鳴髪姉妹と若菜姫
戦場がにわかに曇り始め、黒雲が太陽の光を遮った。
いかな桃太郎卿であっても、ここにきてさらなる劣勢かと、その顔に苦いものが滲むのを抑えられない。
朝日の射す、人に有利な時刻を選んだというのに、どれほど科学が発達しても変えられない天候すらも運命は覆すというのか。
「キヒッ、ヒヒヒ、死の気に充ちた暗雲までも妾を助けるとは! 魔王様、この若菜姫はここで退魔師共を一人残らず」
若菜姫がそこまで言ったその時、どおん、という落雷の音が大気を引き裂く。
若菜姫の歓喜に充ちたポエムは、強制的に中断させられた。
「みんな、あたしが来た!」
神鳴と共に顕れたのは、鳴髪くるみである。
全身に雷光をまとわせた姿は、それまでのくるみではない。
濃密な死の気配を漂わせ、蛇の姿をした八雷神を絡みつかせたその御姿は、冥界における伊邪那美大神そのもの!
「なんと、国母様の加護を得るとは!」
桃太郎卿をもってして、それは信じられない出来事だ。
かつて、第二次大戦中に日ノ本を壊滅させんと暗躍した魔人ですらも、伊邪那美大神の目を逃れようとした。
かの女神は、人などが触れられるものではないというのに。
「妾の言葉を遮る不届き者めが! その姿は、ヒヒ、先の世で妾に挑んだ愚かな娘ではないか。今一度、その生き胆を喰ろうてくれる」
「お前なんかに負けない」
くるみは飛んだ。
それは小夜子のやる縮地にも似た短距離瞬間移動。
小夜子のそれは異界を経由して跳ぶものだ。くるみのそれは、雷を無数に落としてそれらを自在に行き来するものである。
雷光に目を奪われれば、そこにくるみはいない。次の瞬間には、若菜姫の真横に顕れたくるみがその横っ面を蹴り上げていた。
並の妖物であれば頭が飛んでいるであろうそれを受けても、若菜姫はすぐに向き直って腕を振る。
くるみは雷光と共に消え失せることで避けたが、今の腕の一振りが触れていたら、小さな身体はバラバラにされていただろう。
「小癪な小娘め!」
「でも、痛かったでしょ。お前が泣いても、ずっと叩いてやるんだから!」
一度確定した敗北の未来は、変えられない。
神ですらも、時間と運命を自在に操ることはできないからだ。
雷を呼びよせて若菜姫を翻弄しながら、くるみは隙を探していた。切り札は、たった一つ。運命を殺すには、それしかない。
「ヒヒ、すでにお前を喰らうた妾に、雷など効くものか」
未来で敗北したくるみは、若菜姫の餌食にされた。若菜姫は未来の経験によって、雷に高い耐性を得ているのだ。
一方、降り注ぐ雷に近づけないのは、神ならぬ桃太郎卿や竹一郎にクマヒも同じこと。
桃太郎卿はくるみのやり方に憤慨する。
「小娘ッ、一人で戦うでないわ」
その言葉が届いたとしても、彼らの助力がいかほどのものになろうか。
運命に支配された戦場では、ここに縁を持たぬ者たちの助力は届かない。もし、届くとしたら、それは未来に関りのある者である。
肝心の小夜子は、御仏によってその動きを封じられている。
できることといえば魍魎を追い払うことだけの竹一郎は、真っ先にそれの接近を感じ取った。
鬼の血を引く道反竹一郎と、鬼の天敵である桃太郎卿はそれを見て息を呑む。
悪鬼羅刹は、姿勢を低くして小走りにやって来た。
軍用外套に迷彩服を着こんだ鳴髪小夜子である。その身から放たれるのは、地獄界よりもなお濃密な瘴気であった。
「……篠原ァッ、状況は」
普段なら恋人である大樹の安否を真っ先に問うであろう鳴髪小夜子だが、戦場であれば、それをしない。するはずがない。
「地獄界顕現により、退魔師は行動不能。妹殿に助けられましたが、動けるのはこの場の者だけです」
鳴髪小夜子の口元に、凄絶な笑みが浮く。
「民間人を救出し、そのバケモノを殲滅する。篠原ァッ、全員に伝えろ」
その『全員』には、桃太郎卿ら退魔師も、クマヒたち屍食鬼も含まれていない。
それを分かるのは、共に地獄を戦い抜いた篠原大樹のみである。
「あ、ぐ、みんな、いるのか……」
大樹の目から、涙が零れ落ちる。
「篠原ァッ」
「ハッ、第一三小隊、総員戦闘配置ィッ!」
号令と共に、鳴髪小夜子の背後から数十にものぼる亡霊が現れる。
未来の戦いにおいて、全滅した鳴髪小夜子少佐率いる地獄の第十三小隊。
死してなお付き従う戦争の亡霊共であった。
もはやぼろ屑、腕無し足無し頭無し、五体満足など夢のまた夢。無残に散った日ノ本最後の兵士たち。
未来の地獄と繋がった現在この時、彼らは再び集結する。まだ、戦争は終わっていない。
辺りの魍魎たちは、亡霊兵士に取り込まれて姿を消していく。怨霊を喰らう戦争の亡霊共。
「くるみっ、こちらに合わせろ! 総員、目標を殲滅せよ」
亡霊兵士たちの、声無き鬨の声。
妖物の血に飢えた亡霊たちは、雷をものともせず若菜姫に突貫していく。
「なんじゃこいつら! 亡霊風情が」
若菜姫は喰らった者の魂魄を支配できても、そうではない亡霊を操ることはできない。そして、亡霊の兵士たちは急造ながら生前は退魔師である。
一つ一つに大きな力はなくとも、数で勝る。
巨大な蜘蛛とて、数十の力ある亡霊に群がられては動きを止めざるを得ない。
「お姉ちゃんッ、こいつの動きを止めて!」
「まかせろ」
なりふり構わず動こうとした若菜姫に、大樹が最後の弾倉を使って銃撃を浴びせる。
銃声が止んだ時、蜘蛛の大妖怪は見た。
日本刀を下段に構えて駆けた鳴髪小夜子の口元には、凄惨な笑みが刻まれていた。まさに、血に飢えた悪鬼そのものの貌。
振り上げられた刃が、若菜姫の首元に吸い込まれていく。
年経た妖物である若菜姫は、迫る刃に対して対抗策があった。
鳴髪小夜子の持つ日本刀は、霊刀でもなんでもない。ただ実用に耐えうるだけの無銘であると見抜いたのだ。
これが、霊刀小狐丸や童子切安綱であれば話は違っていただろう。
その身の妖力全てを首に集約させて、刃を止める。いかな達人の技であれど、只の日本刀であれば強大な妖力で止められる。
鳴髪小夜子は鋭い呼気を発した。熱砂の大地に潜む、毒蛇のごとき呼吸音。
刃が走り抜けて、鮮血の花が咲く。
「かっ、はっ」
首を半ばまで切り裂かれた若菜姫は口をパクパクと開いて、何か言おうとしている。しかし、喉を裂かれて声は出ない。
鳴髪小夜子の放った霊力すらも無いただの剣閃は、大妖怪がやる渾身の妖力防御を完膚なきまでに貫いた。
この一撃、首を落とさんとするものではない!
狙い通りに、若菜姫の首を半ばまで斬り裂いたのだ。
奪った命の数は、人と妖物を合わせてが千をゆうに超える鳴髪小夜子。悪鬼羅刹だけが会得する魔剣であった。
「あ、かっ、は」
喉を両手で押さえて血を止めようともがく若菜姫。
悪鬼羅刹に斬り裂かれた喉は、再生を許されない。
理など超越したその先にある剣であれば、それが道理となる。
鳴髪小夜子は妹の名を呼ぶ。
「くるみッ」
くるみは頷いて、ホルスターから自動拳銃を取り出す。
何の変哲も無い9ミリ弾を発射するための自動拳銃に収められた弾丸が、この戦いにおける切り札であった。
「お前はここで死ね」
銃声が連続する。
人の形をした上半身の腹に三発、頭に二発、残りは蜘蛛の下半身に弾が尽きるまで。
「ィィィィィィ」
若菜姫の発したそれは、悲鳴ではなく喉から妖気が漏れる断末魔であった。
瘴気と妖力に守られていた若菜姫をいともたやすく貫いたこの弾丸は、若菜姫の分身である小蜘蛛の亡骸を鉛に溶かして造られた呪弾であった。
色部の拷問によって自ら死を望むまでに至った小蜘蛛の、【苦痛と死】を宿した若菜姫だけを呪殺するための弾丸である。
大金を投じてロシア出身の魔女に造らせた呪弾は、若菜姫の邪悪な魂魄に永遠の【苦痛と死】を与える。
ばたりと、若菜姫の巨体が倒れると共に、煙を上げてその身体が溶けていく。
この瞬間、若菜姫と繋がっていた小蜘蛛の全てにもこの呪いは伝染していた。つまり、人の世に潜んでいた小蜘蛛全てが、呪殺されたのだ。
今までのことが嘘のように、瘴気が薄れていった。
試練に打ち克った今、未来魔王の行いは消える。ある意味では、その副産物であった亡霊兵士たちもまた、消える。
「総員、休め」
鳴髪小夜子と篠原大樹は、虚空に消え去る戦友たちへ敬礼を送る。それしかできない。地獄の未来を回避するまで、戦いは続く。
雷を呼んでいた雷雲はたちまち消え失せて、太陽の光が辺りを照らす。
誰ともなく、いつしか歓声が上がっていた。
初夏の太陽は、そろそろ中天にかかる頃合いで、まるで神様が祝福しているかのように暖かい。
鳴髪くるみの運命は、ここに覆った。
短い字数でもキリがよければ更新することにします。




