お夕飯はお家でカレーライス
ギャル谷は小夜子に駆け寄って驚いた。
それはもう、見たことがない顔をしている。
口は見事なへの字を描き、眉間には皺が深く刻まれたそのお顔。
「サヨちゃん、すんごいブサイクな猫みたいになってるよ。昼間に塀の上で寝てる茶色いヤツみたいな」
「だれがブサイクじゃ。わらわ、美少女ぞ」
「猫っぽい嫌がり方だったから。ほら、嫌がってるネコってそういう顔だよ」
「なんでネコちゃん基準なんじゃ。……少し落ち着いた、すまぬな」
ギャル谷は小さく笑う。
「サヨちゃん、ストレス溜まってた?」
「うむ、トミーは出て行ってしまうし、未来のわらわまで出てきよった。あいつ、嫌いなんじゃ」
「悪いヤツっぽかったけど、そんなヤなの?」
「人間の踊り食いをするようヤツじゃからの。好きになれるものか。あんな不味いもの食うんはどうかしておる。それに、あの恰好を見たじゃろ? 白のワンピースにお揃いの帽子とか、どこのマンガから抜け出してきたのか」
あんなものでも自分と地続きにいる。
「白ワンピは狙い過ぎだったよね。似合ってたけど」
その下品な和装も狙いすぎでしょ。と、ギャル谷は思ったが、口にはしない良識を持っている。
互いに何か続きを言おうとして、言葉がみつからない。そこで、言葉が途切れた。
すっかり暗くなった間宮屋敷の庭園。少し話しただけなのに、ギャル谷は汗をかいた。日本の夏は、昼夜問わず人類には限界の暑さだ。
「ギャル谷は、優しい女じゃな」
小夜子はそう言ってはにかんだ。
「そうでもないよ。人に優しくってなかなかできないし」
思ったことは言えても、それが正しいかは分からない。ギャル谷は自分だけの正解を分かっているだけだ。
「そういうとこが優しいんじゃが、まあよいか。兄上を見にいかねばの」
「兄上って、あのゆるキャラみたいな妖怪のこと?」
「妖怪呼ばわりはいかんぞ。あれでも神様じゃからなあ」
「あ、神様なんだ……」
どんどん交友関係が普通から遠のいているギャル谷であった。
「アレがちょっかいをかけてきたら叩いてよいぞ。遠慮するからつけ上がるんじゃ」
「面倒なタイプなのはちょっと見ただけで分かったけど、そっちなんだ……。サヨちゃん、若まっつんがカレー作ってくれてるし、食べようよ」
「そうじゃな」
そういうことになって、居間へと戻る。
エアコンの効いた居間では、ガラル氏の膝に座ったビエさんが羊羹をむさぼり食っていた。
『おかえり! お前はこんないいモン食ってんだなァ。オレ、羊羹大好き!』
ギャル谷はビエさんに対面してだいたい分かった。面倒なタイプだ。
「刈谷といいます。お兄さん、はじめまして」
『おう、オレのことはビエさんでいいぞ。名前呼ばれると兄弟に気づかれるし、これでいいや』
小夜子は顔をしかめた。その可能性を失念していたからだ。
水蛭子神は【あちら側】に流し遣られた神だ。こちら側にいることを喧伝しようものなら、それを正そうとする神に気づかれる。
「兄上、伊邪那美様はこちら側に出ることを気にしておらんようじゃったが」
鳴髪くるみに憑依した時など、それなりに気を入れて殺しに来ていた。さらに、八雷神はくるみに貸したままだ。
『母上を止められるヤツはいないんだし、いいんじゃね?』
「伊邪那美様のことは言わんでおくか。またぞろ出てこられてはかなわんからの」
そのようなことを話していると、若松と千草が鍋を抱えてやってきた。
お待ちかねのカレーだ!
ガラル氏はパチパチと拍手をして、ビエさんを抱っこしたまま席につく。ハジメはあえて無視をしていたが、匂いは気になっているようだ。
小夜子がハジメに声をかけた。
「ほれ、最初の人間よ。悪いようにせんから、そなたも食べるとよい」
「真亜子が起きていない」
ハジメは憮然としてそう言った。
精神に潜ることになる今、真亜子は眠らせておいたままがよい。
『そのキモい女も起こしてやれよ。オレと一緒にメシ食えるなんて、なかなかないぜ』
「……兄上、何か企んでおらんか?」
『オレをなんだと思ってんだよ。小夜子、そいつだけ食わさないのはお前の主義に反するんじゃねえの』
小夜子は言葉に詰まった。確かにその通りだ。敵であっても、食事を与えぬというのは魂に反する。
「むむ、そう言われては仕方がないのう。ほれ、起きよ」
小夜子は真亜子にかけた仮死昏睡の呪法を解く。現代仙道でも高等な封印術だ。片手間でやれる術ではないため、ガラル氏は感心した様子である。
真亜子が目を覚ます。彼女の感覚では、眠りではなく意識が飛んでいたというものだ。
「ここ、どこ、なんで!?」
真亜子は混乱して言うが、ギャル谷を含めた皆は冷めた目で見ているだけだ。仕方なく小夜子が説明する。
「詳しいことは食事の後じゃ。とりあえず、今はカレーを食べようぞ」
座敷机を小夜子が指さして、空いた席に座るよう促す。
真亜子は混乱していたが、明らかにどうにもならない面子だと理解してハジメと横並びで座布団に腰を落ち着けた。
『そこのキモ女、オレのことはビエさんと呼んでいいぞ』
「ひっ、変な動物にキモ女って言われた!?」
『失礼な女だなあ。カレーがなかったら分解してたよ』
「あの、これ、なんなんですか!? 刈谷さん、どういうことなんです」
真亜子は面々の中で最も話しかけやすいギャル谷に言う。小夜子やガラル氏はどう話しかけていいか分からないし、若松と千草はスタッフ枠だ。
ギャル谷は難しい顔で返答する。
「この人? えーと、これはビエさんで、サヨちゃんのお兄さん。ええと、真亜子ちゃんが人類の敵だからなんとかしようってことになったの。それと、カレー作ってくれたのが若まっつんと千草ちゃん」
「え? え?」
『コレって言うな。オレ、色々と司ってるのよ』
小夜子がそこで動く。大山が鳴動せんばかりの迫力であった。
「皆の者、今からお夕飯じゃ! せっかくのカレーが冷めたらどうする。ほれ、わらわに続け。いただきます」
「いただきまーす」
『いただきまっす』
ギャル谷とビエさんがいの一番に続いて、文化的に馴染の無いガラル氏は戸惑いながら応じて、真亜子が遅れて「いただきます」と小さな声で言う。ハジメは無言だったが、皆から見つめられて仕方なく「いただきます」と早口で言った。
「急ごしらえですが、冷めない内にどうぞ」
若松と千草がカレーライスを配膳していく。付け合わせの福神漬けとラッキョウは別の容器でテーブルの中央に鎮座しており、充分な量である。
別皿に用意したのは野菜の素揚げだ。ナス、ししとう、レンコンがピカリと光っている。
「こちらの素揚げはトッピングです。お好みでどうぞ」
『全部の種類のせて! 全部!』
箸の扱いをマスターしているガラル氏が、菜箸でビエさんのカレーライスに素揚げ野菜を乗せていく。
「これ、皆に行き渡るようにするんじゃ。兄上、欲張りはいかんぞ」
小夜子は言いながら、自らもナスを乗せた。そして、カレーの一口目。
見事な家庭の味。
店で食べるのとは全く違う美味しさが口に広がる。炊き立ての米は硬めで、ルーと合わさると口当たりが良い。ラーメン屋さんのご飯ほど硬くないのも味わい深い。
「んんん、若松のカレーはいつも美味いのう」
『カレーってめちゃくちゃ美味いじゃないの! 人間より全然美味い!』
ビエさんはガラル氏に食べさせてもらっている。ガラル氏が流石なのは、左手のスプーンで食べさせながら、右手のスプーンで自分も食べているところだ。
「この世界の食事は素晴らしいですな! ガリガリくんもでしたが、このようなものを庶民が口にできるとは」
ギャル谷は最初からラッキョウを大量に取り入れている。一口ごとにラッキョウが入るという妙な食べ方だ。
「若まっつん、カレーすごく美味しいよ。いつもありがとうね」
真亜子とハジメは訳が分からないまま食べることになった。
真亜子はおそるおそるスプーンで一口目。
「あ、お店と違う」
意図せず、真亜子はそんな声を発してしまった。それは不意のことで、誰にも聞かれていなかったかと見回してしまう。しかし、聞こえているが誰も気にした様子はない。
「人間は空腹があったな。不完全だ」
ハジメはそんな憎まれ口を叩く。子供じみたものにしか聞こえない。深淵の意味など無いと、誰にでも分かるものであった。
それを聞き逃さない小夜子は、ハジメにビシっとスプーンを向けた。
「食事は万民に許された愉悦じゃ! 文句を言うてもよいが、食わぬとわらわ怒るぞ」
「お嬢様、お行儀が悪いですよ」
若松がすかさず注意する。スプーンを人に向けるのはよろしくない。
「むむ、返す言葉もないとはこのことじゃ。ほれ、ハジメも食わぬか」
ハジメは仕方ないといった様子でカレーを口に入れる。いかな魔人超人といえども、カレーライスの前ではスプーンを使って食べるだけの存在だ。
ハジメは何も言わず食べるだけだが、手が止まっていないところをみると気に入ったのだろう。
皆が上機嫌で食べるのを確認した若松は千草に耳打ちして台所に戻った。
トッピングといえばまだあったと思い出したのである。
明日の朝食用に置いておいた卵だけはたくさんあることだし、こうなったら使ってしまえという腹積もりだ。
まずは、辛子マヨネーズを隠し味にしたスクランブルエッグ。
ごく簡単なもので手間もさしてかからない。そして、小夜子用に砂糖を大量に入れたお菓子みたいな玉子焼きをこしらえた。
手早く作り終えた若松が戻れば、皆が二杯目に移ろうとしているところだ。
「トッピングに追加です。皆様、お好みでどうぞ。お嬢様、いつものを持ってきております」
「おお、流石は若松じゃ。お家カレーにはこれがないとのう」
甘い香りの玉子焼きを受け取った小夜子は、そこに醤油をだばだばとかける。そして、スプーンで切り分けてカレーに乗せるではないか!
見たことのない食べ方に、皆の視線が集まった。
『なにそれっ、ズルい! オレも食べたい!』
若松がビエさんを止めるべく動いた。
「ビエさん、あれはお嬢様にしか美味しくありやせん。むしろ、やめて頂きたいとあっしは思っている食べ方です」
これだけは若松も庇いきれない。
「ほほほ、わらわが好きなだけじゃ。悪食の類いじゃからの、真似はせん方がよいぞ」
『ええー、気になるぅ』
「あーしも気になるんだけど」
「そこまで言うなら、試してみるとよい」
そういうことで、少しずつ切り取ってカレーに乗せることになった。ガラル氏と真亜子は様子を見ており、巻き込まれないようにしていた。
『ガラル、食べさせて』
「よろしいですよ。ビエ様、あーんして下さい」
『あーん』
ギャル谷もビエさんに続いて食べてみる。
アマビエもどきとギャルは、同じような表情を浮かべた。
リアクションが取れないレベルの、なんともいえない味。
激甘の玉子焼きと醤油味はカレー味に中和されていて、合っていないが不味いというほどでもない。カレーが全てを曖昧にしているという代物であった。
「なんかね、期待してたどれとも違う味……」
『小夜子、なんかゴメンな……』
「想像してたのと違う反応じゃな」
悪食とはこのように盛り下がるものだ。小夜子にしか美味しくない食べ合わせなのだから無理も無い。
若松は苦笑いを浮かべる。
「ささ、皆さまはこちらのスクランブルエッグをどうぞ」
トッピングにも箸休めにもなるから卵は偉大だ。
皆がおおむね満足する食事となった。
おかわりをしなかった真亜子は、楽しい食卓ってこういうものなんだろうなと思って、薄い笑みを浮かべる。
真亜子のそれは、凶相であった。その笑みは諦念や憎悪に充ちるもので、笑いでもせねば耐えられぬ時に出るものだ。
四杯目を食べ終えた小夜子と、七杯目を食べ終えたビエさんが同時にふうと息をつく。
「うむ、家庭のカレーは良いものじゃ。ごちそうさまでした」
『ごちそうさま。若松、美味しかったぜ』
皆もそれに続いて、「ごちそうさま」で食事が終わる。
若松と千草はてきぱきと片づけを始めて、ギャル谷が手伝うと言えば断られるいつものやり取りがあった。
このまま風呂に入って眠れたら最高なのだが、長い一日はまだ終わっていない。