トミーと神々の昼酒と
警備員さんの目が気になるため、トミーと神々は場所を移すことになった。
この中で、人間はトミーだけ。見知らぬ異国に迷い込んだ感がある。
ショッピングモールを出て、少し歩いたがいい店が見つからない。
ふと見れば、暖簾が出ている蕎麦屋があるではないか。
昭和の雰囲気を残しつつリフォームされた店構えは、俄然期待が増す。
暖簾をくぐったトミーが、昼からやっているか聞いてみると、大丈夫ということで、入ることになった。
四人の奇妙な怪人たちを招き入れたママさんは、その異相にビクっとしたものの、映画の撮影途中だと伝えれば納得してくれた。
「いやあ、衣装のままでえろうすんません」
トミーは通訳かプロデューサーだと思われたらしい。
「あらあ、外国の役者さん? 凄い男前。一緒に写真いいですか?」
ママさんの目はロキに吸い寄せられて、その次にハデス氏へ。ちらりちらり悪神と冥王に目移りしている。
「もちろんええですよ。日本公開するか分からんのですけど、ええ宣伝になりますんで。ささ、奥さんは真ん中で、ハデスさんとロキさん、ほらほらもうちょっと寄って。そうそう、先生は端で腕上げたポーズするんやで」
ママさんは男前なロキとハデスを両脇にして、端には両手を禍々しく振り上げた目羅博士という構図である。
トミーがママさんのスマートフォンで写真を撮影した。
「ひゃっ、ありがとうございます。凄いハンサム、絶対見に行きます」
握手を求められたロキは、少し迷った後に握手して、ハデス氏も苦笑いで握手をする。
それが終わると、ようやく座敷に通された。
あぐらに慣れていないハデスとロキはしっくり来ないようだが、靴を脱いでしまえばもう遅い。
テンション爆上げのママさんによって、電光石火でテーブルに並ぶお茶とおしぼり。
これで、椅子のあるテーブル席には移動できなくなった。
「ママさん、瓶ビールでキリンありますか? ああ、あるんや。キリン最高やん。瓶ビール中ビンで二本とグラス。あと、枝豆的なヤツと、外人さんなんで、味が濃い焼き鳥的なのと漬物盛り合わせお願いします」
流れるようなトミーの注文は、熟年の経験が活きている。こうなれば、途中離席などできようもない布陣であった。
「日本人め……」
ロキは日本人独特の宴会が嫌いだ。しかし、今は動けない。
理由も無く宴をぶち壊すというのは、神としてあるまじき行いである。いかな北欧にその名を轟かせるトリックスターであっても、宴が始まった直後に無礼を働くのは、なんか違う。
「蕎麦屋で昼酒とか最高やな。お、ビールと枝豆が来たやんけ。よっしゃ、おれが注ぐわ」
ママさんは笑顔で大皿に盛られた枝豆とビールを運んできた。
トミーは両手に瓶ビールを持った。これぞ、瓶ビール二刀流。
それぞれのビールグラスに、とくとくとビールを注ぐ。グラスを傾けることなく、瓶を微細に傾かせていい感じにビールと泡のコントラストを作る。
目羅博士が「おお!」と感嘆の声を発した。
疾風迅雷の早業ビール注ぎ。美味しさを損なうことなく乾杯に移れる魔技であった。
「とりあえず、色々あると思うけどまずは乾杯や。おつかれ~」
グラスをぶつけない乾杯の後で、それぞれが喉を潤した。
キリンビールは喉ごしが優しい。ヒリヒリする辛口というのは、年齢と共に辛くなってきたため、トミーはキリンの瓶ビールが好きだ。
ロキはグラスに口をつけると、すぐに飲み干した。カン、と音を立ててグラスをテーブルに置く。絶妙な力加減で、叩きつけるというほどではない。
トミーは音も無く瓶ビールを取ると、大きさを感じさせない瓶さばきでグラスにビールを注ぐ。二杯目から、泡は少な目に。
「ハデスさん、そんな睨みつけたらあかんて。とりあえず、ロキさんから事情を話してえよ」
言いながら、ハデス氏のグラスにもビールを注ぐトミー。
中東の暗殺者が繰り出す曲刀の如く、ゆらり変幻自在のビール瓶。
飲み会では【潰し屋】と評されるまでに至ったトミーの技だ。酒の力を借りれば、だいたいのことは片付く。
「まあいいだろう。俺は冥界に用がある。だが、あんたがいれば邪魔されるからな。この爬虫類に【隠れ兜】を盗ませて、地上に出るように仕向けたまでだ」
ロキは言うと、ビールグラスをまたしても一息に空ける。トミーにより、すかさずビールが注がれる。同時に空いた手で、ママさんにハンドサインでビールの追加を頼んでいた。
ハデス氏の顔は怒ったままだが、ビールを呷ってから「ふうぅ」と深く息を吐いて呼吸を落ち着けた。
「ロキ、最初から頭を下げていれば、話くらいは聞いてやったぞ」
ちらりとハデス氏を見たトミーは、さり気なくビールを注ぐ。
「ママさん、これ空いたら日本酒を冷で頼むわ。小瓶のヤツね」
店に入った時から、酒類の冷蔵庫は確認済みであった。
「ロキさん、枝豆が塩利いててイケるで。ええ枝豆や。プリプリしてる」
艶のある太い枝豆であった。
居酒屋チェーンでは塩分控え目だが、ここの枝豆はしっかりと塩が利いている。身体によくないものというのは、いやに美味い。
「ふん、豆を勧めるとは。気に入らん人間め」
ロキが豆を勧められて、断れるはずがない。
民話「ジャックと豆の木」にもあるとおり、巨人退治は一握りの豆から始まった。ロキの立場で、豆を断れというのが無理な話だ。
鞘から青々とした枝豆を取り出して、ロキは口に含む。
さして美味くも無いと思っていたのだろう。口に広がる強い甘味に、少しだけ表情が動いた。
ヨーロッパの人というのは、美味いモノを食った時の感情が顔に出やすい。
「ハデスさんも、食べて食べて。ここ当たりの店やで。最高にええ味や。ほら、先生も食べてな」
勧められるままに、冥王と恐竜人が豆を口に含む。
枝豆はシンプルな料理だ。素材と塩加減に茹で加減。それだけだからこそ、上手くやれば異様な美味さになる。
「ほう、良いですね」
目羅博士は開き直っており、美味そうに一つ二つと口に運ぶ。
ロキとハデスも枝豆をつかみ取って確保すると、口に入れていく。
そうなれば、空いていくビールグラス。注がれるビール。
「枝豆、最高やな。それで、ロキさん、メイカイはよう分からんけどなんか事情があるんちゃうの? 三人寄ったら文殊のなんとか言うし、ええアイデアあるかもしれんで。こういう場やし、言うてみて」
枝豆を食べる手を止めて、ロキは少し考えた。そこに、目羅博士が口を挟む。
「私が言うのもなんですが、皆様のご存知でない異国の外法も私は存じておりますぞ」
どうやら、博士の言葉はロキの神経を逆なでたようだ。
「下賤な人間に爬虫類めが。その大言、後悔するなよ。全てはこの国のクソったれな呪いだ。神と人の子を殺そうとする宿命。それの及ばぬタルタロスに妻を連れて行く」
一息に言い終えて、ロキはビールグラスを空にした。小さなグラスとはいえ、最初からずっと一気飲みを続けている。
トミーの手により、ギラリとさり気なく、大胆に容赦なく注がれるビール。
「ロキさん、もしかして、お子さんがおるん?」
だいたい男というのは、核心に触れることは遠まわしに言うものだ。それは、かの悪神でも変わりない。そこに、トミーはすかさず斬り込むのであった。
「ああ、四十年前に呼ばれた俺は、この国で過ごしてきた。まさか、異国の女が俺の子を孕むとはな。ははは、しかも、その子は母親の腹から二十年も出てこようとせんときた」
ハデス氏は声こそ出さないが、唖然としている。
トミーは話を整理してみる。
「ええと、ロキさんには妊娠中の奥さんがいてはるんやね。それで、メイカイいうんはハデスさんの住んでるとこやな」
目羅博士が「ふうむ」と唸った。そして、牙だらけの口を開く。
「つまり、ロキ様は冥界の奥深くに奥様を連れて行きたいのですね」
「そうだ。この国では、どうやっても子は死んでしまう」
異類婚姻譚は世界中にある伝承だ。
神と人が通じて子を為すという話は数あるが、日本の伝承では必ず【合いの子】は産まれない。産まれる前に、母と共に死ぬ定めにある。
「最初からそう言えばいいものを、お前はいつもやり方が悪い。昔からそうだ」
ハデス氏が言うのも、無理からぬことだ。
ロキの行いは、その奥に深謀遠慮があったしても悪質な悪戯と見做される。
「ハデスさん、あかんで。こういう時に昔のことなんか関係ないって。よう分からんけど、スピリチュアルな理由でどうしても死んでまうんやな。そら可哀想やわ。どないかならへんのやろか。ええ医者とかおらんの?」
ロキは厭世的に、物憂げに昏く笑う。
「はははは、医者か。アスクレーピオスでも、この国では無力だ。この国の、ヒラサカに住まう死神の力は絶対だ。それを知るから、我が子は母の胎から出ようとはしない。それに、奴がこの場にいたとしても、あんただよ、ハデス! お前は一度でも冥界に入ったものに子を産ませるなど、認めんだろう」
医療の神であるアスクレーピオスの御業に異を唱えたのは、他ならぬハデスだ。生死の理を乱すなど、冥王が許すはずない。
「現世で産まれるのであれば、私に否は無い」
「ハデスよ、それができんと言っている。この国で、俺は無力だ」
目羅博士を使って手に入れた常世水で、ロキは力を回復させた。しかし、それはある程度の力を取り戻したに過ぎない。
今のロキであっても、日本という国に根付いた神話時代の呪詛は覆せないのだ。
沈痛な空気が漂ったその時、ママさんが遠慮がちに焼き鳥の盛り合わせと、漬物の盛り合わせを運んできた。さらに、冷の日本酒【八海山ミニボトル】がテーブルに置かれる。
「ママさん、変な空気でごめんな。マジ話やねん。悪いけど、そっとして気にせんとって、今は酒がいるわ」
トミーは言いながら八海山を開けて、新しいグラスに注ぐ。
「ロキさん、これはおれらの出番やで。なんとかできるか考えてみよ。それから、今だけは飲まなあかん。ずっと気ぃ張ってたらあかんねん。今は、そんなことしてる場合やなくても、飲まなあかん時や」
トミーはさらにグラスを取ると、八海山の残りを注ぐ。
なみなみと日本酒の注がれた二つのグラスが、トミーの前に並んだ。
「ロキさん。まずは、おれから飲む」
トミー、男の一気飲みであった。最低な飲み方である。
口元を手の甲でぬぐい、もう一つのグラスをロキに差し出した。
「貴様、ふざけているのか」
「おふざけでこんな飲み方せえへんわ。さあ、ロキさんも、ぐっとやったって」
「日本人め、訳が分からんぞ」
「ロキさん、しんどい時は一緒に飲むんや。それ以外に、なんもでけへんねや。せやから、飲んでくれ」
「この、馬鹿者がッ」
言葉とは裏腹に、ロキはグラスを持った。
じろりと、トミーの瞳を見やる。
どうしてか、遠い昔の思い出が蘇る。あれは、忘れ得ぬ青春時代とでも呼ぶべきであろうか。かけがえの無い友と、冒険の旅をした懐かしい記憶。
ロキはグラスをつかんだ。そして、一気に酒を飲み干す。
八海山はいい酒だ。いや、値段が安かろうと高かろうと、日本酒はこんな飲み方をしてはいけない。酒に失礼である。
「うぐ、喉を焼くようだ。この無礼者めが。この俺に、下品な飲み方をさせおって」
トミーは、どこか自嘲的な笑みを口元に刻む。
「ロキさん、なんとかできるように考えようや。この面子で無理やったら、おれの姪っ子とか、他にも総動員するから。ハデスさん、あんただけなんか曲げてくれとは言わへん。みんなが納得できるんを、やろうや」
ハデス氏はため息と共に、薄い笑みを浮かべた。
トミーも同じような笑みを浮かべた。そして、ハデス氏のグラスが空であることに気づく。
すかさず注ごうとビール瓶に手を伸ばすのだが、一気飲みのせいで、トミーの手元が狂う。
手が滑ったせいで倒れそうになった瓶を、ハデス氏がキャッチ。そして、自らの手でグラスにビールを注いだ。
「ロキ、もういい。私も協力しよう。それからトミーさん、私もあなたたちが飲んだ日本のワイン? それが欲しい」
「ママさーんっ、冷酒追加で三本!」
「はーい、よろこんで!」
男同士の何かが終わったのだと察したママさんは、明るく返事をして笑顔で冷酒を持ってくる。
ロキはふて腐れたような顔で焼き鳥に箸を伸ばす。日本に住んで長いと、箸の扱いは上手くなる。
たれ焼きの焼き鳥。蕎麦屋のものは醤油味が強い。だからだろうか、日本酒と絶妙に合うのであった。