さよなら
思ったことをダラダラと書きました
先日、飼い犬が死んだ。17歳と、6ヶ月だった。
ミニチュアダックスフンドのメスで、名前はルビー。一般的な寿命が15から16年だから、長生きした部類と思う。ルビーがうちに来たのは、僕が小学校低学年の時だった。当時20代前半の母が、ある日こう言ったのを今でも覚えている。
「お父さんには内緒ね?」
生後3ヶ月のルビーを見せながら、母はそう言った。今でも「いや、内緒は無理でしょ。」と子供ながらに思ったことを覚えている。当然、その日の夜には父にルビーの存在がバれ、大喧嘩となっていた。現在大学生で、この時の母と同じ程の年齢になった今は分かる。20代前半なんて、まだまだ幼稚で子供なのだと。
波乱はあったものの、ルビーは3人家族である我が家の、4人目の家族になった。
ルビーはとても犬とは思えない程、人に寄り付かない性格だった。だから、人にひっつかれたり、撫でられたりする事が苦手で、猫のような犬だった。また、吠えない様に幼少期に躾られたため、滅多に吠えることは無かった。そんな性格なのに、小学生の頃の僕は、お構い無しにひっついたり、乱暴に撫でたりするものだから、とても嫌われていた。一方で母の事は大好きで、片時も離れることは無かった。また、母がルビーにかける愛情も、並外れたものがあった。
ルビーは、ペットショップで売られていた犬だ。母は、そこで知ったのかは不明だが、ルビーの母親犬を飼っている家とコンタクトを取っていた。そうして、母親犬の腎臓が悪いという情報を得て、腎臓病に特に注意を払っていた。この事実を知るまでの7年間、遠慮なくあげていた、ルビーの好物であるミカンやリンゴといった果物は、カリウムが多く含まれ腎臓に悪いため、控えることになった。それ以外にも、普通のドッグフードにはリンが多量に含まれ、腎臓に悪いので、リンが抑えられた高価なドッグフードを買うようになった。そのお金は、母が10時から19時まで出社した後、20時から23時まで飲食店で週3程度アルバイトすることで賄われた。
そしてルビーが10歳の時、検診の結果腎臓の数値が悪くなった。その時は、家から徒歩5分の所にある動物病院に通っていた。先生は、腎臓の数値がちょっと悪いのはよくあることなので、心配がないと言う。その言葉を信用し、半年ほどの時が過ぎた。が、ルビーの腎臓は悪くなる一方だった。母は、ルビーの腎臓が遺伝的に悪い可能性を知っていたため、市内で1番の動物病院で検診を受けることにした。結果は、腎臓に明らかな異常があるとの事だった。あと1ヶ月遅ければ、助からなかったらしい。間一髪、大病院での治療によって、ルビーは助かった。それ以来、近所の動物病院は1回も利用していない。
そこから7年は何も無く、17歳とは思えない走りを見せ、毎日朝夕の散歩をするほど元気だった。高齢犬は散歩しないとすぐ筋力が落ち、寝たきりとなって衰弱死するパターンが多いらしく、それの回避の為母が散歩を欠かさなかった賜物だと思う。ただ、この頃になると、嚥下する力がかなり弱くなっていた。母がルビーを抱き抱え、えさを手に置いて口元に近づける必要がある程だった。
ある日、いつものように犬用お菓子のたまごボーロを母があげると、気管支に入ったのか、ルビーは咳き込み始めた。今思うと、明らかにこれが原因だったと思う。後日ルビーの呼吸がおかしくなり、診断の結果は肺炎だった。ルビーは入院し、酸素室の中で過ごすことになった。幸いにも数日間の投薬治療の結果、肺炎はほぼ完治した。病院を退院し、家にレンタルの酸素室を設置し、安静にすることとなった。しかし、薬の副作用で突如腎臓が悪くなっていて、血中のカリウム濃度が危険域に達してしまった。いつ心臓が止まっても、おかしくない状況だった。その所為か、ルビーはぐったりしていて、3日ほどご飯を食べられなかった。これによって、ルビーは貧血にもなっており、更に体調の悪さに拍車がかかっていた。血中のカリウム濃度を下げるため、決まった量の水分を決まった時間に摂らせることになった。しかし、水分を摂らせ過ぎると、貧血が加速する。この調整を、母はやり切った。夜中も1時間毎に起きて、スポイトでルビーの口元に決まった量の水を届け続けた。僕も、母が不在の時は担当したが、割合で言えば2割程度だっただろう。結果、血中のカリウム濃度は高いままではあるものの、危険域は脱することになった。
大病院からも、もうレンタル酸素室は返して良いと言われ、一安心。ただ、酸素室を返したあと、時折カリウム濃度が高くなるのか、苦しそうに呼吸するのだけが気になった。どうやら、まだ酸素室がある方が良かったらしい。そこで酸素室の、酸素を送る機械だけを再度借りることとなった。口元にチューブで酸素を送る方式だ。僕は車で機械を借りに行き、設置した。その時ルビーは、肺炎が発覚して1週間寝たきりになっただけで、あれだけ維持していた筋力を失っていた。歩くことは出来ず、オムツを付け始めていた。うんこの臭いがしたので、肺炎にかかって以来1週間ぶりにルビーを膝に乗せ、オムツを替え、お尻を拭いた。寝床に戻して、鼻元に酸素チューブを当てた。それが、僕が見たルビーの最後の生きた姿だった。
翌日、学校から帰ると母にルビーがまた入院したと告げられた。どうやら、苦しそうにしていたのはカリウム濃度が高いからではなく、肺炎の再発によるものだった。ほぼ完治したと言われてから2日か3日で、肺炎は完全復活を遂げていた。次退院する時には、酸素を送る機械だけでなく、酸素室がまた必要になる。先生にそう言われ、また酸素室をレンタルし、ルビーの帰りを待っていた。
投薬すれば、未だ高いカリウム濃度はまた危険域に達してしまう。だから、投薬の量を少なくして、カリウム濃度を上げすぎないように肺炎を治す必要があった。綱渡りの状況にも関わらず、僕と母はルビーが帰ってくると信じていた。
ルビーが再入院し、酸素室を用意した翌日。朝9時に母に起こされた。リビングに行くと、リボンを付けたルビーが寝ていた。僕は、何となくその意味を理解した。酸素室は無駄になった。
母は、その日 病院が開く8時ちょうどにルビーの顔を見に行っていた。どうやら、その30分程前に息を引き取っていたらしい。最期を、タッチの差で看取れなかった母の気持ちは想像するだけで胸が苦しくなる。
ルビーは、火葬するまでの2日間リビングにいた。普段の寝床で、ただ寝ているようにしか見えなかった。母は、ルビーの横でいつも通り在宅ワークをして、人によっては猟奇的に思うかもしれないけど、カートに乗せて最後の散歩をした。
本当に現実味がなくて、ただ寝てるようにしか見えなくて。毛はふさふさだし。元々吠えもしない。老犬でここ数年は散歩以外の時間は寝ているような子だったから。普段と何も変わらなくて。
火葬の日、母の嗚咽で僕は起きた。もうすぐ、精神だけでなく、ルビーの肉体もこの世から失われる。
僕は家族の火葬というものに、人生で初めて直面した。いざ、家族がその身を焼かれると思うと、受け入れ難かった。元々日本は土葬が主流で、近代化に伴って火葬に移行したが、その移行には手間取ったという話を聞いた事がある。その理由もよく分かるというものだ。
僕はひねくれているから、ルビーの亡骸を撫でる度に、起きない事に安堵していた。感触を感じないということは、焼かれても痛くないってことだから。
送迎の車に乗って、火葬場へと向かう。何度も訪れたことがある近隣の街の、雑居ビル群の1つがそれだった。ペット火葬場、と控え目な看板が掲げられていた。入るとすぐ1階にお別れの場があった。一緒に火葬する品々を詰めていく。大好きだった母の髪の毛。腎臓の事を考えて、大好きだったのに食べさせてあげられなかった好物たち。母は張り切って大量に用意していたけど、市街地で煙を出せないから、500円玉よりちょっと大きいくらいのご飯しか一緒に入れて上げられないらしい。あんまりじゃないかと思う。死後ですら、好きな物をあげられないのかと。やるせなさに包まれた。
線香の香りに満ちて、祭壇のあるお別れの場から、遂に屋上の火葬場へと向かう。
灯油の臭いに満ちて、笑ってしまうほど無機質な炉があった。結局、綺麗なお別れの場も、屋上までの道のりにあった綺麗な納骨堂も、本質では無いのだと思った。これらの非現実的な空間は、全て圧倒的な現実を覆い隠すためのフェイクなのだと思った。今からルビーは、この燃料の鼻をつく臭いに充満した、分厚い鉄の棺の中で焼かれて灰になる。それが現実だった。
1階の非現実的な空間に戻ったあと、僕は屋上で起こっている現実のことを想像せずには居られなかった。まずはあの、毛並みの良い、ふさふさの毛が、あっという間に灰になるだろう。そして、皮膚が焼け、あの可愛らしい顔も、手も、プリプリのお尻も、失われ、肉の隙間から骨が見え、最後には骨だけになるのだろう。僕は、嫌な想像を振り切れず、ずっと考えてしまう自分の性質を憎んだ。
ルビーの骨を拾ったあと、僕は家でルビーが待っているような気がしていた。ある種の現実逃避というのか、急なルビーの死に頭がついて行けていないのか。
当然ルビーはもう居ない。いつもルビーが寝ていた寝床は空っぽで、既にルビーの匂いもしなくなりつつある。ただそこには悲しさよりも、息が詰まる程の不在感があった。
ボーロをむせて、肺炎になったのは誤嚥性肺炎。老犬が亡くなるよくあるパターンだそうです。嚥下する力が弱まってきたなと思ったら、ボーロのような乾燥したものは水でふやかしてあげると良いそうです。誤嚥性肺炎で調べれば、すぐ出てくる対処法なだけに悔やまれます。他にも気を付ける事項が幾つかあったと思うので、最近ご飯を自分一人で食べれない、食べさせようとしてもボロボロこぼすなどの事態が怒っていれば調べてみてください。
肺炎にならなければあと1年は一緒に居られただろう、肺炎再発にあと1日気付くのが早ければ治ってたかもと母は言います。でも、十分頑張ったと思います。母が病院を変えなければ7年前にルビーはもういないし、肺炎再発は大病院ですら予期していませんでした。医療費も、動物保険に入れなかった(入らなかった訳でなく、何か事情があって入れなかったらしい)ので相当にかかっていました。薬代、高価な餌代、酸素室、入院費。
仮に1日再発の発見が早くても、そこからまた綱渡りをさせるのは、ルビーにとって苦しい期間が長引いただけの可能性もあるので、これで良かったのだと思います。
さよなら、ルビー。