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『営業四課』  作者: 塙田 伊都也
3/3

第三部 ー異動ー

挿絵(By みてみん)


■その11■


ピリリリリ、ピリリリリ、ピリリリリ、ピリリリリ…。


ああ、うるさいなぁ。

なんて耳障りなんだ、この音。

なんだよ、いったい。

こんなに気持ちよく寝れたの、久しぶりなんだよ。

もう少し寝かせてくれよ……………!


木下は、はっと目を覚ました。

背後からピリリリリと、眠りの中でも聞いた電子音が響いてくる。

上体を起こして部屋を見渡す。

カーテンを通して漏れてくる、朝の陽にうすぼんやりと照らされた床の上で、携帯電話がブルブルと震えていた。


音を出しているのは、その携帯電話のようだった。それは会社から持たされたもので、木下は毎朝、目覚まし代わりにアラームを鳴らしている。


そうだ、会社…。


鳴り続ける電話を見て、木下は、会社のことを思い出した。同時に、自分がどうやら帰ってきたままの姿で、ベッドに倒れこんでいたことに気がついた。風呂にも入らず眠ってしまったらしい。反射的に立ち上がり、ワイシャツを脱ぎ捨てて風呂場へ向う。


会社に行かなきゃな…。


狭いユニットバス。

洗面台の鏡に映った木下の顔は、どす黒く染まっていた。


「な、なんだ!?」


思わず声を上げる。しかしその黒いものが、固まった血液だと気付いた瞬間、木下の頭に昨日のできことが鮮明に蘇ってきた。


そうだ、俺はこの手で石田を…。石田のクソ野郎を…。


思い出すにつれ、段々と血圧が上昇してくるのがわかる。木下は鏡に向かって、にやりと笑ってみる。その悪意に満ちた顔は、いつだか雑誌で見た悪魔の絵を思い出させた。そして、心の底から沸き上がる愉悦…。


熱いシャワーを頭からかぶり、顔にこびりついた血を洗い流しながら木下は、改めて会社へ行こうと考えていた。もちろん、周りの反応を楽しむために。


****************


出社した木下を迎えたのは、恐怖と奇異に満ちた周囲の目だった。誰も声をかけてはこないが、明らかにチラチラと視線を投げてくる。木下はおかしくて堪らなかった。


石田課長の席に目を移すと、そこには見知らぬ男が座っていた。ガッチリとした体格にダブルのスーツがしっくりと馴染んでいる。


誰だ、コイツ…?


木下がいぶかしげな目でじっと見ていると、その男は木下にすっと近づいてきた。

そのあまりに自然な様子が、かえって木下には奇妙に感じられる。


「木下くん、だね」


男は太いしっかりした声で言った。


「そうですが…」

動揺を隠すように、つとめて静かな口調で返す。


「ちょっと、応接室まで来てくれないか」


ははあ、俺をクビにするつもりだな、と木下は思った。どうやらこの男は会社の偉い様らしい。しかし木下にとって、クビになるのは望むところだった。石田に対する復讐も終わったわけで、まさに当初の狙い通りの展開であった。


しかし、応接室で男から出た言葉は、木下の思惑とはまったく異なるものだった。

男は応接室のソファーにゆったりと腰を沈めると、こう言った。


「木下くんには、異動してもらうことになった。異動先は、営業四課」


男の声には、抵抗できない静かな迫力があった。



■その12■


カラン、カラン。


ドアをあけると、乾いた鐘の音とともに、さわやかな冷気を含んだ空気が迎えてくれる。

木下は、ああ生き返る、と大げさな感想を抱いた。実際、五月の日差しは思いのほか強く、じっとりと汗ばむほどだった。


「あら、いらっしゃい」


いつものように、ママが言う。

喫茶チロル。木下の行きつけの喫茶店だ。

木下は、会社で異動を告げられた後すぐ、ここに足を運んだ。

今回のことは、元はと言えばこのママの言葉から始まったのだ。


「ホットね」


いつものようにオーダーし、いつものコーヒーが出てくる。そのコーヒーをかき混ぜながら、木下は思いを巡らせた。


営業四課とは? 上司を殴って飛ばされる以上、閑職であることは間違いない。事実、木下はそんな課の存在を今まで知らなかったのだ。しかしまあ、嫌になれば辞めればいい。

最初からクビを覚悟していた木下にとって、会社を辞めることなど、どうということはない。


異動の話を聞いてから、木下の心は晴れ渡っていた。もう石田課長の顔を見なくても済む。今までの復讐も果たした。あとは野となれ山となれ、成り行きに任せてもいい。その思いが、木下の心を軽くしていた。


「ずいぶん機嫌がいいのね」


ふいに、ママが声をかけてきた。木下は我に帰り、この店に寄った目的を思い出した。


「そうそう、イヤな上司がいるっていつか話したろ?」


「あぁ、例のイヤミな課長さん?」


「そうそう。俺、ぶっとばしてやったんだよ」


木下は子供のように、ぐいっと力こぶを作って見せた。

ママの前では無邪気さが顔を覗かせる。


「あらあら。大丈夫なの?」


ママが目を丸くして答える。

その驚いた様子が、木下にはなんとも誇らしく感じられた。


「そうなんだ、おかげで異動だよ。でもまあ今の部署にいるより、よっぽどいいからさ」


「あら、よかったじゃない。普通ならクビどころか警察沙汰よ、そんなことしたら」


「そこをうまいことやったんだ。ママのおかげでね」


ママは、なんのこと?といった表情で木下を見る。

それがたまらなく可笑しくて、木下は思わず噴き出した。


「それじゃあ、もう来れないかもしれないわねぇ」


ママが少し残念そうに言う。


「うん、今までみたいには、ね」


そう答える木下に、ママは重ねて「残念ねぇ」と言いながら、困ったような、憐れむような、複雑な表情を見せる。


その顔を見て木下は、微かな予感のようなものを感じていた。

この店に来るのは今日で最後かもしれない…。


****************


会社に戻った木下は、再び応接室に呼ばれた。

中には先ほどのダブルのスーツの男と、同期の篠田がいた。


スーツの男は、先ほどと同じようにソファに深く腰をおろしていた。

一方の篠田は、ドアの脇に無表情に突っ立っている。


なんなんだ、いったい…。


異様な気配を感じながら応接室のドアをくぐろうとした木下を、スーツの男は右手で制した。一瞬の間があって、スーツの男が言った。


「木下くんには、今から四課に行ってもらうよ」


木下には、言葉の意味を考える間もなかった。

スーツの男が言い終わらないうちに、篠田が木下の鼻と口をふさぐ。


ツンとした刺激臭。


ク、クスリ!?


薄れゆく意識の中で、木下は篠田の憐れむような視線を感じていた。

スーツの男が最後に言った「荷物はあとで送っておくよ」という声は、もはや木下の耳には届いていなかった。



■その13■


ガタンッ!


大きな揺れで、木下は意識を取り戻した。

しかしまだ頭にぼんやりモヤがかかっているようで、自分が現在置かれている状況を理解するのに時間がかかった。目を何度もしばたかせて、周囲の様子を探る。


木下はどうやら、車に乗せられているらしかった。

両腕は後ろ手で縛られ、足首にもきつくロープが食い込んでいた。

そんな状態で、後部座席に転がされているのだ。

窓の外を、茶と緑の風景が流れていく。


山…?


車を運転しているのは、紺のスーツを着た、サラリーマン風の男だった。

そして助手席にもう一人。

特徴のない服装、特徴のない顔。


木下は何か言おうとしてすぐ、諦めた。頭が混乱しているせいか、言葉が出てこない。

聞きたいことは山ほどあったが、急に何もかもがどうでもよくなってしまった。

どうやらまだ、クスリが効いているらしい。


しだいにまた、意識が闇の中へと落ちていく。


頭が重い。


まぶたが重い。


木下は、再び意識を失った。


****************


次に目が覚めたとき、木下は紺スーツの男に両脇を抱えられるようにして歩いていた。

いや、歩かされていた、と言うほうが正しいか。


木下の眼前には広い庭のような景色が広がり、その庭の端に白い石畳が、ゆるく左にカーブを描くように敷かれている。その上を、木下は歩かされているのである。

道の先は、一つの大きな建物に達していた。


長方形をした、古びたコンクリート造りのその建物は、一見して異様な雰囲気を感じさせた。

そしてその「感じ」は、近づくにつれて確かなものになっていった。

白い-いや、かつては白かったであろうその壁には、まるで人の顔のように見える不気味なシミが、いくつも浮かんでいた。また表面はところどころ崩れ、剥き出しになったコンクリがのぞいている。それらは、その建物が長い年月そこに立っていたことを示していた。


ここは…ここは危険だ。


木下は体を震わせた。直感が、その建物に近づくなと告げている。


「お、おい。なんなんだよ、ここは」


震える声で問いかける。しかし木下の左右を固めた男たちは、相変わらずの無表情のまま何も答えず、木下の体を引きずっていくだけだ。


マズイ…このままじゃマズイことになる。


もはやその危機感は、確信的なものに変わっていた。

木下は力ずくで男の腕を振り払おうとしたが、それも無駄な抵抗であった。

薬のせいだろう、四肢にまったく力が入らない。


どうすることもできない、のか…。


木下は絶望的な気分で、引きずられるまま、不気味にそびえるその建物の中へと足を踏み入れた。



■その14■


重厚で巨大な扉。

威圧するような、鉄製の扉の前に、木下はいた。

その両脇は警備員の制服を着た二人の男に固められていた。


十数分前。


白い建物の中では、白衣を着た男が木下を待ちかまえていた。

横山と名乗った男は不自然なくらいやさしげな笑顔をうかべて、いくつかの質問を木下に投げる。適当に返事をしながら木下は、建物を見たときから感じている「嫌な感じ」の正体について考えていた。


そうか、病院…か。


どうやらこの建物は古い病院らしかった。

横山の白衣もそれを示している。

しかし、なぜ自分がこんな山奥の病院にいるのか、木下には皆目見当もつかなかった。


「じゃあお願いします」

横山が言った。


すると、いつからそこにいたのか警備員らしき格好の二人組がドアの脇から歩み寄り、木下の両脇を抱えるようにして立たせた。そうして木下は、なに一つ状況をつかめぬまま、部屋から連れ出されたのだった。


****************


「ここが今日から、お前の職場だよ」


木下の右側に立つ、背の高い方の男が嬉しそうに言った。


「よせよ、デカ」


左側の、ネズミみたいな顔をした男がしかめっ面で短くつぶやく。

デカと呼ばれた大男は、不満そうに肩をすくめて見せた。


職場? なんだ? 何を言ってる? この扉の向こうに何があるってんだ?


木下はひどく混乱していた。目の前にそびえる扉のただならぬ雰囲気に圧倒され、正常な判断力を失っていたところへ、この会話だ。


だいたい、なんでこの扉には、鉄格子がはまってるんだよ。


扉の上部は、長方形に窓が切り取られていた。しかしその窓には、三十センチ程の間隔で太い鉄格子がはまっているのだ。扉の放つ異様な雰囲気は、これに起因している。


「じゃ、開けるぜ」

ネズミのその言葉で、木下の思考は中断された。


ゴゴゴゴゴ…。


鈍い音を響かせ、扉が右に滑っていく。

それにつれ、強く白い光が木下を照らす。

そして次の瞬間、眼前に広がる光景に、木下は唖然とした。


****************


一面、白にぬられた長大な部屋。

壁に窓はなく、天井で煌々と照る白色電灯だけが、部屋の様子を知らせてくれる。


部屋の中に浮かびあがるのは、いくつかの事務用デスクと、十数人のスーツ姿の男たち。

一見すると当り前のオフィスの光景だが、明らかにおかしなことがいくつもあった。


木下の目の前でデスクに向かう男の手には、ペンではなく赤いクレヨンが握られている。

白髪のその男は、画用紙に向かって一心不乱に何かの模様を描いている。


「ギャッ」


突然の悲鳴に、目を奪われる。その声の主は、二人の中年男だった。


二人は子供じみた嬌声をあげながら、追いかけっこをしていた。

床に寝転がったまま、何かをブツブツとつぶやく奴もいる。

グルグルグルグルと同じ場所を、何度もまわり続ける奴もいる。


く、狂ってる!


木下の体は背筋を駆け上がってくる悪寒に震えた。

異常だらけの真っ白な世界を、木下の視線がさまよう。

なんとか狂気から逃れる糸口を探して。


その目が、木下に向かってゆっくり歩いてくる男の姿を捕えた。

木下より10歳ほど年上であろうか、男の目に狂気は感じられなかった。

男は右手を上げ、親しげな様子で話しかけてきた。


「きみは新入りだね」


落ち着いた口調だ。

木下は微かな望みを見つけたことに、少しホッとしていた。徐々に混乱が収まってくる。


そして頭が回り出すと、今度は疑問が次から次にわいてくる。


「あ、あんた! マトモなんだな!? ど、どうなってんだコレは! コイツらなんなんだよ!」


木下は男に掴みかからんばかりの勢いで疑問をぶつけた。


しかし。


男はその言葉を無視し、木下の横を素通りすると、赤いクレヨンの男にこう言った。


「きみは、新入りだね」


コ、コイツも!


ゴゴゴゴ…。


背後で、忌まわしい音が響く。

振り返るのと、あの扉が閉まるのは同時だった。


「お、おい! 待ってくれ! ちょっと! おい!」


木下は弾かれたように走り、扉に取りついた。

だが木下が何をしようが、重厚な扉はビクともしない。

今さらながら、この扉がこんなに重く作られている理由を、木下は悟っていた。


「待てって! 何かの間違いだ! 俺は、俺は狂ってない! 狂ってない! 狂ってない!」


ありったけの力で扉を叩き、ありったけの声で叫ぶ。

しかしその声はぶ厚い扉にはね返され、白い壁をむなしく震わせるだけだ。


もはや木下に残された道は、この白い狂気の世界で、自らを狂わせていくこと、ただそれだけだった。


****************


「しかしアレだなあ、狂ったやつってのはどうしてああ同じことを言うのかな」

警棒をぐるぐると回しながら、デカが言った。


「俺は狂ってない、ってな」

ひと仕事終えた開放感からか、堅物のネズミの口調も軽くなる。


「ま、俺たちには関係ない話だけどな」

デカの言葉に頷きあうと、二人はお互いの持ち場へと戻っていった。


(了)

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