ある家族の証言
「ペトロネラ・エトホーフトがどういう人間だったか知りたい?」
眉を思い切りしかめて、こちらを見てきた初老の女性は、ぐっと黙り込んだ。足が悪いのか、椅子に座り込んだまま、手にしていた杖を握りしめている。
「母さん、落ち着いて」
「そうよ、あの人はもう死んだのだから」
その女性の両脇で、そっと肩を撫でる男女は、彼女の息子と娘だ。取材のために現れた私にも、愛想よく挨拶をしてくれた。
「あれは……悪魔だよ」
「悪魔、ですか」
「あなたみたいな若い人にはわからないだろうね」
「母さん、その言い方は良くない」
息子の言葉に、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。すみません、とこちらに頭を下げてくれる娘に大丈夫だと目線で伝える。
「お話を伺ってもよろしいですか」
「話したところで、どこまで信じてくれるのかね。今や、あの女はこの国の英雄扱いじゃないか」
「でも、恨まれてもいたんですよね? そうでなければ、あのような暗殺事件が起きるはずがないです」
私の言葉に、ぴたりと動きを止めた。沈黙の時間が流れる。
しばらくして、こちらを向いてくれた彼女の青い瞳と目が合った。話す気になってくれたのか、静かにこちらを見つめてくる。
「あれが、一生のうちに、どんな罪を重ねたかなんて全部は知らないよ。でもね、確実に言えることは、私たち家族の生活を滅茶苦茶にしてくれたってことだよ」
私が黙って頷けば、彼女はしわがれた声で話を続けた。
「私の旦那はね、あの女の屋敷で働いていたんだ。まだ、あの女が幼い頃に、庭師としてね。裕福でもなかったけれども、あの頃の生活は穏やかでいいものだったよ」
どこか懐かしそうに目を細めていた彼女だったが、すぐに険しい表情に変化した。
「でも、あの女のせいで全部滅茶苦茶になった! 旦那は解雇された! 私たちは食うものにも困って日々生きていくことに精一杯だった。それでも、旦那は新しい職を見つけて、やっと安定した生活を送れるようなってきたところで……」
むっと口を噤んだ彼女は杖を放り投げると、ダン、とテーブルを大きくたたいた。
「あいつが旦那を殺したんだ! 間違いない! あの悪魔め! 悪魔悪魔悪魔!」
「母さん、落ち着けって」
「ほら、お水飲んで。息を吸って、そう、大丈夫だから」
頭に血が上っていたのか、やっと落ち着いた女性は疲れてしまったようで、椅子の背もたれに寄りかかるようにしてぐったりとした。
「俺、母さんを寝室に運ぶから」
「わかった」
息子が女性を抱えると、私に一礼して部屋から出ていった。娘の方が申し訳なさそうな顔をして頭を下げてくる。
「すみません、母はこの話になるとどうしても……。代わりに私からお話ししましょうか?」
「いいんですか」
「はい、詳しいことは母でないとわからない部分もあるかと思いますが、大まかなことは聞いていますので。それに実際に生活が厳しかったで、母の言うこともある程度、本当のことなのかもしれません」
私は、広げていた手帳に書き込む準備をして、ちらりと視線を上げた。
「ペトロネラ・エトホーフト。彼女は元々、エトホーフト侯爵家のご令嬢でした。父は、侯爵家で庭師として雇われており、彼女と話す機会も多かったようです。当時、私たちの家は親戚から借金をしていて、月によっては返済に困ってしまうこともありました。そんな時、彼女が自らのお小遣いを父に渡してくれていたそうです」
その話に首を傾げる。全く悪魔のような要素はない。ただの善良な子供だ。私の考えが表情に出ていたのか、目の前の彼女は首を振った。
「えぇ、ここまででしたら良い話で終わったのですが……」
彼女が言い淀んでいると、いつの間に戻ってきていたのか、息子の方が話し始めた。
「ペトロネラは、自身の小遣いだから問題ないと言って父親に渡していたが、実際には、それは小遣いではなく侯爵家の財政に関わる大切なお金でした。それをわざと取ってきて、父に渡していたんです」
「それは、どうしてもあなた方の御父上を助けたかったからですか」
二人が同時に首を横に振る。
「違います。彼女は……父を嵌めて嘲笑うためだけにそうしたのです」
「俺が父から聞いた話では、ある日、突然侯爵様に呼び出されたそうです。直々にお声がかかることなんてないので何事かと思って、恐る恐る入った部屋でいきなり殴られたと。家のお金を盗んだのはお前だと聞いた、事の重大さをわかっているのか、などと身に覚えのないことを言われたそうです。後から聞いた話ですが、密告したのもペトロネラだったとか」
彼らの話を聞きながら情報を整理する。ペトロネラは、善人そのものという顔をしながらも、自らのお小遣いではなく、家のお金を庭師に渡した。そして、その事実を歪曲させて、庭師が盗んだことにして侯爵に密告。怒った侯爵が庭師を呼び出して解雇。
「それは……本当だとしたら恐ろしいですね……」
「それだけじゃないんです」
悲壮な顔をした彼女は、下を向いた。それを慰めるようにしながら、男性の方が話し出した。
「俺たちの父は、悲惨な状態で見つかっています。それも、ペトロネラの仕業でしょう」
「どうして彼女の仕業だと?」
「ある朝、家の前に父親の頭と手紙が置いてあったんです。手紙の内容は、あの解雇について書かれていました」
家の前に自分の父親の頭が置かれているなんて、とんでもない光景だ。
「その手紙の内容をお聞きしても?」
「……」
そっと立ち上がった女性が、棚の二段目から封筒を取り出して、こちらに手渡してきた。読め、ということだろう。破くことがないように、慎重に手紙を取り出して、一通り目を通す。確かに、先程聞いた出来事を踏まえて読むのならば、ペトロネラが書いたのだと思えるような文章だ。
――かつて解雇された庭師のご家族へ。私が余興として、彼を陥れて解雇に追い込んだ、と考えているご家族の皆様、ごきげんよう。あなた方の期待に応えるべく、今回は彼を愉快な姿で玄関前にお届けいたしました。感謝の言葉は不要です。
何とも言えない文章だ。これが本当にペトロネラ・エトホーフトの文章だとしたら、残忍で残虐。しかも、常人とは異なる感覚の持ち主だと言えるだろう。まさに、初老の女性が言った通り、悪魔なのかもしれない。
お読みいただき、ありがとうございます。