精神世界で映画を見る
わたしは、たかなしまあこです。
おかあさんとあたらしいパパとおとうとのイッちゃんといっしょです。
イッちゃんはちいさいからないてしまうのでしかられます。パパはおこるとこわいです。イッちゃんはおしおきされてしまってかわいそうです。
イッちゃんがいなくなりました。
おかあさんにどこってきいたら、イッちゃんってだれって、パパもイッちゃんなんてしらないといいました。
イッちゃんはわたしだけにみえている、くーそうのおともだちだったんです。
だけどほんとうのこともしってます。
イッちゃんはパパのごるふばっぐのなかにいます。
古い映画館に観客は三人だけ。
ビエさんと小夜子。そして、ギャル谷が横並びに一番いい真ん中の席に座っている。
ビエさんはポップコーン片手に、銀幕に映し出された陰惨なクソ映画を楽しんでいた。小夜子とギャル谷は眉間に皺を寄せてうんざりした顔だ。
精神世界はぐちゃぐちゃでどろどろしていて、ただの人間が入り込もうものなら発狂不可避の地獄だ。
真亜子の心が壊れているから地獄となっている。というものでもない。どんな聖人君子の精神世界でも、地獄であることに変わりない。
夢と現実の狭間であり、集合的無意識ともつながる境界の主であるビエさんがいなければ、ギャル谷は発狂していただろう。
映画館という形に整えたのはビエさんである。
昭和風の、古い映画館だ。映写機の回る音が響く中、真亜子の記憶らしきものが映し出されていた。
『人間の精神ってきったねえんだよなァ』
世界中のどこかで起きている不幸な出来事。
幼い真亜子は虐待されていて、弟のイッちゃんはいなかったことにされた。
小夜子が口を開く。
「もうこの時点でお腹いっぱいじゃ。これが本当かどうかも分からんしのう。兄上、もっとスパーンっと核心に迫れんのかえ?」
『オレがそこまで協力するなんていつ言ったよ。決めるのは現世で生きてるお前らだよ』
ギャル谷はいつの間にかホルダーにあったジンジャーエールのカップを手に取った。映画館によくある大容量カップジュースだ。ストローから一口すすれば、普通の味。
銀幕には陰惨にすぎる光景が延々と映し出されている。
「映画館ってさあ、謎のタコスみたいなの売ってるっしょ。後でご飯が入らなくなるのに、なんか買っちゃわない?」
「うむ、あれはあれで好きじゃな。ねじねじしたドーナツみたいなのものがわらわは好きじゃの」
『うーん。オレが言うのもなんだけど、お前らおかしくないか』
人の不幸に同情はできる。しかし、それ以上のことはできない。真亜子は可哀想だし、こんなことを行う者を許せないとも思う。それでも、起きたことをなかったことにはできない。
ギャル谷は少しだけ悲しそうな顔をした。そして、言葉を紡ぐ。
「目の前で起きてたら、あいつらボコボコにするよ。でも、そうじゃないし。……そうじゃないの」
ビエさんが首を曲げてギャル谷を見た。
『ふーん。そういうの、嫌いじゃないぜ。できもしないこと言うヤツよりいいよ。でも、若松はそうしないぜ。アイツはオレに頼むだろうよ、なんとかしてくれってな!』
なぜかビエさんは自慢げに言い切る。
「若松を誘いでもしたら、わらわが止めておったわ」
『気づくの遅かった! つれてきたら貸しを作れたのに、失敗したぜ』
小夜子が苦虫を噛み潰した顔になる。
「若松の欠点じゃ。兄上などに頼み事をしたらどうなるものか、後先を考えずにその場の感情で決めるのは悪い癖じゃが、聞き分けのできる男でもなし……」
小夜子は小さくため息をつくが、どこか誇らしげだ。
『あいつ、オレにくれよ。そしたら、なんでも言うこと聞いてやるぞ』
ビエさんは若松が大好きだ。だから、どうしても手に入れたいと思っている。召喚に応じたのも、若松に会えるからというのが大きい。そうでなければ、こんな些末事を気にかけるものか。
「兄上は分かっておらんな。神の言うことなど、若松が聞くものか」
そこにギャル谷が口を挟んだ。
「二人とも、若まっつんのこと大好きだよね。それより、映画がちょっと進んだみたいだけど」
銀幕に繰り返されていた映像に変化が生じていた。
虐待されている真亜子の映像が、別のものに変わっている。
たかなしまあこです。
おるすばんをしています。
イッちゃんのおせわをして、おかあさんのかえりをまっています。
おかあさんはずっとかえってきません。
てれびをみています。
おなかがすきました。いっちゃんはなきやんでくれました。おねむしてくれてうれしいです。
おかあさん、はやくかえってきて。
いいこにするから、はやくかえってきて。
小夜子は今日何度目になるか分からない嫌な顔で銀幕を見ている。
今度の真亜子は部屋に閉じ込められた子供だ。弟であるという『イッちゃん』は餓死したのだろう。
銀幕に映し出される真亜子は、弟の死体をあやしている。
「悪趣味な映画を延々と見せられるとは……。クソ映画の方がマシじゃ。プランナインフロムアウタースペースの方がまだ見所があるのう」
プランナインフロムアウタースペースとは、伝説的なクソ映画監督エド・ウッドの代表作だ。クソ映画だけあって、見所は全く無い。拷問用に作成された映画だと説明されたら信じられるくらいの内容だ。
実写版悪魔男、シベ鉄、光源氏サウザンド年の恋、などのクソ映画金字塔を遥か彼方に置き去りにするクソ映画。しかし、真亜子主演のコレよりはマシだろう。
『小夜子はよく分からないことを言うなあ』
「映画の話だよね。そういうとこ、サヨちゃんオタクだから。ちょっと早口で説明する時あるし」
「むむ、ヘンテコな映画は癒されるではないか。ならば、初心者向けにSFサムライソードキルを一緒に見ようぞ。あれは見所が満載じゃ」
SFサムライソードキルは娯楽映画としても、アメリカを舞台にしたサムライ映画としても優れている。初心者向きではないし、今する話でもない。
そんなことを話している内にも、映写機はカラカラと廻り続けていた。
幼少期の真亜子は何度も死ぬ。
母親に問題が多すぎるのだと分かる内容だ。虐待によって、暗い未来を暗示させるか、凄惨な死を迎える展開で終わるショートフィルム集である。
幼児のころは母親と内縁の夫に虐待されて死ぬ。
成長して学校にいけばイジメにあって殺される。変質者に狙われて殺される。事故で死ぬ。
全てが非業の死だ。
真亜子が主役の不愉快なショートフィルムが延々と続く。
飽きてしまったビエさんは、イビキをかいて寝入っていた。映画マナーを知らぬ無法者である。
ギャル谷も眉間に皺を寄せて、嫌な顔だ。気分が沈むことこのうえなし。
「……サヨちゃん、これって真亜子ちゃんの記憶じゃなくて妄想なのかな? 映画だし、別々のとこで何回も死んでるよね」
妄想だとしたら、第三者視点であるのには納得ができる。しかし、どうにも細かなところが出来すぎだ。
「そうであれば、まだ救いがあったわ。淫魔よ、真亜子の精神に潜んでおるじゃろう。出てこんか!」
小夜子が鋭く言えば、銀幕の舞台裏から異様な姿の女が姿を見せた。
トランプの女王。絵札に描かれたそのままの姿をした中年女である。
「やはり、あなたは戻ってきてしまいましたね。わたしは女王淫魔、あなたが蟲と呼ぶ者です」
淫夢を操るのは淫魔の得意技だ。精神世界であれば、どのような姿にもなれる。
「真亜子が【人類の敵】となったのは、お前の仕業じゃな。時間を操作して、何度も死なせることで魔人を造ったか!」
小夜子は時間を不完全ながら認識できる。数か月前にエリンギ様より賜った、未だ使いこなせていない力だ。
「結果的に出来上がったのです。真亜子の卵子を得るために、延命させるはずだったのです」
女王淫魔の声は震えていた。まるで、零れ落ちそうになる涙をこらえているかのように。
蟲は擬態する。淫魔はその能力で、千年以上ものあいだ、人間の精子と卵子、遺伝子情報を蒐集してきた。
「何を、言うておる?」
「真亜子の死は定まっています。我々の動力源にある全てのリソースを注いで過去を改変しても、真亜子は死んでしまう。あなた方が神と呼ぶ形而上種族の影響下にあるこの惑星では、人のままでは死の運命から逃れられないのです」
小夜子は額に手をやった。
定められた死は覆らない。伊邪那美大神がいらっしゃる日ノ本で、その法則は強固なものだ。時間移動による過去改変を行ったところで、定まってしまった死からは逃れられない。
「何を言うておる! お前ら、邪進化人類を作って人間を根絶しようとしておったじゃろ!?」
小夜子は女王淫魔の意図を理解している。しかし、それを認めたくない。
「それは副次的な要素でしかありません。私は、真亜子を生かしたい。人類の根絶など、創造主の都合でしかないのです。そんなこと、いつでもできる。そんなことよりも、真亜子を死から救わねばなりません」
会話についていけないギャル谷は目を白黒させるばかり。ただ、この女王様が真亜子の味方だということだけは分かる。
女王淫魔はなおも小夜子に語り掛ける。
「28296回の過去改変により、真亜子を生き永らえさせました。もう、私たちのリソースは尽きてしまった……。もはや、真亜子を進化させるしか方法はありません。そのために、ハジメを造ったのです」
「真亜子を進化させ、新たな人類の母にせんとしたか。馬鹿なことを。伊邪那美様が許すはずもあるまいに」
死の運命を過去改変で覆し続けた結果、真亜子は死の因果をその身に宿す魔人となった。
なんの力も持たず、自己の死を捻じ曲げ続けるだけの魔人である。
未来世界の真亜子は、ある意味で不死そのものだ。蟲のように繁殖する無数の真亜子は、一匹の死は死に含まれない。種が根絶されるまで死んだことにはならないのだ。
女王淫魔が膝をついた。
祈りを捧げるように、銀幕の前でひれ伏す。
「未来で人類は滅びます。異界の生命である間宮小夜子様、どうか真亜子とハジメをこのままに。お願い致します。もはや、淫魔がやらずともこの世界は滅びるのです。このまま滅ぶなら、私の真亜子を死なせないで下さい……」
小夜子は押し黙った。
映写機の廻る音と、ビエさんの高鼾だけが映画館を支配する。
「わらわには、お前の言葉が真実か分からぬ。それが真亜子を愛しての言葉であったとしても、お前はわらわの敵じゃ」
進化をかけた生存競争とは残酷なものだ。どちらかが滅ぶまで、終わることはない。
女王淫魔は、遥か遠い宇宙の彼方からの侵略者。彼らは、小夜子よりもそれを理解している。
「やはり、こうなりました。これは予測していたことです。だからこそ、私はここにいました。基底現実でのあなたは強大です。しかし、この精神世界であれば、あなたを排除、いいえ、滅ぼせます」
小夜子が立ち上がり、ビエさんの頭を叩いた。
「兄上、出番じゃぞ」
『ふああーあ、もう退屈なの終わった?』
「ヤツと戦うことになったんじゃ。ここでは不利じゃから、現実に戻してたもれ」
『もう、そんなことで起こさないでよね。自分でなんとかしろ。それがお前の役目だよ。どっちでもいいから、終わったら起こしてね』
ビエさんはまた寝直す姿勢になる。
「あ、兄上、このクソ妖怪っ!! どうしてそうなる!」
『もう、ええから。Zzzzz』
こうなったビエさんはテコでも動かない。小夜子は諦めてここでの戦いを決意する。ギャル谷を守りながらだが、負ける気は無い。
相対する女王淫魔にとっては今が好機。異界への追放すら打ち破って戻って来た小夜子を滅ぼせるのは、ここだけだ。
互いの鬼気が膨れ上がり、魔戦が始まろうとしたその時であった。
「はい、二人ともストップ!! すぐケンカで決着つけようとすんのやめて!! 真亜子ちゃんが死ななくて、虫になんなきゃいいってことでしょ。あるよ、一つだけ」
あろうことか、ギャル谷が自信満々でそう言い放ったのである。




