小夜子と狂気の世界
軽井沢からの帰り道、お土産を買い込んだところ4トントラックいっぱいに膨れ上がってしまった。
小夜子と目羅博士の作戦は、日本発祥の賭博であるパチンコとパチスロの神として、ハデス氏を祀り上げるというイカレたものである。
パチスロとは海外のカジノに着想を得た、スロットマシン型の遊戯台。
パチンコ屋で遊べて、たくさん金を使ってメダルをレンタルして遊ぶ。たくさん金を入れ続けると、稀にコインが増えるという狂気的遊戯であった。
大人しか遊べないというのに、日本全国の遊戯人口は、一説によると30万人にも上るという。
ギリシア神話における冥界の王ハーデースは、なぜかこのパチスロのキャラクターとして日本では大人気だ。
アナザーゴッドハーデスというパチスロ台が大ヒットしたことに端を発する。このパチスロ台の開発に、呪術的要素があったかは不明である。
ハーデスというパチスロ台が集める想念は、信仰と呼ぶに値するものであった。
小夜子と若松がお土産選びに奔走している最中、トミーの案内でハデス氏とロキと目羅博士は市街地のパチンコ屋を訪れていた。
「なんだ、このうるさい店は」
店内に入ったロキの素朴な感想だ。
日本暮らしの長いロキは、知識としてパチンコのことは知っている。しかし、パチンコ屋など、訪れたことすら無い。軽蔑の対象なのだから当然である。
ギラギラ輝くネオンで彩られた店構えからして、ハデス氏は嫌な予感しかしなかった。予感は当たり、店内はより一層に意味が分からない。
トミーからどんなものか聞いてはいたが、カジノとは全く違う異様な空間だ。
老若男女が一言も喋ることなくパチンコとパチスロ台に向き合っている。
「これがパチンコ屋や。孤独な戦いをやる男の戦場やで」
ロキはすでに帰りたくなっていた。
ハデス氏は仏頂面である。
「ハデスさん、あっちに奥さんの台があるから、ほら、こっちこっち」
トミーは一行を案内してパチスロコーナーへ。
老いも若いも男も女も、パチスロ機に向き合って単純な動作を繰り返している。通路を通っていると、突然パチスロ台がけたたましい音を鳴らして光るためビクッとする。
トミーが案内したのは、アナザーゴッドハーデスのスピンオフ台である【アナターのワイフ・ゆるせぽね】であった。
可愛らしくデフォルメされた女の子のイラストが、パチスロ台のパネルにはめ込まれている。それこそが、日本ナイズされたペルセポネ様の姿絵であった。
ギリシアの豊穣神であり、冥界の女神。
冥王ハーデースの妻であるペルセポネ様。かの女神が、遠い異国でゆるキャラにされているなどと、まさに神ですら予見し得ぬことであっただろう。
「~~~~ッ!」
ハデス氏は声にならない声を上げた。
「全然初心者向きの台やないし結構しんどいけど、これは万枚出る可能性あるしおれは好きやで。それに、ゆるせぽねはカワイイしな」
ハデス氏は言葉も無くシートに座る。
「トミーさん、お金はどこに入れるのですか?」
鋭い目で言うハデス氏に対して、トミーが万券をサンドに差し込む。サンドとは、パチスロ台に隣接した自動メダルレンタル機だ。そして、万券とは一万円札の略である。
ドン引きでそれを見ていたロキは、目羅博士に言う。
「おい、パチスロとやらの構造は理解したが、どう考えても金が増えんぞ。こんな悪辣な博打がまかり通るとは……、この国のことが未だに分からん」
「ロキ様、いけません。それこそが愚かな人間の夢なのですよ」
目羅博士の返答に、ロキは限界が来た。
「こんな所にいてられるか! 俺は外に出るぞ」
「ロキ様、私もお付き合いします。ではトミーさん、後で合流しましょう」
トミーは手を振って何か言ったが、パチンコ屋の騒音に掻き消されてロキには聞き取れなかった。
こうして、ハデス氏は自らがどういうものの神になろうとしているかを知る。
ハデス氏とロキはこんなものが上手くいくはずがないと思った。しかし、トミーに加えて小夜子と目羅博士には確かな手応えがあると言う。
神々は人を見守るのみ。
こうして、賭博神ハーデース計画が動き出した。
数日後。
現代まで続く忍者の末裔、観語一族。
その頭領であるお弦は、小夜子からの命令に困惑していた。
小夜子に敗北して以来、配下となって様々な仕事をこなした。しかし、このような依頼は初めてのことである。
一族全員へ軽井沢土産のスイーツが4トントラックで届いたことにも困惑したが、退魔師である小夜子がパチンコ業界への取次ぎを求めるなど、その意図を測りかねた。
お弦の屋敷は立派な日本家屋だ。
居間からは牧歌的な農村の風景が見渡せた。いたって穏やかな景観とは裏腹に、ここは外法忍者の心臓部である。
向かい合う小夜子が手にしているのは、パチスロ情報誌であった。
色鮮やかな表紙は、パチスロ台の写真で埋め尽くされてる。
「のう、お弦婆よ」
物憂げに小夜子は言う。数か月の付き合いではあるが、お弦が見たことのないアンニュイな様子だ。
「小夜子様、いかがされましたか?」
「事情があってパチスロとやらのことを調べておったんじゃが、とんでもないことに気づいてしもうた」
お弦婆は小夜子の口から【パチスロ】などという言葉が出たことに、改めて驚いた。
「ほう、それはどのような」
「パチスロという遊び、どう計算しても金が増えぬぞ」
お弦は優しい気持ちになった。
浮世の汚さ醜さ。人生の大半をその泥沼に浸かった忍者であるお弦。そんな老婆に、小夜子の言葉は一陣の爽やかな春風のごとく響いた。
「誰しも、博打などを始める前はそれを理解しているのです。ですが、人は夢を見るのですよ。自分だけが幸運にありつけると」
小夜子が困惑する。どうしてこのような回答が? そんな話はしていない。
「お弦婆、何を言うとるんじゃ」
「パチンコは台と人との真剣勝負などと言いますが、機械は機械にすぎません。あれは少しの金で都合の良い夢をくれます。金ではなく、ドラマがあると、思い込むのです。そうですなァ、アレはまだ、この婆にも黒髪が残っているころでした」
追憶するお弦婆の口元には、自嘲的な微笑みが浮かんでいた。
「お弦婆、なにを言うておる。わらわ、ついていけんぞ」
お弦婆は善良な老婆のように笑んだ。
「あれは、CR機の初期でしたか……。辛い、思い出したくも無い汚れ仕事の後のこと。見知らぬ街のパチンコ屋に吸い込まれたことがありました。お財布には三万円と少しだけ。ギンパラに座りましてね、何も考えずただハンドルを握りたかったのに、そんな時に限って、連荘するのですよ」
「お弦婆、話がおかしゅうなっとるぞ。なんなんじゃその世界観は」
お弦婆の思い出話は続く。
「気が付けば三十五連荘。心の汚いものが消えていくようでした。ふふ、勝ったといっても、この稼業ならはした金ですのに、子供のころに初めてもらったお小遣いのように、胸が高鳴ったものです」
「お弦婆、正気に戻られよ。わらわ、ちょっと怖くなってきたぞ」
「小夜子様の配下になり、穏やかになり申した。汚い仕事から手を引いてみれば、パチンコで何も考えない時間を買う必要もなくなりましたので」
「んんん、なんでちょっと深い話みたいに言うておる。パチンコとはそんなに人を狂わせるものであったとは! ……いかん、頭がどうにかなりそうじゃ。実は、わらわの関わっておる仕事があっての」
ついていけない小夜子は、強引に話を変える。
これ以上パチンコの話をしていると、どうにかなってしまいそうだった。
ハデス氏とロキの一件を説明し、神として迎え入れる策があることを伝えた。
「ハーデース様を、かつての菅原道真様と同じように祀るということよ。未だに理解できんが、パチンコ屋を中心にハーデース様は信仰を集めておるからのう。なにはともあれ、より強くするにはそれを世に知らしめねばならぬ」
お弦婆はふうむと唸る。
かつて、まだ日本という国家が荒々しかった時代、観語一族はパチンコ利権のために裏の仕事を行ったこともあった。
「知らしめるとは、いかがされるのですか?」
「ハーデース様のため、祭りをせねばならん。その手配にパチンコ業界との伝手が必要なんじゃ」
祭り云々は、トミーのアイデアである。
「このお弦と観語一族、総力をあげてお手伝いさせて頂きます。ハーデス様が日ノ本に来られるとは喜ばしいことです」
小夜子はちょっと怖くなった。
お弦婆は【ハーデス】と日本風の略式で冥王を呼んだ。日本で【ハーデス】と表記するもの、それはパチスロ機のことだ。他に漫画やゲームのキャラクターとしても存在するが、知名度の圧倒的多数はパチスロに偏る。
「うむむ、恐ろしいことになってしもうたわ」
小夜子はぼやいたが、やると決めたことはやり遂げるしかない。
その後の顛末はこうだ。
お弦婆によって、全国規模の大手パチンコチェーン四社の会長を呼び出しての会合が実現した。
話がまとまるのは早かった。
なにしろ、この計画における金銭的な負担は小夜子が九割を捻出する。企業の腹は全く痛まないという至れり尽くせり。
小夜子が億単位の金銭を提供したことによって、季節が夏に移り変わるころには動画サイトに広告を打ちだすまでこぎつけた。
冥王杯パチスロ王決定戦
賞金一千万円を賭けた、どうでもいいような戦いが始まろうとしていた。




