《発進》
Zone-14地下12階、発進管制フロア。ここは国防省特殊作戦群――通称ヴァリアブル・フォース(VF)のサイレント・レイン発進システムの制御、作戦部隊へのリアルタイム情報支援を担う場所だ。
「電磁加速準備シーケンス、完了。全スラスター、誘導フィールドと同期。静電圧ゼロ。戦略AI『グラヴィス』による全システム監視、オールグリーンです」フロア管制AIの合成音声が、張り詰めた静寂を破った。
ヴァリアブル・フォース司令部AI連携局所属、神谷一尉は、フロア中央に並ぶ5つの漆黒の発進ポッド――ユキ率いる「スノーブレイク」隊と、支援の「オブリビオン」隊が乗り込む鋼鉄の棺――に鋭い視線を送りながら、自らの戦術情報コンソールに指を走らせる。戦略AIから送られてくる膨大なデータが、ホログラフィック・ウィンドウに複雑な光の軌跡を描き、彼の脳と直結したインターフェースを通じて最適化されていく。彼の任務は、AIの冷徹な論理と予測を、生身の人間であるユキたちが現場で活用できる「生きた情報」へと昇華させることだ。
「マスドライバー射出用軌道、最終補正完了。目標座標、深圳旧租界エリア、ポイント・ゼロ。誤差修正、0.3秒以内。60秒でシステムリミッター解除、発進シーケンスに移行する」神谷は、フロア全体に告げた。
『スノーブレイク、了解。指示を待つ』ユキの声が、秘匿通信リンクを通じて神谷のイヤホンに届く。その声には、いつも通りの氷のような冷静さと、微かな金属質の響きがあった。
隣のコンソールでは、女性管制士が各ポッドのバイタルデータとクルーのニューラルリンク状態を最終確認している。「ポッド内生命維持システム、オールグリーン。ニューラルドーピング反応、全隊員、規定値内で安定。意識覚醒タイミング、目標座標上空での降下外殻展開60秒前に設定完了」
神谷は短く息を吐き、肩をわずかに回すと、背後に立つ直属上官、主任分析官に目線を送った。彼は、VFでも数少ない、AIの「助言」の深層にある戦略的意図や潜在的リスクまでをも読み解き、人間としての最終的な判断を下せる人物の一人だ。
「主任……やはり、この『サイレントレインシステム』の実戦投入は時期尚早だったのではないでしょうか? 高高度ステルス性能は認めますが、実地テストはまだ3回。それでいきなり敵性国家の首都中枢、深圳への投入とは…」神谷の声には、隠しきれない懸念と、これから送り出す者たちへの複雑な思いが滲む。
彼は、ポッドの無機質な外殻を見つめたまま、静かに応じた。「予算は青天井だったがな、神谷一尉。だが、篠田博士の生存を示すあの特異なバイタルパターンと、彼が持つとされる『シノダアルゴリズム』の戦略的重要性を考えれば、ヴァリアブル・フォースが動く理由は十分すぎる。戦略AI『グラヴィス』の推奨成功確率も、許容範囲内だ。リスクは、君も私も、そして何より彼らが承知の上だ」
「それにしても…」神谷は声を潜め、言葉を選んだ。「搭乗しているのは、代替の効かない我々の貴重な人的資源です。我々が提供する情報支援、そして『グラヴィス』から下される作戦指示は、彼らの生還可能性をどれほど真剣に考慮しているのか…。時折、AIの指示は、まるでシミュレーション上の駒を動かすようにしか感じられないことがあります」
その時、発進管制フロアの最上段、強化ガラスの向こうに立つ副指令の声が、フロアのスピーカーから有無を言わせぬ威圧感をもって響いた。
「今回の任務は、いつもの周辺管区への威力偵察や、非最適化地域での残存テロリスト掃討とは次元が違う。これは、我が国及び『社会最適化国連合』の未来を左右する可能性を秘めた戦略的任務だ。敵性国家の首都、その心臓部への強行侵入と目標奪還。成功すれば、VFの高高度ステルス投入能力は、我が国の抑止力と戦略的優位性を国際社会に決定的に示すことになるだろう。スノーブレイクとオブリビオンには、その真価を示してもらわねばならん」
神谷は、その言葉の裏にある国家の非情な期待と、隊員たちへの重圧を感じ取り、再びコンソールに視線を落とした。
「……彼らの能力と、幸運を信じるのみです」と、誰に言うでもなく呟いた。
Zone-14地下15階、発進準備区域。技術員がポッドに取り付き、最終確認が進められる。
「Q-オシレーター、全ユニット同期完了。偏差クリア」
ポッド内の表示が緑に変わる。ユキは黙ってうなずいた。
次いで、内部のECS-9コクーンが展開される。半透明のジェル状素材が、静かに全身を包み込んでいく。
「ECS、体温同期入りました」
神経に微細な刺激が走る。筋肉が勝手に引き締まり、血流と姿勢が調整される。
粘性のジェルに包まれた状態で、誰もが沈黙する数秒。
ユキは、首筋に貼りついたレゾスキンの微振動を感じ取る。
ナオミの“声”が伝わってくる。柔らかく、けれど確かな意思を帯びて。
「……聞こえてる? 意図コード、送るわ」
ユキの神経に微かな“共振”が返る。彼女は短い振動パターンで応じた。
——応答確認。
すぐにイソベからも圧のある揺れが伝わる。
——了解。問題なし。
「アキ?」ナオミの呼びかけに、淡い刺激が背筋を走る。
——いつでも。
「カンザキも確認して」
——回線正常。余計な会話は不要だ。
「はいはい、そっちも正常ね」
全員の共振が収束していく。
「加速が始まる前にドープへ入れたら楽なんだけどな」アキがぼそりと呟く。
「加速前にドープしたら、二度と目が開かないよ。たぶん。」イソベの苦笑が返ってくる。
「こっちは?」ナオミが首元を軽く叩く。
「ResoSkin<レゾスキン>、反応良好。いつも通りよ」整備兵が短く答える。
「言葉いらずって楽だけど、ちょっと怖いね。考えすぎたら全部伝わっちゃいそう」
「伝えるには、ちゃんと“意図”が要る。そこまで甘くない」ユキが静かに言う。
「そっちのが怖いわ」ナオミが笑う。
「震えたら、走る。それだけだ」イソベが言い、
「震えなかったら?」アキが続ける。
「……そんときは、全員で勘を信じるだけだ」
少し間をおいて、イソベが言った
「まあ、俺はあんたらが震える前に撃ってる気もするけどな」
「それ、褒めてるの?」ナオミが笑う。
「警告だよ」アキは静かに言い、視線を前に戻した。
神谷が最終チェックを終えた。
「通信、全系統スタンバイ完了、これより管制をAIに切り替え」
ポッド内、ユキの視界にカウントダウンのインターフェースが浮かび上がる。
ECSジェルが硬化フェーズに入り、身体が完全に固定された。
骨格と筋肉のすべてが制御され、まるで自分の体が静かに凍結されたような感覚が広がる。
「10秒前」
管制AIの声が無機質に響く。
「5、4、3、2、1…」
全神経が沈黙した瞬間、重力がいきなり跳ね上がる。
ポッドを包む磁場が一気に反転し、巨大な加速軌道の力が、容赦なくユキたちを空へ押し出した。
音はなかった。ただ、すさまじいGの奔流が身体の隅々まで突き刺さる。
一瞬、視界が白く飛ぶ。耳鳴りはなく、思考だけが宙に浮かぶ。
ジェルがなければ、一瞬で体はつぶされていただろう。
超音速直前、マスドライバーの最終加速リングを通過すると、慣性が一転して解放へと切り替わる。
五つのポッドは完全な無音で亜音速に達し、夜空へと解き放たれた。




