小夜子とトミーと怪人の食卓
間宮屋敷を取り囲む死霊共の姿は、明らかに異国のもので古い。
日ノ本の亡霊ではないということは、見た目や装備にも明らかだ。ローマの剣闘士のような姿の者から、猟師のような者、それらが聞き慣れない言葉で呪いの言葉を吐いている。
小夜子はどうしたものかと考える。
亡霊などいくら集まったところで小夜子の敵ではない。しかし、間宮屋敷の地下には小夜子の風呂にも使われた常世水がある。
この常世水、人間が浸かれば不老不死となる。
正確には、人の身体を不老不死に耐えうるよう作り変えるものだ。浴びようものなら、生きながら地獄の餓鬼へと変ずるという毒水である。
月読尊がもたらしたという不老不死の霊水、変若水のまがい物。それが常世水であった。
「むむむ、常世水の源泉が目覚めてしもうては、日本の危機じゃ」
間宮屋敷の地下には、常世水をたたえる井戸がある。
井戸のつながる先には、呼び覚ますと不味いものが微睡んでいる。小夜子にもそれが何者かは分からない。そして、それはたまたま人間に興味が無く、ただ眠っている。
小夜子は小さく息を吐いて、玄関から外に出た。
すうっと息を吸って言葉を放つ。
「逢魔が時にわらわの屋敷に来やるのは何者じゃ。亡霊など使いおって、姿を見せい」
その声は大声というほどでないというのに、朗々と響き渡った。
小夜子の声に籠もる力により、亡霊の一部が消し飛ぶ。
「お見事なお声です。朝はお留守でしたので、出直して参りました」
亡霊で出来た人垣に開いた穴から現れたのは、スーツを着込んだ男である。
小夜子をもってして顔が分からない。よくある顔、という奇妙な認識になってしまう。
「のっぺらぼうか貴様は。わらわの前で顔を隠すとは、気に入らんのう」
「事情があってのことです。ご容赦頂きたい」
イラっと来たが、小夜子はガマンした。
「で、貴様は誰で何の用じゃ」
「私は目羅博士と人からは呼ばれています。形而上生物学博士であり、現代の魔道を嗜んでおります」
名乗らないなら、呪詛をかけてやれたというのに。小夜子の思惑は外されてしまった。
「目羅博士? 江戸川乱歩かや」
「ははは、あれは若き日の過ちです。小説家などに見られていたとは、当時は若く迂闊でした」
明らかな嘘で、持ちネタにしていそうな返答に、またしてもイラッと来た小夜子である。
目羅博士は一拍置いて言葉を続ける。
「この土地の地下より湧き出す変若水を頂きたい」
「あれはそんな良いものではない。まがい物の常世水じゃ。分けてやるのはよいが、地下には入らせんぞ」
「ええ、それで結構。こちらに用意しましたガラス瓶に入るだけの量で結構です」
目羅博士が何も無い空間から取り出したのは、洋酒でも入っていそうな造りの空のガラス瓶だ。
「ふむ、……わらわの見返りは?」
「見合う金銭を。貴金属での支払いも可能です」
「ここに屋敷を建てるのには苦労させられてのう。金に換えられると思うかや?」
「では、こちらもつけましょうか。千草、持ってきなさい」
目羅博士の背後から、地味な着物姿のかわいらしい少女が現れる。その手には、少女に不似合いな野暮ったい折り畳み傘があった。
「まったく、女に甘いのがいかんわ。若松めが!」
千草は目を伏せて、小夜子の言葉を聞く。
持ち物を使った呪詛は山ほどある。特に、傘に至っては霊的な意味もあるため何をされるか分からない。
「よかろう。金とその傘だけでよい。その瓶を貸せ、わらわが汲んでこよう」
目羅博士の差し出すガラス瓶を、小夜子は手に取った。
予想通り、何かの術式が刻まれている。孫悟空よろしく吸い込まれたとして、小夜子にその術式は効かない。すぐに出られる。
「目羅博士とやら、貴様はここで待っておれ。見張りをつけるからの、手を出せ」
目羅博士は革手袋をつけた手を差しだした。素直なのが癪に障る。
小夜子は自らの右目に指を突っ込んで、眼球を取り出した。そして、目羅博士の手の平に乗せる。
「わらわの目が見張りということじゃ。何かしようものなら、取引はナシじゃからの」
「ご随意に」
「チッ」
露骨に舌打ちをした小夜子は、肩をいからせて屋敷に戻っていく。無防備に背を向けていた。
玄関から屋敷に入ったのを見届けた千草が、目羅博士の袖を引く。
「先生」
「千草くん、今は黙っていなさい。公正な取引だよ」
手の平に乗った目は、見ている。
目羅博士としても、これは予想の埒外であった。魔人とまで呼ばれている実力者とは知っていたが、小夜子が人間の範疇にはいないなど、思ってもみなかったのである。
小夜子は少しして、ガラス瓶に常世水を入れて戻ってきた。
「おい、目羅博士とやら。わらわの目に呪詛をかけんかったことは褒めてやる」
小夜子はガラス瓶を押し付けると、手の平に乗った右目を取り返して眼窩にはめ込んだ。数回ぱちくりとまばたきをすれば、目は元に戻っている。
「魔人と呼ばれるだけはありますね」
「ほほほ、そういう呼ばれ方は好みじゃ。取引はこれでよいな。亡霊共を連れて、さっさと帰りよれ」
「ええ、そうさせて頂きます。代金はそちらに」
目羅博士が手を振ると、手品のようにぱっと旅行鞄が三つも現れた。カバンの上に、助手の千草が折り畳み傘をそっと、宝物のように置く。
物品取寄は魔術の中でも相当に高度なものだ。自在に操るところを、わざわざ見せつけている。
目羅博士の定まらない顔が、笑んだ。
「では、これで失礼致します」
「次にわらわの縁者を使うたら、命は無いと思え」
目羅博士は返答せず、舞台役者のように優雅にお辞儀をした。すると、亡霊たちはうねる、竜巻のように連なったかと思えば、凄まじい勢いで彼の頭部に吸いこまれるではないか!
小夜子の目であっても、それがどのような術式か見えない。
神の加護か、それとも天叢雲剣のような神具か。魔人たる小夜子に見えないとなれば、人のものでないのは明らかであった。
なにはともあれ、これで取引は終わりだ。
その時、更なる闖入者が現れる。
「おー、朝に来てたなんとか先生やんか。悪いな、名刺もらってたことすっかり忘れとったわ。アンタも、メシ食っていきいや」
その能天気な声は、若松の目を盗んで勝手口から外に出て様子を見に来たアンクルトミーであった。
「む、朝に会った親類の方ですね」
「トミーって呼んでくれたらええで。それより、スズキのええのが釣れてな。大きいし、刺身で食うには三人やと多いねん。アンタとそこの女の子、メシでも食うていき」
「トミーよ、こ奴らは」
「ガキ連れて詐欺にくるヤツはおらんやろ。まあメシでも食うていけや」
目羅博士から、余裕が消えていた。
顔は認識できなくても、その顔に焦りがあるのは誰の目にも明らかである。
「わ、私は予定がありまして、せっかくのお誘いですが」
「そないなこと言わんときや。さ、入り入り」
「は、はい。そうさせて頂きます」
小夜子はその光景に目を疑ったが、それが、トミーが得た何者かの加護によるものと分かった。
意地の悪い笑みを浮かべた小夜子が、追い打ちをかける。
「そうじゃな。気に入らんヤツじゃが、客として招いてやろう。家主もそう言っておるしのう」
「わ、分かりました。お招きに応じます」
間宮屋敷の世帯主は、書類の上ではトミーだ。
家主からの饗応の誘いとなれば、魔術的な見立てに意味が生じる。
そういうことになり、目羅博士と千草は屋敷内へと招かれて、居間に案内された。
テーブルの上には、スズキの姿造りが大皿に盛られている。
「おお、なかなかのサイズではないか! トミーが釣ってきた魚など、小学生のころ以来じゃな」
そう言った小夜子は、若松に何事か耳打ちして、来客用の座布団と茶碗に箸を用意させた。
素直に座る二人は、生きた心地がしないという顔をしている。そんな中で、千草は若松と目が合うと、気まずそうにうつむいてしまった。
「おや、あの時のお嬢さんですね。奇遇なこともあるもんです。ささ、今日はこのお刺身の他にも、ロールキャベツなどがありますんで、召し上がって下さい」
ぞくぞくとテーブルの上に料理がやってくる。
ロールキャベツ以外は作り置きの佃煮や漬物だが、若松が急遽追加した出来立ての出汁巻き玉子など、豪勢な食卓である。
料理が出そろい、小夜子が音頭を取った。
「さ、少し早い時間じゃが、お夕飯じゃ。伊邪那美様、今日の糧に感謝致します。いただきます。みな、わらわに続け、いただきますじゃ」
「いただきまーす」
トミーは元気に言うが、目羅博士と千草は押し黙っている。
「ほれ、目羅博士に少女よ。わらわの家では伊邪那美様に感謝するんがルールじゃ。伊邪那美様に【いただきます】の挨拶をせんか」
「い、いただきます……」
目羅博士は絞り出すような声で言った。握りしめた手が震えている。
「いただきます」
千草はすでに涙目であった。
この時、一時は小夜子をやり込めた目羅博士、瀕死であった。
亡霊を扱うような術を使う者が、冥界の神に感謝など捧げようものなら、そうなるのは自明の理。
千草も同様に、死霊の類いであれば【いただきます】だけで消滅してもおかしくなかった。
小夜子は満面の笑みで、スズキのお造りを真っ先に一切れ口に運んだ。
「うむ、スズキじゃな! 美味いが、この独特の匂いはクセがあるのう」
「釣りモノはそんな悪くないやろ。さばいた時に味見したけど、悪くなかったで。都会のはムニエルやないと食えんからなあ」
スズキの内臓はとんでもない匂いがするのだが、血抜きの時に上手く取り出せたため、相当抑えられている。生息地の水がキレイなことと、食性も良かったのだろう。
「ささ、客人も遠慮なく食べられよ」
目羅博士は震える箸先でスズキを食べるのだが、味など分からないという様子だ。それとは対照的に、千草はパクパクと食べている。
トミーはにやりと笑って、千草を見た。
「お嬢ちゃん、ここの料理は美味いやろ。若松が上手いことやっててなあ。驚いたわ」
「はい、出汁巻き玉子、美味しいです」
「そらよかったわ。ははは、なんとか博士もちゃんと食っていってな」
トミーに悪意は無い。
ただ、なんとなくこいつら食事に誘った方がいいな、と思って実行しただけである。
トミーこと浪野富雄は、昔からそういう男だ。
なんとなくやることが、決定的な変化をもたらす。それが上手くいくかどうかは別として、いつもそうだ。
奇妙な食卓はまだ終わらない。




