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【コミカライズ】辺境令息との合理的な婚約 ~婚約破棄された令嬢は、一途な愛を注がれる~(旧題:10年越しの恋に終止符を)

作者: 咲倉 未来

【総合日間:1位/異世界(恋愛)日間:1位】

をいただきました。

ありがとうございます!!

「マリエル、すまないが君との婚約を破棄したいんだ」


「っ! ええっと、フェリクス殿下。それは一体どういうお話でしょうか?」


 キルシュ王国第一王子であるフェリクスはバツの悪そうな顔をして、自分の婚約者であるブロッサ公爵家令嬢へ婚約破棄を言い渡した。


 今日は学園の卒業パーティーであり、祝いの席にはあまりにも似つかわしくない不躾な申し出だ。


 言われたマリエルは心中穏やかではないものの、努めて冷静に確認するよう心掛けた。


「なにかのご冗談でしょうか?」


 二人の婚約は(さかのぼ)ること10年前、婚約者選定を兼ねた王妃主催の茶会で、他ならぬフェリクスがマリエルを望んだことで決まったのだ。


 今のマリエルはすでに妃教育を終えた身であり、学園卒業後は第一王子の王太子就任に合わせて婚姻を結ぶ。


 今さら覆る要素などない輿入れだ。ありえない。


「冗談ではない。手遅れにならないうちに対処しようと思ってね」


 本当に婚約破棄するつもりなのか、という疑問は、フェリクスの背中に半身を隠して顔を覗かせるセレソ男爵家の令嬢ジゼルを目にした瞬間に、腹に落ちた。



 在学中はフェリクスに(まと)わりつき、マリエルから態度を改めるよう何度か注意を促した令嬢である。


 ジゼルの家は貿易商上がりの新興貴族で、本人は流行に詳しく見た目も愛らしい。

 性別問わず学園中で人気があり、多少目に余る行動をとっても彼女なら許されてしまう風潮が定着していた。


 ジゼルのドレスは、繊細なレースと煌びやかな刺繍が珍しい貴族の間でも入手困難な舶来品で、この会場でも一際目立っている。



 どうやら目新しいもの好きのフェリクスは、ジゼルの魅力に陥落していたらしい。



(嘘でしょう? ジゼルさんを妃にするのなら彼女の王太子妃教育はどうするの? ジゼルさんを妾に据えるということ? でもそれなら私と婚約破棄などしないはず……)


 婚約を破棄したとして、ならマリエルはどうなるのだろうか。

 身勝手なフェリクス(第一王子)に非難が集まるのか、気持ちを引き留められなかったマリエル(婚約者)が責められるのか。



 今や周囲の喧騒(けんそう)は嘘のように静まり返り、マリエルとフェリクスの不穏な空気をさっして会場中の生徒が様子を(うかが)っていた。


「そ、そのような話を、このような場でするものではありません。するとしても両陛下とブロッサ公爵家を交えるべきです」


「その前に君と合意を取りたかったんだよ。婚約解消に同意してほしい。君は慰謝料が必要だろうし破棄でいいよね?」


(あ、これ、私に協力させようとしている? ――それこそ冗談じゃないわ!)


 利害の絡む大人を交えて話をすべきだと、マリエルが抗議しようとしたときだった。


「フェリクス、その話は本当かい? ならマリエルを僕の婚約者として迎えてもいいだろうか?」


 一人の男子生徒が、マリエルとフェリクスのところへ向かって歩いてくる。

 彼は王弟であるフルージエ辺境伯家の令息でディオンといい、フェリクスとは従兄弟の関係にあたる。


「ディオン、お前どういうつもりだ?」


「どういうつもりって、言葉通りだよ。王太子妃教育を終えた才女のパートナーが空くなんて幸運を見逃すわけがない。セレソ男爵家のご令嬢を妃に迎えたいのなら、むしろ君にとっても都合の良い話だろう?」


「……いや、どうだろうな。突然すぎて、なんと言っていいか」



 最初に勝手を言い出したのはフェリクスである。

 マリエルは、フェリクスの身勝手な台詞に心が冷え、次いで頭が冴えわたっていった。


 ディオンの提案に動揺するくらいの覚悟しかないのなら、己の愚行を顧みて今すぐ反省すべきだ。

 困惑するフェリクスに向かい、早く婚約破棄を撤回しろと念を送り続けるマリエルに、ディオンはそっと耳打ちをした。


「ねえ、マリエル。このままフェリクスと揉めるより素直に僕の提案に乗ってしまいなよ。君は嫁ぎ先を変えるだけで済むし、僕は親類縁者から押し付けられる見合い話に終止符が打てる。お互いに合理的だろう?」


「ほ、本気だったのですか? ディオン様」


「もちろん。でなきゃ今も会場の隅で傍観してる。ねえ、悪い話ではないだろう?」


 確かに、悪い話ではない。


 既にフェリクスから婚約破棄の話が出たという事実に加えて、ジゼルの存在が会場中の知るところとなった。

 今晩には生徒の親に伝わり、明日には国中に噂が広がること間違いなしだ。


 フェリクスが周囲の説得に応じてマリエルと婚姻を結ぶにしろ、我儘を通してジゼルに求婚するにしろ、この先はマリエルにとって良いことなどひとつもないだろう。


 考えるほど腸が煮えくり返り怒りが込み上げてきて、気を抜くと冷静さを失いそうになる。

 感情を抑えるだけで手いっぱいとなったマリエルに、ディオンの低く抑えた声が、この困難を脱するべきだと囁き懐柔してくる。


「マリエル、賢くいこうよ。目の前の二人に付き合う必要なんてないさ」


 マリエルはぐっと怒りを呑み込むと、次いで思いつく限りの不安が頭をよぎり、理不尽な現実から逃れたいと切に願った。

 自らが不利益を被らないディオンの提案がとても良い策に聞こえたので、思いきって決断することにした。


「――そうですね」

「なら、決まりだ」


 煩わしい問題から解放されたマリエルの心は幾分軽くなり、助けてくれたディオンへ笑顔を向ける。


 差し出された腕に手を回したあとは、諸悪の根源たるフェリクスにできる限り友好的に話すよう努力した。


 気のせいかフェリクスの顔が若干引きつっているようだが、知ったことではない。


「ではフェリクス殿下。婚約解消を賜ります。私はディオン様に嫁ぎますので、そのように両陛下にお伝えくださいませ」


「待ってください!」


 話がまとまりかけたとき、なぜかジゼルが待ったをかけた。


「ディオン様、本当はこんなこと望んでいないのでしょう?」


 名前を呼ばれたディオンは、首を傾げてジゼルの問いかけに応えた。


「というと?」


 ジゼルは目を潤ませて胸元で両手を合わせると、心苦しくてこれ以上は耐えられないと言わんばかりに肩を震わせた。

 一歩前に進み出て、ディオンに熱い視線をおくり切々と訴えかける。


「私とフェリクス殿下の想いを知って協力してくださるなんて。もしかしなくとも、私のために身を引こうと考えてくださったのでしょう? お気持ちに応えられなくてごめんなさい」


 ジゼルは、ディオンが彼女に好意を持っていて、それゆえにマリエルのパートナーへと名乗りでて、場を収めてくれたのだと一連の行動を理解したようだ。


 自分はみんなに愛される存在なのだという、ジゼルの思いあがった心根が垣間見えるようだ。


 唖然としたマリエルの目の前では、ジゼルの隣に立っていたフェリクスも思わず身を捩り彼女の顔を凝視している。


 ディオンだけは、ジゼルの奇行に臆することなく、笑いながら間違いが広まらないよう言葉を選んで事実を伝えた。


「あはは、面白い考察だね。でも僕は君のようなおめでたい頭の令嬢は好みじゃない。将来家督を継ぐとなれば優秀な令嬢を選ぶのは必然。つまりマリエルこそが僕の理想の女性ってこと。――それでは、僕たちは先に失礼させてもらうよ」


 言い終わると、ディオンはマリエルの手をとり会場を後にした。


 ◇◆◇◆


 卒業パーティー会場を退出したディオンは、マリエルを連れてフルージエ辺境伯のタウンハウスへと向かった。

 てっきりブロッサ公爵邸(自分の家)に送り届けてもらえると思っていたマリエルは、到着した場所を見て驚いたようだ。


「ディオン様、どうしてこちらに?」


「しばらくはここに滞在してもらう。城に勤めている姉もたまに帰ってくるけど、煩わしく言う者はいないから気楽にしていてほしい」


「ええっと、そういうことではなくて――。それに着替えも何もありませんし、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきません」


「今君を家に帰したら、それこそブロッサ公爵から非難されてしまうだろう。全ての原因はフェリクスで君を責めても解決しない。なら問題が落ち着くまでは帰らない方が良い。それに着替えなら、学園を出るとき執事に王家御用達の衣装工房に既製品の取り寄せを頼んである。今日の夕方には一通り届くだろう。贈り物がオーダーメイドでないのは心苦しいと思っている」


 確かに邸に帰れば、マリエルが両親から非難されるのは容易に想像できた。

 どんなに責められてもフェリクスの心変わりが原因なので、マリエルに解決は不可能だ。


 それに王家御用達の衣装工房ならばマリエルのドレスパターンを控えているので、既製品でも丁度良いものが届けてもらえるだろう。


 間違いではない。間違いではないが、――どうにも手際が良すぎる気がして、マリエルは不安に駆られた。


「あの、急すぎて言葉が出ません。ですが、やはり私はここにいてはいけない気がします」


「そういわないで。成り行きとはいえ婚約者になるんだし、僕に君を守らせてよ。ほら部屋へ案内する」


 差し出された手を取ることすら躊躇(ためら)ったマリエルだったが、とはいえここ以上に安全な行き先も無い気がした。

 少しの間逡巡したマリエルは、全てが今更なのだと開き直ると、頷いてディオンの手を取ったのだった。




 マリエルとディオンはお茶をしながら、まるで婚約破棄騒動など無かったかのように会話を楽しんだ。

 夕方には衣装工房から注文の品が届き、マリエルが滞在する客室に運び込まれたのを見届けたあとは、明日の行き先を告げられた。


「バレエ公演のチケットが余っているんだ。姉は仕事で行けないといっていたから、二人で行こうよ」


「ええっと」


「バレエは嫌い?」


 マリエルもバレエ公演は興味がある。けれど置かれた状況を思えば、娯楽に興じるのは不謹慎だと感じたのだ。


「そういう訳ではなくてですね――」


「なら、決まりだ。他に行きたいところはある? 王都に住んでいても妃教育が忙しくて中々出歩けなかったと、――フェリクスからも聞いている」


 マリエルが最後に劇場を訪れたのは七歳のときで、八歳になり第一王子の婚約者に選ばれると、外出は一切禁止され家庭教師を増やされた。

 十二歳から本格的な妃教育が始まると、ブロッサ公爵家と城と学園を行き来するだけの生活になり、月に一度、フェリクスとお茶会をする以外の息抜きはほとんど無かったのだ。


 それでもマリエルが順調に課題を消化できたのは、フェリクスとの関係が良好だったからだ。

 フェリクスは周囲にマリエルのことを自慢していて、その話を人づてに聞かされていた。


 それゆえ仲睦まじいとまで言われていたのに、どうしてこんなことになってしまったのか。


(ディオン様にも私の話をしていたのなら、好いてくれていたのは間違いないと思うのだけど。――ま、まさかっ!)


「あの、フェリクス殿下は私への不満を持たれていたのでしょうか? 月に一度の茶会の時間だけでは足りなかったのでしょうか?」


「いいや。不満は聞いたことがないよ」


「ならどうして婚約破棄(あのようなこと)を言い出したのでしょうか?」


 少し取り乱したマリエルを、ディオンが優しく宥める。

 まるでマリエルに悪いことなどひとつも無いように。


「あの場を見る限り、フェリクスが心変わりをして婚約者を変えたがっていただけに見えた。流れでフェリクスの望む形になったんだから、僕や君が先に責められるのは筋違いだろう」


「そうでしょうか」


「向こうも念願かなってよろしくやっているだろうから、あまり気に病んだら損だと思うけど。――それとも、彼の元に戻りたい?」


 戻りたいかと問われれば、マリエルは直ぐに首を横に振った。


「いいえ。私が歩み寄るのは違うと思います。ただ、私に落ち度があったのなら反省するべきだとは思います」


「うん、素晴らしい心がけだね。でも落ち度はないから安心していいよ。むしろ身内の非礼を僕に償わせてくれ」


「ディオン様が償うものではありません。そもそも助けて頂いたわけですし」


「いいじゃないか。マリエルの気持ちが晴れるなら毎日デートに誘うし、それが嫌なら謝罪し続ける。どちらがいい?」


「謝罪は不要です」


「なら、今日の悲劇が消し飛ぶくらいの楽しい時間をあなたに贈る。約束だ」


 譲る気のないディオンの態度に、最後はマリエルが押し切られてしまった。





 翌日、マリエルは十年ぶりに劇場へと足を運んだ。

 上演中も演目に感動しっぱなしだったが、終幕後もまだ日が高いのに、後の予定がまったく埋まっていない状況に高揚した。


 近くのカフェに入り、高ぶった感情のまま感想を語り合うのも新鮮で、頭を悩ませる諸問題が一切合切どこかに消えたようだった。


「明日は変装してお忍びデートに行こう。まあ、少し離れたところにウチの護衛が付いてくるんだけどね」


 一瞬、マリエルの脳裏に大丈夫だろうかと疑念がよぎったのだが、この時には不安を口にすることをやめてしまっていた。

 全てが今更で、原因はフェリクスの心変わりであり、マリエルに出来ることはない。


 むしろあちらは思い通りの未来を手に入れたのだし、マリエルが戻りたいと訴える気が無いのなら、ディオンと一緒にいることこそが自然な気さえしていた。


 時折思い出して悩んでは、たどり着く答えはそこなのだ。

 憂鬱(ゆううつ)な気分を振り払うように、マリエルは楽しい予定だけに集中した。


「お忍びデートは初めてですから、分からないことだらけです」


「衣装はクロゼットにあるから侍女が支度してくれる。マリエルは座っているだけでいいんだ」


「ふふ。楽しみです!」





 翌日、用意された衣装に袖を通して髪を編み込んでもらえば、鏡の中には町娘風なマリエルが映しだされた。


 たったそれだけのことにマリエルの気分は舞い上がる。


 今日という日が、今までの人生で経験したことのない一日になる気がして、足元がふわふわしていた。


 新しくできたと聞いてから五年も過ぎた植物園。

 施設の一角に飼われている他国から持ち込まれた彩鮮やかな鳥を見て、マリエルは珍しくはしゃいだ。


 妃教育を受ける身であれば、いつ何時どこにいても相応の振る舞いを求められるのだが、窮屈さから解放された今は心のままに感情が出ているのだろう。


 その姿に気をよくしたディオンは、軽食のワゴン販売がある場所にマリエルを連れていき、なにか食べようと誘った。


「立って食べるのでしょうか?」


「もちろん。みんなそうしているだろう」


 流石に行儀が悪いと感じたマリエルは躊躇いをみせた。

 ディオンは気にせず焼き菓子を購入し、あろうことかマリエルの口もとに添える。


「っ!」


 口を開いて抗議しようとしたら、言葉を発する前に放りこまれてしまった。


「誰も見ていないし、みんな恋人や家族と過ごすのに夢中だよ。はい、もうひとつ」


 ひとつ食べてしまえば取り繕う理由もなくなった。

 マリエルは観念して、差し出された二つ目を口にした。

 三つ四つ食べ終わる頃には慣れてきたようで、やっと味を感じられるようになったのだった。



 翌日も、その次の日も。

 ディオンはマリエルを連れて出掛ける予定を立ててくれた。


 そうして二週間ほど過ごしたころ、フルージエ辺境伯邸に王家から手紙が届いた。

 ディオンは内容を確認すると、眉根を寄せてしばしのあいだ悩んだあと、所有する別荘にマリエルを連れて移ることを決めた。




 湖畔近くに建つ別荘は夏の避暑地に利用する場所で、今時分は少し肌寒く夜は冷え込んだ。

 マリエルは何かあったのだろうと察するものがあったが、あえて聞かずにディオンの決定に従うことにした。


 湖畔を散策したり、珍しい草花の名を調べたり。時には一日中、互いに同じ部屋で好きに過ごしてみたりもした。


 日々が安穏と過ぎていき、まるで卒業パーティーの悪夢が本当は夢であったのかもしれないと錯覚するほど、マリエルの現実はディオンと過ごす日々で満たされていた。


 今更フェリクスの婚約者に戻れる気がしない。両親と対面して責められるのも気乗りしない。


 ディオンの態度は優しく献身的であり、合理的な条件での婚約の先には、ちゃんと心を通わせることが叶いそうだ。

 ディオンに全てを任せて、守られて、彼と結婚できるのなら、それが一番望ましいというのがマリエルの出した結論だった。






 ある日別荘に客人が訪れる。

 城の騎士団に所属するディオンの姉オリヴィアが、国王の命を受けて遠路はるばる馬を飛ばしてきたのだ。


「久しいね、ディオン。マリエルさんも思ったよりも元気そうで安心したよ。大変な目にあったね」


 隊服を身にまとい長い髪をひとつにまとめたオリヴィアは、凛々しさと女性らしさの両方を持ち合わせる端麗な容姿の武人である。


「姉さん、手紙にも書いたけどフェリクスはジゼルと、僕はマリエルと婚約して穏便に済ませて終わりにしたいんだ」


「それが難しくなったから、こうして私が来ることになったんだ。諦めて一度王都に戻るぞ」


「あの、どういうことでしょうか?」


 詳しい話をあえて聞こうとしなかったマリエルだが、二人の会話で、これ以上見て見ぬふりは出来ないのだと悟った。


 ディオンが説明を嫌がると、オリヴィアが代わりに詳細を教えてくれた。


「あの後、フェリクスはジゼルとの婚約を国王陛下に申し出てね。なら妃教育を受けさせろと言われたんだ。残念ながらジゼルは二週間待たずに辞退を申し出た。その後すぐに付き合いのある商家へ嫁ぐことを決めてしまったんだ。この件はセソレ男爵家とも揉めたし、フェリクスの妃候補も空席となった。尤もそれらを見越して、国王陛下も我が父も書類手続きはすべて後回しにしていたんだ」


「なら、私は……」


「マリエルさんは今もフェリクスの婚約者のままだ。ただディオンがマリエルさんを婚約者に望んだという事実も公然の話になったからね。それも踏まえて場が設けられることになった。――まったく、お前の諦めの悪さには呆れを通り越して称賛をおくろう。()()()()()()()()()()()驚いた」


「姉さん、それ以上はやめてくれ」


 ずっと居心地悪そうにしていたディオンが慌てだしたので、察したオリヴィアは少しだけ目を見開いたあと口端を持ち上げた。


「もしかして、まだ秘密にしているのか?」

「姉さん!」


 止めようとするディオンをかわして、オリヴィアは知っている限りの真実をマリエルに教えてくれた。


「十年前、王妃様主催の茶会に私もディオンも同席していたんだ。そこでディオンが可愛いと言った令嬢をフェリクスが婚約者に指名したんだよ。こいつ邸に帰るなり大泣きして暴れたんだ。それからもフェリクスに会うたびに令嬢の自慢話を聞かされて、悔しがっていたんだよな!」


 王命だからと従ったが、オリヴィアは弟と従弟の愚挙にそれぞれ腹を立てていた。

 仕返しとばかりに、ディオンの面映ゆい過去を持ち出して憂さ晴らしをする。



 フェリクスの婚約者は今も昔もマリエルひとりである。ならつまり、それは――


「そのお話は、本当ですか? なぜ――」


「なぜ合理的な婚約だと言ったのか気になる? あの場で、バカなフェリクスとジゼルが愛だの恋だの熱を上げている中で、君に十年恋焦がれていたと言いたくなかったんだ。あんな軽薄な気持ちと同列に扱われたくない!」


 思わず叫んだあと、ディオンは顔を真っ赤にして片手で目元を覆った。

 徐々に事態を理解したマリエルも、頬を染めて両手で口元を隠す。




「はいはい。申し訳ないけどあと一時間したら出発するから。それまでに悔いが残らないよう話し合いを済ませておきなよ!」


 見ているこちらが赤面しそうになるほどの甘い雰囲気に当てられたオリヴィアは、扉を乱暴に閉めて立ち去った。

 そして、この事態がそう甘くはないという事実に小さく溜息をついたのだった。



 ◇◆◇◆


 数日かけて王都に戻ると、そのまま城へと連れていかれた。

 マリエルとディオンが思っていた以上に、事態は大きく扱われているようだ。



 城に呼び出されていたブロッサ公爵と夫人の元へと、マリエルはその身を引き渡された。

 再会した両親の顔は疲弊が浮かび、心労をかけたのだと思い知る。


 一度両親と共に控室に戻ることになったマリエルは、その途中で偶然にもフェリクスと出くわした。


 彼もまた、今日の話し合いの場に呼ばれて移動中なのだろう。

 その様相は婚約破棄を言い出した時の姿とは打って変わって、顔色が悪く目の光は失われていて、マリエルの視線は釘付けになる。


 フェリクスはマリエルの姿を見つけると、まるで捨てられた子犬が助けを求めるような視線を向けてきた。


(私が婚約破棄を言い渡された被害者なのよ。今さらそんな顔をされても!)


 けれど、怒りは直ぐに消えて、マリエルはディオンと二人で穏やかな時間を過ごしていたことが、急に後ろめたくなってしまった。

 曲がりなりにも十年間、互いに想いを通わせた婚約者の見るに堪えない姿に、憐憫の情を抱いてしまったのだった。




 控室に入ると、ブロッサ公爵は思ったよりも元気そうな娘の姿に安堵する。


「マリエル、公然の場でフェリクス殿下から婚約破棄を言い渡されるなど、さぞ心労を溜めただろう。事態は収束に向かっているからな。もう大丈夫だ」


 収束する先は、どういう落としどころになるのだろうか。

 マリエルは、既に起きた事件よりも、この先の話が気になって仕方なかった。


「フルージエ辺境伯令息の提案のおかげで、事件に関わることなく過ごせたのは幸いだったわね。心配したけど顔色も良いみたいだし。ああ良かったわ」


 マリエルの顔を間近で確認した夫人は、涙ぐみ、もう何も心配いらないと力強く娘を抱きしめた。

 妻と娘の抱擁(ほうよう)を見届けたブロッサ公爵は、表情を厳格なものに変えてジャケットの襟を正すと、妻と娘に邸へ戻るように指示を出した。


「このあとの話し合いは私一人で済ませてくる。安心して邸で待っていなさい」


「お父様、私も出席します。自分の気持ちをお伝えしないと」


 湖畔の別荘でマリエルはディオンと互いに想い合っていて、話し合いの場でちゃんと伝えると約束を交わしていた。


「マリエル、これは王家が王太子に誰を指名するか検討したあと、その妃にお前がなるということでしかないんだ。マリエルはずっと妃になるために努力してきただろう。その実績も実力も誰もが肯定している。なにも心配せずに待っていればいい」


 フェリクスが王太子に選ばれたのなら彼に嫁ぐことになり、外れれば他の誰かに嫁ぐことになる。

 その他の中にディオンは含まれてはいたが、王位継承権の順位としてはディオンよりも上に幾人かの候補が存在していた。


「そんな、待ってください。私は――」


「マリエル、我儘を言わないで。あなたがフルージエ辺境伯令息の提案にすぐ乗ったことを(とが)められる場面もあったのよ。これ以上醜聞(しゅうぶん)を広げては、やっとお父様が収めて下さったのに水の泡になってしまうわ」


 母から強めに諭されて、マリエルは自らの立場を思い出した。


 自分は何かを申し出る立場でも、選べる権利を持つわけでもない。

 淡い恋心よりも貴族の責務を優先するのが正しいことだと知っている。





(ごめんなさい。ディオン様、ごめんなさい……)


 心の中で、マリエルはディオンに何度も謝罪した。


 ディオンと過ごした日々が、まるで淡雪のように溶けて手のひらからすり抜けていく。

 夢心地のように幸せだった時間は、現実と向き合い冷静さを取り戻した頭の中では、掴みどころなく霧散してしまった。






 ――ブロッサ公爵邸


 ブロッサ公爵は『王家の王太子選定が済んだのち、マリエルを妃候補として送り出す準備は出来ています』という宣言だけをしたあと、話し合いの場を退席した。


 私情を挟んだ愚行者に娘の名を連ねたくない公爵は、王家の決定に従うと宣言することで、責務を優先する態度を示そうとしたのだ。


 庭に置いた椅子に座ってぼんやりと過ごすマリエルに、公爵はそう説明した。


(しばら)くはゆっくりと過ごしなさい。話し合いは少し長引きそうだからね。十分療養する時間はとれるだろう」


 マリエルは首を少しだけ動かして返事をしたあと、ゆっくりと視線を庭へと戻す。


 彼女の心の中は、深い傷を負った婚約破棄の一連の出来事に、ディオンとの約束を守れなかったこと。そしてフェリクスの憐れな姿が映し出されていた。

 どれも深い痛みを伴い、時折ぎゅっと目を瞑ってやり過ごした。


 日が沈むと侍女に促されて邸に入り、翌日も椅子に座って同じように過ごす。


 まるで抜け殻のようになってしまったマリエルの元に、ひとりの男が無理を承知で面会に漕ぎつけた。



「こんにちは、調子はどうかな」

「……ディオン様」


 途端に約束を守れなかった後悔に襲われて、マリエルの心が極限まで締めつけられた。

 痛みを堪えた表情を向けられたディオンは、どこか諦めたような笑顔を浮かべる。


「ごめんね。マリエル」


 その謝罪は、なにを意味しているのだろうか。


 二人で望んだ未来に向かう努力を、先に放棄したのはマリエルだ。

 どういう結末にたどり着いても、マリエルがディオンを責めるのは筋違いである。


「謝らないでください。謝るのは私の方です。約束を破ってしまったのですから」


 ごめんなさい、と頭を下げれば目から涙が零れ落ちた。

 顔を上げられなくなってしまい、マリエルはそのままの姿勢で鼻をすする。


 ディオンは、マリエルの傍まで歩いていき、椅子に座る彼女の体を起こすと優しく抱きしめた。


「謝るのは僕の方だよ。最後の最後でひとりにしてごめん。助けてあげられなくてごめんね」


「ちが……、私が諦めたから。それに、今も、私は不義理なことを、しています」


 どうしてもフェリクスの顔が忘れられずに、思い出してしまうのだ。

 そんな気持ちでマリエルがディオンとの婚約を望むのは間違っている気がした。


「フェリクスが忘れられないんだね。憔悴(しょうすい)した彼の姿を見たら(ほだ)されてしまったかな。――いいんだ。そんなに簡単に忘れられないって、僕はよく知っている」


 マリエルを諦めきれなかったディオンは、今までずっと自分の婚約話を断り続けていた。

 学園でマリエルの姿を目にするあいだは、望みを絶つことができないと思ったからだ。

 きっと誰よりも、十年積み重ねた想いの厄介さをディオンは知っている。


「マリエルは悪くない。君を追いつめた僕が全部悪いんだ」


 卒業パーティーの日、フェリクスは人気者で見栄えのよいジゼルに心変わりしたことを公開した。


 気づけばディオンはマリエルに手を伸ばしていて、口八丁で彼女を丸め込んでいた。


 その身を手に入れたのなら次は心が欲しいと思うのに、そう時間はかからなかった。


「婚約破棄で深く傷付いていた君を、そうと分かって連れ出した。フェリクスを思い出さないように予定を入れて、僕との思い出で塗り潰すために連れまわしたから。きっと今も清算できない気持ちがたくさん残っていて苦しんでいるんだよね」


 マリエルが気付いてすらいなかった気持ちを、言い当てられた。

 心の奥がざわついて、それを肯定するかのように、涙が止めどなくあふれ出す。


「フェリクスのことを想っていてもいい。僕のことが好きじゃなくてもいい。でも、がんばるから。だから、――最後には僕を選んでほしい」



 素直に頷くには、心にたまった()りが深すぎて、本当の気持が分からなくなっていた。


 フェリクスに未練があるのか、ディオンのことが好きなのか。フェリクスとディオンのどちらのほうがより好きなのか。

 妃になるために積んだ研鑽を否定された(いきどお)りが、今も(くす)ぶっている。

 ただ見栄えがよいだけの令嬢に競り負けた口惜しさも、忘れられない。


 その全てに振り回される自分が一番嫌で、ずっと己の心を責め続けた。


「う、うわぁぁぁ」


 マリエルは婚約破棄を突きつけられてから、初めて声を出して泣いた。




 心を制止できず取り繕うこともできない今のマリエルは、きっと王妃には向いていないだろう。

 叶うのならば、ディオンと一緒に過ごした夢みたいな時間が続いてほしいと切に願った。


 けれど、ただ願うだけで叶うものなどありはしない。

 少なくとも、この時のマリエルはそう思っていた。


 それでも今ここでなら、自分の正直な気持ちを口にするくらい許されるだろうか。


「私、ディオン様と一緒にいたいです」

「わかった」


 十年焦がれた想い人の心を手に入れたのなら、王子様(ディオン)が惜しみなく努力と根性を発揮する番である。



 ◇◆◇◆


 ――碧空広がる、とある日


 マリエルは城の庭へと向かっていた。視線の先には三つの人影が確認できる。


「ああ、やっときた。おーい、マリエルさん。こっち、こっち!」


 通る声でマリエルを呼ぶのは、先だって散々お世話になったオリヴィアである。

 彼女は今日も変わらず隊服に身を包んだ端麗な姿で、マリエルに向かって大股で歩き出した。


「すまないね。やはり遺恨(いこん)を残さないために、一度全員で言葉を交わしておきたくてね」


「いいえ。むしろお心遣いに感謝しています」


 オリヴィアの後に続いて、マリエルは二人が待つ場所へと歩き出した。

 そこにはディオンと、そして幾分顔色が良くなったフェリクスが立っている。



 三人揃って相まみえるのは、卒業パーティーの日以来であった。


 マリエルは迷わずディオンの横へと並ぶと、差し出された腕に手を回した。


 二人の前にいるフェリクスが、恨めし気に視線を送っているのだが全く伝わっていない。

 その様子を見たオリヴィアは、呆れ果てやれやれと首を振る。


「フェリクス、未練がましい男は嫌われるぞ?」


「なっ。私はそんなつもりは毛頭ない。ただ人目を憚らない二人の態度はどうかと思ったのが顔に出ただけです」


「節度ある距離だろうに。まったく、そういう己に甘く他者に要求高く振る舞う考えは感心しないな。指導させてもらう」


 オリヴィアは、フェリクスの額を指でぴんと弾いた。

 軽い仕草だったが威力は抜群。

 フェリクスはしばしの間、額を抑えてうめき声をあげる羽目になってしまった。


「さて、まずはマリエルさんとディオン。婚約おめでとう」


「ありがとうございます、オリヴィア様。あの、その」


 お礼の後、マリエルはオリヴィアに向かって祝いの言葉を述べてよいものか悩んでしまい、言い淀んだ。


「あはは! まあ祝い事だし気兼ねなく祝ってくれ。といってもまだ書類は我が父預かりで正式に受理されてはないけどね。そこはフェリクスの頑張り次第とさせてもらった」


「は? どういうことだそれは!」


 激痛から帰還したフェリクスは、オリヴィアの言葉に驚いたようだ。


「言葉通りの意味だよ。フェリクスと私の婚約に我が父はまだ頷けないんだと。とりあえず私より強い騎士になれば頷いてやってもいいと言っていた。ちなみに、私も自分より弱い男を伴侶に迎える気は毛頭ないから、そのつもりで」


「わ、私の将来をどうするつもりなんだ!」


「婚約無効になって平民になっても、一兵卒として生きていけるよう責任もって指導にあたってやるから安心しな!」


 オリヴィアにバンッと力強く背中を叩かれて、フェリクスは体を曲げて(むせ)てしまった。

 非常に苦しそうである。


 その様子がなんとも不憫でマリエルは苦笑いを浮かべたのだが、心はどこまでも穏やかで少しも乱れることはなかった。


「ごほっごほっ。くそっ! こんなじゃじゃ馬、どうせ貰い手が無くて最後は泣きついてくるんだ!」


 心の声がダダ漏れである。

 これには聞かされたマリエルとディオンが震えあがったのだが。


「なにおう? こう見えて、勝負に勝ったら婚約してくれと言ってくれる奴はいるんだよ。もし私が負ければ捨てられるのはお前だからな。心しておけ!」


「そんな!」


 騎士団で揉まれたオリヴィアにとって、フェリクスの戯言など全く響かないらしい。

 むしろ言い返されたフェリクスのダメージが酷いようだ。


「さて、私はフェリクスを連れて出勤する。みんな、思うところはあるだろうけど、今後も仲良くやっていこう!」


「あの、オリヴィア様、ありがとうございました!」


 オリヴィアがフェリクスとの婚約と騎士団での根性叩き直しを引き受けてくれたことで、マリエルはディオンとの婚約が叶った。


 王太子選定は数年先に引き延ばされ、心を入れ替えたフェリクスが玉座に足りると判断されれば、オリヴィアが王太子妃となるのだ。


 そうならなければ、ディオンとマリエルが最有力候補として推されるだろう。


「気にするな! ちなみに当てにもしないでくれよ? フェリクスはあんなだし、私は妃教育など受けていないからね。ああでも、父も陛下もまだまだ若いし当面は現役でも大丈夫だろう。最年長の私が婚約者すら決めずに許されていたんだから、暫くは二人で楽しんだらいい。困ったらいつでも相談してくれ。自分で言うのもなんだが、良い防波堤になれそうな気がする。それから――」


 一気にまくしたてたオリヴィアは、一連の騒動を経て、自分より年若い者たちが窮屈さに苦労し、周囲の大人の圧に心を押し殺されていることを歯がゆく思うようになっていた。


 オリヴィアには何も言ってこないくせに――と本人が思っているだけで、実は言えないように仕向けただけ――言いやすい相手には、アレコレ押し付けるのは困ったものである。


「それから、私も話を引き受けただけで国王陛下に掛け合ったのはディオンなんだ。あとで存分に褒めてあげてほしい」


「姉さん! あまり長居できないって言っていたよね?」


「あはは! そうだな、大遅刻だ。ほら、フェリクス行くぞ。しゃんと歩け!」


 オリヴィアは放心したフェリクスの腕を引っ張りながら、騎士団の練習場へと歩いて行った。



 残されたマリエルとディオンはといえば、互いの心地よい距離感がまだ掴めていないせいか、少しだけよそよそしい。

 そのことをもどかしく感じているディオンは、焦る心を抑えながら遠慮がちに問いかける。


「よければこのあと、お茶でもどうかな?」


 マリエルは、はにかんだ笑顔を浮かべて頷いた。


「ええ。ぜひご一緒します」




 10年越しの片思いに終止符を打ったディオンと、10年越しの恋に終止符を打ったマリエル。


 二人の恋のはじまりである。






 ちなみに。

 これより三か月後に、フェリクスが無事一兵卒としてやっていける水準に達したことを、ここに記しておく。


 ~End~

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