《ブリーフィング》
あの日、北海道が北の大地からその姿を消し、日本が未曾有の国難に喘いでから、既に四半世紀以上の時が流れた。AIによる国家再建計画――『社会最適化計画』は、この国の形を、そして人々の生きる場所を根底から変容させた。
国民の大多数は、AIが設計し、管理する数カ所の巨大都市圏――メガリージョン――へと集約された。そこではエネルギーも、資源も、物流も、そして人々の生活動線すらも徹底的に効率化され、無駄という概念が過去の遺物となりつつあり、きらびやかで、しかしどこか均質な日常が営まれている。
一方で、その最適化の対象からもれた広大な土地は、『非最適化地域』と呼ばれ、かつての都市や町はインフラ維持の優先順位を下げられ、その多くが静寂に包まれていた。自然の再生が始まる場所もあれば、ただ静かに朽ちていく構造物だけが残る場所もある。これらの地域は人々から忘れ去られ、広大な沈黙の地となっていた。ここは、そんな非最適化地域の深奥。。。
発光パネルは完全に壁に埋め込まれ、接合部すら見えない。
天井は低く、無音。
空気の震えだけが、この部屋がただの待機区画ではないことを告げていた。
戦術遮蔽区画《Type-M》に集まった5人の影が、それぞれ壁にもたれかかるように立っていた。
外部との通信は量子コンピュータによる単方向リンクに限定され、ここは“外”の存在すら感じられない。
壁面に表示されているのは、ハイダイナミック可視波衛星画像、敵ドローンの軌道予想、気象分布、AIが構築した攪乱予測マップ──現実と未来の境界線が、データとして並んでいる。
「はじめる」
指揮官、白川ユキの短い声。
隊員たちは無言で軽くうなずき、それぞれの立ち位置へ移動する。
ナオミがホログラム上にリスク評価係数を展開し、カンザキがノード構造を三次元モデルで示す。
イソベはその裏側から、光学と磁気センサー干渉マップを重ねるように配置した。
ブリーフィングルームの照明が、一段階だけ落とされた。投影壁には衛星写真の抜粋が並んでいる。
ユキは、静かに一枚のデータフレームを呼び出した。
「この作戦は、今朝四時に最終承認が下りた。理由はこれ」
画像が切り替わり、歪んだようなノイズ混じりのバイタル波形と、過去の通信ログが映し出された。
「昨夜、**大華統合体(GCU)**の首都経済特区、深圳にある第7技術開発廠――表向きは民間バイオ研究所だが、実態はGCUのAI研究中枢の一つだ――その監視ノードの再スキャン中に篠田博士の生体パターンと98.7%一致するデータが発見された。」
ユキの声はあくまで平坦だが、情報の重さが部屋に浸透していくのがわかる。
「……博士は三年前、GCUの工作員によって拉致され、その後死亡とされていた。だが、このタイムスタンプと波形パターンは本物だ。この第7開発廠は、GCUの戦略統括AI『天網』の次世代コア開発に関わる最重要施設の一つと目されている。」
彼女は一歩前に出て、ホログラムの中心に立った。
ナオミが息を呑む音がした。
「中央統合戦略局は、博士の知識、特に彼が進めていた『シノダアルゴリズム』の開発が、GCUの手に渡り『天網』の能力を飛躍的に向上させる前に、彼を排除するか、もしくは確保する必要があると判断した。我々に与えられた命令は“奪還”だ」
「奪還」という言葉の冷たさが、一同に重くのしかかる。
大華統合体――それは、アメリカ合衆国が内戦状態に陥ったのち、アジア太平洋地域で急速に覇権を拡大し、日本や台湾を中心とする「社会最適化国連合」とは明確な敵対関係にある巨大国家だ。その統治と軍事の中核をなすのが、超広域監視・戦略統括AI『天網』。その進化は、連合にとっては脅威だ。
イソベがぼそりとつぶやいた。
「つまり、さっさと博士を頭ごと連れ出すってことか。あの『天網』の目と牙を掻い潜って、深圳のど真ん中から、ね。またとんでもない博打を打たされるもんだ」
アキが静かに問う。
「その信号が偽物だった可能性は?」
ユキは、少しの沈黙のあと、首を振った。
「ゼロではない。だが、GCUが『シノダアルゴリズム』の完成を急いでいる兆候は、他の情報ルートからも複数確認されている。このバイタルデータが、その最終段階への移行を示唆している可能性が高い。」
アキがまた静かに言った。「シノダアルゴリズムが完成すれば、向こうのAIがこっちを越える」。
「だからこそ、救出じゃなくて“奪還”なんでしょ」
ナオミの言葉に誰も異議は示さなかった。
ユキはうなづいた。
「その通りだ。GCUは、AI技術の優位性を、その覇権拡大と国際秩序の再編における最大の武器と位置付けている。彼らが『シノダアルゴリズム』を完全に掌握し、『天網』を現在の我々の予測を超えるレベルにまで進化させれば、アジア太平洋のパワーバランスは決定的にGCUへと傾く。それは、北海道を失ったあの悲劇の再来を、より大規模に、より絶望的な形で招きかねない。我々ヴァリアブル・フォースが存在する理由の一つは、それを阻止することにある」
投影が消え、部屋の照明が元に戻る。
「博士のいるラボに突入後、持ち時間は300秒だ」 ユキが言う。
「それだけで“博士”を取り戻すわけですね」 カンザキの声には感情がなかった。
「救出はスノーブレイク隊3名であたる。オブリビオン隊は情報奪取と攪乱だ。」
誰も異議は示さず、ユキは続ける。
「潜入はSilent Rain<サイレント・レイン>、
脱出はNereus-5型潜水艦<ネレウス・ファイブ>と
ShadeRunner-3<シェードランナー・スリー>のスカイフックを使う。」
「……サイレント・レイン、実戦配備はまだだと思ってたけど,,,」
ナオミが声をひそめるように言った。
「テストは三回成功している。実戦投入は、今回が初めてだ」ユキは淡々と応じる。
「いや、あれマジでキツいっすよ」イソベが肩をすくめながら苦笑する。
「あの加速、胃が置いてかれるんすから」
サイレント・レインは、2095年における高高度ステルス侵入のための複合投下システムだ。
潜入隊員の収納されたポッドは、地上からの電磁加速で亜音速まで加速され射出される。
高度10キロでステルスバルーンを展開。そこからは大気上層の気流を利用し、高度28キロへと上昇、気流に乗って目的地上空まで接近する。指定された降下ポイントに到達後、ポッドを切り離し降下、パラシュートの展開限界である4.1キロメートルで、ステルスパラシュートを開くシステムだ。
敵の目にもセンサーにも映らぬまま、地上に降り立つための、静寂の雨。
「ネーミングは詩的だけど、中身は拷問機械だよね」ナオミがぼそりと呟いた。
「それでも、音も光も残さない降下ができるのは、あれだけだ」ユキが言い、短く息をついた。
「いやまあ、文句言いながら飛ぶんすけどね。」イソベが笑った。
ナオミがホログラムに表示された回収フローを見つめ、わずかに眉をしかめた。
「スカイフックって?」
テーブル越し、イソベが肩肘をつきながら口を開いた。
「地面から真上に引っ張り上げられるアレだよ。昔の気球回収式とは違うけど、やってることはほぼ同じ」
ナオミは視線を外さず、口を尖らせた。「そんなアナログみたいな手段、まだ使ってるの?」
その問いに応えるように、アキが静かにデータ端末を操作し、投影を切り替えた。
精密な機構図と、補足された物理モデルが空中に浮かぶ。
「今のスカイフックは、ケーブルの先端に磁力アンカーがついてる。接続誤差は3センチ以内。回収するのはAI制御の無人航空機。引き上げ速度は秒速240メートル、つまりマッハ0.7」
ナオミは苦笑した。
「速すぎでしょそれ……地面にいた人間が、そんな速度で飛ぶの? 骨、砕けない?」
「ECSジェルで全身固定する。脊椎も臓器もまとめて圧力制御される」イソベが、指でジェル補助スーツの構造を示しながら言った。「……とはいえ、潰れるのは気持ちのほうだな」
「それが問題なのよ」ナオミがすかさず返す。
作戦ブリーフィング室には、淡い照明が灯り、背後の投影壁がゆるやかにデータを流し続けていた。誰もが緊張を纏いながら、情報の意味を咀嚼していた。
アキが続けた。
「スカイフックは回収初動の3秒が核心。ケーブルが張られた瞬間にかかるGは4以上。
ECSなしでは、即失神する」
それまで黙っていたユキが、短く言葉を添えた。
「博士はECS未経験。あの負荷に耐えらるの?」
ナオミが視線を落とす。「じゃあ、最初からAERIS-Lでよかったんじゃないの?」
ユキはわずかに目線を動かした。
「AERIS-Lは目立ちすぎる。スカイフックは最も“静かに姿を消せる”手段。特にこの作戦ではな」
イソベが小さく息を吐いた。
「昔と違って、回収用の航空機もAIが操縦してる。ワイヤーも自律制御ケーブル。精度も安定性も段違いだ。……でもな」彼は少しだけ視線を上げて、天井を見た。「怖さは、あの頃と変わんねぇ」
ナオミは静かにうなずいた。
「結局、引き上げられる瞬間は、自分じゃ何もできないのよね」
少し間をおいてイソベが尋ねる。
「潜水艦の侵入経路はどうするんです?こっちは 高度28kmからの滑空で現地入りするのに、
潜水艦で海から行けるなら、最初からそっちの方が楽じゃないですかね」
「水路は三重監視。AIの検知網が張り付いてる。塩分濃度、熱源、磁力、出し抜く手は無い。
現地の旧ノードに接続し、軍事水路データを奪えば、逆にそれが死角になる」とユキ
「つまり、我々が水路情報を奪う」カンザキが確認する。
「そうだ。作戦は、情報奪取と救出を同時に成立させなければならない」
カンザキが頷く。「了解。旧ノードのAI対応は私のAIユニットで十分。
60秒でノードを落とす。イソベが監視AIを攪乱してくれていればな」
「まかせてくださいよ」イソベが肩を鳴らす。
「その潜水艇、聞いてないんだけど? 水路データ送ったら、何分でお迎え来るの?」
ナオミがやや投げやりな口調で問いかけた。
「Nereus-5は通常の潜水艦とは違う。推進は超音波キャビテーションを使っている。
摩擦を限界まで抑えて、水中を滑空するように移動する。最高速度は220ノットだ。」
ナオミが眉を上げた。「それ、もう潜水艦ってより“弾丸”ね」
「約15km沖合の待機位置から脱出ポイントまで180秒で到着する。」
「ラボ到着後旧ノードに接続、水路情報の奪取と送信に60秒、ラボのノードにデータ破壊ウイルス
を注入するのに60秒。120秒がリミットだ。
その間、我々スノーブレイクはラボを制圧、博士を救出する。」
「つまり、ラボから残り180秒で運河までダッシュってことか。……いい運動だな」とイソベ
「監視AIは、旧世代とはいえ欺くのは300秒が限界だ。これを越えればケルベロスシステムが起動してしまう。」とユキ。
「ラボの自律型戦闘AIが目覚めるってわけか。マーダーボットのお出ましとか、マジでごめんだな」
イソベが肩をすくめる。
ナオミがため息まじりに呟いた。「ほんと、全部タイミング次第なんだ……」
「失敗すれば全員が浮上地点に到達できない。制圧、情報奪取、救出を300秒以内だ。」
「一人のために五人で突撃か。……投資効率、悪すぎ」アキがぼそりとつぶやいた。
「その一人が、国家を揺るがす変数になりうるからな。」ユキが返す。
沈黙。
「……もし博士が、救出されたくないってダダこねたらどうする?」ナオミが声を潜める。
ユキは一瞬だけ間を置き、「状況次第で、抹消を含む」とだけ返した。
アキが静かに言った。「シノダアルゴリズムが完成すれば、向こうのAIがこっちを越える」。
「だからこそ、救出じゃなくて“奪還”なんでしょ」ナオミの言葉に誰も異議は示さなかった。
「何もなかったことにするから、オブリビオン(忘却)ね」ナオミがつぶやく。
「任務が終わったら、俺たちも記録から消えるってことだろ」イソベが笑う。
「それ、願望なんじゃない?」とナオミ。
「上の奴らにとっては、失敗したら忘れてやる、っていう意味の名前」アキが無表情で
ニューロブーストコーヒーのバイオパックを開けながらつぶやく。
「この部隊名つけたヤツ、絶対性格悪い」
微かな笑い声。
そして、ユキが静かにすべての表示を消して言った。
「タイミングを合わせろ。連携が成功の鍵だ。」
作戦は、静寂の底で密やかに動き出した。