徒然 その4 中学校
夢のような部活があった。
サッカーとバスケとドッチボールが組み合わさった様な夢のような部活。
ハンドボール。友達とハンドボール部に入った。
中学校の部活動って思った以上に大変だったな。
小学校と中学校のギャップは大きかったと今でも感じる。
中学校生活の3年間は部活漬けの生活をする事になった。
まぁ楽しく過ごせていたと思う。中学3年の頃にはハンドボール部の部長もさせてもらった。
ただ、家庭環境は崩壊していた。
僕の父と母は僕が中学3年の頃に離婚した。
本当におかしな家庭環境だったと今であれば良く分かる。
その頃には父の存在は、タブー扱いだった。
何でこんな状態なのか、聞く事も出来なくなっていた。
でも他の人の家族、家庭というものの差はかなり感じていた。
本当に弱い自分であったなと思う。
小学校の頃からそうであったけれども、おとなしいが、真面目で、正義感も強くて優しくて良い子。
僕はそんな感じであった。
でも弱くて、家庭の事は周りに知られたくないと家の事の話をする事は一切なかった。
母はパートの仕事を色々と掛け持って働いた。
疲れている母に深夜、2時3時になっても、「かいて 背中かいて」と声を上げ続け、母を眠らす事すらさせない妹の事が大嫌いであった。
俺が妹にどのようなちょっかいをかけようと、妹は強い。
だからこそ、余計に腹が立った。
一度、叩こうと振り上げた手の指が妹の眼に入り、泣かせた事がある。
妹は大泣きした。泣かない妹が大泣きした事にショックを受けた。
妹が泣くという事が信じられなかった。
後悔した。本当にとっても後悔した。
その日の夜に戒めとして自分の手の甲を傷つけた。もう絶対に妹に手を上げないと誓った。
その後は叩いた事は無いと思う。自分の手に付けた誓の傷は今もうっすらと残っている。
色々と楽しい中学生活を送ったのだが、ここでは割愛する事にする。
ただ、今後の展開を考えて書いておこうと思うことがある。
中学校3年、部長時代。
もう部活も引退した頃だったか?
よくは覚えていないが、中学校3年の後半。
両親が離婚した事を、同級の部活の友達に知られた。
その子は放課後に、俺のクラスの処に来てこう言ってくれた。
「両親が離婚したんだろ、可哀そうだな。
辛くて大変だな。何かあったら俺に何でも言ってくれ助けるから」
みたいな事。
涙がめっちゃ溢れ出た。ありがとう。
何度も言ったと思う。
知ってくれて嬉しかったんだと思う。
それと同時に自分の中にあった自分では気が付かない心の壁はより強固になっていった。
自分は可愛そうな子なんだって。
無意識の内に。
今でこそホイホイと離婚なんて日常茶飯事な事であるが、俺が子供の頃は離婚する家庭は少なかった。