スプリング・ステップ
しんしんと雪が降りつもる冬の夕暮れのことでした。
険しい山に囲まれた小さな村に、さすらい人の音楽隊がやってきました。色鮮やかな馬車で山から降りてきて、村長の家の扉を叩きます。音楽隊を見た村長は大喜びして、もうすっかり日が沈んでいるというのに、村人みんなを集会堂に集めたのでした。
さすらい人は、決まった村や町に家を建てて住むことをせず、各地を巡って音楽を演奏するのです。華やかな格好で、風のようにさっそうとした彼らは、子どもたちの憧れの的でした。村の大人たちも、閉ざされた村にはない娯楽を届けてくれるさすらい人の訪れを毎年心待ちにしていました。
メイプルと呼ばれる少女も、両親に連れられて、ショールを顔にぐるぐると巻きつけられたままで集会堂に行きました。
音楽隊は、もう楽器を取り出して、勝手気ままに音を出していました。灯りを反射してきらきらと輝く楽器は、メイプルがあまり見たことがないものばかりです。
メイプルや、隣の家の少年ヒイロや村の子どもたちがまじまじと楽器を見つめていると、さすらい人たちは楽器の名前を教えてくれました。
「これは、トランペット」
ラッパのことです。メイプルにも見覚えがありました。さすらい人のリーダーが、力強く楽器に息を吹き込み、金色の太陽の光のようなファンファーレを響かせました。
「これは、ホルン」
男のように髪が短いきれいな女の人が、丸い楽器を頭上にかかげます。ホルンの音は優しく、それでいて芯の強さを感じます。メイプルは草花を一面に咲かせた春の地面を思い出しました。
背の高い、ひげ面のおじさんが、長―く伸び縮みする不思議な楽器を吹いてみせました。まっすぐに空気を割る低い音は、一本の道のようでした。
「これは、トロンボーン」
トロンボーンの後は、メイプルの体くらい大きな楽器でした。
「そしてこれが、チューバだよ」
チューバは、メイプルのお父さんでも声で真似できないほど、低い低い音でした。おまけに音が大きくて、丸くて毛むくじゃらの大きな動物が飛び跳ねているみたいでした。
子どもたちはもう、大盛り上がりです。楽器を触らせてもらおうと、音楽隊の周りに集まりました。あまりにも騒がしいので、お母さんたちが叱りに来たくらいです。
村の人たちがみんな集まった頃、村長が、みんなを代表して音楽隊に言いました。
「よかった、今年はもう来ないのかと思っていたよ」
トランペットを持ったリーダーが、にっこりと笑って返します。
「まさか。少し遅れてしまいましたが、必ずここには寄るつもりでしたよ」
ホルンという丸い楽器を吹いていた髪の短い女の人も、村長やみんなに言います。
「いつもいつも、この村の皆さんはどうしているかなあって思い出していました」
「それはわしらもだ。さすらい人が来てくれないと、春が来ない気がしてね」
「それはそれは、光栄です」
リーダーが華麗にお辞儀をしました。
村人たちは、早く演奏を始めてくれと急かします。さすらい人の一人が、みんなにキャラメルやいちご水を配ってくれました。
村のみんなの前で、音楽隊は半円状に立ちました。チューバの陽気なリズムから始まって、全ての楽器に息が吹き込まれます。そして、一気に音楽が爆発しました。トランペットのソロが集会堂の中を暴れ回ります。メイプルのお父さんが口笛を吹いてはやしたてました。メイプルも真似をしようとしたけれど、音が鳴りません。
それから、もの悲しい歌、さすらい人たちが見事な踊りを見せてくれた歌、楽器を吹きながら自在に動き回る歌……どんどん曲目を重ね、あっという間に時間が過ぎていきます。
さすらい人が楽器をちょっと下ろした時、村の男たちが大声で尋ねました。
「マドンナの歌は、まだなのかい?」
すると、さすらい人たちはみんなちょっと困った様子で、互いに顔を見合わせました。メイプルはそれを不思議に思います。村のみんながざわざわとささやきかわしました。
メイプルも、覚えています。以前は、マドンナと呼ばれるひときわ目立つ格好をした美しい女の人がさすらい人の真ん中にいて、歌声を響かせていました。彼女の歌を聴くと悩み事が消え去ったような気分になるのです。あまりにもマドンナの歌が人気なので、前はあまり楽器の演奏をしていなかったような気がします。
そういえば今日、マドンナらしき女の人の姿がありません。ざわめきが集会堂いっぱいに広がりました。
とうとう、リーダーがトランペットを振って叫びました。
「みなさん、聴いてください。マドンナは、ここにはいません!」
途端に、集会堂はしんと静まり返りました。さすらい人たちは楽器を下ろして、呼びかけます。
「その代わり、みんなで歌を歌います。聴いてください。そして、よかったら一緒に歌ってくださいな」
そうして、さすらい人は歌い始めました。
さすらい人の楽しみは
あなたの笑顔を見ることです
年に一度しか会えないあなた
どうか笑ってくださいな
さすらいの旅は感情の旅
険しく危ない冒険の中
悲しくなることきっとある
けれど今は 今あなたには
心から笑ってほしいのです
メイプルは声もなくさすらい人の歌を聴いていました。楽しく遊んでばかりいると思っていたさすらい人が、悲しい顔をしてみせたからです。けれどそれはほんの一瞬のことで、彼らはまた輝くような笑顔になりました。
聴いてください、愛しい人たち
自由気ままなわたしたちにも
困ったことがあるのです
それはある街で起きた喜劇
みんなのマドンナ ニナ姉さんが
ある若者に恋をした
燃え上がる恋は二人をつつみ
ある日とうとうさよならの時
ニナと恋人は街に残り
さよならみんなとわれらを振った
さあ困ったのはいつもの演目
ニナ姉さんのきれいな歌声
代わりになれるものがいない
歌の真ん中にぽっかりと穴
おかげでお客も減っていく
だれか
だれか
一緒に歌ってくれまいか
だれか
だれか
旅したい人はいませんか
音楽隊は、声を合わせて歌いました。手をつなぎ、見事なかけあいをして。でも、確かに一人分物足りない気がしました。
だれか
だれか
一緒に歌ってくれまいか……
メイプルは、思わず立ち上がり、歌う人々の中に入っていきました。そして、一緒に歌います。
わたし
わたし
わたしが一緒に歌います
ヒーロも、どたどたと駆けてきて、メイプルの隣に割り込んで歌います。
ぼくも
ぼくも
ぼくも一緒に歌おかな
村人達は顔を見合わせ、次々と歌に加わっていきました。やがて歌は大合唱となり、何遍も何遍も繰り返されました。集会堂はすっかり温まって、ほかほか湯気が立つようでした。
声が枯れるくらい歌い続けた翌朝、集会堂の外に出て、村人達は驚きました。
いつのまにか雪がとけ、やわらかい草が顔をのぞかせています。木の上から、小鳥の声が聞こえてきて、音楽隊のリーダーが鳴き真似で返事をしてやりました。
メイプルは、すっかり仲良くなった音楽隊のホルンの人と手をつなぎながら、言いました。
「春が来たのね!」
「ええ、春ね」
ホルンの女の人は、メイプルにだけ聞こえるように、そっと歌いました。
だれか
だれか
旅したい人はいませんか
メイプルも、そっと歌を返します。
行きます
行きます
馬車に乗ってどこまでも
ぬかるんだ地面の上を、ヒイロや他の子どもたちがぴょんぴょんと踊っています。メイプルももちろん、その中に加わるのでした。
それから何年か経った頃。山の中の村から遠く離れた港町で、旅する音楽隊が演奏をしていました。華やかなトランペットを吹き鳴らすのはヒイロという新顔の少年です。チューバがその演奏を低音で支え、ホルンがせきたてます。ゆったりと流れるトロンボーンの音も、欠かせない存在でした。
楽器の演奏の後は、歌を歌うのです。ひときわきれいなドレスを着て、真ん中で歌い出したのは、美しい声のメイプルというマドンナでした。