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徒然 その3 小学校

小学校は川崎市立宮崎小学校


とても生徒の人数が多い、マンモス学校だった。

1年~6年まで、各6クラス40人ぐらい、居たと思う。


小学生になるとアパートから近くの3LDKマンションの一室に引っ越した。


低学年の頃は人形遊びが大好きだった。ガン消しゴムを使ってのお人形ごっこ遊び。

インドア派だった。


高学年になると、ファミコン、スーファミのゲーム。外でもよく遊んでいた。

周りの友達には恵まれていた。毎日が楽しかった。楽しく過ごすことが出来た。


ただ高学年になる頃には家庭環境が他と違う事に気が付いて行った。


先に言っておこうと思う。両親は俺が中学3年の頃に離婚した。

両親の仲は悪かった。


でも物心がついた頃から既にそうであった。

同じ小さな家に住みながら、母と父が離婚するまでの間に一緒に居た記憶もないし、

会話した記憶も無い。


伝わったかな、物心ついた時から両親が会話をした記憶が無いんだよね。

んでもって一緒に会う事もない。


・・こっちだな、俺の文章の書き方は。

失礼。どんどんリアルタイムで楽に楽に書いていく。


今でいう処の家庭内別居状態。

父 VS 母、俺、妹

これは分かりやすいな。


VSと書いたが別に俺や、妹が父とVSしている訳では無かったが。


父は夜間の仕事であった為に朝早くに家を出て、19時頃に帰ってくる。

家に帰ってきては玄関直ぐの左手にある、一部屋に引き籠る。


両親の会話、あったわ。罵詈雑言の罵倒の嵐。

これも会話と言えば賑やかな会話だな。


極まれに両親がリビングですれ違うような事があれば、罵りの言葉が口を出てた。

たまに夜中には皿が飛んだし。


少し訂正しておこう。普通の会話は全く無かった。


でもこれ、自分に物心ついた時からこういう状態だったものだから、

本当に小学生の低学年の頃迄は他の子との違いは考える事すら無かった。


寝るのも早かったし。

いや、早くさせられていたのかもしれない。19時には寝る時間だった。


正直、両親の間に何があったのか、全く知らない。


でも母親は随分と良く、俺や妹の面倒を見てくれた。


妹は重いアトピーがあり、夜中まで母は妹の背中を擦っていたな。

妹は眠りに付きながらも「かゆい、かゆい」を繰り返し、

母も寝ながら背中を擦る手が動くようにまでなった。


俺は妹が好きであったし、嫌いであった。



川崎市立宮崎小学校


ざっと地形mapを確認したが、地形は変わってなさそう。懐かしい。

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