレーム装備型」ナオミがに伝える。

ユキは足を止め、手首の神経ポートからパルスを走らせた。

頭上の支援ドローンが停止し、即座に前方の霧を透過する投影を展開する。

敵ドローン二体の骨格配置、熱源位置、センサー反応の揺らぎまでもが、緑色のラインで彼女の視界に重ねられる。

「ロック!」ドローンの微細な通信音が耳元で囁く。

同時に、空気をわずかに揺らす静かな振動。磁束収束ライフルがユキの掌で震えた。

高密度金属コア弾が音もなく発射され、空間を裂くように直進する。

補助視界に浮かぶ致命部位へ、正確に、無音で、二発が放たれた。

敵ドローンは反応すらできず、沈黙のまま崩れ落ちた。

「クリア」ユキが短く言う。

ナオミは博士を担ぎ直しながら、冗談めかして返す。

「それ、音なしで殺れるの、ズルいってば」


出口の非常扉を駆け抜けた先に、霧に包まれた夜の海が広がっていた。

波打ち際まで走り抜け、予定ポイントの岸壁にたどり着いたユキたちの前に、

まだ潜水艇の姿は見えない。

「視界ゼロ。どこよ……」ナオミが息を切らしながらつぶやく。

同時に、右手の岩陰から二つの影が姿を現す。カンザキとイソベ。

「遅かったな」イソベが片手を上げた。

「誤差3秒。計画内だ」とカンザキ。

霧は深く、海面に動きはない。

「時間、切ってるぞ」イソベが呟く。

「来る。」カンザキが静かに言った。

その瞬間、沖合の海面がまるで息を吸うように陥没し、真円の渦が生まれる。

「来たな……」ユキが言う。


黒い影がゆっくりと浮上した。

波紋をまとうその艦体は、まるで海そのものから生まれたかのようだった。

霧を切り裂くように現れたその潜水艦ネレウス-5(Nereus-5)は無人だ。

艦首の下部ハッチが無音で開き、内蔵ランプが淡く点灯する。

ユキは何も言わず、そのハッチに向かって走り出した。

ナオミが博士を抱えたまま飛び乗り、アキがその後に続く。

カンザキとイソベが乗り込むのを見届けると、ユキが最後にもう一度、背後を振り返った。

赤く瞬く警告灯が、施設の内部から追ってくる。

「潜航!」ユキの声が響いた。


ハッチが閉じると同時に、艦内にはくぐもったベント調整音が響き、照明が淡く切り替わった。

オブリビオン隊が補助席に収まり、博士はナオミの腕に支えられたままストレッチャーへ移される。

博士の呼吸が浅くなっているのを確認したアキは、即座にメディカルモジュールを起動し、ストレッチャーの側面からナノサージェリー用アームを展開した。


「ナオミ、止血ブロッカー。左鎖骨下動脈、完全に断裂してる。肺にも穿孔」

「了解。バイタル連動、補正係数0.7でリンク」ナオミは素早くツールを選び、アキの指示に合わせて装着を補助する。

アキは損傷部位を迅速にスキャンし、周囲の血液を排出するようにジェルブロッカーを流し込んだ。

「人工血管、展開。位置合わせ──ナオミ、フィード制御」

「リンクした、投影固定」

シリコンポリマー製のマイクロチューブが自動で傷口に挿入され、内部で破断部位を補う。バイパスが繋がった瞬間、ストレッチャーのディスプレイがわずかに緑を示した。

「出血減少、心拍応答上昇。酸素飽和値──42%から56%に上昇」

「まだ足りない。肺への穿孔、補填材注入。酸素フィルター、サブポートから挿入する」

ナオミが素早く挿入経路を開き、アキがナノフィルムと酸素調整カプセルを組み込む。

「心拍安定、反射応答あり。脳波変動小。大丈夫、戻ってこれる」

博士のまぶたが微かに動き、呼吸が静かに整っていく。

アキは深く息を吐いた。「間に合った。」


そのとき、艦内アナウンスが短く鳴った。

「戦闘加速準備。全乗員、ECSジェル展開。加速まで60秒」

アキが即座に応じた。

「博士には使えない。内部出血が深すぎる。ジェル圧で肺が潰れる」

ユキは迷いなく命じた。「ECSモードキャンセル。緊急医療航行モードに切り替え」

端末の表示が瞬時に変化し、ネレウス-5(Nereus-5)の艦AIが応じる。

「認証完了。最大加速度を制限、スカイフック到達時刻を再計算──ETAプラス8分30秒」

ユキは沈黙し、わずかに目を細めた。

「予定より遅れる。迎えの機は再調整が必要。

 ネレウスAI、上層部との再同期と新ルート構築、優先度を最上位に」

「了解。新航路を維持。防衛パターン回避率を最適化。戦術モード:人命優先フェーズ、継続」

「現在スカイフック隊と再調整中──」

ユキは沈黙し、わずかに目を細めた。

「ネレウス、今後の作戦行動は負傷者の状態を最優先とする。」

「了解。ECS非対応者1名の生命維持を最優先とした結果、航行ステルス性を10%低下、探知リスク上昇率は8.3%。緊急医療モードによる内部安定性は92%向上」

ユキは、低く言った。「追撃の可能性は?」

「ケルベロスユニットの一部、海上索敵モードへ移行。旧型ステルスプロファイルでは捕捉の可能性あり。現ルートでは交戦確率65%」

「許容する。生かして帰すのが目的だ」


海中で、ネレウスは静かに進路を変えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ