色部とくるみと集う者たち
様々なことがありながらも時間は過ぎ行く。
色部は頭を抱えていたし、くるみは険が取れてすっかり明るくなった。
こういう時、大抵は女が強い、
色部はその能力に反して、自意識過剰とナルシズムが混ざった屈折を抱える【コドモ大人】だ。
かつて、ミュージシャンであり作家でもある大槻ケンヂ氏が提唱したコドモ大人。
自分では大人にならなきゃと焦っているのに、捨てきれない子供の部分がそれを邪魔していることに懊悩しながら、理解されるはずもない孤独な苦しみから脱却しようともがく。しかし、自己嫌悪に陥りながらも大人になれない成人男性のことだ。
まさに、色部三郎はコドモ大人。
見た目は立派な成功者で、緑色のカッコイイ外車を乗り回す。そんな己をどこか恥じているのに、デキる男をやめられない。
ファミリーカーになんて乗る男じゃない。などと本気で言うのだから、どこに出しても恥ずかしくない【コドモ大人】であった。
誰にでも、否応なく大人にならねばならない時が来るものだ。
そんな色部とくるみは、あれから何事もなく日々を過ごしている。
くるみは銃器の取り扱いを修了し、今は霊力を隠す隠形と、自衛隊の元レンジャー部隊の指導による隠密行動の習得に勤しんでいる。
付け焼刃であっても、初級程度まで得られれば妖物相手には有効である。
いつものように、夕方にくるみは事務所に帰ってくる。
「ただいま。色部さん、今日は疲れたよぉ」
椅子に座ってパソコンの画面とにらめっこしていた色部に、くるみは後ろから抱き着いた。
「おかえり。順調そうでよかった。それから、こんなとこを誰かに見られたらどうするつもりだ」
「あたしは大丈夫だよ」
色部は大丈夫じゃない。
「そ、そうか。もういい時間だし、買い物でも行くか」
「今日はねぇ、ラーメン食べない? 梅雨入りしたってニュースで言ってたし、中華料理屋さんでラーメン食べたい」
くるみの言う中華料理屋さんというのは、事務所から10分ほど歩いた所にある中国人が経営している小さな店だ。手加減無しの日本人には食べにくい本場味を提供している。
「梅雨入りと関係あるのか?」
「梅って字が入ってるし、酸っぱいスープのやつ食べたいの。蒸し暑いと、食べたくなるから」
「胃が若いな。別にいいが、酸辣湯か……」
「あれってそんな名前だっけ?」
「食べたい料理の名前くらい覚えとけ。これを片付けたら出るから、ちょっと待ってろ」
「うん」
くるみは色部の頬に軽く口づけてから離れた。
足音が遠ざかっていくのを聞きながら、色部ははっとした。
これでは、上京した大学生がやる同棲だ。
「……」
額に手をやって、どうしてこうなったかを考える。
「……」
「色部さーん、まだぁ」
「ああ、すぐ行く」
考えたってどうにもならない。
事務所前で落ち合うと、ネクタイ無しでハイブランドのジャケットを羽織っている色部に対して、くるみはしまむらで買った普段着。
「色部さん、なんでそんないつもピカピカなの? 中華料理屋さんに行くだけだよ」
「いつも俺はこうだろ」
「ラー油とかラーメンのお汁とか、はねちゃったら大変だよ」
「そこは気をつけて食べる」
「ンモー、そういうんじゃないって。日曜日、普段着とか買いに行こうよ」
言い合いながら、事務所を出る。
エレベーターに乗っても会話は続く。
「それはいいが、客でいっぱいの店は落ち着かないから嫌なんだ」
「あたしが付き合ってあげるから、もっとカジュアルにして」
「そういう服は俺のイメージに合わないだろ」
「誰も気にしてないって。それ、ちょっとキモいから」
エレベーターを降りて、池袋の街を往く。
「キモいとはなんだ。キマってるだろ」
「んー、キマってはいるんだけどね。なんかねえ、テレビで見たけど中年の悪あがきってそういうんじゃないの?」
「俺は昔からこうだ」
「えええ、そうなんだ……」
くるみは困った顔をした後で、「まあいいか」とつぶやく。
そこに至ってようやく、色部は喋りすぎだと気づいた。
「女には分からんことだ」
「だいじょうぶ。あたしはちょっとだけ分かってあげるから」
そのようなことを話している内に、中華料理屋さんに辿りついた。
小さな店構えで、店員は中国人で客にも外国人が多い。
当初から決めていたとおりにくるみが酸辣湯麺を頼み、色部は塩ラーメンを頼んだ。水餃子とピータンも追加で注文する。
酸辣湯というのは。読んで字のごとく酢がメインとなったスープだ。
熱々のスープは酸いというよりは辛いもので、唐辛子とはまた違って暖まる。身体の芯から汗が噴き出るようなもので、食べ終わるころには暑気払いになるというのは分かる。
二人でいただきますしてから、食べ始める。
くるみはまずスープから始めて、舌先が痺れる独特の味を楽しむ。
「この味がいいの」
「酸辣湯に麺を入れるのは日本だけらしいぞ」
色部が頼んだのは普通のラーメンだ。
中国人の作るラーメンというのは、奇妙な味がする。決して不味い訳ではないのだが、実験的と呼ぶべきか、未完成な代物だ。
ラーメンというのは中華を基にした日本料理である。そのため、本場中国の料理人が作るラーメンは、見様見真似で模索中の味になることが多いのであった。
「うーん、この『日本人が喜ぶからとりあえず麺を入れて整えた』感じ。これはこれで好きだな」
「こっちは酸っぱくて美味しいよ。色部さんはひねくれすぎ」
「くるみは、素直だな」
「んん? んふふ、そう見えてたんだ。えへへ、色部さんといる時だけだよ」
これは計算だ!
騙されるな、色部三郎。
古い漫画によくある表現で、頭の上で自分の中の天使と悪魔が言い争うという葛藤のシーンがある。
今のは、天使と悪魔が同じ警告をしてきたものだ。
「心臓に悪いこと言うな」
「なにそれ、ヘンなの」
色部は間宮小夜子に見せられた未来を想う。
断片的なものでしかないが、くるみを失った時の感情だけは分かる。
あれは、後悔だ。
今までにも似たことはあった。
自分の主義を通した結果、指の隙間から転がり落ちていったもの。それと同質で、どれより深くて暗いもの。
「運命の女か」
運命の女などというのは気取りすぎか。と色部は思う。
「うわっ、えっ、なに、どういうこと! そんなこと中華料理屋さんで言うの!?」
「あっ、そういう意味じゃない。独り言だ。なんでもない」
「んあああ、色部さんっておかしいって! そんなこと真面目な顔して言うとかッ」
顔を真っ赤にしたくるみは、酸辣湯麺のスープを啜った。
麺を入れると酸味が薄れる。だから、本当は酸辣湯としてスープだけにする方が、最後まで同じ味を楽しめる。
麺を入れると酸味が薄れて食べやすくなるため、日本人向けとしては間違っていない料理である。
「俺はいつも真面目だ。冗談とか苦手なんだよ」
だから友達がいない。と、色部は続けようとした。しかし、顔を真っ赤にしてこちらを睨むくるみに気づいて、失言を悟る。
「知ってます!」
気まずい訳ではないが、変なことになった。
ラーメンと水餃子を食べ終えて、デザートにマンゴープリンを頼むと、豆腐をスプーンで掬ったような手作り感いっぱいの姿で出てきた。
コンビニなどで販売されているものとは違って、甘さ控えめのマンゴープリン。
杏仁豆腐がよかったのだが、売り切れとのこと。二人してマンゴープリンを食べる。
腹もくちくなり、店を出た。
「あーあ、汗かいちゃった。帰ったら、先にシャワー借りるね」
「ああ、別にいいぞ」
色部は風呂が遅い。だいたいは、寝る一時間前くらいに入る。
「あのね、……ううん、なんでもない」
「アイスはやめとけ。腹を壊すぞ」
「そんなんじゃないから!」
このようにして日々は過ぎていく。
準備期間は終わる。
六月某日、東京のとある高級ホテルの大広間を会場として、若菜姫討伐大作戦大説明会が間宮小夜子の主宰で行われた。
小夜子が配下とする現代の忍者軍団、観語一族。彼らは幹部が勢ぞろいして上京し、一番に乗り込んでいる。
他に目立つ者といったら屍食鬼だ。
マスクとサングラスで顔を隠している屍食鬼の一団は、全身から妖力を発散しており、それが人でないと知れた。
小夜子が配下とした地下東京の屍食鬼。しかも、当代の姫であるクマヒが参加していた。
色部によって集められたフリーの退魔師でも腕利きとされる者たちは、小夜子の噂が伊達ではないと知る。
「ほう、なかなかの者どもではないか」
そのようなことを言っているのは、現代風の衣服を身にまとった必殺の霊的国防兵器、桃太郎卿である。
「お久しぶりです、桃太郎卿。その節はお世話になりました」
身長二メートルを超す巨躯で、身を折って挨拶をしたのは、道反竹一郎であった。鬼の面相をマスクで隠している。
退魔十家の当主が参加するともなれば、普通のことではない。
「おお、鬼の血を引く者か。天逆毎との一件以来じゃな。壮健そうでおじゃる」
「ええ、息子もやるようになりましたし、鍛え直しております」
「好き心意気でおじゃる。あのクソガキめが頭を下げおったのだから、麻呂も来てみたが面白くなりそうじゃな。現代にしては益荒男の多いこと。しかし、極めつけとはあの羅刹よ」
桃太郎卿の視線の先には、仏頂面の鳴髪小夜子がいた。いつものスーパーモデルファッションで異彩を放っている。
「隙が、ありませんな」
「うむ、恐るべき女よ」
迂闊に近づこうものなら、斬られるイメージしか浮かばない。どうにも不機嫌な様子だ。
集いつつある参加者を見ながら、アレは何者かという話をしていると、竹一郎には見知った顔が幾つもやって来た。
フリーの退魔師から殺し屋、闇に蠢く者たちである。かつて、敵として対峙した者もいる。
「あのクソガキめ、金を湯水のように使ってこんな者どもを揃えるとはのう」
「若菜姫という妖物、事前に聞いている限りではここまでする必要はないでしょうな」
「いやはや、面白いではないか。あのクソガキのすることよ。まともなことではあるまいて」
それには竹一郎も頷くところだ。
間宮小夜子という魔人は、いつも予想の斜め上を行く。
刻限が来て、皆が席についた。そして、間宮小夜子がマイクを持って現れた。
いつものド下品和装の黒髪美少女である。よく見れば、裏方として若松も奥に控えていた。
『マイクテストマイクテスト』
拡大された小夜子の声が響き渡る。
『本日はよう集まってくれた。わらわが間宮小夜子じゃ。実際に顔を合わせるのは初めての者もおるじゃろう。この顔を覚えておくがよい』
冗談なのか本気なのか、全く分からない挨拶であった。
『皆の者、ここに集ってくれたことに感謝する。今回の若菜姫討伐、もう知っている者もおろうが、鳴髪家の内部的な事情に端を発しておる』
会場に、言葉にならない小さなざわめきが広がった。
『鳴髪家の横槍、今後の活動への妨害も考えられるじゃろうが、もしそのようなことがあれば、わらわが鳴髪家とやり合う。皆の者に累が及ばぬようにするが、不安なものは今ここで帰られよ』
小夜子の言葉に対する反応は様々だ。
不安そうにする者もいれば、薄ら笑いを漏らす者。
席を立つ者は誰一人いない。
『うむ、なかなかの益荒男揃い。わらわは嬉しいぞ』
そんなことを言うものだから、一部からは笑い声が漏れた。
『討伐する若菜姫じゃが、これだけの人数がいるような相手ではない。しかし、わらわが運命を引っ掻き回したせいで、何が起こるか分からんようになった。たやすい仕事であればそれでよし。しかし、不測の事態はあると想定しておくれ。作戦の概要は、立案者の色部が行う』
小夜子がマイクのスイッチを切った音が響く。そして、入れ替わるように色部とくるみがやって来た。
『紹介にあずかった色部三郎です。若菜姫討伐作戦の概要を説明します』
いったん言葉を切った色部は隣のくるみを見た。そして、言葉を続ける。
『今回の作戦は、こちらの鳴髪家次期当主である鳴髪くるみさんが、現当主に至るための試験のようなものです。トドメを刺すのは鳴髪くるみさんの役目となります。さきほど間宮さんも運命と述べていらっしゃいましたが、それに関わるものとお考え下さい』
くるみがぺこりと頭を下げる。
鳴髪家の次期当主が姉にボコボコにされたというのは有名な話だ。二人が揃っているというのは、仲直りしたものと捉えられるだろう。
『では、お手元の資料を開いて下さい。説明を始めます』
プロジェクターが運ばれて来て、作戦の説明が始まる。
小夜子の取った手段はシンプルの一言。
運命と未来に対して、くるみと色部だけでは太刀打ちできないというのなら、太刀打ちできる者を集めるだけだ。
運命の定めたルールに従っていては、勝てるはずもない。だから、ルール自体を壊す。
ここに集ったのは、絶対にくるみと関わるはずの無い者たち。
それら全てが、運命の二人に助力する。